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ソナチかきます。
微妙にえっちあります
恋愛とはいかなるものか、私はまだ知らない。
恋愛と言うものを生涯かけて探してる様なものなのだから。
誰しも、人生の1ページぐらいには恋と言う壁に突き当たるものだ。もっとも、私も今恋をしている。
あれほど同性愛者だの、ユダヤ人だの様々な悪行を行ってきたと言うのに。神は無情である。
こんな私にも恋愛感情と言う足枷をつけてしまったのだから。
そもそも私はあのひとの何に恋焦がれているのか。
思想か、金か、服のセンスか、性格か、才能か。
私は愛しているのか、恋をしているのか。
もっとも、「恋す」と言うのは
未だ手に入れられない宝石に想いを馳せるようなニュアンスであると思う。
それでは「愛す」と言うのはどうだろう。
愛す、と言うのは恋すと言うより大人しく、澄んでいて一緒に夜道を散歩する様な特別なニュアンスであると考える。
もう手に入れたものを慈しむことでもある。
私はあのひとを求めると言うより、欲している。この感情は正しく恋であると思う。
いや、私は「あいしています」と言うのがいくばくか小っ恥ずかしいのではないか。
「愛している」と言う言葉はいくらかキザな印象を受ける。伊太利亜あたりならばそこらの女にも堂々と言えるが。
私は「好きです」の方が重みを感じる。
だが、「好き」と言うのもお菓子やペットを愛でるようなチョコレートなみにしか好きでは無いように感じていまう。
相手に想いを伝える方法は生涯かけて探して行くものなのかもしれん。
その一つの方法としてセックスが挙げられる様だ。
いきなり失礼した。だが愛を示す方法としてはまちがっては無いと思う。
もちろん両者合意の上での話であり、強姦なんてもっての他である。
セックスと言うのは元をたどると子孫を残すための行為にすぎないが、現代は違う。
両者共々互いを愛し合っており、相手を想い、相手の愛を確かめる手段ともいえる。
私もあのひとと一度、セックスしたことがある。
だが、それは愛のあるものでは無く私が死ぬ前あのひとがくれた思い出にすぎない。
私の想いを受け入れてくれたのでは無く、私に同情して「最後ぐらい、いいか」と私にくれた宝石。
行為が終わった後、私は自分がひとつものをやればふたつめも欲してしまうやつだとわかった。
あのひとの宝石がまた欲しいと思ってしまった。
欲深い人間、その言葉がお似合いだ。
「嗚呼、孤独。その言葉をいいたもうなかれ。
孤独はひとのふるさとだ。恋愛は人生の花であります。いかにその人生と言うものが退屈であり、窮屈であってもこの外に花は無い。恋せよ、愛せよ、死せよ乙女。ティーカップを置く瞬間まで花であれ。」