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AI生成と自分で書いた所があるので書き方不揃いだったりします。
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朝、目が覚めて最初にすることは、スマホを確認することでも、カーテンを開けることでもない。
枕元に置いた小さなケースを開けることだ。
中身を確かめるように一度視線を落としてから、慣れた手つきで錠剤を取り出した。発情期を遅らせるための抑制薬と、念のためのフェロモン抑制剤。どちらも、今の自分には欠かせないものだ。
コップ一杯の水で流し込む。喉を通る感覚は、もうずいぶん前から変わらない。それなのに、胸の奥に残る重さだけは、日に日に増している気がした。
「……今日も大丈夫」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
βのふりをして生きる毎日は、こういう小さな確認の積み重ねで成り立っている。
メンバーの中で、俺だけが自分の属性を隠している。
他のみんなは、当たり前のように自分がαかΩかβかを知っていて、話題にすることもある。あっととあっきぃが番だということも、周知の事実だ。
「番がいるとさ、やっぱ安定するんだよね」
以前、何気ない雑談の中で聞いたその言葉が、ふと頭をよぎる。
笑って相槌を打った自分の顔を、今でもはっきり思い出せてしまうのが嫌だった。
知られたら終わる、というわけじゃない。
薬で発情期を抑えられるからって、最初は自分がΩのキャラじゃないからって理由でβって嘘をついた。
そんな嘘をついてから薬に副作用があると知ってしまった。
早いうちに本当はΩだって言えれば良かった。
でも、知られた瞬間に、今までと同じ距離ではいられなくなる気がして。
それが怖くて、今日も「βのまぜ太」を演じ続ける。
支度を終えて外に出る。
事務所に行けばすでに何人か集まっていた。
その中に、ぷーのすけの姿があるのを見つけて、無意識に呼吸が浅くなる。
フリーのα。
それだけの情報なのに、体が先に反応してしまうのが悔しい。
距離を保つ。近づきすぎない。
匂いを感じない位置を選んで、視線も合わせすぎないようにする。
それでも、不意に笑い声が聞こえたり、すぐそばを通り過ぎられたりすると、胸の奥がざわつく。
これは恋なのか、それともΩとしての本能なのか。考えないようにしてきた答えが、時々こうして顔を出す。
「まぜ太は今日も元気そうやな〜」
軽い調子でかけられた声に、条件反射みたいに笑顔を作る。
「やっぱテンションあげてかねーとさ〜笑」
「最近忙しいもんな〜、体調管理も気をつけねーとな」
「そうだな、俺はいつでも元気だけどね」
「流石筋肉バカ笑」
嘘はついていないつもりだった。
少なくとも、今この瞬間は。
ただ、胸の奥に溜まっていく違和感だけが、確実に「普通じゃない」と教えてくる。
それでも俺は、気づかないふりをしたまま、今日もβとして一日を始めるのだった。
また今日も集まりがあるらしい。
最近は集まりが多く、薬を飲まないと行けない日が多い。
キッチンの下の棚を開けると、奥の方に小さな金属製の箱が置いてある。
食器やコップに紛れさせているそれを引き寄せ、まぜ太は一瞬だけ指を止めた。
開けなくても、中に何が入っているかは分かっている。
発情期抑制薬、フェロモン抑制剤、匂いを薄める補助薬。予備まで含めて、きっちり揃えてある。足りなくなったことは一度もない。
蓋を開けると、薬の白さがやけに目についた。
「……多いな」
思わず零れた言葉に、自分で苦笑する。
βとして生きるために必要な量だ、と言い聞かせてきた。βのふりを続けるためには、これくらい当然だとも。
抑制薬を一錠、掌に乗せる。
最近は、飲む前から分かる。これを飲めば、少しだけ楽になる代わりに、別の違和感が残る。
水で流し込んだ瞬間、喉の奥がひりついた。
数秒遅れて、胃のあたりがじんわりと重くなる。
昔は、こんな感覚はなかった。
少なくとも、「気のせい」で済ませられる程度だった。
最近は違う。
息が浅くなったり、手先が冷えたり、頭の奥がぼんやりしたりする。
発情期を抑えているはずなのに、身体のどこかが噛み合っていない感覚が続く。
「……効いてる、よな」
鏡に映る自分の顔色を確認する。
少し青白い気もするけれど、外に出られないほどじゃない。
そうやって、今日も「大丈夫」の範囲に無理やり押し込める。
フェロモン抑制剤も忘れずに飲む。
こちらは即効性がある分、切れた時の反動が分かりやすい。
飲み忘れたら終わりだ、という恐怖が常に頭のどこかにある。
——これ、普通じゃない。
ふと、そんな考えが浮かんで、すぐに振り払った。
考え始めたら、止まらなくなる。
Ωであることを隠すなら、これしか方法はない。
番を作らない限り、発情期は自分でどうにかするしかない。
番、という言葉が浮かんだ瞬間、胸の奥がきゅっと縮んだ。
頭に浮かぶ顔は一つだけなのに、考える資格すらないと思っている相手。
αで、フリーで、そして何も知らない。
言えない。
今さら、自分がΩだなんて。
この薬箱は、まぜ太にとって命綱だ。
同時に、これがなければ何も守れない証拠でもある。
副作用が強くなっていることには、薄々気づいている。
抑え込むたびに、身体が無理をしているのも分かっている。
それでもやめられない。
やめた瞬間に、今の居場所が壊れてしまう気がして。
「……あと少し」
何を基準にした「少し」なのか、自分でも分からないまま、まぜ太は薬箱の蓋を閉じた。
見なかったことにした不安だけが、静かに胸の奥に沈んでいく。
ぷーのすけとの距離は、いつからか一定だった。
近すぎず、遠すぎず。意識しなければ、ただのメンバー同士でいられる程度の距離。
