「大丈夫かな。変な質問されて正体がバレなきゃ良いけど」
典晶の心配をよそに、イナリはニコニコと笑いながら皆と談笑している。
「大丈夫だろう。変なことを答えても、帰国子女って事になってるから皆納得する。というか、神様が転校してくるなんて、誰も想像できないだろう?」
「……だな」
そんな事を話していると、イナリが席を立った。トイレでも行くのだろうか。教室を出る際、チラリとイナリは典晶を見てウインクをした。
「おお! イナリさんが俺にウインクしたぞ!」
典晶と明後日の方に座るクラスメイトが何故かガッツポーズをする。
「お呼びだぞ、行ってこいよ」
「……仕方ないか」
のそりと立ち上がり、典晶はイナリの後を追った。
イナリの行き先はすぐに分かった。彼女の通った後には、必ず生徒が足を止めて振り返っていたからだ。イナリは、一階と二階の階段の踊り場に設けられたベンチに座っていた。イナリの前には、天井から釣り下がった逆さ爺がいた。
一瞬ドキリとしたが、階段を利用する生徒に逆さ爺の姿は見えていないようだ。生徒達は目を細めてみるのは、逆さ爺ではなくベンチに座るイナリだけだった。
「イナリ、逆さ爺」
逆さ爺の脇を通り、イナリの横に腰を下ろす。学校で話をするのはこれが初めてだった。今更、何故転校してきたなど言うだけ無駄だろう。書類上の手続きが気になったが、高天原商店街にいる八意に頼めば、何とでもしてくれそうだ。まさか、神様特待などという特殊な特待制度が学校にあるとも思えない。
隣にいるイナリをマジマジと見つめる。普段はジャージ姿と着物姿のイナリを見ているせいか、こうして全く違う服装をしているイナリは新鮮だった。それに、今は天安川高校の制服だ。イナリを見ていると、胸の奥がチリチリと焦れるように熱くなる。
一つに纏められた長い銀髪。赤い瞳と相まって、より引き立つ白い肌。肌理細かく弾力のありそうな肌を見ていると、思わず触れたくなってしまう。
「これはこれは、典晶様。無事、イナリ様の宝魂石は集まっているようですね。神通力を高められ、こうして人の姿を保っていられるとは」
頭上から降り注ぐ逆さ爺の声に、典晶は我に返る。不思議そうにこちらを見るイナリから、典晶は慌てて顔を背けた。
「全て典晶のお陰だ」
「流石はイナリ様の夫君となられるお方。典晶様は只者ではありませんな」
逆さ爺はニコニコと笑みを浮かべる。
「逆さ爺、俺に様付けはいらないよ。で、二人して何やってんだ? 他の人には逆さ爺は見えていないんだろう? 踊り場のベンチで一人話していたら、おかしな奴だと思われるぜ」
「その事なんだが、私と典晶を呼び出して何のつもりなんだ?」
イナリが教室を立ったのは、典晶と話をする為でなく、逆さ爺に呼ばれたからのようだ。転校の祝いを言う為だけにイナリを呼び出したとは考えにくい。何かあったのだろうか。
「実は」
浮かべていた笑顔が消えた。逆さ爺は天井から降りると、長い手足を折りたたんでイナリの前に正座をした。
「いつも以上に凶霊がざわついております」
「凶霊だと?」
イナリは怪訝な表情を浮かべる。
「はい……。このままでは、儂の住む場所も奴に奪われかねません……」
「それで、私達にどうしとろいうのだ? まさか、凶霊を相手にしろというのではないだろうな?」
不愉快そうに片眉を吊り上げたイナリに見つめられ、「ヒッ」と逆さ爺は小さな体を更に小さくした。
「イナリ、逆さ爺を脅してもしょうがないだろう。……それで、凶霊は今どうしてるんだ?」
生憎、典晶には凶霊の気配は疎か存在自体を認識できない。那由多が週末来ると言っていたが、それまで何とか持たせることはできないだろうか。
逆さ爺は「へぇ」と、長い手を使って頭を掻いた。
「ある女子生徒に取り憑きまして。そろそろ行動を起こしそうです」
「女子生徒?」
真っ先に思い浮かんだのは理亜だ。今朝の彼女を見る限り、その可能性は十分あり得る。急に不安になった典晶は、逆さ爺に尋ねた。
「それは、松坂理亜って女子生徒じゃないか?」
「昨日話していた、美穂子の友人か?」
登校中の理亜をイナリは見ていない。
「今朝、理亜にあったんだ。やっぱり、様子がおかしくって……」
「そうか……。那由多が来るまで待てそうに無いな」
「すいません、名前までは分からないのですが。急速に力を付けたようでして……」
逆さ爺の言葉は此処で中断された。階段から文也が飛び降りてきた。イナリの目の前に着地した文也は逆さ爺を踏みつけたが、文也の足は逆さ爺をすり抜けてしまった。
「典晶、やばいぞ! 美穂子が! 美穂子が!」
典晶は立ち上がった。悪寒が足元から這い上がってくる。
「松坂理亜が調理実習室に立てこもって、包丁を振り回しているんだ! それを、美穂子が止めようとしていて……!」
「行かなきゃ!」
全身の力が抜けそうになるが、典晶は何とか踏み止まって駆け出そうとした。が、肝心な一歩目で逆さ爺の足を踏みつけバランスを崩した。倒れそうになる典晶をイナリが支えてくれた。細身の体からは想像も付かないほど力強く典晶の腕を掴む。
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