コメント
0件
鋼一郎は機体のシートに全体重を預けた。二対の操縦桿を握りしめ、キックペダルを強く蹴り出す。
「電圧ヨシ。油圧ヨシ。エンジン回転数・正常。関節機構ロック解除。OS(オペレーティングシステム)プログラム並びに戦術補佐AI起動。万事オールグリーン──アクティベート・スタンバイ」
荷台でびしょ濡れになった凱機が、ゆっくりと起き上がる。回転数を高ぶらせるエンジンも、「待くたびれたぞ」と言わんばかりに唸りをあげた。
翡翠色をした頭部のツインアイがとらえた情景は、正面のモニターへと映し出される。
そこには鋼一郎の突入を見送る仙道らの姿もあった。
「克堂隊員。現状でわかる範囲の情報は君の端末へと転送したが、やはりこちらからはトンネル内の状況を伺えない。私が外からあれこれ指図を出すより、現場に突入した君の判断に委ねよう」
「了解しました。これより、コロニーと思われるポイントへ突入。作戦行動を開始します」
トンネルの中は、ひたひたと染み出してきた雫が耳障りな音を立てていた。
足元の路線にまで繁茂したコケと、ぬかるんだ足元はスリップの原因にもなりえるだろう。
ライトの明かりを頼りに、慎重な足取りで機体を進める。
鋼一郎の操縦する凱機は今年ロールアウトされたばかりの第三世代モデルに分類される『ムラクモ』という、最新鋭の機種だった。
鎧武者然とした機体の見てくれは、三年前に稼働していた第二世代モデルのアカツキとそう変わっていない。
しかし、高性能化を重視し、強化・改良された第三世代モデルの内部フレームは、過去のモデルを十二分に上回る出力を併せ持つものへと仕上げられている。
第二世代と同じ工場の製造ラインを用いることも可能であり、最新鋭の機体ながらに生産数や予備パーツも潤沢である。だからと言って、壊していい理由にならないというのが専属メカニックの口癖なのだが。
ムラクモはトンネルの中腹にまで踏み込んだ。レーダーには点々と妖怪の反応が灯っていく。
「目標確認」
ブレードの握手(グリップ)へと手をかけ、呼吸を浅く整える。
「駆除開始ッ!」
鞘から引き抜かれたブレードはその蒼白に輝く刀身を剥き出しにした。自分へと迫る異形を目視と同時に切り捨てる。
「抜刀──!」
どうやら、切り捨てたのは低危険度の二メートル弱しかない小型だった。だが、その一振りが皮切りになる。
レーダーに映り込むのは鋼一郎を飲み込もうとする妖怪の雪崩だ。トンネルの暗がりに潜んでいた有象無象の人外の群れが波のように押し寄せる。
鋼一郎ももう一本のブレードを抜き放ち、構えた。キックペダルを踏みこんで、加速。
躍動するモーターが生み出す馬力は両腕の刀を振りまわすのにも十分だ。降り掛かる火の粉を払うがごとく、コロニーの妖怪を切り裂いていく。
この程度の対処ならば、造作もない。
「十……二十……思ったよりも数は多いが、一体、一体の危険度はそう高くない小型ばかり。ということは」
鋼一郎はもう一度、妖怪の反応を示すレーダーへと目をやった。消し去った小さな反応に対して、トンネルのさらに奥深く。動こうとしない巨大な反応が一つある。
恐らくは、この反応がコロニーの主を示したものだろう。
「出て来いよ。先に突入した仲間をやってくれたのはお前だろッ!」
吠える鋼一郎の声に応えたのは、しゃがれた声の主だった。
「よくも我が同胞を殺めてくれたな、カラクリ乗りめ……」
暗闇の向こうから這いずり出してきたのは、何十本もの細長い脚だ。トンネルの壁面から天井にかけてを這いずる異形の全長は図りかねる。それでも巨大であることだけは十分に伺えた。
突き出した二本の触角と毒腺を潜ませた牙を震わせながらに、人語を介する妖怪の姿がライトによって照らし出される。節足動物・多足類に分類されるそれを、そのままスケールアップした巨大な百足の妖怪である。
「お前、見たことあるぞ。殺人十二件、器物破損三十四件で高危険度妖怪としてデータベースに登録されていた個体だな」
「くくっ……そこまで知っておきながら、単身で儂の隠れ家に乗り込んでくるとは、勇敢な小僧もいたようじゃ。お主の仲間はこうなったにも関わらずな」
