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微笑むアルビスとは対照的に、長い長いバージンロードを歩き続ける花嫁の足取りは、まるで隣家の騒音に耐えかねて苦情を訴えに来たかのよう。
もしくは粗悪品を掴まされて返品に向かうかのようで、闘志とか殺気に近いものが伝わってくる。思わず「お前の人生、何があった?」と問い詰めたくなるほどに。
緊迫した空気の中、バージンロードは終盤に差し掛かり、ヴェール越しに花嫁と花婿の視線がぶつかった。
不機嫌な花嫁に対し、アルビスは「上等だ」とでも言いたげに片眉をあげた。
たったそれだけの仕草でもため息が出てしまうほど、彼は見目麗しい。
背の中ほどまで流れている夜明けの湖畔のような藍と銀が交じり合ったような髪は絹糸のようで、花嫁を見つめる瞳は刺すような深紅。
すらりとした長身の体躯に、整った目鼻立ち。そのどれ一つをとっても、美しくないものはない。前世でどれだけ徳を積んだらそんな美丈夫になれるのか。
代々受け継がれている権威の象徴である帝冠も、ローブも、全てこの男の為に存在していると思わせるほど、しっくりと馴染んでいる。
けれど花嫁はアルビスの容姿にとことん興味がないらしく、祭壇まで到着するとだんっだんっと足を踏み鳴らして止まり、彼を強く睨みつけた。
花婿に対しても皇帝陛下に対してもその態度はいかがなものだが、アルビスの表情は動かない。慣れた様子であっさりと祭壇のほうへ向く。少女も不貞腐れた表情のまま司祭と向き合った。
最高位の聖職者である大司教は、こんな展開でも動揺することはない。粛々と、聖書を手にし朗読を始める。大したものだ。
朗々と語る大司教は老人と呼ぶべき年齢だが、声には張りがあり、聖堂の隅々までに響く。
聖堂に様々な感情が混ざり合う中、聖書の朗読を終えた大司教は花婿に視線を向けた。
「──健やかなるときも、病めるときも、喜び悲しみのときも、これを愛し、これを慰め、その命ある限り、愛することを誓いますか?」
「誓おう」
凛とした声で言明した花婿に頷いた大司教は、続いて花嫁にも同じことを問う。しかし、いつまで経っても返事はない。
再び聖堂がざわめき出すが、大司教はここで機転を利かした。
「無言は肯定とみなします」
ほとんど強引に花嫁から誓約を取り付けると、次の行程に移る。
「それでは、誓いのキスを」
アルビスはガラス細工を扱うような繊細な手つきで、花嫁のヴェールを持ち上げる。次いで少女の顎に手を掛け、少しだけ持ち上げた。
慈しむようにアルビスの親指の腹が、花嫁の桃色の唇の形を確かめるように刷く。すぐさま少女のつぶらな瞳が細くなる。まるで、さっさとやれと言いたげに。
その視線を感じつつもアルビスはもう一度少女の唇に触れ、ゆっくりと自身の唇を押し当てた。
触れるだけの口づけを受け、少女はこれは契約だと言い聞かせるが、アルビスは締め付けられるような胸の痛みを抱えていた。
愛しい人に触れることができる喜び。そして、愛しい人がこれっぽちも自分に気持ちを向けない辛さ。
その両方がアルビスの心をぐちゃぐちゃに掻き乱す。口づけをした後、少女が自身の手の甲で唇を拭かなかったことだけが唯一の救いだった。
「二人が現時点をもって夫婦となったことを、ここに宣言します」
大司教は参列者に向け声を上げると、祭壇に用意されていた結婚誓約書にサインをするよう花嫁と花婿に促した。
アルビスがさらりと記入し、少女へと羽ペンを渡す。少女は一瞬だけ、ためらった後、それにサインをした。
夫 એલ્વિસ ડુ રસગલેવ
(アルビス ・デュ・リュスガレフ)
妻 結月 佳蓮
(ゆずき かれん)
この銅板でできた結婚誓約書と、特殊なインクを使用した羽ペンを使用するのは、約300年ぶりのこと。
もちろん300年もの間、皇族が結婚をしなかったわけではない。
これは特別仕様の聖皇帝と聖皇后の為の結婚誓約書。
メルギオス帝国には、こんな言い伝えがある。
異世界の女性を皇后にできた皇帝は、歴史に名を残す偉大な皇帝──聖皇帝になれると。
300年という長い間、一度も異世界の花嫁を迎えるための召喚術は成功することがなかった。けれどアルビスだけが成し遂げ、聖皇帝の名を得ることができた。
そう。佳蓮は皇帝陛下の一方的で身勝手な理由のために召喚された異世界の人間で、もう二度と元の世界には戻れない。
だから佳蓮は、決めたのだ。寵愛なんていらないから、一生かけて罪を償ってもらおうと。
この挙式は、夫婦となる儀式ではない。引きちぎられるように自分の世界を奪われてしまった少女の、長い長い復讐の幕開けである。