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時折、何をしたいのか分からなくなってしまう。
大学にも通えているし、バイト先だって楽しい。姉と兄との関係だって良好だし、自分の人生を変えた趣味——クイズだって、強い相手と競い合うくらいの知識も持っている。
だけど。
自分が生きていたって仕方のないような、どこか言葉では表せない気持ちに、俺は恐怖を抱いていた。
だったらいっそ、死ねばいいんじゃない?
夢の中で、俺の中の問がそう言った。
ああ、そうするべきかもな。
俺がそう思って顔を上げると、問は笑顔で俺を抱いていた。
本物の問ならどうしたかな。
それでも俺の中の問はそう言った。俺は、俺に従う。
ーーー
目を覚ますと、俺の家に泊まっていたはずの兄はいなくなっていた。
俺を起こさずに先に行くなんてこと有りうるか、とも思ったが気にしないことにする。何か大事な用事があったのかもしれない。
洗面所で歯磨きをしながら、自殺の方法を考えていた。
ひとりでできるものは限られてくる。練炭、首吊り、飛び降り、あとは溺死ぐらいか。
どれが綺麗だろうか。死ぬなら綺麗に死にたい。
海で溺死はいいかもしれない。死体も綺麗に残るか。
歯磨きを終えて、朝食代わりの野菜ジュースを飲んでいた。その間にも自殺の方法を考えていた。
現実感が増すにつれて、不思議と清々しくなっていく。そんな自分に若干の嫌悪感を抱きながら、ジュースのゴミを捨てた。
準備をし終えて、家を出た。
死ぬのなら早い方がいい。今日の夜に家を出て、死んでしまうことにする。
そう思うと途端に足取りが軽くなった。どうせ今日で最後なんだから楽しもう、って気持ち。
電車に揺られている間は、座右の銘に従って窓の外を見ていた。見慣れた景色だけれどどこか新鮮で、最寄りに着いたのはすぐだった。
オフィスまでの道のりもまた新鮮だった。同じ道をただ歩いているだけなのに、初めての道のような感覚。それが面白かった。
エレベーターに乗り込んで、ボタンを押した。ゆっくりとのぼっていって、やがて扉が開く。
「おはようございます」
入口のすぐ近くでパソコンをいじっていたふくらさんに言った。彼はいつものやわらかい笑顔で返してくる。
「言ちゃん」
すぐ後ろから聞きなれた声がした。振り向けば、兄。
「ごめんね、急用入って置いてっちゃった」
大丈夫、と返して少し雑談をした後、仕事をするべく机に向かってパソコンを開いた。
お昼時。ご飯を食べに外に出た人も少なくない中、俺は綺麗な海について調べていた。
「海行くの?」
画面に集中していたあまり、後ろから近づいてきていた伊沢さんに気づかなかった。
「あぁ、まあ。気分転換にいいかなって」
伊沢さんは俺の心を探るように目を合わせてきた。それが耐えられなくなって、思わず目を逸らした。
「悩んでることない?」
図星。それでも誤魔化す。だって、これは俺の宿命であるんだから。
「ないですよ。大丈夫です」
ならいいんだけど、と言って彼はご飯を食べに行く。
ごめんなさい、邪魔しないでくださいね。
心の中で謝りながら、タブを静かに閉じて履歴を消した。
死ぬために生きる、というのは少し狡いだろうか。
死ぬために、今日を頑張って生きる。あまりにわがまますぎるか。
問にも探られたら、ちゃんと誤魔化しておこう。
邪魔しないでくれよ、俺の中のお前がそう言ったんだから。
最後の動画の撮影。タイムレース。
俺は自分から向かって左端にいて、真ん中は伊沢さん、右端は問。司会はふくらさん。
何事もなく始まって、早押しボタンを押していく。
「なんか言ちゃん変だよう〜」
1セットが終わったころ、問に言われた。
「なんかな。今日言変だよ」
伊沢さんにも言われて、俺は手を横に振った。
