初めて、雪が舞った。一枚一枚、大きな桜のように儚く溶け散った。
ベッドから見た光景は圧巻なもので、雪が雲に見えた。雲が降ってきていると錯覚してしまうほどに。
夜になるのが待ちきれなかった。夜になればきっと、またあの白い鯨が来る。
〖白い鯨〗
僕は昔から病院にいた。家の記憶が無くなるまでに。
病弱で、血を吐く日もあった。
止まらない咳、下がらない熱、効かない薬。僕は前世で一体何をしてしまったと言うのだろう。
この病室には医者や看護師以外の誰も来ない。
親は僕を捨てたのだろう。幸い、お金は払っているらしいがそれ以外は何もしていない。
親は裕福な人らしい。でも、目は冷酷そのもので、声には冷風が乗っているようだと看護師の人が言っていた。
捨てた子の入院費や治療費を払うとは変わっている。
捨てたならそのまま屍にさせてくれ。
「じゃあ死ぬ?」
静寂に包まれた空間に響いた一声に目を丸くした。
「誰?」
「質問を質問で返さないでほしかったな」
白くて長い髪で空と雲を混ぜ合わせたような目の色をした同い年くらいの女の子だった。
「誰、勝手に人の病室に入ってこないで」
反抗的な態度を取ると、反動で咳が込み上げてきた。
それを彼女は心配そうな目で見ていた。
「大丈夫?水いる?」
「要らない、出てって」
彼女を睨みつけたが、嫌そうな顔をせず、心配そうな顔のままだった。
「何だよ、見せ物じゃないんだ」
それに反応するように咳が止まらなくなる。
苦しい。早く出て行ってくれ!こんな所、人に見せたくない。
「…そうだよね、じゃあボクはここで」
やっと出て言ってくれる、そういう安堵感が身に走った。
「今夜は雪が降るよ」
そう言い残して彼女は出て行った。
雪が降るから暖かくして寝ろって意味なのか?余計なお世話だ。どうせならその雪で凍え死にたいくらいなのに。
その夜は本当に雪が降った。吹雪だった。
僕はその雪を眺めながらそっと現実から目を背けた。
「綺麗…」
純粋にそう感じたし、羨ましいとも思った。
あれほど自由で、儚いなら、僕はあの淡雪になりたい。
「逃げよう、また」
ぼんやりと眺めていた景色がいきなり一色の白に変わってしまったかと思えば、知らない声がまた聞こえた。
「夜中に誰?」
少しの恐怖を感じながら問う。
「鯨。ただの鯨だよ。【ユキ】くん」
「く、鯨?それに僕の名前はユキなんかじゃ」
「【ユキ】くん、今日は雪だね。大きくて、泡みたいだ」
鯨と名乗るそれは一人で話し始めた。僕の名前を間違えたまま。
「窓の前にいるの、君なの?」
「そうだよ、【ユキ】くん。ボクはずっと君の前にいる」
微妙に話がかち合わない。 幽霊とか、お化けとか妖怪とかそういった類のものなのか、悪戯な人が仕組んだタチの悪いものなのか。と言ってもそんな悪戯な人なんて周りに誰一人としていない。
「君は、ボクと似てる」
「は?」
「鯨のくせにって思った?」
その通りだ。鯨が何をわかった口を言っているんだろう。何もわからないくせに。
「咳が酷くて」
「え?」
「喉が焼ける様に痛くて、薬が効かなくて、誰もお見舞いに来なくて、看護師からも避けられて…」
「やめて」
自分の今いる状態がハッキリとこのわけも分からない鯨に言い当てられた。
それが悔しかったんじゃない。怖かったんじゃない。ただ、憎かった。
「分からないくせに、他人のくせに知ったように言うなよ!お願いだからもう誰も来ないでくれ……僕を死なせてくれ」
「それは矛盾しているよ【ユキ】くん。誰も来ないでって言ったら、誰が君を殺すんだい?自分かい?」
「それは……」
取り乱した僕に矛盾なんて埋められなかった。誰でもいいから終わらせてほしいのは本当で、誰も近づいて欲しくないのも本当だから。どうすればいいのかなんて、僕にも分からない。
咳は酷くなり、声は掠れ、心臓の鼓動は早くなった。いつもの事なのに、いつも以上に苦しかった。
「ボクは【ユキ】くんの味方だよ。ボクは君の事、何でも分かる。さあ一緒に話そう、いつまでも。夢でしたい事、もし健康に産まれたらどう生きたいか……」
それが提示する話題は全て、”もしも”のものだった。だから、辛くなかった。今の辛いことに触れない話題でとても楽だった。
「君は、なんで鯨なの?」
「ボクだから。それ以外に理由は無いよ」
「絵本みたいな答え方だね。変なの」
「変でいいんだ、だって【ユキ】くんは受け入れてくれるだろう?」
全てを見透かしたような声が恐ろしさを超えてどうでもよかった。
コメント
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今日雪降ったんですごい ちょうど良い❗️( 鯨との会話が成立してそうだけど してなさそうにも聞こえるのが 不思議な世界観醸し出してて 好きです‼️ 投稿ありがとうございます💖