百足は物陰から何かを、その牙で器用に摘まみ上げる。
巨大な鉄の塊。大破した凱機だ。
先に突入した隊員の乗っていたであろう凱機は右腕部が引き千切られていた。コックピットを覆う装甲版には溶かされたような痕跡も見られ、そこから覗く隊員の首はおかしな角度に捻じれている。
その顔に鋼一郎は見覚えがあった。
彼もまた仙道と同様に、現場で幾度か顔を合わせたことのある隊員だった。先に昇進した自分に面倒な絡み方をしてくる二つ上の先輩だったが、任務を共にしたあとには必ず一杯の缶コーヒーをおごってくれた。
彼の口癖は「俺はすぐにお前を追い越してやるぜ!」というもの。
あと二階級上がれば、お前を追い越せると息巻いていた。
「祓刃隊員の名誉ある殉職には、二階級特進の賞与が与えられるか。……ふざけんじゃねぇぞッ」
くつくつと牙を鳴らし、笑い声を零す百足の態度が鋼一郎の琴線に触れるのは言わずもがなだ。
「その反応、もしやお主はコイツの顔見知りだったか?」
「だったら、どうだって言うんだよッ!!」
その鋼鉄の両脚でブレードの間合いへと一気に踏み込む。百足の首を両方向から挟みこむよう、二振りの刃を走らせた。
描く軌道は確実にその鎌首を着実に捉えていた。だが、響いたのは鼓膜の奥を刺すような金属音だ。小さな火花の花弁が散りゆくと同時に、百足を覆う外殻はブレードを弾く。
固い。
ならば、鋼一郎はすぐに二本の刃を鞘へ戻した。
斬撃がダメなら打撃ではどうだろうか?
すぐさまムラクモに腰を入れさせ、マニピュレータの五指をきつく結び合わせる。
「無駄じゃよ!」
またしても百足の外郭は鋼一郎の一撃を弾く。結んだ拳は崩れ、それどころかコクピットを中心としたコアブロックと腕部を接合する関節部から、嫌な音が響いた。
崩れたバランスに、湿った足元が相まって機体も転倒しかけた。
「ぐっ……」
日本政府が定めた妖怪の定義は以下の二つだ。
一つ。人から外れた姿や、既存の生物とは明らかに異なるサイズ、部位を持つ個体、或いは部位を欠損させた個体。
一つ。その身に妖気エネルギーを宿した個体。
この定義を満たした妖怪は一切の例外もなく、祓刃の駆除対象に指定される。
そして『妖術』というのは、この二つ目の定義に当たる妖気エネルギーを用いての攻撃や、何らかの効果を発揮する現象を指す。
自由に言語を操り、挑発の術も覚えたこの百足にも知性が備わっていることは確かだ。ならば仙道の想定通り、この妖怪にも妖術を使いこなせるだけの十分な知性も備わっているのだろう。
ムラクモは膝をつくことで、辛うじて転倒を防いだ。
「硬化の妖術……妖気エネルギーをその甲殻に浸透させ、硬度や密度を底上げしてやがるのか」
「ご名答じゃよ。貴様らのカラクリで儂の身体に傷をつけるのは不可能じゃ」
くつくつと牙を鳴らす声は、本当に耳障りだ。
今度は百足の方が迫ってきた。単純な体当たりでも強化された外殻に、これだけ巨体を持っていれば凱機を圧し潰すことは難しくない。
紙一重で飛び退いたムラクモの足元を、突進してきた百足がえぐり抜く。震えるトンネル内と出来上がったクレーターは突進の威力を十分なほど教えてくれた。
百足の頭部から延びる二本の触角は此方の動きを鋭敏に感知する。この狭いトンネル内で、何度も突進を回避するのは現実的じゃないだろう。
「『ちょーっと、不味いかも』……貴方ならそう言いますかね、百千教官?」
鋼一郎はもう一度、鞘に戻した二振りのブレード・夜霧を引き抜く。蒼白に煌めく刃をもう一度、鋼一郎はただ静かに構えさせた。
「いいぜ、百足野郎。少し、本気でやってやんよ」
操縦桿を通して、ムラクモの握る二振りのブレードの感触を確かめた。
程よい重量。
次世代の近接武装である斬月(ざんげつ)はチェーンソーの刃を回すためのモーターとバッテリーを積んでいるせいで、どうしたって振り抜きが遅くなる。この軽さは、あの夜。大破した百千機から回収されたこのブレード唯一の利点だ。
「ふぅ……」
