テラーノベル
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ペチン。 頬に走る、軽い衝撃。
閉じていた瞼をそっと開けると、優しく微笑む流星。強い光りの方に目を向けると、夜の終わりを告げてくる朝日が私達を照らしていた。
「仕返しだ」
ゆっくりと離れていく体は、また私を置いて行く。
「流星……、私」
「健斗だから。俺の名前」
足を止めて振り向いた彼の瞳は、もう星の輝きはなかった。代わりに、太陽のような温かさが宿っていた。
「健斗……」
その名前を口にした私の気持ちは、変わらなかった。
流星でも健斗でも彼は優しい瞳を持ち合わせていて、この優しい腕で私を包んでくれた。
私はあなたが好き。この恋が実らなくても、せめて思い出が作れるなら。
「あ、あのね」
「言っとくけど、名を明かしたのはお前が初めてだからな。……そうゆうことだから」
また背向けて、私と距離を取って歩いていく。今までとは違い、もう待ってくれない。
プロ意識の高い彼が本名を伝えるということは、私をもう客とは見ないという意味なのだろう。
きっと、次に予約をしても彼は拒否する。
だから、本当にこれで終わりだ。
「どうして?」
「……お前は、本気で恋した男と一生の思い出を作るべきなんだ。俺がお前の初めての相手なんて、勿体ねーんだよ」
「私は……。あなたが良いの……」
喉が渇き、ヒリヒリとしてくる。それでも初めての想いを口にした。
「止めとけ。お前みたいなタイプは、本気で好きな男が出来た時に絶対後悔するから」
「後悔なんかしないよ! ……大体、私初めてじゃないし」
だから、今更後悔なんて……。
ペチン。
両頬に当たる、彼の大きな手の平。だけどその手は私の頬に添えたまま、真っ直ぐ見据えていた。
「自分を卑下するな。人生壊されたと悲観するのか、ノミに噛まれただけだと忘れるかは自分次第。……だから、今の自分を大切にしろ。いつか本気の恋をした時の為にな」
私の頬にしばらく置いていた手をそっと引っ込めた彼は、また背中を向けて先を歩いて行く。
小山を降り、コンビニを抜け、静まり返ったネオン街を抜け、辿り着いたのは駅舎。
彼との一夜は終わった。
都心の方に向かって行く彼と、住宅地の方に向かう私。乗る電車は反対方向で、別れが迫っていた。
「あなたは私を救ってくれた。ありがとう」
リュックに押し込まれていたお金の入った茶封筒を出し、彼に差し出す。
彼は、プロのセラピストだ。
「はぁ? 終電を逃した者同士、一夜を過ごしただけだろ? いらねーよ。友達から、そんなもの!」
「……友達?」
ニッと笑った姿に、私も微笑みを返していた。
東京で、初めて出来たの友達。
始発電車がゆっくりとホームに入ってくる。私が乗る、上り電車だ。
「そうそう。これ、やるよ。あいつに、そっくりなやつ」
「……あいつ?」
手渡されたのは、手の平半分サイズのお土産入れとかに使用されている袋。破れないようにとそっと開けると、そこには目がクリクリとして可愛らしい、ホタルのぬいぐるみストラップが入っていた。
「今日、誕生日だろ? だから、一人で居たくなかったんだよな?」
……分かってくれていたんだ。誕生日が、怖いことも。私が名前を偽っていたことも。
「私ね。……本当は、『蛍』という名前なの」
「ああ。良い名前じゃねーかよ」
私の頭をわしゃわしゃと撫でる力は優しく、最後にそっと撫でてくれる。
「どうして誕生日と名前が分かったの?」
「んー。まあ、メルアドは変えた方が良いと思うけど?」
「あ!」
メッセージアプリで連絡に抵抗があったから、彼とはメルアドで連絡を取っていた。高校生の時のまま、誕生日と名前を当てた個人情報溢れたメルアドを使用して。
『蛍って名前、いかにもって感じだよね?』
『本当、親のセンス疑うわー』
サークルでの初めての飲み会。新歓という名目で仕方がなく行ったら、酔った先輩達に笑って言われた言葉。
勿論、お酒の席での軽い戯言だと分かっている。だけど。
「……この名前ね、父が名付けてくれたの。私が生まれた日。父が病院に向かう道で蛍が飛んでいて、『光り輝きながら飛べる子になりますように』って……」
父が付けてくれた名前をこれ以上悪く言われたら、私は人を本気で信じれなくなる。気付けば私は、実名が必要ない場所では莉奈と名乗るようになっていた。
アナウンスが響くホーム。別れを告げる合図。
彼に手を引かれ、私は電車に乗り込んだ。
「ありがとう……。本当に……」
離れていく手。込み上げてくる想いに、目頭が熱く喉がどんどんと詰まっていく。
なんとか出せた言葉と共に、涙までも溢れてしまった。
「……初めては、蛍をずっと見守ってくれていた川のせせらぎのような人にしろよ?」
「ずっと……、見守って……?」
「じゃあな」
アナウンス音と共に閉まるドア。ぼやけて見える彼に、ただ笑った。
涙を拭えば、最後まで見守ってくれる健斗の姿。私はただ、この目に焼き付けた。──初恋の人を。
#セカンドバージン
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