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放課後、君の名前を呼ぶ
第一章 春、最悪の出会い
四月の朝は嫌いじゃない。
まだ少し冷たい風とか、新しい教科書の匂いとか、クラス替え直後の落ち着かない空気とか。そういうのを見ると、「ああ、また一年始まるんだな」って思う。
けど、二年生の教室に入った瞬間、俺――朝比奈悠真は少しだけ後悔した。
「うわ、知ってるやつ少な」
教室を見渡して最初に出た感想がそれだった。
仲のいい友達は何人かいる。でも一番仲のいい蓮司とは別クラス。朝からテンションが下がる。
「悠真!」
後ろから肩を叩かれて振り向く。
「お、翔」
「お前また身長伸びた?」
「伸びてねーよ」
「いや絶対伸びてるって」
いつもの軽口を叩きながら席に向かう。
窓際、一番後ろ。
悪くない席だ。
鞄を机に置いて椅子へ座った時、ふと隣を見る。
そこには、黒髪の男子がいた。
静かだった。
教室はまだ始業前で、みんな騒いでる。なのにそいつだけ空気が違う。
本を読んでいた。
文庫本。
周囲なんて見えてないみたいに。
「……」
なんとなく気になって顔を見る。
睫毛長。
肌白。
あと、めちゃくちゃ綺麗な顔してる。
女子なら絶対騒がれてるタイプ。
その時。
ぱたり。
本を閉じる音。
黒髪の男子がゆっくり顔を上げた。
視線が合う。
「……何」
低い声。
「あ、いや」
思わず笑う。
「いや、静かだなーって」
「そう」
会話終了。
びっくりするくらい終了。
「名前なんだっけ」
「橘」
「あー、橘」
それだけ言ってまた本を開く。
完全に「話しかけるな」オーラだった。
普通ならここで終わる。
でも俺は、ちょっと気になってしまった。
「何読んでんの?」
「……小説」
「それは見ればわかる」
「じゃあ聞かないで」
「冷た」
つい笑う。
その瞬間。
橘が少しだけ目を丸くした。
まるで、俺が笑うと思ってなかったみたいに。
「悠真ー!」
前の方から友達に呼ばれる。
「おー」
立ち上がりながら、もう一度だけ橘を見る。
橘湊。
たぶん、仲良くなるタイプじゃない。
その時は、本気でそう思っていた。
◇
昼休み。
購買帰りの俺は、自分の席でひとり弁当を食べる橘を見つけた。
周りに誰もいない。
というより、誰も近寄ってない。
「……」
気まずくないのかな。
そう思ってしまう。
俺は基本、一人が苦手だ。
誰かと話してないと落ち着かない。
だから余計に、不思議だった。
「なあ」
気づいたら声をかけていた。
橘が顔を上げる。
「購買パン、一個多く買ったんだけど食う?」
「いらない」
「即答」
「別に腹減ってない」
「そ」
断られると思ってた。
だからそこまで気にしてなかったんだけど。
席へ戻ろうとした瞬間。
「……焼きそばパン?」
「え?」
「それ」
「ああ、うん」
「好きなの?」
「まあ」
橘は数秒黙ってから、小さく言った。
「子供っぽい」
「は?」
「味覚」
「失礼だな!?」
初めて少しだけ会話が続いた。
しかも地味に煽られてる。
「じゃあ橘は何食ってんの」
「サンドイッチ」
「お前の方がオシャレぶってるだろ」
「別に」
淡々としてるくせに、たまに言葉が鋭い。
なんか調子狂う。
でも。
ちょっと面白い。
その時だった。
「うわ、橘と朝比奈喋ってる」
クラスメイトの声。
「珍し」
「え、初じゃね?」
橘が露骨に眉を寄せた。
空気が冷える。
「あー……」
俺は慌てて笑った。
「そんな珍しい?」
「だって橘、誰とも話さねーじゃん」
「……」
橘が立ち上がる。
「どこ行くんだ?」
「別に」
そのまま教室を出ていった。
残された空気が微妙になる。
「……なんか悪いことした?」
「いや、俺ら?」
「橘ってちょっと変わってるよな」
その言葉に、なぜか引っかかった。
変わってる。
確かにそうかもしれない。
でも。
なんとなく。
あんな顔させたくなかった、と思った。
◇
放課後。
部活帰り。
空が急に暗くなる。
「やば、降るか?」
ぽつ。
雨粒が頬に落ちた瞬間。
ザーッ!!
