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#夢小説
レモネさん🟣✧︎
68
『風の向こう、お前だけ』
第3話「知らない感情」
翌朝。
風鈴高校、一年の教室。
「神谷くん、おはよう」
「……おはよ」
「えっ」
蘇枋隼飛が、珍しく目を丸くした。
朔は席に座りながら、怪訝そうに眉を寄せる。
「……何」
「いや、今日はちゃんと挨拶してくれたなと思って」
「昨日もしただろ」
「昨日は『ん』だったよ」
「同じだろ」
「全然違うと思うけどなぁ」
蘇枋はくすくすと笑いながら、朔の隣の席に腰を下ろした。
最近、こいつはいつも隣にいる。
朝も、昼も、放課後も。
最初は面倒だった。
一人でいるほうが楽だし、誰かに気を遣う必要もない。
なのに今では、教室に入って蘇枋の姿が見えないと、なんとなく落ち着かなくなっていた。
(……何考えてんだ、俺)
朔は小さく息を吐いた。
もちろん、本人に自覚はない。
「神谷くん?」
「……何でもねぇ」
「ふふ。今日も眠そうだね」
「お前がうるさいからな」
「それはごめんね」
そう言いながらも、蘇枋はまったく反省していなさそうだった。
朔は机に突っ伏した。
「……もう寝る」
「おやすみ」
「話しかけんなよ」
「分かった」
数秒後。
「神谷くん、今日のお昼は――」
「話しかけんなっつっただろ」
「まだ何も言ってないのに」
「顔がうるさい」
「顔がうるさいって初めて言われたよ」
蘇枋の笑い声が教室に響いた。
朔は顔を伏せたまま、ほんの少しだけ口元を緩めた。
それを見た蘇枋は、一瞬だけ言葉を止めた。
(……今、笑った?)
いつも無表情な神谷朔。
そんな彼が、自分の前でだけ少しずつ表情を変える。
それが、どうしようもなく嬉しかった。
*
昼休み。
朔はいつもの校舎裏で、ベンチに座っていた。
隣には、当然のように蘇枋がいる。
「神谷くんって、好きな食べ物ある?」
「……唐揚げ」
「へぇ。意外と普通だね」
「お前、喧嘩売ってんの?」
「まさか」
蘇枋は笑いながら、自分の弁当から卵焼きを一つ取った。
「はい、あげる」
「いらねぇ」
「おいしいよ?」
「そういう問題じゃねぇ」
「じゃあ、僕が食べさせてあげようか?」
「殺すぞ」
「冗談だよ」
蘇枋は楽しそうに笑った。
朔は呆れながらも、差し出された卵焼きを見つめた。
「……一個だけな」
「うん」
朔が卵焼きを受け取る。
口に入れて、少しだけ目を細めた。
「……うまい」
その一言に、蘇枋の表情がぱっと明るくなった。
「本当? よかった」
「……そんな嬉しいことかよ」
「神谷くんがおいしいって言ってくれたからね」
「大げさ」
「そうかな?」
朔は返事をせず、弁当に視線を落とした。
胸の奥が、なんとなくむず痒い。
嫌ではない。
むしろ、こういう時間が続けばいいと思ってしまう。
けれど、どうしてそう思うのかは分からなかった。
*
放課後。
「神谷くん、今日は寄り道しない?」
「どこに」
「商店街。昨日のお店の人が、僕たちにお礼をしたいって」
「……別に、礼なんかいらねぇけど」
「僕もそう言ったんだけどね。どうしてもって」
「……分かった」
二人で商店街へ向かう。
途中、蘇枋はいつも通り楽しそうに話していた。
今日の授業のこと。
クラスメイトのこと。
商店街にある新しい店のこと。
朔は相槌を打ちながら、黙って隣を歩いていた。
そのときだった。
「あれ、蘇枋くん?」
前から、一人の女子生徒が歩いてきた。
「ああ、こんにちは」
蘇枋はいつもと変わらない笑顔で挨拶した。
「この前はありがとうね。助かったよ」
「いえいえ。無事でよかったです」
どうやら、以前蘇枋が助けたことのある相手らしい。
女子生徒は嬉しそうに笑った。
「今度、お礼に何かおごらせてよ。二人で!」
「ふふ、考えておきますね」
「絶対だよ!」
女子生徒は手を振りながら去っていった。
その背中を見送った蘇枋が、隣を振り返る。
「神谷くん?」
「……何」
「どうしたの? さっきから静かだけど」
「いつもだろ」
「うーん、いつもよりちょっと不機嫌そう」
「気のせいだ」
朔は歩き出した。
けれど、頭の中にはさっきの光景が残っていた。
蘇枋が、あの女子生徒に笑いかけていたこと。
楽しそうに話していたこと。
別に、珍しいことじゃない。
