テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
王宮の厨房って、本当に戦場みたい。
鍋の音、怒鳴り声、焦げた匂い。そんな中で、私はこっそりパイに手を伸ばした。
「アイリス!それ王妃様の晩餐よ!」
同僚の声が飛んできたけど、私は肩をすくめて笑った。
「だからこそ美味しいのよ。味見って、大事じゃない?」
ちぎったパイの端を口に入れると、バターの香りが広がって、思わず目を閉じた。うん、完璧。
…だったはずなのに。
その夜、私はベッドの上でのたうち回った。
吐き気、めまい、冷や汗。まさか、あれに毒が?
翌朝、王宮は騒然。王妃様の晩餐に毒が仕込まれていたって。
でも王妃様は無事。代わりに、つまみ食いした私が病床に伏していた。
「面白い子ね」
王妃様が、私の寝顔を見てそう言ったらしい。面白いって…毒食べたんですけど。
毒って、しつこい。
何日もふらふらしてる間、王妃様が毎日のように見舞いに来た。最初はただの好奇心だったんだと思う。
「あなた、なぜつまみ食いなんてしたの?」
ある日、王妃様が静かに聞いてきた。
「…美味しそうだったからです」
正直に答えたら、王妃様はふっと笑った。
「正直者ね。気に入ったわ」
それから、王妃様は私にいろんな話をしてくれた。
昔の晩餐会の失敗談とか、若い頃のいたずらとか。
私は聞きながら、つい口を挟んでしまう。
「それ、王様にバレなかったんですか?」
「ええ、でも侍女にはバレたわ。彼女、今でも私の髪を結ぶときにため息つくのよ」
そんなやりとりが、なんだか楽しくて。
毒のせいで食欲が戻らない日でも、王妃様の話には耳を傾けた。
ある日、王子様が見舞いに来た。
王妃様に付き添って、少しだけ顔を見せるつもりだったらしい。
「君が…毒を食べたメイド?」
「はい。つまみ食いの代償です」
「…勇敢だね」
「食いしん坊なだけです」
王子様は笑った。
それから、庭で会うたびに少しずつ話すようになった。
私の赤毛を見て、「夕焼けみたいだね」って言ったときは、ちょっとだけ顔が熱くなった。
王妃様は、そんな私たちを見て微笑んでいた。
「あなた、王族に向いてるかもしれないわよ」
「私、食いしん坊のメイドですよ。王族なんて、遠すぎて見えません」
「でも、毒を食べてまで私を守ったのよ。意図せずとも」
王妃様の目が、少しだけ寂しそうだった。
回復した私は、厨房には戻らなかった。
代わりに、王妃様の話し相手として、王宮の奥に呼ばれるようになった。
「つまみ食いが人生を変えるなんて、誰が予想したかしら」 紅茶を飲みながら、私はぽつりと呟いた。
「人生は、味見の連続よ」 王妃様は微笑んだ。
私は、ちょっとだけ未来が楽しみになった。
王宮の庭って、季節ごとに香りが違う。
春は花、夏は草、秋は果実、冬は…寒い。
私は今、秋の庭で王妃様とお茶を飲んでいる。
毒を食べたメイドが、王妃様の隣で紅茶をすするなんて、昔の私が聞いたら笑うだろうな。
「アイリス、今日のパイはどうだった?」
「味見してないので、まだ評価できません」
「…あなた、懲りてないのね」
王妃様は呆れたように笑うけど、目は優しい。
私は毒の一件以来、王妃様の“話し相手”という名目で、王宮の奥に出入りするようになった。
でも、ただ話すだけじゃない。王妃様は、私の素直な感想を楽しんでいるみたい。
「王族って、もっと堅苦しいと思ってました」
「そうね、でもあなたが来てから、少し空気が柔らかくなった気がするわ」
その日、王子様が庭に現れた。 彼は私を見ると、少しだけ微笑んだ。
「また夕焼けが咲いてる」
「私、花じゃなくて人間ですけど」
「でも、目立つよ。いい意味で」