「うわ!?」
突然の豪雨。
「マジかよ!」
俺は慌てて校舎へ走った。
近くにあった扉を開ける。
図書室だった。
静かな空気。
雨音だけが響いている。
「はー……助かった……」
息を整えながら顔を上げる。
そして固まった。
窓際。
本棚の奥。
そこにいたのは――。
「……橘」
橘湊だった。
彼は静かにこちらを見る。
「何」
「いや、またお前かと思って」
「俺のセリフ」
確かに。
思わず吹き出す。
「ふはっ」
「……」
「橘って図書室よく来るの?」
「毎日」
「へえ」
雨が窓を叩く。
外は真っ白だった。
「帰れねーなこれ」
「……」
「橘、傘は?」
「忘れた」
「マジ?」
「そっちは」
「俺も」
少しだけ沈黙。
それから。
橘が小さく笑った。
本当に小さく。
一瞬だけ。
でも確かに笑った。
その瞬間。
俺はなぜか、目が離せなくなった。
放課後、君の名前を呼ぶ 2巻
第一章 「特別」の始まり
雨の日から、少しだけ変わった。
たったそれだけのことだった。
けど、その「少し」が、思っていたよりずっと大きかった。
◇
「おはよーございます」
朝。
教室へ入った瞬間、俺――朝比奈悠真は無意識に窓際を見た。
いた。
橘湊。
今日も本を読んでいる。
相変わらず静か。
なのに、なぜか目で探してしまう。
「……何」
視線に気づいた橘が顔を上げる。
「いや、ちゃんと生きてるなって確認」
「失礼」
「冗談だって」
鞄を置きながら笑う。
橘は少しだけ呆れた顔をした。
でも前みたいな冷たさはない。
「今日も図書室?」
「行くけど」
「じゃあ俺も行こっかな」
「なんで」
「暇だから」
「友達いるだろ」
「橘もいるじゃん」
その瞬間。
橘の手が止まった。
「……」
「?」
「別に」
また本へ視線を戻す。
けど、耳が少し赤い。
え、なんで?
◇
昼休み。
「だからなんでお前ここいるの」
「いいじゃん別に」
図書室。
窓際の席。
向かいに座る橘が露骨に嫌そうな顔をする。
「静かにしろよ」
「俺そんなうるさい?」
「うるさい」
「ひど」
けど出て行けとは言わない。
それがちょっと嬉しい。
「橘ってさ」
「何」
「友達いないの?」
「直球すぎ」
「いや気になって」
「……別に必要ないし」
「ふーん」
「何」
「寂しくない?」
ページをめくる手が止まる。
橘は少し考えてから、小さく言った。
「慣れてる」
その言い方が妙に引っかかった。
慣れてる。
それって、最初から平気だったわけじゃないってことじゃないのか。
「……」
「なに」
「いや」
気になる。
でも、踏み込みすぎる気もした。
だから俺は話題を変える。
「おすすめの本ある?」
「は?」
「せっかくだし読んでみたい」
橘がじっと俺を見る。
「絶対読まないだろ」
「読むって」
「漫画しか読まなそう」
「偏見!」
橘が少し笑う。
本当に少しだけ。
でもその笑顔を見るたび、なんか勝った気分になる。
◇
放課後。
図書室。
「これ」
橘が一冊の文庫本を差し出してきた。
「え、貸してくれんの?」
「読みたいって言ったから」
「いいやつじゃん」
「今さら?」
「今までは怖いやつだと思ってた」
「……最低」
「冗談だって」
本を受け取る。
表紙は青空の絵。
「恋愛小説?」
「嫌なら返して」
「いや読む」
橘が少し意外そうな顔をした。
「読むんだ」
「お前のおすすめだし」
「……」
また黙る。
なんか最近、橘はよく黙る。
そのたびに何考えてんのかわからなくなる。
「なあ」
「何」
「橘ってさ、結構表情変わるよな」
「は?」
「最初もっと無表情だと思ってた」
「朝比奈がうるさいから」
「俺のせい!?」
橘は呆れたように息を吐く。
でも少しだけ楽しそうだった。
◇
その日の夜。
ベッドの上。
借りた本を開く。
正直、普段なら読まないタイプの小説だった。
静かな文章。
派手な展開もない。
なのに、不思議とページが進む。
ふと、思う。
これを橘が読んだんだ。
この場面で笑ったのかな、とか。
