「イツキくん。さっきの放送って……なんだったの?」
「えっと、あれは……」
職員室を目指すべくすっかり伸びてしまったモンスターの真横を走り抜けると、先生にそう聞かれた。
俺は思わず答えに詰まった。
というのも、何をどこから答えれば良いのか分からなかったからだ。
この世界にはモンスターがいて、魔法があって、俺は魔法を使ってモンスターを祓う祓魔師の一族に生まれました、と説明して先生が信じるだろうか。信じないだろうなぁ……。
少なくとも俺が前世だったらそんなことを子供が言ってきても絶対に信じなかった。
いや、どうだろう。
先生はさっきのモンスターが見えてるし、ニーナちゃんの魔法も見てる。
もしかしたら、信じてくれるかも知れない。
「先生は、さっきの変な人を見て……どう思いました?」
「あの全身が捻れてる人だよね? なんか……コスプレしてるのかなって」
まぁ、そうだよな。
そうなるのが一般的な感性だ。
俺だって前世の時にあんなものを見せられて『本当に幽霊がいたんだ!』となっていたかと思うと怪しい。
「世の中には、ああいう変・な・人がたくさんいるんです。僕は、その内の一人に付きまとわれてて……」
「……放送の人だよね」
俺は頷く。
果たしてあれを人と呼んで良いのか分からないが。
「妹さん? を、イツキくんがどうにかしたって言ってたけど、いたずらでもしたの?」
「いたずら……。えっと、そんなところです……」
先生からすれば俺は小学1年生。
その小学生が誰かを怒らせることと言えば、いたずらだと思ったのだろう。
祓魔師だったら絶対に出てこないような先生の言葉が俺には新鮮で、ちょっと戸惑ってしまった。
しかし、あのモンスターの妹と言えば……多分、キューブと球が好きだったあの2人だと思うのだが、あれを祓ったのは父親とイレーナさんの2人で俺ではないと思う。逆恨みにもほどがある。
そう思って走っていると、ニーナちゃんに手を引かれた。
どうしたんだろうと思って振り返ると、彼女はとても心配そうな顔をして俺を見ていて、
「い、イツキ。大丈夫?」
「うん? 大丈夫だよ、ニーナちゃん」
「で、でもイツキ。今は魔法が……」
「気にしないで。本当に、大丈夫だから」
心配してくれるニーナちゃんに、俺は頑張って笑顔で返した。
こういう時は不安になるものだ。
だからきっと、ニーナちゃんも不安に思っていることだろう。
校舎からは外に出れず、モンスターが徘徊し、俺は俺で魔法が使えない。
こんなの、不安になるに決まっている。
だから、俺は出来るだけニーナちゃんの不安がなくなるように頑張って笑顔を浮かべたのだ。
正直言うと俺だって怖い。
魔法が使えないのだ。
さっき出てきた低級のモンスター……『第一階位』のモンスターでさえも、今の俺だと祓えない。
それなのに『第五階位』のモンスターに狙われている。
これで怖くない方がイカれてる。
それでもレンジさんや父親がここにいたら、きっとただ狼狽うろたえるだけでは終わらなかったはずだ。きっと。
だから俺はニーナちゃんを励ましながら、職員室に向かった。
たどり着いた職員室は当たり前だが、無人だった。
デスクの上には置きっぱなしのテストとか、書類とか、そういうのが散らばっていて、まるで仕事をしている途中に、急に教師たちの存在ごと消されてしまったような感じだった。
先生は慣れた足取りでずんずんと中に入ると、壁際に置かれているスチール製の収納棚に向かう。
「良かった。ちゃんとあった……」
そう言って先生が取り出したのは、どこにでも売ってそうな工具入れ。
そこからハンマーを取り出すと、俺たちに見せてきた。
「これで窓を割っちゃおう。ちょっと待ってね」
先生はそういうと、同じ棚からガムテープを取り出す。
そして、窓ガラスに貼り始めた。
「窓ガラスを割る時は、ガムテープを貼ってから割ると安全に割れるの」
「そ、そうなんだ……」
初めて知った。
もし、次に窓ガラスを割る機会があったら試してみよう。
そんな機会が二度と来ないことを祈るだけだが。
そんなことを考えていると先生が職員室の窓にガムテープを貼り終えて、思いっきり窓ガラスを殴りつける。