自然に振る舞っているつもりだった。
隣に座らない。背後に立たない。すれ違う時は、ほんの少しだけ歩幅を変える。
全部、無意識のうちに身についた癖だ。
「まぜ太、次ここ頼むわ」
名前を呼ばれるだけで、肩が小さく跳ねる。
すぐにそれを誤魔化すように頷いて、作業に意識を向ける。
αのフェロモンは、強い匂いとして感じるわけじゃない。
空気の温度が変わるみたいに、気づいた時にはもうそこにある。
ぷーのすけが近くにいると、息が少しだけ重くなる。
理由を考えないようにして、距離を取る。
けれど、避け続けることにも限界はある。
「これ、どうやるんやったっけ」
不意に肩越しに覗き込まれ、距離が一気に縮まった。
袖越しに触れた腕の感触に、身体がびくりと反応する。
一瞬、頭が真っ白になる。
胸の奥が熱を持って、喉がきゅっと締まった。
「……こう」
声が震えないように、いつもより短く答える。
視線を合わせないまま、手元だけを示した。
大丈夫。
Ωの匂いは抑えられている。
発情期でもない。
そうやって理性で必死に押さえ込む。
「ありがと」
ぷーのすけが離れた瞬間、ようやく息を吐いた。
誰にも気づかれないように、深く、静かに。
触れられただけで、こんなになる。
その事実が、じわじわと胸を締めつける。
これが恋なのか、Ωとしての反応なのか。
考え始めたら、きっと戻れなくなる。
だから、距離を保つ。
触れない距離。
触れてはいけない距離。
笑顔で会話をしながら、心の中では一歩下がる。
それでも視界の端に入るたび、無意識に追ってしまう自分がいて、嫌になる。
αであること。
フリーであること。
その全部が、余計に意識させる。
もしも、この距離を越えてしまったら。
もしも、触れてほしいと願ってしまったら。
——終わるのは、自分の方だ。
そう分かっているからこそ、今日も「触れない距離」を選び続ける。
それが一番安全で、一番苦しい選択だと知りながら。
その日家に帰って、やけに身体のダルさを感じて体温計を手に取る。
体温計の数字は三十七度前後を行き来しているだけで、決して高熱というほどじゃない。
それでも、身体の内側に熱がこもって抜けない感じが続いていた。
「……下がらないな」
小さく呟いて、まぜ太は体温計を戻す。
仕事に支障が出るほどじゃない、と自分に言い聞かせるのは簡単だった。
問題は、それ以外だ。
立ち上がるたびに視界が一瞬揺れる。
歩いているだけなのに、足元がふわりと浮く感覚がして、思わず壁に手をつくことが増えた。
胃の奥がむかむかして、食事の量も減っている。
無理に口に入れても、味がよく分からない。
それでも、まぜ太は「体調不良」の一言で済ませていた。
Ωの予兆だと認めてしまえば、次に考えるべきことが分かってしまうから。
気づけば、何度も時計を見るようになっていた。
まだか。
来ていないか。
この感覚は、前兆じゃないのか。
スマホの画面を確認するたび、胸がざわつく。
発情期の周期は、もう正確に把握できなくなっていた。
だから、薬を飲むタイミングも早まっていく。
「まだ大丈夫」と思える段階で、念のために。
「少し変だな」と感じたら、もう一錠。
本来なら必要ない量を、必要だと思い込ませて飲む。
そのたびに、身体のだるさが増していくのが分かっているのに。
「……効いてる、よね」
抑制薬を飲みながら、確認するように呟く。
答えは返ってこない。
フェロモン抑制剤も欠かさない。
匂いが漏れていないか、何度も自分の服の袖を引き寄せて確かめる。
大丈夫。
まだ、誰にも気づかれていない。
そう思う一方で、胸の奥に不安が溜まっていく。
この状態が続いたらどうなるんだろう。
もし、薬が効かなくなったら。
もし、発情期が一気に来てしまったら。
考えないようにしても、身体が先に答えを出し始めている気がした。
微熱と眩暈と吐き気。
そして、妙な熱っぽさが、内側からじわじわ広がっていく。
これは、ただの体調不良じゃない。
分かっているのに、認めたくなくて、まぜ太は今日も時計に視線を落とす。
まだだ。
今じゃない。
そう願いながら、不安だけを抱え込むようにして、次の一日へと進んでいった。
結局熱は下がらなくてΩの病院へ向かう。
病院の白は、どこか現実感が薄い。
廊下も、カーテンも、診察室の壁も、すべて同じ色をしていて、そこに座っているだけで自分の輪郭が曖昧になっていく気がした。
医師はカルテに目を落としながら、静かな声で話し始めた。
「長期間、発情期抑制薬を使用していますね」
否定はしなかった。
いや、できなかった、の方が正しい。
「はい……」
「使用歴も量も、正直に言ってくれてありがとうございます」
責める口調ではない。
だからこそ、逃げられない。
医師はペンを置き、俺の方を見る。
「Ωの身体は、本来、定期的に発情期を迎えることでホルモンバランスを保っています。抑制薬は、その波を一時的に緩やかにするものです」
一時的、という言葉が、やけに耳に残る。
「ですが、それを長期間、繰り返し使い続けると……身体は“本来のリズム”を見失います」
医師は、画面に簡単な図を表示した。
周期的な波が、次第に歪み、乱れていく。
「現在の症状——微熱、眩暈、吐き気、倦怠感。これらは、抑え込まれ続けた発情期が、身体の内側で無理に反発している状態です」
無意識に指先を握りしめていた。
「番がいるΩの場合、発情期は番との接触で安定します。ホルモンもフェロモンも、自然に循環する」
言葉を区切るように、医師は一呼吸置いた。
「ですが、番がいないΩが、発情期を完全に抑え続けるのは、身体にとってかなりの負担です」
かなり、という言葉がやけに軽く聞こえて、逆に怖い。
「次の発情期は薬で抑えきれない可能性があります」
はっきりとした宣告だった。
心臓が、一拍遅れて強く鳴った。
「抑えきれない、って……」