この台詞、好きそうだな、とか。
気づけば、内容より橘のことばかり考えていた。
「……やば」
なんでだよ。
俺、最近ほんと橘のことばっか考えてる。
スマホが震える。
画面を見る。
【橘】
『読み始めた?』
短いメッセージ。
なのに、なぜか少し嬉しい。
【悠真】
『読んでる。意外と面白い』
すぐ返信が来る。
【橘】
『意外とって何』
【悠真】
『怒った?』
【橘】
『別に』
絶対ちょっと怒ってる。
思わず笑った。
夜の部屋。
静かな空間。
なのに、スマホ一つで誰かを近く感じる。
こんなの初めてだった。
◇
翌日。
「朝比奈最近、橘と仲良くね?」
友達の言葉に、俺は一瞬固まった。
「え、そう?」
「めっちゃ一緒いるじゃん」
「図書室とか行ってるし」
「意外すぎ」
意外。
またその言葉。
「……まあ、普通に話しやすいし」
「へえー」
その時。
教室へ入ってきた橘と目が合った。
橘は一瞬だけ止まる。
それから何も言わず席へ向かった。
でも。
すれ違う時、小さく言った。
「……今日も来る?」
「図書室?」
小さく頷く。
なんだそれ。
誘ってんの?
「行く」
そう答えると、橘は少しだけ安心したみたいに目を細めた。
その表情を見た瞬間。
胸が妙に騒いだ。
まだ知らなかった。
この感情の名前を。
(続く)
放課後、君の名前を呼ぶ 3巻
第一章 名前のない感情
最近、自分がおかしい。
朝起きて最初に考えるのが橘湊のこと。
学校へ着いた瞬間、無意識に窓際を見る。
昼休みになれば図書室へ行く理由を探す。
放課後になれば「今日は会えるかな」って考えてる。
完全に重症だった。
◇
「……で?」
図書室。
向かい側の席。
橘が呆れた顔でこちらを見る。
「何」
「さっきから五回同じページ読んでる」
「マジ?」
「集中してないなら帰れば」
「冷た」
でも、口調ほど本気じゃないことはもうわかる。
最初の頃なら、もっと壁があった。
今は違う。
俺が隣に座ることも。
一緒に帰ることも。
メッセージを送り合うことも。
少しずつ当たり前になっていた。
「なあ橘」
「何」
「今度の土曜暇?」
ぴたり。
橘の手が止まる。
「……なんで」
「駅前の映画館、新作やるらしくて」
「友達と行けば」
「橘誘ってんだけど」
「……」
沈黙。
数秒後。
「俺、恋愛映画嫌い」
「まだ何見るか言ってない」
「どうせ恋愛だろ」
「偏見強」
橘がため息をつく。
でも完全に嫌そうではない。
「……何時」
「え」
「行くなら何時」
思わず笑う。
「行ってくれんの?」
「断ってもしつこそうだから」
「嬉しい」
その言葉に。
橘は少しだけ目を逸らした。
◇
土曜日。
待ち合わせ場所。
駅前。
休日なのもあって人が多い。
スマホを見る。
集合時間五分前。
「……」
なんか緊張する。
別にただ映画行くだけなのに。
女子と遊ぶ時だってこんな感じにならない。
「朝比奈」
聞き慣れた声。
振り向く。
一瞬、息が止まった。
「……え」
「何」
私服だった。
当たり前だけど。
学校の制服じゃない橘は、なんかずるいくらい雰囲気が違う。
黒のパーカー。
細い首。
少し長めの黒髪。
あと普通に顔がいい。
「なんで固まってるの」
「いや……」
口を開く。
「橘ってちゃんとかっこよかったんだな」
「は?」
「学校だと暗いから気づかなかった」
「最低」
でも耳が赤い。
褒められるの弱いんだな。
「朝比奈は」
「ん?」
「うるさそうな服」
「悪口?」
◇
映画館。
並んで座る。
上映前。
「ポップコーン食う?」
「いらない」
「遠慮?」
「いらないだけ」
映画が始まる。
暗くなる館内。
静かな空気。
なのに。
隣が妙に気になる。
映画の内容はちゃんと見てるはずなのに、意識の半分くらいが橘に向いていた。
笑ってるかな、とか。
退屈してないかな、とか。
そんなことばっか考えてしまう。
途中。
少し悲しいシーン。
その時。
隣から小さく鼻をすする音が聞こえた。
「……」
え。
もしかして。
泣いてる?
