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転移石がだいぶ冷めた頃合いを見計らって、そっと掌に乗せる。
さっきみたいに指が焼ける感覚はない。石の表面はまだほんのり温いが、火傷するほどじゃない。よし、と小さく息を吐いて――そのまま、指に力を込めた。
ぱき、と小気味いい破砕音。
同時に、骨の奥をくすぐるような浮遊感が腹の底から突き上げてくる。重力が一瞬だけ横へ滑り、体の上下が曖昧になる。視界がふっと反転して、どこか遠くへ持っていかれる感覚。
「……また森か」
足裏に伝わるのは柔らかい土と、落ち葉が湿り気を含んだ感触。
鼻先をくすぐるのは、湿った土の匂いと、青臭い植物の香り。息を吸うだけで、肺の内側が緑色に染まりそうだ。
ぐるりと視線を巡らせた瞬間――正面で、何かと目が合った。
ゴブリンだ。
黄緑の肌。ぎょろりとした眼。唾液の糸が口元に光り、獣臭い息が距離を越えて届く。
ただ、これまでの階層で見てきた連中とは、明らかに気配が違う。
考えるより早く、腰に挿していた短剣を抜く。
手首のスナップだけで投げ放つと、短剣は空気を裂き――額へ深々と突き刺さった。
ゴブリンは声も上げずに後ろへ倒れ込む。倒れる瞬間だけ、鎧がかちりと鳴った。
「……装備が良いな」
死体のそばへ歩み寄り、観察する。
いつもの布切れを巻いただけの腰に巻いただけの格好ではない。簡易的とはいえ、金属板を留めて作ったプレートアーマーだ。
手にしていた短剣も、錆びた安物じゃない。刃の立ち方が違う。ちゃんと鍛えられた鉄の光がある。
しかも、身体そのものが一回り大きい。
ホブゴブリンと言っても良いぐらいの大きさだ。
「魔力濃度に比例して、モンスターの質も強さも倍々で上がってる気がするなぁ……」
ぼそりと零しつつ、頭の中でざっと計算する。
この個体が森をうろつく偵察だとしたら、群れは確実にいる。
ボスは――ゴブリンキング。最悪の場合、ゴブリンロードまで見ておいた方がいい。
頭をがしがしと掻き、戦い方の手順を組み立てる。
今の私の装備は貧弱。長期戦になるほど不利になる。
(武器はゴブリンから調達。装備が整うまでは正面から当たらない。
奇襲して、確実に数を削る。真正面の乱戦は避ける)
足元へ視線を落とすと、見覚えのある草が混じっていた。
しゃがみ込み、手頃な束を千切って指先でぐりぐり潰す。青臭い汁が滲み、鼻を刺す匂いに顔が少し歪む。だが躊躇なくそれを肌へ塗り込んだ。
近くの大木へ軽く跳び上がり、枝を掴んで登る。
葉に紛れるように姿勢を低くし、枝から枝へ。木の上を伝って、音を殺して進んでいく。
しばらく進むと、前方に濃い魔力の塊を十ほど感知した。
耳を澄ませば、金属が擦れるかすかな音。複数の足音。呼吸のリズム。
やはり、今までみたいな四人一組じゃない。小隊規模で動いている。
(十体か……一気にやると騒ぎになるな)
息を潜め、気配を極限まで絞り込む。最後尾――殿の真上へ回り込んだ。
枝から静かに降りる。足裏が落ち葉を踏む寸前、重心を受け止めて音を消す。
首を反対方向に回す。骨に響く感触だけが返り、ゴブリンは声を出す暇もなく前のめりに崩れ落ちた。
一体。
すぐに死体を茂みへ引きずり込み、枝へ戻る。
同じ要領で二体、三体。
残り六体まで減らしたところで、残りのゴブリンたちが一斉に顔を上げた。鎧の隙間から漏れる魔力が張り詰め、空気が固まる。
「バレたか」
呟くと同時に枝から地面へ飛び降りる。着地の衝撃を足首と膝で吸収し、そのまま加速。
短剣を一本、先頭の眉間へ投げる。突き刺さるのと同時に懐へ滑り込み、勢いのまま拳を振り抜いた。
手前の二体の頭蓋が、鈍い音を立てて弾け飛ぶ。
血飛沫が届く前に半歩引き、距離を取る。
残りの中でひときわ大柄な個体が喉を震わせ、雄叫びを上げた。
その声を合図に左右の二体が同時に斬りかかってくる。息を合わせた挟撃。
動きだけ見れば、訓練はされている。けれど――私には遅い。
