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ざわ、と初夏の爽やかな風が気持ちいい季節になった。仕事で東京の西側まで足を伸ばした際、ついでにと思って午後休みを取って、学生時代を過ごした呪術高専まで足を運んでみた。市街地から離れた山の中に位置するここは、まるで東京とは思えない自然に囲まれている。昔は退屈だと思っていたけど、大人になるとこんな環境も悪くないなと思える。そんなことを感じながら校内を散歩していると、学生時代の恩師の五条悟とばったり遭遇した。特級で多忙なこの人が学校にいるなんて珍しい。「あれっ、五条先生。高専にいるなんて珍しいですね」
「お〜、まさか君に会うとは。そっちこそ珍しいでしょ。僕は任務入れすぎて労基違反になっちゃうから休暇取ってるの。ま、高専にいるからあんま意味ないけどね」はは、軽く笑う五条先生に変わらないな、と思う。仕事でこっちまで来たので寄ったんです、と話しながら近況報告する。先生は私と同級生だった乙骨憂太が、今私と同棲していることを知っているからか、ふとこんなことを聞いてきた。「そういえば憂太元気にしてる?この前大変だったでしょ」この前、というのが全く思い当たらず、何のことか分からなくて一瞬固まる。高専卒業以来一般人として暮らしている自分は呪術師のように血腥いことにはそうそう巻き込まれることはないので、彼に五条先生が心配するほどの何かがあったんだろうと察する。「えっと…憂太は元気ですけど。何かありました?」
「あれ、特に何ともなかった?」
「最近も忙しそうにしててあまりちゃんと顔見れてないですけど…その感じだと何かあったんですよね、教えて下さい」じり。と五条先生に近寄ると、いつも飄々としているこの人にしては珍しく困った様子になった。「いや、一緒に暮らしてる君が何ともないと思ってるなら何ともないんでしょ、気にしないで」
「気にします。何があったんですか」のらりくらりと交わす五条先生をしつこく問い詰めていたら、結局憂太が任務で大怪我をしたという白状を受けた。呪力もからからで反転術式も間に合わず、硝子さんも不在で、結局呪力が回復次第自分で療養すると言って帰宅したという。そういえば先々週、この日に出張から帰ると言っていたのを、任務が伸びたとかで帰ってくるのが数日遅くなったことがあった。あのときの話かもしれない。「うっかり余計なこと言った僕も良くないかもしれないけど、何も言わない憂太も問題だね。君たちもこれからも一緒に過ごすならしっかり話し合いなよ」自分の落ち度をさらっと憂太に擦り付けて、じゃあ、とヒラヒラと手を振って五条先生は去っていった。帰りの電車で悶々としながら憂太のことを考える。高専には自宅に帰ると言いながら結局数日帰ってこなかったあたり、どこか外のホテルあたりに泊まっていたんだろう。友達も少ないし行くとしたら狗巻くんちか。でもきっと友達にそんな迷惑はかけたくないタイプなはずだ。ましてや自分にすらそうなのだから。そこまで考えて心がズキッと痛むのを感じる。長く付き合って同棲までしている彼女の自分にすら弱いところを見せてくれないのだから、これで他の人に頼っていたなんてことがわかったら自信を失ってしまう。確かに私は憂太みたいに反転術式が使えるわけじゃないし、呪術に関しては役に立てることがないのはわかってる。術師を諦めて普通の仕事をしてるくらいだ。最前線に立つ彼と暮らしているからこそ、それ以外のときは一番の理解者でいたいし、彼の日常を守りたいと思ったのに。どうやら彼にとって私はまだ弱いところを見せられる存在じゃないんだろうか、と少し落ち込む。駅の近くのスーパーで買い物をして家路につく。手の混んだものを作って気分を紛らわせたくて、コロッケでも作ろうかと大量に買い出しした。キッチンに立って油の温度を上げる。パチパチと跳ねる油を見ながら、今日は彼の顔が見たくないなぁ、なんて思ってしまう。そんな日に限ってタイミングよく彼は帰ってくるもので、コロッケが揚がりきって副菜も作り終えた頃、「ただいま」と憂太が帰宅するのが聞こえた。「おかえり。ご飯できてるよ」