蘇枋は誰にでも優しい。
誰にでも笑いかける。
そんなこと、最初から分かっていた。
それなのに。
(……何だよ、これ)
胸の奥が、妙に重かった。
*
商店街でお礼を受け取ったあと、二人は帰路についた。
いつもなら、蘇枋が話して、朔が適当に返す。
そんな時間だった。
けれど今日は、朔の返事が明らかに少なかった。
「神谷くん」
「……ん」
「僕、何かした?」
足が止まった。
朔は少しだけ目を見開く。
「……別に」
「そっか」
蘇枋は笑った。
でも、その笑顔はいつもより少しだけ寂しそうに見えた。
「なら、いいんだけど」
その表情を見た瞬間、朔はなぜか焦った。
違う。
別に、蘇枋が悪いわけじゃない。
怒っているわけでもない。
ただ、自分でも説明できない感情に振り回されているだけだ。
「……蘇枋」
「うん?」
「お前ってさ」
「うん」
「……誰にでも、あんな感じなの?」
蘇枋は首を傾げた。
「あんな感じって?」
「……誰にでも優しくて、誰にでも笑って」
言いながら、自分でも何を聞いているのか分からなくなった。
こんなことを聞くつもりじゃなかった。
蘇枋は少し考えてから答えた。
「そうだね。基本的には、みんなと仲良くしたいと思ってるよ」
「……ふーん」
「でも」
蘇枋が、朔の顔を覗き込んだ。
「神谷くんといるときは、ちょっと違うかな」
朔の心臓が、一度大きく跳ねた。
「……は?」
「君といると、退屈しないんだよね」
「それ、褒めてんのか」
「もちろん」
蘇枋は微笑んだ。
「君がどんなことを考えているのか、もっと知りたくなるんだ」
「…………」
「だから、君のことは特別に気になるよ」
特別。
その言葉が、頭の中で何度も繰り返された。
蘇枋は何でもないことのように言ったのに。
朔にとっては、妙に心に残る言葉だった。
「……そういうこと、簡単に言うなよ」
「どうして?」
「……知らねぇ」
朔は顔を背けて歩き出した。
蘇枋は少し驚いたあと、柔らかく笑った。
「分かった。気をつけるね」
そう言って、隣に並ぶ。
今度は、何も聞いてこなかった。
*
帰宅後。
朔はベッドに寝転がり、天井を見つめていた。
スマートフォンが震える。
画面には、見慣れない名前。
――蘇枋隼飛。
『今日は一緒に帰れて楽しかったよ。また明日ね』
朔はしばらく画面を見つめた。
たった一通のメッセージ。
それだけなのに、口元が緩みそうになる。
「……何なんだよ、ほんと」
小さく呟いて、返信を打つ。
『おう。また明日』
送信。
すぐに既読がついた。
『うん。おやすみ、神谷くん』
朔はスマートフォンを伏せた。
そして、枕に顔を埋める。
胸が、うるさい。
理由は分からない。
誰かと一緒にいることが、こんなにも気になるなんて。
誰かの笑顔が、他の人に向けられているだけで、こんな気持ちになるなんて。
今まで知らなかった。
いや。
知ろうとしたことすらなかった。
「……明日も、会えるし」
ぽつりと呟いてから、朔は自分の言葉に気づいた。
明日も会える。
そのことに、安心している。
蘇枋が隣にいることを、いつの間にか当たり前に思っていた。
そして、その当たり前が少しずつ変わり始めていることにも。
まだ、朔は気づいていなかった。
一方、その頃。
自分の部屋でスマートフォンを見つめていた蘇枋は、届いた返信を読み、ふっと笑った。
「……また明日、か」
たったそれだけの言葉。
けれど、明日も朔に会えると思うと、不思議と嬉しかった。
「困ったなぁ……」
蘇枋は小さく呟く。
「もっと、一緒にいたくなっちゃった」
窓の外では、夜風が静かに吹いていた。
二人とも、まだ自分の感情に名前をつけられない。
けれど確かに。
互いの存在は、少しずつ特別なものになり始めていた。
――第3話・終。
コメント
4件
はい先読みさせていただきましたぁ もう天才👏👏
第3話、じっくり読ませていただきました……! 朔くんが蘇枋くんに「誰にでもあんな感じなの?」って聞くところ、すごく心にきました。自分でも説明できない焦りや胸の重たさが、すごく繊細に描かれていて、思わず息を呑みました。まだ名前のつかない感情を抱えながらも、明日が待ち遠しくなるようなラストもすごく素敵です。教室での「顔がうるさい」とか、バトンタッチのやり取りから感じる小さな変化も大好きです。続きが気になりますね……!