「ふたりにペースを掻き乱されてるんだよ。次は頑張る」
2セット目。攻めまくっていたら誤答をしまくった。
「やっぱり言ちゃん変だよ、極端すぎる」
「そう?」
自分では自覚がない。再び、笑って誤魔化した。
撮影が終わって少し、部屋に残って大学のレポートを眺めていた。
すると先に出ていった問が部屋に入ってきて、隣に座ってじっと顔を見てくる。
「伊沢さんに言えないんなら、僕には言える?」
伊沢さんから聞いたのか。まあ、兄だから心配する気持ちも分からなくない。
「んー?なんもないって」
問を巻き込むわけにはいかない。本当のことを言ったら、やめさせられるか一緒に死ぬかのどっちかになってしまう。
「…言ちゃんはさ、死にたいって思ったことある?」
唐突な質問に戸惑いつつ、しっかり答える。
「あるよ」
「それ、いつ?」
「…中学生の頃じゃない?」
実際には、今だけど。
「なんで死にたいって思ったの?」
しばし考える。なんでだろう。
「…自分が壊れるのが、怖いから」
パソコンを見る目がぼやけていた。頬に温いものが一筋伝う。
「泣かないで、僕が護るから」
問に涙を拭われて、抱きしめられた。そして、彼は俺の肩に顔を埋める。
それでも、それでも。
俺は彼岸に行かなくては行けない。
それでお前も壊れたら、どうしようもないだろ。
お前を助けるためでもあるんだよ。
俺の肩は、静かに濡れていた。
「ふくらさん」
夕方。問と同じ時間に帰ったらきっと俺の家に来る。それを拒むためにも早く帰ることにした。
「早退してもいいですか。問には内緒で」
「いいよ。サプライズかなんか?」
周りの人間に嘘をつく度、心がチクリと痛む。
「そう、です」
「伊沢には言っておくよ」
「はい、お願いします」
オフィスを出て、駅までの道のりも走っていった。
彼は俺を思って、護ってくれようとしているのに、今の俺にはそれが俺を束縛する鎖になっている。
東言は自由になるんだ。もう、誰にも邪魔はさせない。
家に帰ってきて、持ち物を携帯だけにした。
そして手書きの遺書を机に置いて、お金は全て問の好きにしていい、という旨のメモも残して。
「じゃあね」
部屋にそう呼びかけて、俺は死への旅を始める。
再び駅に舞い戻って、海の最寄り駅に着く電車に乗った。
席に座って、後ろの景色を眺めていた。夏の夕日が沈んでいく様子はまるで、俺を死へと誘っているようにも感じた。多分、そんなことはないんだけれど。
着いたのは夜になった頃だった。もう人はまばらで、死ぬのには好都合だ。
満点の星に、真っ青な海。死ぬのには好条件すぎる場所だ。
できるだけ綺麗に写るように写真を撮って、社内のチャットに送った。追って、”今までありがとうございました”と文を添えて。問には追加で”ごめんね”と、個別で送った。
通知が嵐のようになだれ込んできた。それでも俺はもう見ない。見たら、死にたくなくなってしまう。
靴と靴下を脱いで、携帯を右の靴に入れた。そして、波に当たらない所に置く。
静かに海に入った。冷たくて心地よい。
少しずつ前に進んでいく。
星空を見上げながら、俺は手を広げて笑った。
ああ、なんていい日なんだ。
そのまま俺は深い海底に沈んで行った。綺麗な死に方だったと、我ながら思う。
ありがとう。全ての人と、最愛の兄よ。
「なんだよ、これッ!!」
思わず僕は叫んだ。
社内チャットを見た社員たちも声を上げる。
言ちゃんから送られてきていたのは、満点の星空と海の写真。そして、今までありがとうございました、の文。
個別チャットでは別に、ごめんね、と送られてきていた。
「伊沢さん!」
「クッソ、止められなかった」
伊沢さんが憔悴していた。
そう、死のうとしていたんだ。言ちゃんは。
明らかに可笑しかったのに。いつもと違うって、分かっていたのに。
泣いていたのに、死ぬことを止められなかった。