躊躇ためらわないな、この人。
大人しそうな人だと思っていたけど、この状況に思わぬストレスが溜まっていたのかも知れない。先生の持っているハンマーが窓ガラスを殴りつけた瞬間、ぴし、という音がして確かに窓ガラスの割れる音がした。
先生がもう一度ハンマーを振り下ろすと、音がさらに大きく鳴る。
「うん。こんな感じ」
そういって先生がガムテープを剥がすと、そこには完全に割れたガラスがべったりと付着していた。そして、窓ガラスが無くなった窓枠から夜の風が入ってくる。
なるほど。
ガムテープを貼るから、破片が全部そこにくっついちゃうのか。
勉強になる。
いや、活用する時は一度も無いんだろうけど。
だが窓ガラスは割れた。
割れたのであれば外に出られる。
「イツキくん。ニーナちゃん。こっち来て。危ないから先生が抱っこするから」
先生は窓枠に残ったガラス片を丁寧に砕きながらそう言う
言うが早いか先生は俺たちを抱き上げて、外に出してくれた。
あ、ありがたい。
そして先生は先生で職員室にあった椅子を適当に持ってくると足場にして外に出た。
「……これで帰れるのかしら」
「どうだろう……」
ニーナちゃんのぽつりとした呟きに、俺はそうとしか返せなかった。
確かに学校からは外に出れた。
だが、さっき職員室の時計を確認すると時間は17時。
なのに、空には大きな満月が浮かんでいる。
こんなものを見せられて、学校から出るだけで家に帰れると無条件には信じられない。
それでも、外に出られたというのが大きな進捗だ。
「とにかく、学校の外に出てみよう。そしたら、あの変な人たちもいないはずだから」
モンスターという言葉を使わずに、俺は次の一手を示す。
あの『第五階位』のモンスターの言葉を信じるなら、モンスターが放たれているのは校舎の中だけ。それに本体も校内放送を使っていたところを考えるに、放送室に陣取っているのだろう。
それを考えれば学校の外は安全なはずだ。
「そ、そうね。外に出ればもしかしたら、ママが助けに来てくれるかも知れないし……」
ニーナちゃんが頷く。
先生の顔にはまだ不安があったが、学校にいる方が危ないと思ったのだろう。
ニーナちゃんと同じように頷いてくれた。
というわけで俺たちは校門から外に出ようと、グラウンドに向かった。
「……えっ!?」
最初にグラウンドに出たニーナちゃんが固まった。
次にその光景を見た俺も思わず硬直し、その後ろにいた先生も同じように固まった。
『はァい、如月イツキぃ! いらっしゃァい!!』
どう説明すれば良いのだろうか、目の前の光景を。
一言で言うとするならば、モンスターが校庭で遊んでいた。
ジャングルジムでは3つの巨大な目玉が遊んでいる。ブランコには腕だけのモンスターが乗っかってひたすら拍手をしている。雲梯うんていでは、その間に絡まるように蜘蛛みたいなモンスターが巣を作っていて、何よりもグラウンドでは数十体のモンスターが同じようにモンスターを蹴ってサッカーをしている。
そして、その中心には一人の女が立っていた。
『遅かったわねェ。女を待たせる男はモテないわよ』
上半身にはびっしりとした入れ墨。
いや、入れ墨じゃない。よく見ればあれば、何かの模様だ。
それがまるで生き物のように、モンスターの体表をうごめいている。
『待ちくたびれたわ。本当に待ちくたびれたわよ、如月イツキ』
グラウンドの中心にいるというのに、良く通る声。
俺たちと数十メートルは離れているのに、目の前にいるのかと思ってしまうほどビリビリと身体が震える。
『ここにいるのは、みんなアンタに祓われた妹たちの仇かたきを取るために集まった可愛い可愛い私の妹たち。みぃんな、アンタを殺すために集まったの。そう、アンタを殺すためにねェ!』
バン、とモンスターが地面を踏む。
その瞬間、グラウンドにいたモンスターたちが一斉に俺たちの方を向いた。
一体一体を取ってみれば大したことのないモンスターたちだ。
俺が魔法を使えればすぐにでも祓えるようなモンスターたちだ。
でも違う。いまはそのモンスター1匹でも命取りになる……!