「急激なホルモン放出が起きると、意識障害やフェロモンの暴走が起こることもあります。周囲にαがいれば、なおさらです」
それがどういう状況か、説明されなくても分かった。
「命に関わることも、あります」
診察室の空気が、さらに白くなる。
医師は、柔らかい口調に戻して言った。
「選択肢は二つです。抑制薬の使用を大幅に減らし、発情期を自然に迎えること」
「もう一つは……番を作ることです」
その言葉を聞いた瞬間、頭に浮かんだのは一人だけだった。
けれど、すぐに打ち消す。
それは、自分の都合で誰かを縛る選択だ。
望まれているかも分からない。
「……少し、考えます」
絞り出すように言うと、医師は頷いた。
「無理はしないでください。正直に言えば、あまり時間はありません」
診察室を出た後も、白い廊下はどこまでも続いているように見えた。
番。
抑えきれない発情期。
どちらも、今まで見ないふりをしてきた言葉だ。
白すぎる世界の中で、一人、逃げ道を失ったことだけをはっきりと自覚していた。
病院を出たあと、しばらく歩いたはずなのに、どこをどう通ったのか覚えていない。
気づいた時には、いつもの道に立っていた。
番を作る。
医師の言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
考えないようにしても、候補なんて一人しか浮かばなかった。
フリーのαで、近くにいて、何も知らない人。
その顔が脳裏に浮かんだ瞬間、まぜ太はぎゅっと唇を噛んだ。
名前を呼びそうになる。
心の中でさえ、口に出してしまいそうになる。
——呼ぶな。
自分に言い聞かせるように、思考を遮断する。
名前を呼んでしまったら、期待してしまう。
「番になってくれるかもしれない」
「守ってくれるかもしれない」
そんな希望は、持った時点で危険だった。
自分の身体のために誰かを選ぶなんて、身勝手だ。
近くにいるから。
優しいから。
頼れそうだから。
そんな理由で縋っていい相手じゃない。
立ち止まって、深く息を吸う。
胸の奥が、じんと痛んだ。
期待してはいけない。
もし断られたら、身体だけじゃなく、心まで壊れてしまう。
それなら——最初から、考えなければいい。
まぜ太は、頭の中で浮かびかけた名前を、無理やり消した。
輪郭をぼかし、声を思い出さないようにする。
病院で、選択肢は示された。
でも、選ぶことまでは求められていない、と自分に言い聞かせる。
まだ大丈夫だ。
次の発情期まで、時間はあるはずだ。
薬もある。
フェロモン抑制剤もある。
一人で、なんとかできる。
そう信じるしかなかった。
誰かに頼る選択は、最後まで取っておく。
それが、自分を守る唯一の方法だと思い込む。
まぜ太はポケットの中で、薬箱の感触を確かめた。
小さくて、冷たくて、頼りない。
それでも今は、これだけが支えだった。
名前を呼ばない。
期待しない。
一人で抱える。
そう決めた瞬間、胸の奥に小さな亀裂が走ったことに、気づかないふりをした。
翌朝
違和感は、目が覚めた瞬間からあった。
身体が熱い。
布団の中なのに、皮膚の内側からじわじわと熱が滲んでくる。
「っやば…来た、かも」
想像よりも早い発情期。
発情期の周期が乱れている証拠だ。
呟いた声は、思っていたより掠れていた。
時計を見る。まだ朝だ。いつもなら、ここで薬を飲めば間に合う。
震える指で、枕元のケースを開ける。
抑制薬を一錠取り出し、水で流し込んだ。
待つ。
いつもなら、数十分もすれば、熱は引いていくはずだった。
けれど。
胸の奥が、妙にざわつく。
鼓動が早くなり、呼吸が浅くなる。
「……?」
おかしい。
そう思った瞬間、胃がきゅっと縮み、喉の奥が熱を持った。
手が震え始める。
指先が冷たいのに、身体の内側だけが異様に熱い。
「ちが……っ」
もう一錠、飲む。
本来なら、ここで追加する量じゃない。
それでも、症状は引かなかった。
呼吸が乱れる。
息を吸っても、肺が十分に広がらない感覚。
視界が、じわりと滲んだ。
——効いてない。
はっきりと理解した瞬間、背筋が冷えた。
発情期が、始まっている。
しかも、抑制薬が追いついていない。
焦りで、頭が真っ白になる。
必死にフェロモン抑制剤を取り出した。
これは、まだ効くはずだ。効かなければ、終わる。
震える手で飲み込むと、数分後、ようやく外側の異変だけは落ち着いた。
匂いが広がる気配はない。
それが、逆に怖かった。
身体の内側では、確実に何かが暴れているのに、外には出てこない。
抑え込まれて、行き場を失った熱が、内側に溜まっていく。
額に汗が滲む。
シーツを握る手に、力が入る。
「……落ち着け」
自分に言い聞かせるように、ゆっくり呼吸を整えようとする。
でも、吸うたびに、胸の奥がきしんだ。
触れてほしい、という衝動が、一瞬、頭をよぎる。
すぐに振り払う。
考えちゃいけない。
番はいない。
頼れる人もいない。
一人で、どうにかしなきゃいけない。
フェロモン抑制が効いている今のうちに、乗り切るしかない。
そう思うのに、身体はじっとしてくれない。
熱、震え、息苦しさ。
それらが、少しずつ強くなっていく。
——次は抑えきれないかもしれない。
医師の言葉が、頭の奥で響いた。
唇を噛みしめながら、ただ耐えるしかなかった。
この不安定な均衡が、いつまで保てるのかも分からないまま。
午後、スマホのアラームが鳴った瞬間、心臓が跳ねた。
撮影日だ。
画面に表示されたスケジュールを見つめながら、しばらく動けずにいた。
身体はまだ熱を帯びていて、関節の奥が鈍く痛む。
立ち上がろうとして、眩暈に襲われた。
思わずベッドの縁に手をつく。
「……無理、だよな」
本音が、喉まで上がってきて、すぐに引っ込めた。
休む。
それは、一番安全な選択だ。
でも、その言葉を口に出すだけで、別の不安が胸を締めつける。
理由を聞かれる。
体調不良、と答える。
じゃあ病院行った?
