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あれから稜と口をきかず、一瞬だけ視線を合わせ、直ぐに背中を向けてしまった。何か話しかけたかったのに、どこか悲壮感を漂わせる彼の眼差しが、俺から言葉を奪ってしまったから。
しかも二階堂からの宣戦布告で、心中穏やかじゃいられないというのに、ぷいっと顔を背けられてしまい……
(もしかしたら、さっきの女性とのやり取りで、どこか気に入らないところがあったのかもしれない)
普通に対処していたつもりだったが、稜の中で思うことがあったから、あんなふうに態度で表しているのかもしれないな。
普段、他人には出さないようにしている稜の心中を察し、揉めるのを覚悟であとで聞いてみようと思った。
「すみませんが片付けが終了次第、これからのことについて、会議をしたいと思っておりますので、帰る前に集まっていただけませんか?」
書類を傍らに置きながら、パソコンを操作しつつ、皆に向かって話しかけた二階堂に、あちこちから返事がなされる。
「明日から頑張らないといけないから、さっさと作業を終わらせてさ、はじめの話をしっかりと聞いて、とっとと帰りましょう!」
士気をあげるように、声を出した稜。黙々と事務所内部を作っていた人たちに、それぞれ笑みが零れた。
相変わらず、盛り上げることに関しては誰にも負けない――本来なら俺も、こういうのをしなければならないのだけれど、どうにも照れくささが手伝ってしまい、声をかけることすらできないんだ。
見習わなければと考えていたら、背中を叩かれる感触に振り返った。
「秘書さん、ちょっといいですか?」
乱雑に置かれたたくさんのファイルを、立ったまま整理していた俺に、少しだけ背の低い二階堂が、メガネを光らせながら見上げる。手には、俺が作った書類が握りしめられていた。
「はい、何でしょう」
さっきのやり取りがあるせいで、無機質な声で返してしまった。稜のためにここはもう少し、友好的な態度をとらなければならないというのに。
「作っていただいた書類なんですが、内容に古いものがありましたので、こちらで差し替えさせていただきました。確認してもらえますか?」
ばさりと無造作に手渡されたせいで、恐々とそれを受け取る。
傍にあった椅子を引き寄せ、改めて書類と向き合い、差し替えたというものをチェックしていった。
「これは――」
差し替えたといったから、ほんの数枚かと思っていたのに実際、かなりの枚数が差し替えられていて、感嘆の声をあげてしまった。
「秘書さんの中では、一ヶ月前や一週間前はつい最近かもしれませんが、僕の中では過去の産物になるんです。情報は常に新しいものへと、変化していますから」
「……いつの間に、こんな数を調べあげた? 前回の選挙戦と平行しながら、調べたというのか?」
そこには、有権者が稜に対する意識調査やら、その他の情報が多く印刷されていた。
「無駄になる可能性もありますが、仕事を頼まれる可能性のある候補について、一応下調べくらいするんです。勝敗が、そこに表れますから」
銀縁のメガネを押し上げて、今更何を言ってるんだという表情を、ありありと浮かべる。
自分としては初めての中、手探りで今回のことを調べていたから、抜けがあったり情報が古いのは仕方ないと、言いわけができた。でもそれをしたくなかったのは、稜のためにならないと思ったから。
彼が勝つために、きっちりやることをしなければならないと、改めて考えさせられた。
「君がいてくれて助かった。これからも、何かあったら――」
「書類関係は僕が作りますので、秘書さんはどうか邪魔にならないところで、作業していただけると助かります」
俺の言葉を断ち切るように言い放ち、ぺこりと一礼をして足早に去って行く。
稜の恋人である俺と、一切手を組む気はないといったところなのか……
奥歯を噛みしめ、手渡された書類に再び視線を落とした。
選挙プランナーとしての手腕が、ぎゅっと詰まっているそれに、敵わないなと思わされたけど、仕事は仕事として負けを認めざるを得ない。しかし、プライベートは別物だ。
(稜を俺から奪うだと!? そんなこと、簡単にさせてたまるか――)
この選挙戦を乗り切るために、秘書として恋人として自分のできることを精一杯しつつ、二階堂からきっちりとガードしてやる。これまで築き上げてきたふたりの想いがあれば、どんなことでも乗り越えられるはず。
そう思いながら事務所内にいる稜を捜したら、上座にいる二階堂と顔を突き合わせ、書類を覗き込んでいた。
「お隣いいですか? 相田さん」
眉をひそめた瞬間に話しかけられたので、慌てて真顔に戻し、声の主を確認。さっき、荷物の移動を頼んできた女性だった。
俺が書類をチェックしてる間に、片付けが終わったらしく、空いている席が、どんどん埋まっている状態だから、話しかけられたのか――稜の機嫌がまた悪くなる恐れはあるが、この様子を見て仕方ないと思ってくれることを願うしかないな。
「どうぞ……」
「私はウグイス嬢として、わかりやすく喋るだけに専念すればいいけど、相田さんはたくさんお仕事があって大変そうですね」
座りながら書類に指を差し、微笑みかけてくる。曖昧に頷いて机に向き合い、ペンを使って重要そうな文章にマーカーした。こうして仕事をしていれば、話しかけにくいだろう。