横を見る。
暗くてよく見えない。
でも。
橘は画面を見たまま、小さく俯いていた。
なんか。
胸がぎゅってなった。
◇
映画館を出たあと。
「……意外」
「何が」
「橘でも泣くんだ」
ぴたり。
橘が止まる。
「見てたの?」
「ちょっと」
「最悪」
顔を隠すように歩き出す。
耳まで赤い。
かわいい。
そう思った瞬間。
「……は?」
自分でびっくりした。
今。
俺。
何考えた?
「朝比奈?」
「いや、なんでも」
心臓がうるさい。
変だ。
本当に。
◇
帰り道。
夕方。
オレンジ色の空。
「今日は楽しかった」
俺が言うと、橘は少し驚いた顔をした。
「……そう」
「橘は?」
「別に普通」
「絶対楽しかったじゃん」
「なんでわかるの」
「顔」
「見んな」
笑ってしまう。
その時。
横断歩道。
人混み。
誰かに押される。
「っ」
よろけた橘の腕を反射的に掴む。
細い。
思ったよりずっと。
「大丈夫?」
「……うん」
手を離そうとした瞬間。
橘が小さく息を呑んだ。
視線が合う。
近い。
夕陽が橘の横顔を照らしている。
綺麗だと思った。
その瞬間。
胸の奥が、痛いくらい熱くなる。
「……朝比奈」
「え」
「手」
「あ、ごめん」
慌てて離す。
でも。
離した瞬間、少し寂しいと思った。
なんなんだよこれ。
◇
夜。
ベッド。
電気を消した部屋。
今日のことを思い出す。
映画。
笑った顔。
赤くなった耳。
掴んだ手。
近かった距離。
「……」
胸が苦しい。
でも嫌じゃない。
むしろ。
もっと知りたいって思ってる。
スマホが震える。
【橘】
『今日はありがと』
短いメッセージ。
なのに。
その一文だけで、胸がいっぱいになる。
俺はしばらく画面を見つめてから、小さく呟いた。
「……やばいかも」
まだ。
認めたくなかった。
これはきっと友情だって。
そう思おうとしていた。
でも。
もう、とっくに。
普通の友達じゃなかった。
(続く)
放課後、君の名前を呼ぶ 4巻
第一章 嫉妬
その感情に名前をつけるなら。
きっと――嫉妬だった。
◇
「朝比奈って最近さ」
昼休み。
教室。
友達の翔がニヤニヤしながら机へ肘を乗せる。
「橘と付き合ってんの?」
「は!?」
思わず変な声が出た。
「でっか」
「違うから!」
「でもずっと一緒じゃん」
「図書室行ったり帰ったり」
「最近橘、朝比奈としか喋んないし」
そう言われて。
少しだけ胸がざわつく。
俺としか喋らない。
その言葉が妙に嬉しかった。
「いや普通に友達」
「ふーん」
絶対信じてない顔。
「つーか橘って顔いいよな」
「……まあ」
「女子にも結構人気あるらしいぞ」
その瞬間。
なんか面白くなかった。
「へえ」
「でも近寄りづらいって感じ」
「……」
知らなかった。
橘がモテるとか考えたことなかった。
いや、冷静に考えたらそりゃそうなんだけど。
あいつ普通に顔いいし。
静かだし。
なんか雰囲気あるし。
……。
いや待て。
なんで俺こんな分析してんだ?
