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──そして、翌日の夜。
「ただいま、あらたせんせ……」
今朝渡した合鍵で入ってきた洸くんは、ネクタイを緩めながら、今にも倒れそうなほど疲れ切った顔をしていた。どうやら大仕事だったプレゼンが無事に終わり、緊張の糸が一気に切れてしまったらしい。
「おかえり、洸くん。お疲れ様、頑張ったんやね」
「うん、めちゃくちゃ褒められた……。でも、もう一歩も動けへん……」
洸くんは上着を床に落とすなり、俺が座っていた狭いシングルソファへと這うように近づいてきた。そして、10年前、彼がまだ子供だった頃と全く同じように、俺の太ももにコテッと頭を乗せて目を閉じた。
「お疲れ様。……なんか美味しいもんでも作ろうか?」
「ううん、後でいい。……今はあらたせんせで元気チャージ……する……」
そう掠れた声で呟いたかと思うと、洸くんはすぐに規則正しい寝息を立て始めた。
本当に疲れ切っていたのだろう。俺は呆れつつも、「えらかったなぁ」と心の中で呟きながら、その寝顔をそっと見つめた。長い睫毛、高い鼻筋。やっぱり、すっかり男前になって。
愛おしさに胸を撫で下ろした、その時だった。
「……ん、」
洸くんが寝返りを打つようにして、俺の腰を、その長い腕でガシッと抱きすくめてきたのだ。さらに、自分の顔を俺のお腹のあたりにギュッと埋めてくる。
「っ……、ふふっ赤ちゃんやん」
驚いたのも束の間、子供の頃の洸くんを思い出して、思わず顔が綻ぶ。可愛い。25歳になってもそういうところは変わらへんねんな。
でも。昔なら、簡単に退けられた子供の腕。だけど今の洸くんの腕の力は、大人の俺が本気で抗ってもびくともしないほど、強くて、重くて、圧倒的だった。
密着した身体から、彼の温かい体温がダイレクトに流れてくる。久しくこんなに人と密着するような相手もいなかった俺にとっては、少しの緊張感が身体を襲う。
「……んっ」
彼が少し甘えたような声を出して、お腹の辺りで顔を擦り寄せてきた。その仕草がくすぐったくて、思わず身体がビクリと跳ねる。
「……ふふっ、あらたせんせはくすぐったがりさんやな?」
不意に、俺を見上げた洸くんと至近距離で目が合う。
「……くすぐったがりさん……くすぐったがりやさんて言いたかったん?」
「あはは、間違えた」
洸くんが子供のように無邪気に笑う。もう仕事で精魂使い果たして、思考も回らへんなってるんやろうな。
笑いながら身体を起こした洸くんが、もう一度俺に項垂れかかってくる。……だけど、これはさっきとは密着度が違いすぎる。
ちょっと待って、俺、かんっぺきに心臓が早くなってないか!?
「……あらたせんせとちゅうしたい」
「……っ!」
待ってくれ! それはあかん!
だって、再会してまだそんなに経ってへんねんで? 俺の中でまだ8割は洸くんの『お母さんムーブ』が続いてるし、こんな20も年下の若い子に、現役の園長先生が手を出すなんて絶対にあってはならんことや!!
「……してくれたら元気でる。……んっ」
可愛く唇を尖らせて、俺のことを待っている。待て、洸くん、冗談が過ぎる!
「……洸くん疲れすぎてんねんな。ご飯なんか作ってあげるわ。ここでゆっくりしとき」
余裕があるフリをして立ち上がろうとするも、腕ごと体重をかけられて、そこからピクリとも動かれへん。
「……あらたせんせが、おとうに恋したのは、今の俺くらいの歳やろ?」
なに、唐突に。また昨日の話の続きなん?
「……うん、多分、そう」
思い出すのも恥ずかしくなる、昔の恋の話。相手の幸せだけを願って、口にも出せへんし、奪おうとも思わへんから叶いもせえへん。ただそばにいたかっただけ。そんな、情けない10年の恋。
「……今、俺、そん時のあらたせんせと同じ気持ちやで?」
少し震える声で、目にじわっと涙を溜めながら、俺に訴えてくる。
俺だって、出来るなら洸くんのこと、受け止めてあげたい。だけど、それをしてしまうと洸くんの未来を潰すことになる。俺が帰ってこなければ、もう一度家族になりたいなんて願わなければ、こんな苦しい思いをさせんですんだんかな?
「……今、俺の中ではまだ洸くんは可愛い息子のままやねん。やから、俺の気持ちが追いつくまで少し待って欲しい。……その時まで、色んな人と関わって、お付き合いして、色んな感情を覚えて……ゆくゆくは、ほんまに大切な人を見つけて欲しい」
待って、と言いながら、ほんまは洸くんの幸せな結末が見たい。俺なんかに囚われんと、洸くんがほんまは歩むべきやった道を取り戻して欲しい。
「……それはもう10年前から、あらたせんせと再会するまでに済ませてるから」
少し拗ねたような、だけど切実な大人の顔をして、俺の唇に、ほんの一瞬だけ洸くんの温かい体温が伝わった。
「……へ、今──」
「へへっ、元気チャージ完了した。また遊びに来るね」
洸くんはそう言って、悪戯っぽく笑うと、荷物を手に取って玄関から逃げるように去っていった。
……なんやったんや、今の。
明らかに、俺は洸くんのペースに完全に飲み込まれている。
それを確信した、数秒間やった。