「わぁ、すごいご馳走だね!?とりあえず着替えてくるよ」テーブルの上に並んだ食材を見て嬉しそうに驚きながら、彼は寝室に戻っていった。先に片付けてしまおうとしたら、パチっと油が跳ねて手に熱さを感じる。あち、と思ったときには指の先が赤くなっていた。冷やさなきゃ、と蛇口をひねり水を流していると、ラフな部屋着に着替えた憂太が戻ってきた。「準備できたよ…って、あれ、どっか怪我した?」
「大丈夫、揚げ物の油跳ねちゃっただけ」
「なんだ。それくらいなら僕が治すよ」そう言って優しく笑って彼が近づき、私の手を取ってそこにそっとキスしようとする。いつもの反転術式を使うときの仕草だ。でもとっさに私はその手を振り払ってしまって、憂太がポカンとした顔になる。「え…?どうしたの?」
「いや、大した傷じゃないから。とりあえずご飯食べようよ」そう言ってテーブルに着くよう促すと、彼は疑問符を浮かべながらも席に座った。いただきます、と一緒に声をかけて、ご飯を食べる。コロッケを口に含むと、さく、と軽い口当たりがして、ちゃんと美味しく揚がっててよかった、と思う。黙々と箸を進める私に対し、憂太もご飯を食べつつも訝しげな視線を向けてくる。「…ねえ、何か言いたいことあるよね。さっきからいつもと違うよ」
「…別に。冷めないうちに食べちゃってよ」そう返すと憂太は黙ってまたご飯を食べる。静かな食卓のあと、お茶を淹れてきて私に渡しながらまたその質問は続いた。「やっぱり何か言いたいことあるでしょ。僕が何か嫌なことした?気をつけてるつもりだけど言ってくれなきゃわからないよ」
「…何もないよ。憂太が気にしすぎ」
「何もなくないよ。君いつも何かあるとき大量に手の混んだもの作るし、さっきだって火傷治そうとしたらおかしかったし…僕に触られるのが嫌だった?」そこそこ付き合いも長いので、テーブルに並んだ料理の量でなにかあるとは察したのかもしれない。自分でも気づいてなかったけど確かに憂太になにか言いたいときは料理に凝ってしまう。この尋問モードになると憂太はなかなか解放してくれはしない。ちゃんと話したほうがいいだろうと、はぁ、とため息をついて何から話そうか考える。「…この前のさ、出張のとき」
「…うん」
「…何日か帰るの急に伸ばしたよね」
「…伸ばした…けど、あれは任務が長引いて…もしかして浮気とか疑ってる!?天に誓ってそんなことしないよ、僕には君しかいないから」
「そういうのじゃなくて。…今日近くまで行ったから高専に寄ったんだけど、五条先生と会ったの」
「あ…」 私の一言で状況を察したようで、さっきまで必死だった憂太がすぐに目を逸らす。別に隠すようなことでもないのに。というか隠してほしくなかった。何故かきゅっと心臓を締め付けられたような気持ちになりながらも、最後まで言ってしまえと口を開く。「…憂太が大怪我したって聞いて、私全くそんなこと知らなくて…正直ショックだった。家に帰るんじゃなくて別のところで療養してたってことだよね。憂太は自分で治せるし、どこにいようと勝手な話なのかもしれないけど…家にいてくれれば私だってできることしたし、助けになりたかったよ。たとえ何もできなくても、一緒にいるだけで支えられるんじゃないかと思ってたんだけど…私の勝手な勘違いだったみたいだよね、ごめん」そう言って手元のお茶を飲む。熱い液体が喉を通って、なんだか目元が熱いのをどうにか誤魔化せないかと思う。勝手に落ち込むなんてバカバカしいと思うのに、自分は彼に何もできないんだな、ということがまざまざとわかって整理ができない。テーブルの上に視線を落としたままでいると、憂太が口を開いた。「…そんな風に思わせたならごめん、僕も悪かったよ…。あのときはかなりひどい怪我だったし、君に心配させたくなかったんだ。でも近くのホテルにいただけだから安心して…」
「…憂太にとってさ、私って一体何?」
「え?」これ以上余計なことは言わないほうが言いだろうと思うものの、勢いづいてしまって止まらない。「心配させたくないって…恋人でしょ。一緒に暮らしてるでしょ。支えになりたいって思ってたのは私の勝手かもしれないけど、何でもそんなふうに一人で解決しちゃうなら一緒にいる意味がわからないよ」