◇
放課後。
図書室。
「朝比奈」
「ん?」
「今日ちょっと遅くなる」
本を片付けながら橘が言う。
「委員会?」
「うん」
「そっか」
少し残念に思った自分に気づいてしまう。
前なら別に気にしなかった。
でも今は。
一緒に帰れないだけで少しテンションが下がる。
「……何その顔」
「え」
「犬みたい」
「悪口?」
橘が少し笑う。
「先帰ってて」
「待ってよっか?」
その瞬間。
橘が目を丸くした。
「なんで」
「いや、一緒に帰りたいし」
さらっと言ったつもりだった。
でも。
橘は数秒黙り込む。
「……橘?」
「別に、好きにすれば」
そう言って本棚の方へ歩いていく。
耳が赤かった。
◇
委員会終了後。
昇降口。
「ごめん待った?」
「全然」
外は夕暮れ。
二人並んで歩き出す。
その時だった。
「あ、橘くん!」
女子の声。
振り向く。
他クラスの女子二人組。
「あの、これ」
差し出された小さな紙袋。
「クッキー作ったので……!」
「……」
橘は困った顔をした。
「えっと」
「迷惑じゃなければ!」
空気でわかる。
これ、完全に好意あるやつ。
その瞬間。
胸の奥が妙にざわついた。
なんか嫌だ。
なんで?
「……ありがとう」
橘が受け取る。
女子たちは嬉しそうに笑った。
「じゃ、じゃあまた!」
走って去っていく。
静寂。
「……人気者じゃん」
自分でもびっくりするくらい、声が尖った。
橘がこちらを見る。
「何怒ってるの」
「怒ってねーし」
「怒ってる」
「別に」
そのまま歩き出す。
なんなんだよ。
意味わかんねえ。
「朝比奈」
「……」
「なんで機嫌悪いの」
「悪くない」
「嘘」
追いかけてくる足音。
「朝比奈」
「……」
「悠真」
ぴたり。
足が止まる。
名前。
初めて呼ばれた。
「……え」
振り返る。
橘は少し困った顔をしていた。
「ちゃんと話して」
その声だけで。
さっきまでのモヤモヤが少し溶ける。
ずるい。
「……別に」
「別に、じゃわからない」
夕暮れの道。
オレンジ色の光。
その中で、橘は真っ直ぐ俺を見る。
逃げられない。
「……なんか」
喉が熱い。
「橘が他のやつといるの、嫌だった」
言ってしまった。
空気が止まる。
「……」
橘の目が少し開く。
やばい。
今の完全に変だった。
「いや違、そういう意味じゃ――」
「俺は」
遮るように橘が言う。
「朝比奈といる方が楽しい」
「……え」
「だから、機嫌直して」
心臓が止まるかと思った。
なんだそれ。
反則だろ。
「……お前」
「何」
「そういうこと平気で言うよな」
「朝比奈ほどじゃない」
少しだけ笑う橘。
その笑顔を見た瞬間。
また思う。
もっと見たい。
俺だけに見せてほしい。
そんな独占欲みたいな感情が、胸の奥で膨らんでいく。
◇
夜。
ベッド。
天井を見上げる。
今日のことを思い出す。
『俺は朝比奈といる方が楽しい』
その言葉が頭から離れない。
嬉しかった。
めちゃくちゃ。
でも。
同時に怖かった。
もし。
俺が思ってることが、本当に「そういう感情」だったら。
もし。
この関係が壊れたら。
「……」
スマホ画面。
橘とのトーク履歴。
毎日増えていくメッセージ。
気づけば、もうそれが日常になっていた。
そして。
日常になるほど。
失うのが怖くなる。
俺はまだ知らなかった。
この恋が。
思っているよりずっと、苦しくなることを
続く
放課後、君の名前を呼ぶ 5巻
第一章 文化祭前夜
文化祭なんて、正直どうでもよかった。
去年までは。
でも今年は違う。
理由は簡単だった。
橘湊と一緒だから。
◇
