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血と憎しみが滲む夜、時也はアリアを抱き、謎の青年を迎え入れた。 ソーレン、青龍、レイチェル── 家族の温もりが、彼の痛みを静かに包み込む。 だが、胸に宿った怒りは消えず、なおも時也を蝕んでいた。
「⋯⋯⋯⋯⋯え?」
その声は
時也の口から自然と零れていた。
脳が、視界に映った現実を拒み
理解を拒絶した。
目前のアリア──
その腹部が
唐突に内側から破裂するように弾け飛んだ。
血飛沫と臓物と肉片とが周囲に降り注ぎ
桜色の花弁と混ざって空間を染めた。
音も、予兆も、何もなかった。
気が付けば、彼の腕の中には──
アリアの胸から上だけが残っていた。
「⋯⋯アリア、さん?」
彼女の深紅の双眸が、見開かれていた。
理解が追いついていない。
自分の身に何が起こったのか
彼女すらも把握できていないのだ。
ぼとぼとぼと──っ
切断面からは夥しい血が
時也の腕を濡らしていく。
口元からも、紅の液体が溢れ
彼女の無表情の仮面を
ゆっくりと塗り潰していく。
「───アリアさんっ!!」
瞬時に
彼はアリアの上半身を抱えたまま
後方へ跳び退いた。
腕に焼けるような熱と痛みが走る。
だが構う余裕はない。
ようやく距離を取ったその先で
時也の瞳は〝それ〟を捉えた。
そこにあったのは──
アリアの身体の内部から現れた
血と臓物と肉片に塗れ倒れる
人間のようだった。
「⋯⋯人間の⋯男⋯⋯?」
呟いた声は
呪詛のように微かで震えていた。
艶やかな黒髪が
血に濡れて肌に貼り付き
腰まで垂れている。
白く華奢な背に刻まれたのは
まるで巨大な鉤爪に
つい先ほど抉られたような、生々しい傷跡。
そこからは激しく鮮血が滴り
男は息も絶え絶えにうずくまっていた。
(先程の男ではない⋯⋯誰だ?)
時也は、確かに先ほど
アリアが焼き殺した男と対峙した。
だが──
目の前のこの男の姿は
それとはまるで異なっていた。
彼の記憶にある〝アリアを穢した男〟は
歳を重ねた壮年の姿。
それが、今ここに現れた男は──
端麗で若く
華奢で美しい青年にしか見えなかった。
男は──動かない。
それでも
目の前の存在が〝無害〟だと
判断できる訳ではない。
時也は、アリアを抱えたまま
警戒を解かずに構え続ける。
血塗れの男の背では
傷口が徐々に癒え始めていた。
アリアの血が、皮膚の裂け目に流れ込み
不死鳥の力が再生を促しているのだろう。
男の肩がわずかに震える。
その長い睫毛が、そっと揺れた。
そして──
ゆっくりと
アースブルーの瞳が開かれた。
まるで氷の湖のように、透き通った色。
だが
そこに宿るのは狂気でも
怒りでもなく──
純粋な〝混乱〟だった。
「⋯⋯此処⋯は⋯⋯?」
男は、虚ろな声で呟きながら
ゆっくりと上体を起こす。
血で濡れた裸体を隠そうともせず
周囲を見回し始める。
そして──時也と、目が合った。
「──ひっ⋯⋯!」
怯えたように声を詰まらせた男の顔が
恐怖に強張る。
「だ、誰⋯⋯ですか⋯⋯!」
震える声で問うも
男の瞳はすぐに、時也の腕の中にある──
アリアの顔へと引き寄せられた。
アースブルーの瞳が
驚きに大きく見開かれる。
まるで
それがこの世界で唯一の救いかのように。
「アリア〝様〟──⋯っ!!」
少年のように澄んだ声が、空気を震わせる。
その声には
焦燥と安堵がない交ぜになっていた。
血と臓腑に塗れた身体を引き摺るように
男は四つん這いで
アリアのもとへと這い寄っていく。
その裸身には
未だ癒えきらぬ鉤爪の傷が残っていたが
彼は痛みなど忘れたように
ただ──彼女の名を呼び続けていた。
「ご無事で⋯⋯
って状態では無さそうですが⋯⋯
お会いできて安心いたしました。
早く逃げましょう!
教会の者が追ってきます!」
怯えと使命感の入り混じった声。
彼のアースブルーの瞳は
血の色で染まったアリアの顔だけを
真っ直ぐに見つめていた。
時也の存在など、まるで眼中にない。
アリアは、そんな彼に──
微かに微笑みを返した。
激痛に打たれ、肉体の半分を失ってなお
彼女はその眼差しに静かな優しさを灯した。
その微笑みを見た時也は
ようやく警戒を解く。
ゆっくりと
アリアを自身の腕からそっと床へ降ろし
立ち上がると──
彼は着物の袖を捲り
周囲に散らばったアリアの肉塊を見据えた。
「⋯⋯集めます。少しお待ちくださいね」
その言葉と同時に
彼の足元から淡く光を放つ蔓が伸びていく。
植物操作の異能。
本来なら、花を咲かせ、実りを齎すその力を
彼は今、ばらばらになった〝妻の身体〟を
集めるために使う。
蔓は血に濡れながらも
焼け爛れるたびに次々と再生し
やがて
花弁のように優しくアリアの身体を包み
壊れた欠片を
そっと元の場所へと還していく。
「追手は⋯⋯もう、来ない」
アリアは残った腕を伸ばし
震えながらも確かに手を伸ばした。
そして──男の頭を、そっと撫でた。
まるで、怯える子供を宥めるように。
その掌には
不死鳥の熱は宿っていなかった。
ただ、ぬくもりだけがあった。
その瞬間、男の肩がふるりと震え──
糸が切れたように
彼はその場に倒れ込んだ。
「⋯⋯アリア、様⋯⋯共に⋯私は⋯⋯」
意識を手放しながらも
口元だけが僅かに動き続ける。
譫言のような声だったが
そこには確かな意志が宿っていた。
静かに倒れ伏すその身体を
アリアは労るように見つめ
時也は黙って、その光景を見届けた。
やがて、時也は着物の裾をまさぐり
小さな端末を取り出す。
通話機能を扱うには
彼にとって幾分難儀な機械。
額に汗を浮かべながら
誤操作を何度も繰り返し──
ようやく
画面に通話のアイコンが表示される。
「⋯⋯もしもし、ソーレンさん?
今から言う場所に
アリアさんのお着替えと⋯⋯
貴方の服を〝おとなしめの物で〟一式
持って来て頂けますか?」
しばし
端末からは低く不満そうなソーレンの声が
漏れ聞こえる。
だが、時也は何も返さず、通話を切った。
血と再生の残滓が染み付くその場に
時也は静かに膝を折る。
そして──
自らの膝に、アリアの頭を
そしてその隣に
謎の青年の頭を優しく乗せた。
彼女が眠り、彼が夢の中へ沈むまで。
時也は、ただ静かに
そのぬくもりを護るように──
穏やかな目を閉じて
ソーレンの到着を待つのだった。