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捜査一課所属、成瀬壱道(なるせ いちどう)巡査長。
琴子は男をまじまじと見た。
サイドに軽く分けられた長めの前髪と大きめなマスクに挟まれた上向きの眉毛とは対照的に、縦横に大きな目は少し垂れていて、中の小さめな黒目がギラギラと豹のようだ。
細身で、警察の人間にしてはかなり小柄な身体に、いささかぶかぶかな漆黒のスーツを引掛け、おざなりに巻かれた紫のネクタイは、見たことのない結び目になっている。
捜査一課は、皆この男の話題で持ちきりだった。細切れの情報をつなぎ合わせると、課長に相談もしないで単独捜査を行った上に、雨の中無許可で一晩中張り込み、疲労と寒さで体調を崩し犯人を逃したあげく、入院したらしい。
「お疲れ様です」
無表情のままマスクの奥で不自然にがさついた声を出す。
「肺炎治ったの?移されたら困るんだけど」
「移りません」
一切感情のこもらない物言いに、
「冗談だっつの」
不快な感情を隠すことなく狭間が舌打ちする。
「で?どうしたの。呼んでないけど」
「署に寄ったら、遺体が発見されたって浅倉さんに聞いて」
「あー、そう。呼んでないけどね」
狭間が繰り返しながら露骨に目を細める。
「自殺って聞きましたが」
気にする様子なく櫻井の亡骸に手を合わせ、首筋や手首などを確認している。
「うん。まあほぼね。わざわざファックスで遺書まで送ってる。一応サインは筆跡鑑定に回すけど」
壱道の手に先ほどのファックスが手渡される。
「これ、どこに」
「あちらです」
言いながら警察官がファックス付電話を指さす。
「詳しく教えろ」
目線だけ動かしながら話す態度は、狭間以上に威圧的だ。
掌ほどの大きさでログハウスをあしらったステンドグラスランプがある。
それと電話が収まるくらいの黒いラックがあり、引き出しが四段ほどついている。
電話自体は上部に紙を差し込む穴とずれないようにカバーがついた、一般的なファックス内蔵電話だ。
「ここです」警官が紙を電話の下部の排出口に押し込む。
「ところで、部屋の電気のスイッチだが、誰か触ったか」
「電気、ですか?」
警察官が周りを一瞥すると、中年の男が答えた。
「いえ、部屋に入ったときから明かりは全部点いていました」
「誰だ」
不躾に聞く。
「このマンションの管理人です」
「なら住人のリストと防犯カメラ映像提出してもらうから準備しておくように。カメラはとりあえず過去3日分だ」
言いながら壱道はラックの引き出しを開ける。たくさん入ったA4の紙の中から適当に一枚選ぶと、おもむろにファックスに突っ込み、番号を押す。ファックスが送信され、紙が吐き出し口から出てくると、ラックに乗り切らず、床にひらひらと落ちた。
と、狭間の携帯電話が鳴った。
「はい。あー浅倉ちゃん。……うん。はあ。そう。……で?美人?……わかった。俺が話聞く」
やけにわざとらしい仕草で腕時計をにらんだ狭間が、急に思いついたように猫なで声を出した。
「いろいろ気になる点があるみたいだなー、成瀬君は。そうだ。初動は君と木下さんにお願いするよ」
鋭い二つの目にようやく琴子が移る。
「そうか、お前は朝礼も出ず現場に出てたから知らないな。この子は4月から捜査一課に配属されたんだ」
「浅倉さん、異動なんですか」
「彼女は内勤でしょ。この子は刑事として一課に配属だから」
無言で琴子を見下ろす目が言っている。「こいつが刑事?」と。
「署に、今回の櫻井の友人を名乗る女性が、事件のことで話したいことがあるって来てるそうだから、行ってくるよ」
「あ、もしかしたら」
須貝が口をはさむ。
「先ほど現場にきた女性かもしれません。関係者以外は立ち入れないので、話があるなら署で伺いますと申し上げたら憤慨して行ってしまったんです」
「……で?美人だった?」狭間が声を潜める。
「まあ。好みによると思いますが。顔の作りは整っていたかと」
「じゃあ頼んだよ。成瀬巡査長!木下さん!」
バンと盛大な音を立てながら二人の肩を叩くと、狭間は颯爽と現場を後にした。
「改めまして」
きちんと挨拶しなければ。壱道に向き直る。
「捜査一課に4月1日付で配属されました、きの……」
「邪魔だけはするな」
「え、あ。はい。じ、尽力します」
視線をはずすとスタスタとキッチンに消えていく。
半ば呆然と立ち尽くした琴子に、須貝が囁く。
「木下。捜査一課に配属されたんだな。念願叶ったじゃねーか」
「ああ、ありがとう」
「でもさ、気をつけろよ」
「あ、狭間課長?大丈夫。何かあったら、投げ飛ばすから」
「……いや、そっちじゃなくて」須貝が顎で壱道を指す。
「悪名高いからさ。あの人」
琴子は改めてキッチンの高戸をやっとのことで開けている小さな後ろ姿を見た。確かに一癖ありそうだ。
「おい、鑑識。指紋は全部採ったか」こちらを振り返らずに問う。
「あ、はい!大体採り終わりました」
「ステンドグラスランプのスイッチも全部採って。あと箱を用意しろ。遺留品を入れる」
言いながら、高戸やワインセラーから次々にワインを出している。