右足を半歩引き、体をひねって紙一重で躱す。
すれ違いざまに拳と蹴りを叩き込む。骨が砕ける手応え。二体はぐしゃりと地面に沈んだ。
最後に残った大柄なゴブリンが、背に背負っていた大剣を引き抜く。
ごう、と空気を押し潰す音。横薙ぎに振り回しながら突進してきた。
「力任せにもほどがあるでしょ」
一歩も引かない。
踏み込み、腰を落として刃の下を潜る。かすめる風だけが頬を撫でた。
見上げる位置関係になった瞬間、脇腹へ飛び込み、拾っておいた短剣を振るう。抵抗はほとんどない。首の骨ごと断ち切れた。
大剣がずしんと地面に落ち、首を失った身体が数秒遅れて崩れ落ちた。
「周囲は……いないね」
耳と鼻、薄く広げた魔力で探る。返ってくるのは枝葉のざわめきと小動物の気配ばかり。
よし、と短く頷き、装備を物色する。
鎧へ手を伸ばした瞬間、むわっとした獣臭と汗の匂いが鼻を殴った。
「……これは、無理」
反射で手を引っ込める。防御力的には魅力だが、着た瞬間に精神が折れそうだ。
代わりに視線を向けたのは、さっきの大剣。
地面に突き刺さったそれを片手で引き抜く。柄はざらついているが握り心地は悪くない。重さも見た目通り。
バランスもそこまで酷くない。粗削りだが、大剣としての体裁は整っている。
「私の好きな長さの剣ではないけど……まあ、これなら使えるかな」
ぶん、と軽く振る。重さが腕に馴染み、筋肉に記憶が刻まれていく感覚。
遠い日の背中――バゼル……カレンの父さんの大剣の軌跡が脳裏をかすめた。
ゴブリンから紐を拝借し大剣を背中に固定する。
さらに短剣を数本拾って腰と腿のベルトへ。投擲用と予備。いくつあっても困らない。
「武器も揃ったし……あとはボスの顔を拝みに行くだけだね」
息を整え地面に軽く手をつく。
魔力を薄く外へ広げるように放ち、探知範囲を引き延ばした。
森全体に薄い霧をかけるように、魔力の網を張る。
引っかかった反応を一つずつ確認していき――ひときわ大きな塊に触れた。
「……いた」
距離、約十二キロ。
そこを中心に無数の小さな反応が群れている。数千はいるだろうか。密度が異常だ。
口元が自然と引き攣る。笑っているのか呆れているのか、自分でも分からない。
「ま、いっか。やることは変わらないし」
地面を蹴った。
魔力を高速で循環させながら、大気の魔力を大きく取り込む。血が一気に巡る感覚。
頭の中でバゼルの剣筋を何度も反芻する。何千、何万と見て、受けて、覚え込んだ軌跡。
背中の大剣へ魔力を流し込む。刃全体がじわりと熱を帯び、輪郭がぼやける。
体を丸め、最大まで速度を乗せて――横薙ぎ。
空間を切り裂くような感覚。
刃と一体化した魔力が巨大な斬撃となって森を走り、木々とゴブリンの群れをまとめて薙ぎ払っていく。
吹き飛ばされずに残った敵は、私が懐へ潜り込んで切り伏せる。
斬って、進んで、また斬る。倒れた死体の山を踏み越え、奥へ奥へ。
数度、巨大な斬撃を飛ばしたあと。
残った反応は大きな一つと、その周囲に固まった数十の塊だけになった。
ぽっかりと開けた場所に、それはいた。
「……ゴブリンキングか。周りのはジェネラル、だね」
中央に座すひときわ巨大なゴブリン。精度の高い鎧。歪な王冠。
周囲を重装備のジェネラルが固めている。
最上位のゴブリンロードはいない。
胸の奥で、ほんの少しだけ安堵と高揚が混ざった。
「なら、何とかなる」
短剣を一本抜き、重量を確かめるように指先で回して――投げる。
鎧の隙間へ吸い込まれ、ジェネラルが仰向けに倒れた。
同時に地面を蹴り、懐へ肉薄する。
跳び込んできた盾ごと、大剣を振り抜いて叩き斬る。
金属が悲鳴を上げ、膝から崩れ落ちたジェネラルの向こう側。
その隙間から、ゴブリンキングの顔が覗く。
ぎょろり、と濁った眼球。歯茎を剥いた口元。
キングの武器は|斧槍《ハルバード》。柄がやたら長い。間合いでは負けているだろう。
(正面から受けると、刃じゃなくて衝撃で持っていかれる)
半歩……いや一歩、距離を作る。