ふくらさんが走ってきて、ごめん、と謝った。
「言が早退すること、言に口止めされてたんだ、知ってたのは伊沢と俺だけ、」
どうして。僕は言ちゃんに一番近い存在なはずなのに。
もしかしたら、泣いたときにはもう死ぬことは決まっていたのかもしれない。だから、もう何を言っても響かなかった。
「ごめん、俺らのせいで」
「ふたりのせいじゃないです、僕のせいなんです、」
零れそうな涙を堪えて、言葉を発した。
「とりあえず、海に行こう」
即座に特定班から場所が投稿され、伊沢さんとふくらさん、僕で海に。須貝さんと山本さんに言ちゃんの家の合鍵を渡して、行ってもらうことにした。
オフィスを急いで出て、タクシーを拾っている暇もなく走り続けた。
電車に乗って、窓の外を見ていた。涙が零れ落ちたのを、無言で伊沢さんが拭ってくれた。
最寄り駅に着いて、また海へと走っていく。
言ちゃんも、僕の縛りから逃げる気持ちはこんな感じだったかもしれない。自分の無力さに、奥歯を噛み締めた。
砂浜に降り立って、波がかかっていないところに何かものがあった。
近寄ると、言ちゃんの靴。中には靴下と携帯。
「言ちゃん、」
追ってきた伊沢さんとふくらさんも涙を零していた。
気付けなかったことへの憤り。その気持ちが僕を支配して、涙を沸き立たせる。
チャットの通知音がして携帯を見た。須貝さんから、遺書の写真とメモの写真。もぬけの殻やった、との文。
多分、溺死です、と送った。
僕は警察に電話をして、海で自殺者がひとり、と。
自分でも驚くくらいに淡々とすべきことをこなした。ただそれは、何をしても言ちゃんは戻ってこないと分かっているからこその行動で、また裏付けになっていた。
直ぐに警察が来て、引き上げをしてもらった。事情を聞かれて全てを話した。
聴取が終わった時、警察のおじさんから訊かれた。
「弟が亡くなって、悲しくないのか」
「勿論悲しいですけど、泣いたって言ちゃんは戻ってこないし、気付けなかったのは僕ですし」
ヘラヘラっと笑っていたら、まだ傷に気付いてないだけだな、と言われた。
「こういうのは、大抵葬式も何もかも終わったら途端に涙が出てくるんだよ」
その時はおじさんの言っている言葉が分からなかった。けれど、葬式をした時に棺桶に入った言ちゃんを見たら、涙が止まらなくなってしまった。大声で泣いた。
その後、僕は演者としてやり続けようとした。
だけど大声で笑うこともできなくなってしまった。クイズをしても反応が遅れて伊沢さんや山本さんにすぐ取られる。
演者として成り立っていない。そう思って、僕はしばらくクイズ制作チームの仕事に専念することにした。
またある日、エゴサーチをした時には”問くん元気ないね”とか、”東兄弟がいなくなって寂しい”とか。
僕と言ちゃんが視聴者の方に影響を与えている、もしくは与えていたのは確かだった。だけどそれで傷が癒える訳でもないし、言ちゃんは戻ってこない。
僕はQuizKnockを去ることにした。
演者に復帰できる兆しは見えなかったし、QuizKnockにいると言ちゃんを引きずってしまいそうだったから。
元の言ちゃんの家で暮らし、クイズ作家やパティシエとして働いている。
言ちゃんの家にいると、たまに言ちゃんがいるような気がする。その時は声に出して、その日あったことを話す。それが例え言ちゃんでなかったとしても、話し相手がいることは良い。
リビングに置いた小さな仏壇に、今日も手作りしたお菓子を置いた。
線香を立てて、言ちゃんに思いを馳せた。
言ちゃん、僕のこと見てる?
言ちゃんの言った通り、来世も双子になるから。それまで待っててよ。
僕は言ちゃんみたいに自分から死ねないから、少し時間はかかるかもしれないけど。
来世はもっと強くなった僕と、もっとクイズを沢山しよう。
いつかまた会わんことを、夢の中で。
fin