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いつからだろう、彼に心を奪われたのは。
決定的な出来事があった訳ではない、いつの間にか彼のことを目で追うようになった、彼のことで頭がいっぱいになった。
彼が現れたのは、新しい学年が始まって数週間あとのこと。
その日の空は雲ひとつない晴天で、絵に描いたような青空だった。
「それじゃあ、烏田くん。入ってきなさい」
その声で、教室の引き戸がガラガラと音を立てて開く。口元に少し笑みを浮かべながら入ってきた彼は、一瞬で女子たちの心を奪っていった。教室の所々から黄色い声が上がる。
彼は教室を、ぐるりと見回す。
そして
「初めまして、今日からこの学校に通うことになった烏田蓮兎(うだ れんと)です。」
「よろしくお願いします」と彼が言い終える前に、クラス中から拍手が上がった。
突然上がった拍手に驚き、言葉を言い終えることも忘れて、固まってしまう彼。
担任が席に座るように指示すると、
烏田くんは照れくさそうに笑いながら指定された席へと座った。窓際の1番後ろ、ちょうど空いていた私の隣。
私の席周辺に座っていた何人かの女子が、こそこそと話し出す。
ちらりと彼に目をやると、なんでもないような顔をして前を向いていた。周りからでる黄色い声など気にしていないような、そんな顔をしている。
ここまでの彼の印象は、「突然やってきた転校生」だった。だから女子たちがキャーキャーと騒ぐ理由も分からず、ただただ迷惑なだけだと思っていたのだ。
「よろしくね、君の、名前は?」
突然した声にビクリ、と体が跳ねる。
この時の私は友達なんて一人もいないような奴だったから、人に声をかけられることに慣れてなかったのだ。
先生が名前を出しても、顔が思い浮かぶまでかなりの時間がかかるタイプ。クラスに一人はいる、いつも隅で本を読んでいるような子、いわゆる「陰キャ」だ。
閑話休題。
慌てて顔を横に向ける。
「あ、平田…愛葉…です?」
声にもならない、掠れた声で答えた。
意味の分からない敬語。使った上に、疑問形とは、彼の瞳にはなんと陳腐な同級生に見えたことだろう。
「そっか、よろしくね」
私のおかしな回答に嫌がるような反応を見せず、ニコリと笑ってまた黒板の方へと姿勢を戻した。今思うとこの時から、私は彼のことが好きだったのかもしれない。
***
何かあるわけでもなく、無事に午前中の授業を終え、昼休みに入った。
ある程度静かだったはずの教室は、一気に騒がしくなった。
何人もの生徒が私の方向目掛けて走ってくる。
何、何?怖いんだけど…
クラスメイトたちの目当ては、私ではなく隣に座っている烏田くんだった。
「うわー、すごいなこれ。持ち帰れるか?」
「えー、どうだろうなぁ…?」
「てか烏田くんどここらきたのー?」
「結構田舎の方だよ」
「え、髪の毛地毛?」
「そうだよらよく染めてるって勘違いされるんだけどね。」
「えー、やば…ハーフ?」
「ううん、お父さんもお母さんも日本人だよ」
「お父さんとお母さんだってー!マジ可愛い!」
「良く可愛いって言われない?」
「ええー…? 言われたことないかなぁ…」
「前の学校でもモテてたでしょ?」
「そんなことないよ、かっこいい人たくさんいたからね。」
「えー?その人たち見る目無さすぎ!」
「そうかなぁ…?」
隣では、新品の教科書が山積みにされた烏田くんの机を囲んで、ガヤガヤと盛り上がっていた。
烏田くんはと言うと、大勢に囲まれて困るわけでも、不機嫌になる訳でもなく、ニコニコと笑って、マシンガンのように繰り出される質問に答えていた。
すごいな、あんな質問に答えられるなんて。
私だったら気絶してるよ。
毎日質問攻めされたらさすがの烏田くんも迷惑なんじゃないかな…
想像以上の盛り上がりに、隣に座っている私は正直引いていた。
あんな人数に囲まれると考えただけで目眩がしてきた。
烏田の忍耐力には感心する。
お昼休みが始まって、20分経とうとしているのにも関わらず、彼への質問は続いていた。
男子のほとんどが昼ご飯を食べに行ったので、今ここに残っているのはこのクラスにいるほとんど全員の女子だ。
クラスの半分以上を占める男子が消えたことで、少しは静かになると思いきや、先程よりも盛り上がっているように思える。
「分からないことあったら聞いて!何時でも答えるから!」
「良かったら学校案内しようか?」
「ううん、大丈夫だよ…あと、僕そろそろお昼…」
「彼女とかいないの?」
「居ないよ。 ごめんね、そろそろお昼休みが…」
席を立とうとする彼の言葉は次々と繰り出される質問にかき消されてしまう。
これにはさすがの烏田くんも少し困ったような顔をして笑っていた。
あーあ、大変だ。烏田くんどんまい。転校生とはこういう事だよ…