何の病気?
そこから先を、うまく誤魔化せる自信はなかった。
何より——。
「最近、具合悪そうだよね」
そんな一言が出た瞬間に、全部を疑われる気がした。
Ωじゃないか。
発情期じゃないか。
そんな視線を向けられる想像だけで、背中が冷える。
フェロモン抑制剤が効いている今なら、匂いは漏れない。
外見上は、ただの体調不良ぐらいに見えるはずだ。
それなら、行ける。
行ってしまえば、何とかなる。
無意識に薬箱を開けていた。
フェロモン抑制剤を確認し、予備をポケットに入れる。
抑制薬は、もう効かない。
それでも、持たずにはいられなかった。
「……大丈夫」
自分に言い聞かせる声が、少し震える。
服を着替えながら、何度も呼吸を整える。
深く吸おうとしても、胸の奥でつっかえる感覚が残る。
鏡に映る自分の顔は、どこか疲れて見えた。
それでも、いつもの表情を作る。
行かない選択は、できなかった。
休めば、疑われる。
疑われれば、終わる。
それなら、無理をする方がまだましだ。
玄関を出る直前、ほんの一瞬だけ、足が止まる。
この選択が間違っていることは、分かっている。
でも、戻れない。
ドアを閉めた。
フェロモン抑制だけが頼りの、不安定な状態のまま。
破綻に向かっていると分かっていながら、撮影現場へと向かうのだった。
撮影スタジオのドアを開けた瞬間、空気が変わった。
音でも匂いでもない。
けれど、確かに違うと分かる何かが、肌を撫でるように広がっている。
「……っ」
喉が、無意識に鳴った。
αが複数いる空間特有の圧みたいなものが、身体の内側に触れてくる。
胸の奥が、じわりと熱を持った。
大丈夫。
まだ抑えられてる。
そう言い聞かせながら、視線を落としたまま奥へ進む。
なるべく人と距離を取る位置を選んで、静かに息を整える。
その時だった。
「よぉ、まぜ太」
聞き慣れた声が、すぐ近くから降ってくる。
反射的に身体が強張った。
ぷーのすけだ。
分かっていたのに、準備ができていなかった。
αとしての存在感が、はっきりと感じられる距離。
近づかれて初めて、自分がどれだけ張り詰めていたかを思い知らされる。
「…ん、ぷーのすけじゃん」
返事はできた。
でも、顔を上げられない。
視界の端に、動く気配があるだけで、胸の奥がざわつく。
身体が勝手に、そちらを意識してしまう。
——見るな。
自分に命令するように、視線を床に落とす。
αの匂いに反応している。
それが本能だと分かっているから、余計に苦しい。
理性は必死に叫んでいる。
近づくな、考えるな、感じるな。
でも、身体は正直だった。
呼吸が、少しだけ早くなる。
指先が、じんわりと熱を持つ。
触れられたわけでもないのに。
ぷーのすけが何かを話している気配がする。
内容は頭に入ってこない。
ただ、その声が近くにあるだけで、内側がざわざわと波立つ。
直視できない。
目が合ったら、何かが決壊してしまいそうだった。
βのふりをしている今の自分が、αを欲しているなんて、知られてはいけない。
フェロモン抑制が効いていることだけが、救いだった。
もし、これがなかったら——そう考えるだけで、背筋が冷える。
ゆっくりと一歩下がった。
ほんのわずかな距離を取るだけで、少しだけ息がしやすくなる。
それでも、胸の奥の熱は消えない。
スタジオの空気は、確実に発情期のΩには優しくなかった。
抑え込まれた本能が、出口を探すように、静かに暴れ続けている。
ただ耐える。
視線を合わせないまま、理性が折れないことだけを祈りながら。
カメラが回り始めると、スタジオの空気は一段と張り詰めた。
「……っ」
息を吸うたび、喉がひりつく。
必死に呼吸を整えながら、決められた位置に立った。
視界の端が、微かに揺れている。
まばたきをしても、完全には戻らない。
大丈夫。
まだ、立っていられる。
カメラの赤いランプが点灯する。
合図と同時に、身体が緊張した。
台本の言葉は覚えているはずなのに、頭の中でうまく並ばない。
口を開くと、思ったより声が掠れていた。
額に、じっとりと汗が滲む。
冷房が効いているはずなのに、背中に熱がこもる。
指先が、小刻みに震えているのに気づいて、慌てて握りしめた。
震えを抑え込もうとすればするほど、力が入りすぎる。
「……次、俺からやな」
ぷーのすけの声が聞こえた瞬間、胸が跳ねた。
反射的に視線を向けそうになって、慌てて逸らす。
その動きが、かえって不自然だったかもしれない。
視界が、ぐにゃりと歪む。
一瞬、床が傾いたように感じて、膝がぐらついた。
——まずい。
踏ん張る。
それだけで精一杯だった。
汗が、こめかみを伝って落ちる。
喉が渇いて、唇が張りつく。
ぷーのすけが、一瞬こちらを見るのを感じた。
その視線に、背中がひやりとする。
「……まぜ太?」
名前を呼ばれた気がして、心臓が大きく鳴った。
「だいじょ……」
大丈夫、と言い切る前に、言葉が途切れる。
息が、続かない。
ぷーのすけが半歩こちらに寄った。
