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ジークは、あえて大通りへと飛び出した。
足音を殺す必要はない。隠れる気もない。
兵に追わせるために、姿を見せる。
「いたぞ!」
どこかしらで声が飛ぶ。見つかった。
ジークは振り返らず、走った。
舗装もされていない村の地面を蹴り、曲がり角を選び、わざと姿をちらつかせる。
「これならすぐにセレナさんと合流できそう」
路地に入れば兵の隊列は乱れ、民家の間を抜ければ鎧の擦れる音が遅れる。
「もう時間稼ぎはこの辺で。三十分も案外早いな」
兵を撒いた経験から、森へ続く細道に差し掛かった時、ジークは一瞬、勝ちを確信した。
だが、その時だった。
「……待て」
高く、耳に残る声。
「女?」
『眠れる土よ、動き出せ』
ジークがその女の声の詠唱に動揺すると、足元の地面が、どろりと歪む。
地面がどこまでも沈んでいく感覚。
「な、なんだこれ!」
『足を奪い、歩みを喰らえ。ここに道は在らず』
転びはしない。だが、ちゃぷちゃぷと地面が水のようになって、速度が落ちる。
『ただ沈むのみ。王命に従い、本来の姿に戻れ』
詠唱が終わると、ジークの足が太ももから地面に入った状態で固まった。
「くっ! うぅ! うぐっ! はぁはぁ」
ジークが抜け出そうと足掻いても、地面はビクともしない。
ジークを追っていた兵は、ジークの固定された視界に現れた。
杖を持った女が姿を現す。容姿も整い、白銀の髪、黒のローブ。鎧とは違う、異質な存在。
「魔術師ってやつか。初めて見た」
「魔術師? あんな陰険な存在と一緒にしないでくれる。私は魔女。星篝の魔女よ。聞いたことない?」
「知らない」
「あ、そう。少し顔が良かったから、私の奴隷にしても良かったんだけど。興味が失せたわ」
あっけらかんとした星篝の魔女がジークの視界から外れる。
次の瞬間、ジークの背中に衝撃が走った。地面に叩き伏せられ、腕を捻り上げられる。
「動くな」
剣の切っ先が、首元に触れる。
「一緒にいた女はどこだ」
ジークは、何も言わなかった。
「明るいベージュの髪の女だ」
沈黙。
耐えきれなくなった兵はジークを起き上がらせる。そして腹に、蹴りの重い一撃。
息が詰まる。それでも、声は出さない。
「言え」
殴打。蹴り。意識が揺れる中で、ジークは歯を食いしばった。
視界が滲む。それでも、名前も、居場所も、口にはしない。
日が傾いた頃、やっとジークは口を開く。
「無駄だったな」
掠れた声で、ジークは笑った。
その言葉が、時間を掛けすぎた兵の怒りに火をつけた。
「黙れ!」
怒号。
剣が振り上げられ、下ろされる。
躊躇はなかった。
怒りに任せた一太刀が、ジークの身体を切り裂いた。
地面に、広がる赤。
その悲惨な光景は見慣れているのか、兵たちには一切の情はなく、すぐに背を向けた。
「行くぞ。もう用はない」
ジークの視界は、ゆっくりと暗くなっていった。
最後に浮かんだのは、セレナの困ったような笑顔だった。
「約束……守れなくて、ごめ……」
「馬鹿な男」
星篝の魔女はジークの開いた目をそっと閉じた。
◇◇◇◇
三十分後。
セレナは、村はずれの小屋の前に立っていた。
扉に手をかけたまま、動けずにいる。中に入れば、待ってしまう気がした。外にいれば、まだ来るかもしれないと、どこかで期待してしまう。
何度、道を振り返っただろう。何度、足音に耳を澄ませただろう。
風が草を揺らす音に、胸が跳ねる。
遠くで枝が折れる音に、息を止める。
来ない。
約束の時間は、とうに過ぎていた。
胸の奥が、きしむように痛む。叫び出したい衝動を、歯を食いしばって押し殺す。
それでも、セレナは約束のとおり歩き出した。このまま待っていたら、彼の選択を裏切る気がしたからだ。
「ありがとう」
小さく呟いた声は、誰にも届かない。
彼が稼いだ時間。彼が選んだ別れ。
最後に「生きろ」と言われた。
一歩踏み出すたび、浅く、深いジークの想いが足を重くさせる。
セレナは小屋を後にし、村を離れた。
後ろは振り返らない。
もし振り返ってしまえば、そこに彼の姿がないことを、改めて認めてしまう気がしたから。
彼女の背に、夕暮れの光が落ちる。
赤く染まる道は、まるで血の痕のように長く伸びていた。
ひとつの誓いと、ひとつの命。
そして、言葉にされなかった想いを胸に抱いたまま。
白の魔女は、静かな旅へと沈んでいく。涙で地面を濡らしながら。