王子様は、私と王妃様のティータイムに加わった。
最初は静かだったけど、私が「この紅茶、ちょっと渋いですね」と言った瞬間、吹き出した。
「君、遠慮って言葉を知らないの?」
「知ってますけど、使いどころが難しくて」
王妃様は笑いながら、王子様に目配せした。
「彼女、正直でしょ?だからこそ、信頼できるのよ」
それから、王子様は時々私に話しかけるようになった。
王宮の行事の裏話、兄弟との喧嘩、好きな果物。 私は、聞きながら思った。
この人たち、王族だけど…人間なんだなって。
ある日、王妃様がぽつりと言った。
「アイリス、あなたが来てから、私も少しだけ素直になれた気がするの」
「え、王妃様でも素直になりたいと思うんですか?」
「ええ。王族って、いつも誰かの期待に応えなきゃいけないから。でもあなたは、誰の期待にも縛られてない。だから、自由で…羨ましいのよ」
私は黙って紅茶を飲んだ。 王妃様の言葉が、胸にじんわり染みた。
その夜、王子様が私を庭に呼び出した。
「ちょっとだけ、話したくて」
月明かりの下、彼は言った。
「君みたいな人が、王宮にいてくれてよかった」
「毒を食べたメイドですけど?」
「それでも。いや、だからこそかも」
私は笑った。 王宮の空気は、少しずつ変わっている。
そして私も、少しずつ変わっている。
赤毛のメイド、アイリス。 王族と笑い合う日々が、少しだけ心地よくなってきた。
王宮の空気が、少しずつ変わっている。
王妃様はよく笑うようになったし、王子様は時々、私に庭の果実を分けてくれる。
毒を食べたメイドが、王族とお茶を飲む日々。
それは、私にとって夢みたいな時間だった。
でも、夢には影がつきものだ。
「アイリス、最近王妃様と随分親しいようだね」
グレイヴがそう言ったのは、廊下の隅だった。
銀髪の執事は、いつも通り無表情。でも、声の温度が少し低かった。
「はい。お話し相手として、呼ばれているだけです」
「だけ、ね。君のような子が、王宮の奥に入り込むなんて、珍しいことだ」
私は笑ってごまかしたけど、背中に冷たいものが走った。
その夜、王妃様の薬棚を整理していたとき、違和感に気づいた。
瓶の並びが、昨日と違う。ラベルの筆跡も、微妙に違う。
「…これ、誰かが触った?」
王妃様に報告すると、彼女は静かに頷いた。
「気づいてくれてありがとう。あなたがいてくれて、心強いわ」
その言葉に、胸がぎゅっとなった。 でも同時に、王宮の空気がまた少し冷たくなった気がした。
数日後、グレイヴが私を庭に呼び出した。
月明かりの下、彼は静かに言った。
「王妃は、王宮の秩序を乱している。君は、彼女に近すぎる」
「秩序って…毒を盛ることですか?」
「君は、王妃にとって都合のいい存在だ。だが、王宮にとっては違う。 君が選ぶべきなのは、個人ではなく、体制だ」
私は黙っていた。 でも、心の中では決まっていた。
「私は…王妃様の紅茶の渋みを正直に言える人間です。 体制よりも、目の前の人を信じたいです」
グレイヴの目が、ほんの一瞬だけ揺れた。
翌朝、私はすべてを王妃様に話した。 薬のすり替え、庭での会話、グレイヴの言葉。
王妃様は、静かに目を閉じて、それから言った。
「あなたの素直さが、私を守ってくれたわ。ありがとう、アイリス」
その言葉に、私は泣きそうになった。
でも、泣く代わりに紅茶をすすることにした。少し渋かった。
グレイヴは、王宮を去った。 理由は“職務上の不正”。でも、私たちは知っている。
王子様は、私に言った。
「君がいてくれてよかった。王宮が、少しだけ明るくなった気がする」
私は、赤毛を揺らして笑った。
王宮の空気は、また少し変わった。
そして私も、また少し変わった。