「…ごめん、そんなつもりじゃ…」
「…じゃあどんなつもりなの」ごめん、しか言わない憂太に腹が立って突っかかる。これじゃあ完全に八つ当たりだ。わかってはいるものの感情ばかり先走ってしまう。「…君は僕にとって一番大切な存在だよ。君がいるからどんな状況でも絶対帰らなきゃ、って思うし、頑張る原動力になってる…けど、あんまり酷いところを見せて余計な心労かけたくなかったんだ、君のことも考えたつもりで…」
「私のことを考えたって、それ一方的な独りよがりでしょ…私だってそうかもしれないけど」そう言い切ると、憂太も憮然とした顔をしてこちらを見返してきた。だめだ、こんな言い合いしても泥沼だ。お互い余計なこと言い合うだけだ。もう止めよう、と思って椅子から立ち上がる。湯呑をキッチンに戻す間、憂太は何か言いたそうに私の動きを目で追っていた。「…ごめん、このまま話し続けてもしょうがないと思うし、頭冷やしたいな。今日私ソファで寝るから、別で過ごしたいんだけど」
「いやいいよ、僕がソファで寝るよ。君は寝室使って。この後もそっち行かないようにするから」
「…わかった」冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して、憂太の視線を背中に感じながら寝室に戻った。ベッドにぼすっと倒れ込みながら、目頭が熱くなるのを我慢する。こんなことで泣くなんて馬鹿らしい。別に浮気されたわけでも嫌われたわけでもないのに。でも、大事なときに頼りにしてもらえなかったという一点だけで心は刺されたように痛かった。泣いてることを憂太には絶対に悟られたくない。枕に顔を押し付けて、グズグズと声が出ないように息を潜めてその日は泣いた。
***
翌朝、乙骨憂太は消沈した顔で高専に向かう電車の中に乗っていた。昨日彼女と喧嘩してしまったことで重い気持ちになって心が晴れない。こんな負の感情を抱いているときは呪霊を祓うにはちょうどいいのかもしれないが、今日は高専で次の任務の情報共有を受けるだけだった。でも集中できていない時に激しい戦闘になったりしたら厄介そうだな。そんなことを考えながら電車の向こうに流れていく低い屋根の街を見送る。先週自分で反転術式を施そうとホテルに宿泊していた数日間、考えていたことは早く帰って彼女に会いたい、ということだった。というか基本自分が考えているのはいつだってそれだけだ。そんな中、帰ってこなかったことを彼女に責められるなら、さっさと帰ってしまえばよかった。ひどい傷に怯えさせたかもしれないが、少し時間が経てば自分でどうにかできたのだし、甘えられるところだけ彼女に甘えてしまえばよかったのかもしれない。今更考えても仕方のないことをくよくよと考えて落ち込む。思えば一緒に暮らし始めて小さい喧嘩はあったものの、大抵その日に自分が謝り倒して彼女に機嫌を直してもらっていたため、次の日に響くような言い合いは初めてだった。
憂太にとって私って何、と彼女は言っていた。彼女は、自分にとってなくてはならない存在だ。それは今まで十分伝えてきたつもりだったけど、些細な自分の行動で揺らがせてしまうようであればまだまだ言葉が足りなかったのかもしれない。昨日は言い合いの後、何度か話しかけようとはしたが、ドアの向こうから彼女の泣き声が聞こえたような気がして、今はそっとしておくしかできないんだろう、と思うしかなかった。結局顔も見れずに寝てしまい、今朝起きた時にはもう彼女は外出した後だった。まさか帰ってこないなんてことはないよな、と不安に駆られつつも、こんな状況初めてなので自分でもどうしていいかわからない。さすがに別れる、なんてことにはならないよな。そう気を取り直すものの、彼女に何かメッセージしようとしても言い訳にしかならなそうで何も言えない。悶々とした気持ちは数日間は晴れることがなさそうだった。
高専に着くと、補助監督から次に赴く複数の任務の情報共有を一通り受けた。また長丁場の出張になりそうだ、と気落ちしながら自動販売機にでも寄ろうと外に向かう。ここでまた彼女としばらく会えない時間が続くのはいいことなのか悪いことなのか。休憩コーナーの少し手前で話し声が聞こえて、誰かいるのだろうかと思いながら廊下の角を曲がると、そこには五条先生と家入さんが話しているところだった。「おっ、憂太じゃ〜ん!今日来てたなら言ってよ〜」