『ちょっとばかり魔法が使えるからって、調子乗ってんじゃねぇぞクソガキが! 魔法が使えなきゃアンタはただのガキ。分かってんだろうなァ、おい!』
地団駄を踏むように何度も何度も何度も踏みぬく。
『ここは人間の魔法を封じた「閉じた世界」。アンタを苦しめて惨めに殺すためだけに用意してもらった場所。さぁ、恨みはらさでおくべきかァ……』
そのモンスターの言葉に、俺は思わずニーナちゃんの横顔を見た。
だって、それはモンスターの言葉が間違っていると思ったからだ。
なぜならさっき、ニーナちゃんは魔法を使っていたのだ。
人間の魔法を封じたとは言ったけど、封じられたのは俺の魔法だけで……。
……ん? いや、そういうことなのか?
『泣いて謝って地面に這いつくばって許しを求めても許さないからなァ……』
さっき目の前のモンスターは確かに言った。
人・間・の・魔・法・を・封・じ・た・と。
だが、ニーナちゃんの魔法は、人の魔法だけど厳密には魔法そのものは妖精が使っている。
だから、封じられなかったと。なるほど。
そ・う・い・う・こ・と・か。
なんかゲームのバグみたいだが、それでも確かに俺はそこにチャンスを見つけた。
「……なるほど。人の魔法を封じたんだ」
『そうよッ! アンタを無様に殺すためにね』
確かに言われてみれば、『廻術カイジュツ』も『絲術シジュツ』も魔力操作であって魔法ではない。俺がこの世界でもそれらを扱えたのは、魔法ではなかったからだ。
なるほど。なるほど。
なるほどね。
頭の中が理解で埋まる。
それと同時に、この状況を打開できるかも知れない可能性を閃いて、少しだけハイになる。
「ニーナちゃん。先生。ちょっと下がってて欲しい」
「イツキ?」
「イツキくん……?」
二人の反応を待たずに、俺は前に出た。
妖精は、核となる魔力とその入れ物となる魔力を用意してやれば出来るのだという。
そして『凝術』の初心者は、人形やぬいぐるみなどの側に魔力を入れて練習するのだという。
だとすれば、だ。
もしかして、その逆も出来るんじゃないのか?
入れ物としての魔力を用意して、“核”は既存のものでも代用できるんじゃないのか?
そうすれば初心者の俺でも妖精を生み出せるんじゃないのか?
考えてから、思う。
……やってみなきゃ、分かんないよな。
そうだ。やってみないと分からない。
上手くいくかは不安だし、失敗したらどうしようと思う。
でも、ニーナちゃんは前に進んだ。
彼女はほとんど独学で、妖精魔法を使えるようになった。
見るだけで過呼吸になってしまうのに、それでもモンスターを祓った。
凄いと思う。見習わないとな、なんて思う。
だから俺も、挑戦だ。
取り出すのは雷公童子の遺宝。
死してなお、魔力の結晶を残す『第六階位』の遺物。
それを核にすれば、どうなるのか。
俺の持っている魔力で、目の前のモンスターを上回る――すなわち『第六階位』に相当する魔力で入れ物を作ってやればどうなるのか。
生み出した『導糸シルベイト』が雷公童子の遺宝を取り巻き、囲い、人型を作っていく。その魔力で世界が歪む。
それを可能にするのは、第七階位の魔力量。
それを見ていた女のモンスターが困惑を隠さずに言葉にした。
『あんた、急に何を……』
だが、何を言おうともう遅い。
俺の生み出した人型は、夜の闇よりも深い黒みを帯びて天に向かって二本の角の伸ばした。長身の体躯に鎧みたいな甲殻と、それを支える強靭な筋肉。
そして、その全ては魔力が爆ぜると同時に完成する!
『我ッ! 復活ッ!!』
ごう、と声が鳴った。
迫ってきたモンスターたちに向かって紫電が走ると、一瞬でモンスターたちが爆ぜた。
遠巻きに見ていたモンスターたちが固まっているのが見えた。
当たり前だ。
『第五階位』を上回る『第六階位』のモンスター。
それの再現なのだから。
「久しぶりだね、雷公童子」
『うむ。久しいの、我が主あるじ』
「……主?」
『我を生み出したのだ。そうであるなら、童わっぱこそ我の主よ』
妖精だから、そういうことになるのか。
俺が納得していると、雷公童子が俺に膝を付く。
『さぁ、何なりと我に命令を』
そうであるなら話が早い。
「ニーナちゃん、先生。そして僕に危害が及ばない範囲で」
逆転の一手は打てた。
「存分に暴れてほしいんだ、雷公童子」
『御意』
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