その距離の変化だけで、身体が反応してしまうのが分かる。
汗、震え、歪む視界。
どれも、もう誤魔化せる範囲じゃない。
それでも、必死に笑顔を作った。
ここで崩れたら、全部終わる。
そう思えば思うほど、身体が言うことをきかない。
ぷーのすけの視線が、明らかに変わった。
冗談を言う時の軽さじゃない。
心配と、違和感。
それが混ざった目で見られているのが、分かる。
理性が、限界まで引き伸ばされている。
もう、次に何かあれば——耐えきれない。
自分の足元をぼんやりと見つめながら、必死に踏みとどまっていた。
しかし限界は、音もなく訪れた。
倒れるとか、叫ぶとか、そんな派手なものじゃない。
ただ、ある一瞬、理性が「これ以上は無理だ」と判断を放棄した。
ぷーのすけが俺の肩に触れ覗き込む。
その動きが、やけにゆっくりに見えた。
次の瞬間——
足が、勝手に一歩、前へ出ていた。
止めようとした。
本当に、一瞬だけは。
でも、身体はもう命令を聞いていなかった。
腕が伸びる。
指先が、布に触れる。
その感触が、思っていたよりずっと現実的で、温かくて——
「……っ」
息が詰まる。
次の瞬間には、額がぷりっつの胸元に触れていた。
衝撃はない。ただ、預けるような重さ。
抱きついた、というより。
しがみついた、に近い。
αの体温が、じかに伝わってくる。
その事実だけで、頭が真っ白になった。
心臓の音が、うるさい。
自分のものか、相手のものかも分からない。
「……まぜ太、お前…」
ぷーのすけが何か言いかけた、その途中。
喉が、勝手に動いた。
「……触っ……」
声は、思っていたよりも小さくて、震えていた。
言葉として形になる前に、零れ落ちたみたいな音。
「……触って……」
言ってしまった、と思った。
理性が遅れて戻ってきて、必死に警鐘を鳴らす。
言っちゃいけない。
求めちゃいけない。
それでも、身体は腕を離さない
Ωとしての本能が、直接触れ合うことで満たされようとしているのが分かる。
ぷーのすけ服を握る指が、無意識に力を込めた。
その瞬間、初めて自覚する。
——ああ、俺。
もう、戻れないところまで来てる。
スタジオの音が、遠ざかっていく。
カメラも、視線も、全部どうでもよくなっていた。
ただ、触れてほしい。
それだけで、頭がいっぱいだった。
「……ッ身体、あつ、ぃ…」
喉が、小さく鳴る。
胸の奥に溜め込んでいた熱が、一気に外へ押し出される。
呼吸と一緒に、空気へ溶けていく感覚。
抑制剤が、完全に役目を放棄した。
次の瞬間、スタジオの空気が変わった。
抑制剤で抑えていた分、匂いは強烈で甘ったるい。
はっきりと分かる——
Ωのフェロモンだ。
「……え」
誰かが、息を呑む音。
ぷーのすけの胸元に顔を埋めたまま、動けない。
自分から出ているものが、空間に広がっているのが分かる。
もう、隠せていない。
スタジオにいた全員が、同時に察した。
驚きは、確かにあった。
でも——
そこに、責める気配はなかった。
「……撮影、止めよう」
誰かがそう言った声が、やけに静かに響く。
肩が、小さく震えた。
終わった。
全部、バレた。
そう思ったのに。
誰も、問い詰めない。
誰も、距離を取らない。
むしろ、空間全体が、そっと守るように動き始める。
「個室、空いてるよね」
「人、通らないルートで行こっか」
「……まぜち、無理に喋らなくていいからね」
声は低く、落ち着いている。
Ωのフェロモンに反応しているはずのαたちでさえ、理性を失っていない。
それが、何よりも救いだった。
ぷーのすけ腕が、はっきりと俺を抱き留めた。
逃がさない、というより。
支えるための抱擁。
「……大丈夫や」
低く、確かな声。
その一言で、目から、堪えていたものが零れそうになる。
Ωであることを、隠してきた。
黙って、耐えて、誤魔化してきた。
でも今、この瞬間。
責められない空気の中で、
自分は確かに、守られていた。
フェロモンは、まだ空気に残っている。
けれど、そこにあるのは混乱じゃない。
静かな理解と、心配だけだった。
そのままぷーのすけに抱っこされ、個室へと移動された。
pr side
扉が閉まった瞬間、空気が一気に濃くなった。
スタジオにいた時とは、比べものにならない。
狭い個室の中で、Ωのフェロモンは逃げ場を失い、静かに満ちている。
——正直に言えば。
触れたかった。
抱き寄せて、離さずに、全部を自分のものにしたい。
それがαとしての本能だと、嫌というほど知っている。
喉の奥が、熱を持つ。
背中に、ぞくりとした衝動が走る。
今すぐ触れれば、応えてもらえる。
それくらい、目の前のΩは無防備で、揺れていた。
それでも。
一歩以上、近づかなかった。
理由は単純だ。
この状況で触れるのは、αの都合になる。
まぜ太の意思じゃない。
それだけは、絶対にしたくなかった。
「……しんどいよな」
小さく呟く。
欲しい、と思う気持ちは確かにある。
でも、それより先に浮かぶのは——
壊したくない、という感情だった。
今まで、どれだけ無理をしてきたのか。