短い呼吸で動機を鎮めると同時に、集中力のギアを一段跳ね上げた。
「標的、高危険度妖怪・大百足……これより駆除を開始するッ!」
「何度やろうと、そのナマクラで儂の身体は切れんよ!」
先に仕掛けたのは大百足の方だ。今度は毒腺のある牙を構え、暴走特急のようにこちらへと突っ込んでくる。
百足の毒は神経毒の類がほとんど。だが相手にしているのは巨大な百足の妖怪だ。大破した先輩の凱機には装甲を溶かされたような痕跡があることも覚えている。恐らくは毒自体も『妖術』で性質を変化、或いは強化することができるのだろう。
「……もっとだ……もっと集中を研ぎ澄ませ」
鋼一郎もまた、飛び出した。不要な装甲を脱ぎ捨て(パージ)、軽くなった機体はさらに加速度を増す。牙は鋼の身体を擦過、垂れた毒液は白煙と共にその装甲を溶かすのだろう。
だが、鋼一郎はそれを意にも介さない。
集中を研ぎ澄ませた果てに──鋼一郎の目には百足の動きは限りなく遅く、そして鈍重に見えた。
「そこだっ!」
強化された甲殻と、甲殻のその隙間。
わずかに剥き出しになった百足の筋線維へと刃を深くにねじ込んだ。勢いを余らせた突きは、百足を食い破るだけでは飽き足らず、トンネルの天井にまで届いた。インパクトの衝撃と共に、百足の喉を串刺しにする。
「かはぁッ!!」
流れた赤黒い体液が、凱機の装甲にべっとりと垂れる。
装甲を脱ぎ捨て、血をかぶったその様は鎧武者というよりも落ち武者のようでもあった。
「こっ……この程度の傷、『妖術』を用いれば……すぐにでも塞ぐことが」
「無駄だ」
凱機のブレードや銃火器に装填される対妖怪弾には、「白聖鋼」という金属が用いられる。
「俵フジ太の大百足退治だったか……昔話の大百足は人間の唾液を嫌い、最後は唾を吐きかけられた矢に貫かれたそうじゃねぇか」
もちろん、それは単なる昔話。実際の大百足に唾を吐きかけたところで、どうということはない。
寧ろ、この白聖鋼は唾なんかよりもよほどタチの悪い代物。どれだけ危険度の高い妖怪でも、ひとたび白い金属が食い込めば呼吸中枢が麻痺し、血圧低下やチアノーゼ引き起こした果てに死に至る。
白清鋼は妖怪にとって、紛れもない猛毒なのだ。
「がっ……! がっ……!!」
大百足は誰の目にも明らかに弱り始めた。
「まだ、くたばるな。最後に一つ聞きたいことがあるんだよ、クソ百足」
「くっ……くくっ、奇遇だな小僧。………儂もお主に聞きたいことができた」
「ダメだ、俺が先だ。もし、くだらない嘘や言い逃れをしようものなら、このまま首を切り落とす」
そう、ブレードの刀身をさらに奥まで押し込んだ。
「俺は巨大な腕の妖怪を探してる。大きさは腕だけでも、八メートル。言葉は話さないがお前と同様に外殻の強度を増すような『妖術』も使っていた。知らないか?」
「………腕の妖怪じゃと? ふん、もはやこの世は人の世じゃ………お主らカラクリ乗りの見つけられん妖怪を、儂が知るわけなかろう」
息も絶え絶えに。嘘をついているようにも、それほどの余裕があるようにも思えない。
今日まで生き延びた高危険度の妖怪ならば、と期待していたが、どうやらコイツも外れなようだ。鋼一郎にわずかに落胆の色が落ちる。
「そうか。なら、冥途の土産だ。お前の質問にも答えてやるよ」
「……くくっ……お主の最後の一撃、見事じゃったよ。……儂の動きを完全に見切っていた。……だが、お主は声からして若すぎる」
「もう十八だ。法律上じゃ、俺は成人なんだ。ガキ扱いしてんじゃねぇ」
「……だとしても若すぎる。……なぁ、お主。……お主はどうやってそれだけの見分を身に着けた?」
鋼一郎は少し答えに迷う。
この妖怪にどう言えば、うまく伝わるだろうか。
「なんつーか、そういう体質なんだよ。……幼少期のトラウマつーかさ、とにかく動体視力がちょっと異常なん
だ」
百足の首がぐったりと垂れ下がる。
鋼一郎は腕時計へと視線を落とし、仙道へと通信を繋げた。
「こちら、克堂。七月二一日三〇五(さんまるご)、高危険度妖怪・大百足の駆除。並びに廃トンネルの妖怪コロニーの解体が完了しました」