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第2話 痛みの記憶
校庭のざわめきが、耳に重たく響いていた。
太陽が照りつけ、地面から立ち上る熱気が足に絡みつく。
私は列の中で無表情のまま、隣に立つ彼を見上げた。
——佐久間涼太。
陸上部で、クラスの人気者。
明るくて、誰とでも話せる。
その笑顔の意味も、軽やかさも、私にはわからない。
「よろしく、遠野さん」
「……うん」
短い返事。
「俺、足結ぶの苦手だからさ、ゆるかったら言って」
「大丈夫」
「そっか」
彼は笑って肩をすくめる。
その笑顔に、どこか“本気の優しさ”が混ざっていた。
……だからこそ、怖かった。
「位置についてー!」
笛の音が鳴る。
砂が舞う。
最初の一歩で少し引っ張られたけど、すぐに涼太が合わせてきた。
「焦らないで。大丈夫、俺合わせるから」
その言葉に、心臓が一度だけ跳ねた。
けれど、頭の中では別の声が響く。
——『何度言わせるの。遅いのよ』
——『恥をかかせないで』
息が詰まりそうになる。
足を動かすたびに、あの怒鳴り声と、頬に走る痛みが蘇る。
(……違う、今はもう違う)
その声を振り払うように、一歩一歩、足を運んだ。
気づけば、ゴールテープが切れていた。
涼太が笑って息を整える。
私は小さくうなずくだけ。
「……お疲れ」
「遠野ー!」
親友の小野 麻衣が駆け寄ってきた。
肩で息をしながら、にこっと笑う。
「ちゃんと走ってたね!すっごく合ってたよ!」
「……そう?」
「うん。てか、佐久間くん、優しいね」
私は答えず、ただ視線を落とした。
麻衣の声が遠くで響く。
温かいはずなのに、胸の奥がざらついた。
午後、女子対抗リレー。
バトンを受け取る手に、力が入る。
——もうすぐ終わる。
そう思った瞬間だった。
足元の砂がずれ、足首が鋭く捻れる。
「っ……!」
地面に手をついた瞬間、視界が揺れた。
痛みが鋭く、脈を打つように足首から広がる。
(立たなきゃ……)
(立たないと……怒られる……)
母の声が脳裏に響く。
『情けない子』
『そんな足で何ができるの』
怒鳴り声。床に倒れたときの痛み。
あの瞬間が蘇る。
「立てる……」
誰に言うでもなく、唇が勝手に動いた。
——でも、立てなかった。
「静香っ!!」
麻衣の声が聞こえた。
気づけば、彼女が膝をついて私の肩を支えていた。
汗と砂にまみれながら、真剣な目で覗き込む。
「無理しないで! 足、やばいじゃん!」
「……平気」
声が震える。
痛みよりも、“怒られる恐怖”の方が強かった。
「静香! 顔真っ青だよ!? 先生呼んでくる!」
「……いらない」
「遠野さん!」
佐久間が駆けてきた。息を切らしながら、膝をつく。
「足、捻ったんでしょ? 無理しないで。保健室、行こ」
「……大丈夫」
「大丈夫じゃないって。顔、真っ白」
少し沈黙があって、彼は小さく笑った。
「このあと男子対抗リレーだから行くけど……ちゃんと休んでてね、小野さんと一緒に。」
麻衣が支えながら立ち上がる。
「ほら、行こ静香。歩ける?」
「……うん」
歩くたびに足がずきずきと痛む。
でも、それ以上に胸の奥が締めつけられる。
(競技前なのに……来てくれたんだ)
(なのに……私、また何も言えなかった)
白い校舎の影が長く伸びていた。
蝉の声が遠くで鳴いている。
(立たなきゃ……怒られる……)
(……過去みたいに)
その声が、今でも耳の奥で、消えなかった。