どれだけ一人で抱えてきたのか。
フェロモンの濃さが、それを全部物語っている。
ゆっくりと膝を折り、目線を合わせる位置まで下がった。
威圧しない距離。
逃げようと思えば、逃げられる距離。
「……まぜ太」
名前を呼ぶ声は、いつもより低く、でも慎重だった。
目の前のΩが、小さく反応する。
それだけで、本能が騒ぐ。
それでも、踏みとどまる。
「今な、俺……」
一度、言葉を切る。
正直でいなければ意味がない。
でも、押しつけてもいけない。
「正直、今すぐにでも抱きたい」
誤魔化さない。
でも、それ以上は踏み込まない。
「けど、それは俺の本能や」
「まぜ太が、ほんまに望んでるかどうかとは、別や」
空気が、静まる。
手を伸ばさない。
ただ、開いた掌を見せるだけ。
「……俺が触ってええかどうか」
声が、少しだけ震えた。
「それは、まぜ太が決めて」
欲しいより、守りたい。
αとしての衝動より、人としての選択。
その場から動かず、返事をただ待った。
フェロモンに包まれながらも、理性を手放さないと、決めたまま。
返事を待つ時間は、思っていたよりも長く感じた。
個室の中には、二人分の呼吸音だけがある。
フェロモンはまだ濃いが、先ほどのような荒れた波は少し落ち着いていた。
答えを急かさない。
沈黙も、選択の時間だと分かっている。
まぜ太が小さく息を吸った。
「……触れて、ほしい」
その声は、はっきりしていた。
続く言葉は、少しだけ震えている。
「早くッ…ほしい、お願いッ」
お願いだった。
でも、命令でも、衝動でもない。
自分の意思としての言葉。
俺は一度だけ、深く息を吐いた。
「……確認するで」
念を押すように、でも優しく。
「今のは、発情期やから言ってるだけちゃうな」
まぜ太は、少しだけ考えてから、首を振る。
「……俺が、選んでる」
その一言で、十分だった。
ゆっくりと手を伸ばす。
いきなり抱きしめない。
まず、肩に触れる。
次に、背中へ。
体温が、確かに伝わる。
「……触るで」
そう言ってから、腕を回した。
強くはない。
逃げようと思えば逃げられる強さ。
それでも、まぜ太は離れなかった。
自分の額とまぜ太の額が当たる。
1度優しく口付けをし、2度目は深く味わうように舌でゆっくり口の中を掻き乱す。
「……っ」
まぜ太の肩に入っていた力が、ゆっくり抜けていくのが分かる。
呼吸が、浅いところから、深いところへ落ちていく。
震えが、波打つように弱まっていく。
ゆっくりしたの方に手を伸ばしズボンを下ろせば、発情期でぐちゃぐちゃになった穴が、早く早くと求めるようにヒクヒクとしていた。
「…ほんまに、ええんやな?」
「、うん…お願いッ、早く、欲しい…ッ」
Ωのフェロモンでとっくに崩壊されていた理性の糸が完全に切れ、まぜ太のぐちゃぐちゃになった穴にそのまま解かすこともせずに突っ込む。
中までトロトロで熱を帯びていた。
奥を突く度 キュゥッ と締め付けられる。
「は、ぁ…ッぷーのすけ、もっとぉッ…♡苦しぃ、のッ…ぷーのすけッ、ぷーのすけ、ぇ…ッ早く、♡」
今まで発情期を抑えていた反動が一気に出たのか、息がずっと荒くて、体温も高くて苦しそうな顔で必死に求めてくる。
「…ッはー、♡まぜ太ッ、…まぜ太ッ、♡」
名前を呼びながら、まぜ太の奥の方を突く。
もう完全に理性は飛んでいて、ただ抱きたい衝動に駆られていた。
「あぁ”ッ♡おぐ、おぐぅッ、♡ぷーのすけ、ッ…はッぁ、♡イッ…イく、ッ…♡♡」
「ッ、あっつ…、はぁ〜ッッ…まぜ太ッ、♡」
ただ腰を動かすだけじゃ物足りなくて、必死にまぜ太に抱きついてキスをして、奥を突いて、一気に快感に襲われる。
もうそれ以上のことはあまりよく覚えてない。
朝の光は、思っていたよりも静かに差し込んできた。
カーテン越しの淡い明るさが、個室の輪郭をゆっくり浮かび上がらせる。
夜の間、何度も確認したはずの光景が、現実としてそこにあった。
腕の中で、まぜ太が眠っている。
呼吸は穏やかで、規則正しい。
発情期特有の荒さは、もう残っていない。
身じろぎ一つせず、その寝顔を見下ろしていた。
——終わった。
その事実に、まず安堵が来る。
次に、遅れて別の感情が胸を満たした。
後悔。
自分がもっと早く気づいていれば。
あんな状態になる前に、何かできたんじゃないか。
昨日の、スタジオでの様子が脳裏に浮かぶ。
汗、震え、無理に作った笑顔。
それを見ていながら、
「疲れてるだけやろ」って、どこかで軽く考えていた自分。
奥歯を噛みしめた。
「……アホやな、俺」
声に出しても、誰に聞かせるでもない。
眠っているまぜ太は、何も知らずに呼吸を続けている。
抱いた時の軽さを、思い出す。
あんなに細かっただろうか、と今さら思う。
どれだけ無理をして、
どれだけ一人で抱えてきたのか。
そっと腕の力を調整した。
起こさないように、でも離れないように。
守れた、という事実はある。
それでも、守るのが遅かったという悔しさは消えない。
「……起きたら、ちゃんと話そな」