そして短剣をもう一本、死体の影へ投げた。狙いは足元。
キングが踏み込む瞬間、足裏が微かに浮く。その一拍で死体の山が崩れ、ぐらりと体勢が揺れた。
見逃さない。
大剣の柄を握り直し、腰を落として踏み込む。斬るのではなく――押す。
刃に魔力を薄く纏わせ鎧の継ぎ目へ滑らせるように差し込む。
金属が軋み刃が止まった。装備の質がいい。だからこそ――裂け目を作れば、そこが弱点になる。
キングが喉を鳴らし、斧槍を振り上げる。
同時にジェネラルが左右から挟撃。盾と槍の壁。
「……ちっ」
大剣を引き抜くのは諦めた。
刃を捨てるつもりで柄を押し込む。継ぎ目が裂け、刃が内側へ食い込む。キングが半歩後退する。
その反動で、私は大剣を手放した。
同時にジェネラルの槍へ飛び込む。避けるんじゃない。攻めるための移動だ。槍先は肩を掠めるだけで抜けていく。
盾の内側へ潜り込み、拳を叩き込む。
胸骨が砕けた音。ジェネラルが後ろへ吹き飛び、壁が一枚剥がれる。
空いた穴から短剣を二本。
一つは喉。もう一つは目。崩れ落ちる間もなく沈黙。
キングの斧槍が振り下ろされる。
地面を蹴って横へ跳ぶ。土が抉れ、衝撃で砂利が頬を打つ。
(威力だけは高い。威力“だけ”は)
動きは遅い。戻りも遅い。
武器の長さを信じすぎている――その分、隙が出る。
背後へ回り込むふりをして、わざと正面へ戻る。
キングの視線が追いつく前に、刺さった大剣の位置へ滑り込む。
鎧と噛み合っていて抜けない。なら――鎧の裂け目へ指を差し込み、体内へ魔力を流し込む。外で爆ぜさせない。内側で圧を作る。
次の瞬間、キングの体が内側からびくりと跳ねた。
呻くより先に柄を両手で掴み、横へ捻る。
金属が裂ける音。継ぎ目が広がり、刃がさらに深く潜る。
反射でキングの腕が下がり、斧槍の柄も落ちる。
隙ができた。
短剣を逆手に抜き、裂け目へ突き立てる。体重を乗せて引き裂く。
斧槍がどさりと落ち、キングの膝が折れた。
それでも巨大な腕に掴まれた。普通の人であれば簡単に骨が砕ける強さ――だが、私の体は普通じゃない。
内側へ滑り込み、肘関節の曲がらない方向へ捻る。骨の折れる音が辺りに響いて掴まれていた手が離される。
「……終わり」
大剣を引き抜いて最後に一閃。
鎧の薄い首の付け根へ、魔力を刃先に集めて断ち切った。
巨体がゆっくり前へ倒れ、土埃が舞う。
周囲が一瞬だけ白く霞み――そして静寂。
残っていたジェネラルたちも動かない。
私は息を整え、キングの頭部へ近づいた。
王冠の奥が淡く光っている。指で引っ掛けて外すと、そこにはめ込まれていたのは――転移石。
「……分かりやすくて助かるね」
引き抜いた瞬間、赤いウィンドウが視界の端に滲む。
『レベルが上昇しました』
『称号:ゴブリン|討伐者《スレイヤー》を獲得しました』
称号……? 知らないシステムだ。確認したい衝動が喉元まで上がるが、飲み込む。
今は移動が優先。血の匂いが濃い。他のモンスターが寄ってくる前に消えるべきだ。
周囲を一度だけ探知する。増援の気配はない。
転移石を掌に収め、砕く前に空を見上げた。
雲一つない青空。さっきまでの森の天井とは違う。
この階層は、景色すら平気で変えてくる。
「……次は何が来るかな」
短く呟き、転移石を握り潰した。
骨の奥がふわりと浮く感覚。
視界が歪み、引き伸ばされ――次の瞬間。
冷たい空気が頬を刺した。
暗い。
今度は森の暗さじゃない。月明かりすら感じない湿った闇。
足元は石畳で、どこかの通路みたいに平らだ。壁の存在が近い。空気がひんやり重い。
遠くで、何かが擦れる音。
鉄の匂い――油と錆が混じった、嫌な金属臭が漂ってくる。
反射で腰を落とし、呼吸を浅くした。
魔力を薄く展開し、闇の中へ触手のように伸ばしていく。
返ってきたのは複数の反応。数は多くない。
だが、一つ一つが生物の呼吸を持たない感覚。体温の無い、硬い気配。
「……ゴーレムか。迷宮っぽくなってきたじゃん」
そう言って、私は闇の通路へ足を踏み出した。