「箱、あります!持ってきます!」
須貝が玄関の方に消えていく。
琴子は恐る恐る壱道に近づいた。と、一本のワインでその手が止まった。覗きこむと“宝畑ワイナリー まほろばの郷”と銘記してある。
須貝から箱を受け取り、それだけ入れる。
「自殺でも遺留品を持っていくんですか」
成瀬はこちらをみて面倒くさそうにため息をついた。
「それを判断するために、だ」
「狭間課長は自殺で決まりとおっしゃってましたけど……」
言い終わらないうちに、壱道は隣室に移動していた。
そこは六畳ほどの洋室で、デスクが一つあり、その上に、型紙、ハンダコテ、カットガラスなどがならんでいる。
その横に作成中とみられるランプもいくつもある。どうやら作業場らしい。
琴子がまじまじと作業台を見ている傍らで、プロムナードの永井を呼び付けて、ドアを見ながら何やら話し込んでいる。
横から覗き込むと、ドアノブがキラキラ輝いていた。ガラスの水晶で出来ているようだ。
「わ、すごく綺麗……」
「鑑識!全部のドアノブ、フィルムも採って」
琴子の呟きを打ち消すように、鑑識のメンバーに叫ぶと踵を返しさらに奥の寝室に移動していく。
こちらは八畳ほどの大きさで、大きめのベッドがある。備え付けのクローゼットに入ると、壱道は物色を始めた。
「先程の話だが」
相変わらず振り替えることなく話し始める。
「自殺で納得したのか。お前は」
初対面でお前呼ばわりである。
「納得というか、そうなのか、と」
短くため息をつくと、タンスからデスクから書類の類を全部箱に入れ始める。
慌てて琴子も倣い引き出しを開けると、
「触るな」
低い声に思わず体を硬直させるも、本人は何事もなかったように無表情で作業している。
警察組織というのは、圧倒的に男が多く、厳正なる縦社会で、ずいぶん不躾な態度をとる上官も多かったが、こういうタイプは初めてだ。期待も興味もなく、まるで存在を否定するかのような。
須貝が慌てて耳打ちする。
「おいおい。適当にぶち込んでるように見えても、どの引き出しからどの順序でとったかわかるように箱に入れてるだから、下手なことすんなよ」
「鑑識。下駄箱のクローゼットの衣類のポケット漁って、服ごとにわかるように保管しろ」
「あ、はい!」
須貝が琴子の腕を引く。
「教えてやるから、一緒にやるぞ」
玄関のクローゼットに移行する。
「私、あの人苦手かもしれない」剥き出しの敵意に思わず弱音が飛び出る。
「ああいう人だとは、俺も意外だったわ」
「意外って?悪名高いんでしょ」
「いやいや、悪名って、そっちの意味じゃねーんだよ」
なぜか遠い目をして須貝が口をへの字に曲げる。
「ま、気をつけなはれや」
含みを持たせたまま、須貝は作業を再開した。
コーヒーを買ったコンビニのレシート、グランドホテルの領収書、入っていた服ごとに袋に入れていく。
最後に手に取ったのは、うぐいす色の薄いジャケットだった。
その胸ポケットに何か張り付いている。
白い光沢のあるカードの中央に、『Erika』と書かれている。
「エリカ?女の名前か?」
須貝が首を捻る。
確か先程聞いたプロフィールの中にそんな作品名があった。確かオーブシリーズとかいう……。
「裏に何か書いてあるぞ」
裏返すと、ピンク色のクレヨンで文字が書いてあった。
「おい」
二人の間にいつの間にか壱道が立っていた。
「念のため指紋。あと科捜研に塗料の分析依頼」
「あ、はい!」
須貝が慌ててキットを取りにリビングに戻る。
今度は玄関のドアを、ノブを掴まないように内側と外側を交互に見ている。
よほどドアノブが気になるらしい。と急に、琴子の腕を掴んで廊下に引っ張り出した。
急に暗いとこに連れ出され、目がくらんで鑑識の荷物を蹴飛ばす。
「おい、何してる」
「す、すみません、鳥目なんですよ。急に暗いところにいくと見えなくてでも自殺の部屋にしては妙に明るいですよね」
笑ってごまかした琴子の顔をじっと睨む。
「お前、口は堅いか」
琴子は異様に大きい目に怯えながら、
「堅いとも軽いとも特に言われたことありませんけど」
「では今この瞬間から、岩のごとく堅く且つ重くしろ」
壱道が有無を言わさぬ口調で続ける。
「家族にも恋人にも事件のことは口にするな。上司への報告もすべて俺がする。仲良しこよしの鑑識にも、だ」
吐き捨てるように言って戻ろうとする後ろ姿に、
「……鑑識じゃありません。須貝です」
琴子は言い放った。
歩を止めた壱道がゆっくり振り返る。
「彼は須貝という名前があるし、私は“お前”じゃなくて……」
「木下」
大きい目が琴子を真っ直ぐ見ている。
「だろ。木下琴子」
雨が突如勢いを増し、マンションの廊下が水に染まっていく。
突然、携帯電話が鳴った。
「木下さーん」間延びした声に少しホッとする。
「悪いんだけど、急いで署に戻れる?成瀬も一緒に」
狭間の声のトーンが異常に低い。
「例の女性から話聞いてるんだけど、なんかいろいろ面倒くさいこと言ってるから変わってくれない?」
「あ、はい。すぐ戻ります」
言い終わる前に電話は切れた。
顔をあげると壱道はポケットに手を突っ込み、すでに歩き出していた。