小さく、そう呟く。
怒るつもりだった。
抑制を続けたことも、黙っていたことも。
でも今は、それより先に決めていることがある。
二度と、あんな苦しそうな顔させない
静かな朝の中で、腕の中の温もりを確かめながら、そう心に刻んでいた。
mz side
目を覚ましたのは、完全に朝になってからだった。
ゆっくりと瞬きをして、状況を理解するまでに少し時間がかかる。
見慣れない天井。
静かな空気。
そして、すぐそばにいる、ぷーのすけ。
「……あ」
小さく声を出した瞬間、記憶が一気に戻る。
発情期、抱きしめられた感覚、長い夜。
反射的に、身体を強張らせた。
「……大丈夫や」
ぷーのすけの声は低く、落ち着いている。
それが逆に、胸をざわつかせた。
怒られる。
そう直感した。
ぷーのすけは、すぐに叱らなかった。
水を差し出してくれて、俺の呼吸が落ち着くのを待つ。
その沈黙が、妙に重い。
「……なぁ」
ようやく、口が開かれる。
「抑制薬、どれくらい使ってたん」
責める口調じゃない。
事実確認だけの声。
一瞬だけ迷ってから、正直に答えた。
「……ずっと」
それだけで、ぷーのすけの表情が変わる。
怒鳴らない。
机を叩かない。
ただ、目が鋭くなる。
「……あれな」
ゆっくり、噛み砕くように言葉を選ぶ。
「長期で使い続けたら、発情周期も、身体の反応も、全部壊れる可能性ある」
「下手したら、発情期が制御できんようになる」
一拍。
「……最悪、命に関わる」
その一言で、肩が小さく震えた。
ぷーのすけは、視線を逸らさない。
「なんで、そこまでして黙ってたん」
問いは、静かだった。
責めるためじゃない。
理由を、聞くための声。
答えようとして——
言葉が出なかった。
喉が詰まる。
視界が、滲む。
「……言え、なかった……」
声が、掠れる。
「……今さら……Ωです、なんて……」
ぽろり、と涙が落ちた。
止めようとしても、止まらない。
「……ぷーのすけが……αで……俺のこと、どう思ってるか……分かんなくて……」
胸に溜め込んできたものが、次々と溢れる。
「……番になりたいなんて……思っていいかも、分かんなくて……」
泣くつもりはなかった。
でも、一度零れたら、もう抑えられなかった。
「……だから……薬で……どうにかできるならって……」
ぷーのすけは、すぐに抱きしめなかった。
ただ、低く、はっきり言う。
「それはな」
一歩、近づいて。
「自分を守ってるつもりで、一番傷つけてるやり方や」
肩が、大きく揺れる。
叱られている。
でも、それ以上に——
心配されているのが、はっきり伝わってくる。
「……俺は、怒ってる」
初めて、感情が少しだけ声に滲んだ。
「けど、それは黙ってたからやない」
一拍置いて。
「命、軽く扱ったからや」
嗚咽を噛み殺しながら、何度も頷いた。
「……ごめん……」
その謝罪に、嘘はなかった。
ぷーのすけはようやく手を伸ばす。
今度は、迷いなく。
「……もう一人で決めんな」
静かだけど、強い声。
「次は、怒る前に、俺が止める」
その胸に顔を埋めて、声を上げて泣いた。
今まで押し殺してきた不安も、怖さも、全部一緒に。
ぷーのすけは、ただ抱きしめてくれた。
叱る役目は、もう終わった。
しばらくして、落ち着いた頃
発情期特有の重さは、もう身体に残っていない。
代わりにあるのは、妙に現実感のある静けさだった。
ぷーのすけは、少し離れた位置に座っている。
近すぎず、遠すぎず。
逃げ道を残した距離。
「……体、どうや」
いつもの、少し砕けた声。
「……大丈夫」
そう答えてから、少しだけ迷って付け足す。
「……ごめん」
ぷーのすけは首を振った。
「謝る話は、もう終わった」
それから、少しだけ真剣な顔になる。
「……これからの話、してもええか」
ゆっくり頷いた。
ぷーのすけは、視線を床に落としながら言う。
「俺はαや」
今さらな事実。
も、改めて口にされると重い。
「まぜ太がΩやって分かって、昨日みたいなことがあって……」
一拍置く。
「それでも俺は、衝動だけで番になりたいとは言わん」
俺は驚いたように顔を上げる。
「……それは、どういう……」
ぷーのすけは、真っ直ぐこちらを見る。
「番になるって、楽にするための契約ちゃう」
言葉は、静かで、はっきりしていた。
「これから先、発情期も、体調も、選択も、全部一緒に背負うってことや」
逃げない。
軽くもしない。
「俺は、それをする覚悟がある」
その一言に、胸が詰まる。
でも、同時に、不安も込み上げた。
「……俺は」
声が、少し震える。
「……ぷーのすけの負担に、なるかもしれない」
抑制薬を使い続けてきた身体。
不安定になった発情周期。
「……それでも、いいの……?」
ぷーのすけは、即答しなかった。
代わりに、少し考えてから言う。
「正直に言うで」
その前置きが、逆に安心だった。
「楽なことばっかりやないと思う」
でも、と続ける。
「それでも、俺は“知った上で”一緒におりたい」
逃げ道を用意しない言い方。
