夏、金魚、君のとなり
夜空に咲いた大輪の花火が、暗闇を染める。
浴衣姿の人々が行き交う中、りうらは屋台の明かりに照らされた道を歩いていた。薄青の浴衣に揃えた白い下駄が、コツコツと心地よい音を立てる。額に滲んだ汗を手ぬぐいでぬぐいながら、彼は待ち合わせの場所へと向かっていた。
「……遅いな、ほとけ」
彼がぽつりとつぶやいたその瞬間、背後から聞き慣れた声がした。
「ごめん、待った?」
振り返ると、そこには淡い藤色の浴衣を身にまとったほとけが立っていた。髪を高く結い、金魚の模様が入った小さな巾着を手にぶら下げている。ほとけは少し息を弾ませながら、微笑んだ。
「……似合ってる」
「え?」
「浴衣。すげぇ、似合ってる」
りうらのその一言に、ほとけは頬を染めて視線をそらした。
「……ありがと」
二人は言葉少なに歩き出した。屋台から漂う焼きそばやたこ焼きの香ばしい匂い。射的の銃声、金魚すくいの水音、そして花火の轟音が、祭りの夜を鮮やかに彩っていた。
「ねえ、りうちゃん。こうやって一緒に祭りに来るの、初めてだよね」
「そうだな。中学の頃から知ってるのに、なんでだろ。部活とか、タイミング合わなかったし」
「でも……なんか、嬉しい」
ほとけはそう言って、小さく笑った。その笑顔に、りうらの胸がちくりと痛んだ。子供の頃とは違う。今目の前にいる彼女は、少女から女性へと変わっていた。
りうらはふと、ほとけの手元を見た。巾着を持つ細い指。浴衣から覗く白いうなじ。鼓動が速くなるのを、彼は抑えきれなかった。
「なあ、金魚すくいやってみるか?」
「うん、でも私、苦手なの。すぐ破けちゃう」
「じゃあ俺が取る。……任せろ」
金魚すくいの屋台で、りうらはポイを受け取った。水面を漂う赤や白の金魚。その中から、一匹の元気な赤い金魚を狙って、そっとポイを差し込む。
水が弾け、金魚がすくい上げられた。
「やった!」
「すごい! 一発で……!」
「ほら、お前にやるよ」
りうらは金魚の入った袋をほとけに渡した。彼女は両手でそれを受け取り、まるで宝物のように見つめた。
「ありがとう。……ほんとに、うれしい」
二人はそのまま、綿あめを買ったり、射的に挑戦したり、夜店を歩き回った。ふと、ヨーヨー釣りの屋台の前で立ち止まった。
「りうちゃん、これ覚えてる?」
「ん?」
「小学校のとき、これで勝負して、私が勝ったんだよ」
「あー、あったなそんなこと。俺が悔しくて、家帰ってずっと練習してた」
ほとけはくすくすと笑った。
「かわいかったなぁ、あの頃のりうちゃん」
「今の方が、かっこいいだろ?」
「……うん。かっこよくなった」
その一言に、りうらの心は大きく揺れた。ずっと聞きたかった言葉。それを、こんなさりげなく口にされて、戸惑いながらも嬉しさがこみ上げてきた。
夜が深まり、祭りの喧騒も少しずつ落ち着いてきた。二人は人混みを離れ、神社の裏手の石段に腰を下ろす。遠くで上がる花火の音が、静かな時間にリズムを刻む。
りうらはポケットの中に忍ばせた小さな紙片を握りしめていた。それは、祭りのくじ引きで当てた「願い事が叶うお守り」。
これを見たとき、決意したのだ。今日、想いを伝えようと。
「なぁ、ほとけ」
「ん?」
「俺、今日……言いたいことがあるんだ」
ほとけは驚いたようにりうらを見つめた。その視線に、りうらは少しだけ目をそらす。
「ずっと前から……好きだった。最初にお前が笑った時から、ずっと。夏が来るたび、お前とこうして歩けたらいいって思ってた」
ほとけの目が大きく開く。
「だから、俺と……付き合ってほしい」
沈黙が流れる。
やがて、ほとけがそっと頷いた。
「……うん。私も、ずっと好きだった」
花火の音が、まるで祝福するかのように夜空を照らす。
りうらはゆっくりと手を伸ばし、ほとけの手を握った。そして、互いに視線を合わせたまま、少しずつ顔を近づける。
唇が触れ合った瞬間、空に最後の大輪の花が咲いた。
短くて、でも永遠のような一夜だった。
金魚の袋が、風に揺れて、やさしい音を立てた。
コメント
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わああい!わあい!祭りじゃ祭りぃ! てか金魚すくいのあれポイって言うんだ...初めて知った...