「お疲れさまです、五条先生…家入さんも」
「…この間は大変だったね。体の調子はどうだい?君の術式なら問題ないだろうけど」
「はい、すっかり大丈夫です。ご心配おかけしてすみません」そう返しながら自動販売機で飲み物を買う。ペットボトルの蓋を開けてゴクリと水を飲み込んでいると、五条先生が珍しく伺うように話しかけてきた。「僕ちょっと憂太に謝らなきゃいけないかもしれないんだけど…えーと、その顔はすでに昨日彼女からなんか聞いたよね、メンゴメンゴ」自分の渋い顔に五条先生は状況を察したのか、謝ってはくれたが非常にあっさりとしたものだった。この人にそもそも謝罪を期待しても無駄なので気にしないことにする。「いえ…僕も何も言わずに家に帰らなくて、彼女に余計な心配させちゃったのがよくなかったので。気にしないでください」
「そう?じゃあ憂太がそう言うなら気にしないことにするけど。とりあえず人生の先輩として一つ言うならさ、大事にしたい相手にはちゃんと向き合ったほうがいいよってことかな。憂太は自分で抱えがちだから、もっと周りを頼らないと」
「…そうですね、意識します」五条先生自身の余計な言葉がきっかけで彼女と拗れたのに、それを棚上げしつつアドバイスまで受けて、思わず苦笑する。五条先生らしい。黙ってみていた家入さんが何となく状況を察したのか、静かに口を挟む。「…まぁ、こいつの言うことは八割は無視していいけど、今の五条は一理あるよ。あの子だって弱い子じゃないんだから、もっと甘えたっていいんじゃないかな」
「そうだよ憂太。ちゃんと仕事の話とかしてる?あんまり何も言わないとフラれちゃうかもよ。女ってのは好きな男のことは何でもかんでも知りたいもんなんだから」
「それは、その…」家入さんの援護を得てか、五条先生が畳み掛けるように追い打ちをかけてくる。彼女も高専に在学していたのだから、術師としての仕事のことはよく分かっているはずだ。分かっているだけに、普段の血腥い話はあまり聞かせたくなくて、任務の詳しい話なんてしばらくしてなかった。いつもの食卓での話題は、出張先の些細なトラブルや、任務中に見つけた面白いものなど、できるだけ疲れさせないような内容だ。戸惑った僕を見かねてか、家入さんがフォローしてくれる。「今の五条は無視していい五条だな。人によって仕事のことをどこまで話すかは個人の判断だしね。気にしなくていいよ、乙骨」
「その言い方はなんだよ〜。僕は憂太のためを思っていってるのに」五条先生と家入さんが言い合いを始めたのをいいきっかけに、じゃあ僕はここで、と言って去ることにした。五条先生はまだ何か言いたげだったが、家入さんに足を踏まれて言葉を発しかねていた。これ以上聞いても自分にとって良くなさそうなのでありがたい援助だ。また捕まる前にと、小走りにその場を離れた。
帰り道、長丁場になりそうな任務の情報を見返して整理しようとしていたのに、さっきの五条先生の言葉が引っかかってなかなか集中できなかった。
―――”フラれちゃうかもよ?“
その一言だけが自分の中で反響している。たしかに今回のような喧嘩は初めてだけど、まさか。でももしかしたら今までもなにか溜め込ませていたりしただろうか。彼女のことはよく見ているつもりだけど、顔が見れない期間も長いので、気づけていないのかもしれない。そんなことを考えていると頭が痛くなってきて、今日はなんだか気疲れしたな、と感じる。もしかしたら彼女は今日は帰ってこないかもしれない。最悪の事態を想定しながらも、一体そうなったら自分はどう向き合えばいいのだろう、と覚悟は決まらないままだった。重い気持ちを抱えながら自分のマンションに辿り着き玄関を開けると、そこには彼女の靴があった。あれ、帰ってきているんだ。拍子抜けしてリビングに向かうと、エプロンをつけてキッチンに立つ彼女がいた。僕をちらっと見ると、「おかえり」と淡々と迎えてくれる。「…ただいま。早いんだね、今日」