「まぜ太がおらん未来より、大変でも一緒におる方を選ぶ」
嬉しい。
でも、怖い。
期待して、失うのが一番怖い。
「……番になったら」
小さな声で、確かめる。
「……簡単には、離れられないよ」
ぷーのすけは、少しだけ笑った。
「せやからや」
軽くもなく、重すぎもしない声。
「簡単になんか選んどらん」
それから、ゆっくり手を差し出す。
「まぜ太」
名前を呼ぶ。
「今すぐ答え出さんでもええ」
「けど、“番になりたいかもしれない”って思ってるなら」
視線を合わせる。
「俺は、待つし、選ぶ」
俺は、その手を見つめた。
昨日まで、名前を心の中で呼ぶことすら、怖かった相手。
今は。
怖いままでも、隣に立ちたいと思っている。
ゆっくり、その手を取った。
「……俺も」
震えは、まだある。
「……一緒に、なりたい」
完全な自信じゃない。
でも、逃げない選択。
二人の手が、静かに重なる。
それは、衝動でも、契約でもなく。
選び合った結果だった。
特別な場所でも、派手な儀式でもなかった。
静かな部屋で、二人きり。
それだけで、十分だった。
ぷーのすけが俺の前に立つ。
近いけれど、威圧しない距離。
「……最後に、確認する」
声は低く、揺れがない。
「俺と番になる。それは、戻らん選択や」
迷わず頷いた。
「……分かってる」
怖さは、まだある。
でも、それ以上に——今は、確かさがあった。
ぷーのすけが、ゆっくりと手を伸ばす。
触れる前に、一拍。
「……行くで」
その言葉に、目を閉じた。
次の瞬間、首元に、確かな体温が重なる。
痛みはない。
ただ、深く、静かな圧。
——とくん。
心臓が、一つ大きく鳴った。
Ωの身体が、はっきりと反応する。
拒否じゃない。
受け入れる感覚。
胸の奥に溜まっていた不安が、
ゆっくり、ほどけていく。
フェロモンが、変わった。
今までみたいに、尖っていない。
不安を煽る匂いでもない。
柔らかく、落ち着いた温度で、αのフェロモンと静かに混ざり合っていく。
——ああ。
はっきり分かった。
身体が、探すのをやめた。
常に張り詰めていた感覚が、嘘みたいに消えている。
発情期の不安定さも、
抑制し続けていた時の違和感も。
全部、遠ざかっていく。
ぷーのすけがそっと額を重ねる。
「……終わりやない」
囁くような声。
「これからや」
「……うん」
胸が、温かい。
身体の芯が、ようやく定位置に収まったみたいだった。
Ωとしての自分が、
誰かに許された、というより。
選ばれて、安定した。
フェロモンは、もう暴れない。
静かに、確かに、ここにある。
二人の間に流れる空気は、甘さよりも、安心に近かった。
番は、完成した。
それは、衝動の結果じゃない。
覚悟と選択が、身体に刻まれた証だった。
翌日
小さな箱は、もう必要なかった。
机の引き出しの奥にしまい込んでいた薬箱を、ゆっくりと開ける。
整然と並んだ抑制薬とフェロモン抑制剤。
——ずっと、これに頼ってきた。
安心のため。
隠すため。
生き延びるため。
でも今は。
一つずつ手に取り、静かに袋へ移した。
名残惜しさは、不思議とない。
代わりにあるのは、
「もう戻らなくていい」という確信だった。
「……終わりやな」
背後から、ぷーのすけの声がする。
振り返ると、扉にもたれかかるように立っていた。
見守る距離。
手出しはしない。
「うん」
袋の口を閉じる。
「……捨てる」
それは宣言というより、報告だった。
ぷーのすけは小さく頷く。
「無理せんでええ」
「うん」
無理をしない。
それが、これからの約束だった。
数日後。
メンバーの前で、初めて、はっきりと言った。
「俺、Ωなんだ」
一瞬の沈黙。
でも、それは驚きよりも、理解のための間だった。
「……やっと言ったな」
あっとが、少しだけ呆れたように笑う。
「しんどかったでしょ」
あっきぃが、真っ直ぐに言う。
けちゃは、うんうんと大きく頷いた。
ちぐさは、短く一言。
「今まで通りでいいからね」
それだけで、十分だった。
βのふりを、やめた。
でも、何かを失った感覚はない。
変わったのは、
無理に背伸びをしなくなったこと。
日常は、驚くほど穏やかだった。
朝、目を覚ました時の身体は軽い。
周期を数える癖も、薬の時間を気にする必要もない。
隣には、同じ呼吸のリズムがある。
「……今日、寒ない?」
ぷーのすけの何気ない一言に、笑う。
「寒い」
そう答えると、自然に距離が縮まる。
求めるでも、我慢するでもない。
ただ、そこにいる。
Ωであることを隠さない日常。
番として、選び合った関係。
世界は、劇的には変わらない。
でも、息をするのが、少しだけ楽になった。
手放したものは多い。
抑制、嘘、孤独。
代わりに残ったのは、
穏やかで、確かな日々だった。
窓から差し込む光を眺めながら、静かに思う。
——ようやく、自分として生きている。
それだけで、十分だった。
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