静かな水面に雫が落ちるのと同じ。最初は大きな波紋が広がるものだ。烏田くんは気の毒だがその波紋が収まるまで耐えてもらう他ない。
このまま彼は質問に答え続け、お昼休みを終えるのだろう。
そう思っていた、その時。
「お前らいい加減やめろよ。迷惑だぞ。」
皆の騒ぐ声にも負けない、よく通る低い声が、後ろの方から聞こえた。
その声を聞いていないのか、クラスメイト達の質問は終わらない。
「…聞けよ、迷惑だって。
ほら、昼食べに行くぞ。」
なかなか言うことを聞かないクラスメイトにしびれを切らしたらしい彼が、烏田くんの手首を掴み、強引にその場から引き剥がした。
それでようやく彼の存在に気づいたのか、クラスメイトからはブーイングが上がる。
「なんなの、そっちこそ迷惑じゃない?」
女子のリーダー格、桜田さんが腰に手を当て、
睨む。
「そうだよ、強引に引き出すなんてさ」
周りの女子もそれに賛同した。
烏田くんの手首を掴んだまま「うるせー」と吐き捨てた彼は、半ば強制的に烏田くんを食堂の方へと連れていった。
「なんなの、アイツ。」
文句を言いながら、自分の席に戻っいてく人達。
誰だったかな、あの子は。
田中?佐藤?どれも違うか。
確か、か…河合。そうだ河合くんだ。
河合 悠牙(かわい ゆうが)くん。
クラスの中でもかなり女子から嫌われている子。私も、彼のことは苦手だ。
「個人主義」彼を表すのに最も適当な言葉はこれだろう。独立心が強く、決して群れようとはしない。格好つけた言い方をすれば、「1匹狼」
彼の遠ざかる背中を睨みつけた桜田さんが小さく舌打ちをした後、彼女も自分の席に戻って行った。
良かった、これでやっとお昼が食べれる。
お弁当箱を広げる。
お昼休みは残り20分、何とか食べ切れるかな。
***
昼休みを終え、午後の授業も無事に終わった。
昼休みのあと、教室に帰ってきた彼は何事も無かったかのように振舞った。
女子たちの上辺だけの謝罪を受け入れ、笑顔で対応していた。
本当にすごいな、あの転校生は。
心からの謝罪でないことは、目に見えているのに、あんな丁寧な対応ができるとは。
HRの後、帰りの準備を終え席を立つ烏田くんに何人もの女子が群がる。
「一緒に帰ろう」と烏田くんを誘う。
「ごめんね。僕河合くんと帰るんだ。」
彼はそう言って、キッパリと断った。
くるりと反対側を向いて、迷うことなく河合くんの方へ歩いていく。
「おまたせ、一緒に帰ろう」
笑顔で、本を読む河合くんに声をかけた。
彼の言葉に河合くんは「ん」と短く返事をして席を立ち、早足で教室を出ていった。
***
「河合に友達できるとか、明日雪でも降るのかね。」
まだまだ肌寒い帰り道、同じクラスの友達。
緋色ちゃんと並んで歩く。
放課後、委員会で席を外していた彼女に、放課後の出来事を話すと苦笑いをしながらそう言った。
「それにしてもさー…転校生の烏田くん、まじイケメンだよね」
「うん」
ぼんやりと彼の顔が頭に浮かぶ。
「絶対モテるよね」
「うん」
「クラスのみんなすっかり虜になっちゃって。
2.5次元推せばいいのにー…」
「うーん」
緋色ちゃんの言葉も頭に入ってこなくて、生返事を続けた。
「聞いてる?」
「うん…」
ムッと、頬を膨らませた緋色ちゃんが、私の目の前で手を振ってみせる。
「起きろー」
「…あぁ、ごめん」
我に返った時には、既に分かれ道。
「私はこっちだから」と言い残して緋色ちゃんは走っていった。
「またね」と小さく呟いてみる。
遠ざかる背中を眺めながら、悪いことをしたなと思う。
最近仲良くなった緋色ちゃんは、「2.5次元アイドル」というものに夢中だ。私には分からないジャンルの話でも、一緒にいるのは楽しかった。
ごめんね、と心の中で謝っておいた。
緋色ちゃんとは反対方向にくるりと体を向けて、歩く。
前に見覚えのある小柄な背中が見えた。
烏田くん、河合くんと別れたのか、傍に他の人の気配はない。
少し歩いた先にある一軒家、そこが烏田くんの家らしい。母親らしき人物が彼に「おかえり」と、声をかける。「ただいま」と烏田くんが笑顔で答える。学校では見せない無邪気な笑顔に、私の頬も少し緩む。
口角が上がるのを必死に抑えながら、彼の家を通り過ぎようとした時、
「あれ、平田…さん…?」
母親に手を引かれ、家の中に入ろうとしていた烏田くんが声をかける。
黙って振り向き、頷く。
「やっぱり、家近いんだね」
「あ、はい…えっと…」
「またね」
そう言って、笑顔で手を振った。
私が声をかける暇もないまま、彼は家の中へと入ってしまう。
ふと、空を見上げてみると雲ひとつない透き通った空が広がっている。
突然吹く強風に目を細める。
風に背中を押されて、足を早める。
ビュービューと響く風よりもうるさく鳴る鼓動も気づかない振りをして、帰路を辿った。