「うん。仕事暇な日だったから。夕ご飯、昨日の残りのポテトサラダと後お肉適当に焼くのと…味噌汁にでもしようかと思うんだけど、いい?」
「うん、いい、けど…」
「お風呂入ってるよ。先入ってきたら?」あまりに日常動作な彼女に戸惑い、キッチンの前で立ち尽くす。昨日は揚げ物に副菜にと料理の量だけはフルコースじみていたが、今日もそこそこ量が多そうに聞こえる。これはどんな意味なんだろう。「あの…今日も結構メニュー凝ってるみたいだけど、それは…」伺うようにそう言うと、彼女は包丁をトン、と大きな音を立てて止める。ビクッとして彼女の顔を見るが、何故だか恥じらいを含んだ表情でまな板を睨んでいる。「変な意味はないの!昨日材料買いすぎちゃったから作っちゃうだけ。憂太またもうすぐ出張とか入るでしょ、作り置きにするの」
「そ、そうなんだ…」そう言ってまたトントンと包丁を刻み始めた彼女に、もう少し近づいてみる。彼女は何も反応せず作業を続けるだけだ。包丁を使っているときに後ろから抱きしめると怒られるので、隣に立って話しかける。「…昨日のこと、ごめん。謝りたくて」彼女が料理する手を止めて、包丁を置く。僕の方を見てはくれないが、話を続けていいってことかな、と思って口を開く。「…君に心配かけたくないってことばかり考えてた。逆にそれが心配させてたり、君を不安にさせるなんて全然考えられてなかったよ。多分僕は自分で抱え込むタイプだから、これからも全部何でもオープンにとはすぐできないと思うんだけど…もっと君に甘えたいし、相談したいなって思ってる。何かの事情で帰れないときは、誤魔化すんじゃなくてちゃんと連絡するよ。…だから、僕のこと、愛想尽かさないでほしいんだ…」そう言うと、彼女は僕の方を一度見たあと、また視線を外した。「…私も良くなかった。憂太は私に気を使ってくれたのに変に突っかかってごめん。…憂太の全部を受け止めたいなんていうのは私の勝手だったなと思う。実際、術師の世界には私はもうほとんど関わりないからできることもないけど、だからこそ憂太の暮らしは私が支えたいと思ってるから…その、私は毎日ここに帰ってくるから。憂太が帰ってくるときには一緒にいれるようにしたいから…仕事忙しいと無理だけど…とにかく、帰る場所をちゃんと用意しておくから、ってことで…」そう言いながら彼女も少し整理がつかなかったのか、だんだん言葉が小さくなっていって、それが愛おしくて背中からぎゅっと抱きしめる。少し間が空いて、彼女も応じるように僕の腕にそっと触れてくれた。「…うん。君のところにちゃんと帰ってくる。この前はちゃんと言わなくて本当にごめん」
「…ううん。私も自分の考え方押し付けてごめんね。これで喧嘩はおしまいにしよう」彼女からそう言われて、ホッとした気持ちになる。ふぅ、と小さくため息をついて彼女に少し体重を預けた。「…よかった。こんなふうに喧嘩するの初めてだから、フラれちゃうんじゃないかと思った」安心してそう口に出すと、彼女はふふ、と小さく笑った。よかった、やっと笑ってくれた。「何言ってるの。こんなことで別れてたらあと100万回別れなきゃいけないでしょ」
「…そんなに別れたくないよ、僕」
「じゃあお互い喧嘩にならないように頑張ろ。それかたくさん仲直りしよう」
「…うん」ぎゅっと力を込めて抱きしめる。彼女も応じるようにしばらく僕の腕をぎゅっとしてくれていたが、ふと腕を外してくるっと僕の方に向き直った。いつもの優しい笑顔が浮かんでいて、この顔が見たかった、と心が安堵する。「とりあえずご飯作っちゃうから、早くお風呂入ってきなよ。食べ終わったら録画見よ。結構溜まってるし、憂太がいるときに一緒に見たいから」
「…うん。そうする」彼女の頬に小さくキスをして、足取り軽くバスルームへ向かう。僕の機嫌なんて所詮彼女次第なんだな、と改めて感じて、自分はなんて単純なんだろうと自覚する。でもそれでいい。彼女におはようとおやすみを、おかえりとただいまを、いただきますとごちそうさまを。そんな挨拶を交わせる日常にちゃんと帰ってこよう。彼女のところに帰ってくるために、また明日から向き合っていこう。そんなふうに思えた。