コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
Prologue
「アナタが|神楽《かぐら》 |朝陽《あさひ》さん? 出会って早々で悪いけど、取り合えず一発殴らせてもらいます!」
「は? え、おいっ⁉ ……っぐ!」
すぐに標的を殴れるようにと準備しておいた拳を、その男めがけて遠慮なく繰り出した。突然現れた女に殴られることなど予想しなかったであろう、その男性は私の拳を顔面で受け止める羽目になったのだが。
それでも私の怒りはとてもじゃないが納まらない。この男の所為で自分の人生が大きく狂わされたのだと思うと、後二~三発ほど殴らせてもらいたいくらいで。
「お前、なんてことをしてるんだ! この男性が誰なのかを知らないのか⁉」
「いいえ、ちゃんと知ってますよ。神楽 朝陽、この神楽グループの御曹司でしょう。最初に名前を確認したじゃない」
コイツの取り巻きか何からしい男が私に真っ青な顔してわあわあ言ってくるけれど、そんなこと知った事じゃない。私がここまでするのにはちゃんと理由がある、これは立派な敵討ちなんだから。
「……へえ、じゃあ貴女は俺を神楽 朝陽だと知ったうえでこの暴挙に出たと? 随分勇気ある女性だ、面白い」
「そう? 私は全然面白くないけれど。こういうのがお好きなら、もっと殴って差し上げましょうか?」
そうは言ったものの、すでに私は数人の男性から身体を拘束されているので実現するのは難しいだろう。
一回だけなのに殴った拳はジンジンと痛いし、ギリギリと複数人に抑えつけられていて窮屈だ。
……これも全部、元はと言えばこの男が考えたという【階級別社員雇用システム】とやらの所為だというのに。薄っすらと意地の悪い笑みを浮かべる神楽 朝陽を私は負けじと睨み返していた。
「会社をクビになるかもしれない⁉ そんな急に、いったいどうして?」
私は目の前にいる彼、|守里《もりさと》 |流《ながれ》の話を聞いて驚きを隠せないでいた。流は一流企業、|神楽《かぐら》グループの正社員で営業成績も優秀だと聞いている。そんな彼がどうして……
すると流は顔を上げて申し訳なさそうに私を見つめて、その理由を話し始めた。
「神楽グループには御曹司である神楽 |朝陽《あさひ》という男がいるんだが、そいつが少し変わった人物らしくて。御曹司という立場を使って、強引に【階級別社員雇用システム】という計画を実行するつもりらしい」
「なに、それ? それがどういったものなのか、ちょっと分からないのだけど」
神楽グループには次期代表取締役と言われる、御曹司の神楽 朝陽という男性がいることは知っている。彼はテレビやラジオでもイケメン御曹司と持て囃され、忙しい毎日を送っていると聞いたことがあった。
……だけど、その御曹司の計画とやらが流のクビとどんな関係があるというのだろうか?
「でも、流は優秀な営業だって言ってたじゃない。いつも成績だってトップなんだって、それなのにクビなんてどう考えてもおかしいでしょう?」
「そうなんだけど、あの男の考えてることはちょっとおかしくて。だけどごめん、|鈴凪《すずな》。俺、お前と約束していた結婚は出来そうにない。申し訳ないけれど、今日を最後に別れてくれ!」
……は? どこでどうなって私と流の婚約が白紙にされるのか意味が分からない。第一に|流《ながれ》は自分がクビになる事が決定したように話しているが、成績優柔な営業職員をわざわざ解雇する会社があるのだろうか?
流の言う【階級別社員雇用システム】というのがどういったものかは分からないが、それでも納得いく答えにはなっていない。なのに、流は……
「だって仕方ないだろ? 会社をクビになったら|鈴凪《すずな》との結婚どころの話じゃない」
「それなら再就職先を探して、それからでも……」
仕事と私どっちが大事なの? なんて天秤にかけたことはないけれど、今の流の言い方では私より仕事の方が大事だと言われた気がしてちょっと悲しくなる。
だけど流はそんな私の気持ちにお構いなしで、一方的な言葉でこの関係を終わらせようとする。二人の婚約については、お互いの両親にも挨拶して許しを得ていたのに。
「そんな先のことなんて話されても重荷なんだ! 俺が会社をクビになるかの瀬戸際なのに、自分の事ばかりで。少しは俺の立場も考えてくれ!」
「そんな、流⁉ ちょっと待ってよ、流‼」
結局彼はその御曹司とやらが考えた【階級別社員雇用システム】についても碌な説明をせずに、そのまま私の部屋から出て行ったのだった。
つまり、私は流の仕事に……【階級別社員雇用システム】という謎の計画によって、あっさりと婚約話を無しにされてしまったらしい。
……と、この時の私は彼氏だった流の話をこれっぽっちも疑ってもいなかったのだけど。