「文化祭実行委員決めるぞー」
ホームルーム。
クラス中に嫌そうな空気が流れる。
「えー」
「だる」
「絶対忙しいじゃん」
先生がため息をつく。
「じゃあ推薦で――」
「はい」
突然上がる手。
クラス全員が振り向く。
橘だった。
「……橘?」
「俺やります」
ざわつく教室。
意外だった。
こういう目立つこと絶対やらないタイプだと思ってたから。
「じゃあもう一人誰か」
沈黙。
誰も手を挙げない。
その時。
「じゃあ俺やる」
気づいたら言っていた。
「朝比奈!?」
「助かるー!」
クラスが盛り上がる。
でも。
一番驚いてるのは橘だった。
「……なんで」
「なんでって」
笑う。
「橘一人じゃ大変だろ」
橘はしばらく黙っていた。
それから小さく言った。
「……お人好し」
◇
放課後。
教室。
文化祭準備。
「ここ切ればいい?」
「そこ真っ直ぐ」
「難易度高」
「不器用すぎ」
「うるせ」
机を並べて作業する。
周りは騒がしい。
なのに。
橘と話してると、不思議とそこだけ静かに感じた。
「朝比奈」
「んー?」
「テープ」
「はい」
「ありがと」
自然だった。
こうやって隣にいること。
名前を呼ばれること。
それが当たり前になってる。
でも。
ふとした瞬間に思う。
もしこれがなくなったら。
その想像だけで、胸が苦しくなる。
◇
「うわ、もうこんな時間」
時計を見る。
午後七時。
教室にはもう俺たちしかいなかった。
「みんな帰ったんだな」
「先に終わったから」
窓の外は暗い。
学校の夜って、昼と全然違う。
静かで。
少し特別だ。
「休憩する?」
俺が聞くと、橘は小さく頷いた。
机に突っ伏す。
「疲れた……」
「体力なさすぎ」
「サッカー部基準で考えんな」
橘が小さく笑う。
その笑顔を見るたび、胸が変になる。
もう気づいてる。
たぶん。
俺は。
「……」
「何」
「いや」
言えない。
まだ。
怖い。
もし口にしてしまったら、全部変わる気がした。
◇
「ねえ朝比奈」
「ん?」
静かな教室。
橘が窓の外を見たまま言う。
「なんで俺と仲良くしてるの」
「え」
「最初、絶対合わないと思ってた」
「それは俺も思った」
「失礼」
「だって怖かったし」
「朝比奈がうるさかったから」
「まだ言う?」
笑う。
でも。
次の瞬間。
橘がぽつりと呟いた。
「……みんな、途中で離れてくから」
空気が止まる。
「橘?」
「別に深い意味じゃない」
そう言う声は、少しだけ寂しそうだった。
「……俺は離れない」
反射だった。
考える前に言葉が出た。
橘がゆっくりこっちを見る。
「なんでそんなこと言えるの」
「言えるよ」
「未来なんかわからないのに」
「それでも」
胸が熱い。
ちゃんと伝えたいと思った。
「俺、お前といるの好きだから」
言った瞬間。
自分で固まる。
あ。
今の。
完全に。
「……」
橘も黙っていた。
静かな教室。
時計の音だけが響く。
やばい。
絶対変に聞こえた。
「いや、違っ……」
慌てて言い直そうとした瞬間。
「俺も」
小さな声。
「……朝比奈といるの、好き」
心臓が止まりそうだった。
橘は少し俯いている。
耳が赤い。
たぶん俺も赤い。
「……」
「……」
沈黙。
なのに嫌じゃない。
むしろ。
今までで一番、満たされていた。
◇
その帰り道。
二人並んで歩く。
なのに妙に静かだった。
さっきの言葉を、お互い意識してる。
「……寒」
俺が呟く。
すると。
次の瞬間。
橘の肩が少し触れた。
「……っ」
「人多いから」
前を向いたまま橘が言う。
でも。
肩は離れない。
心臓がうるさい。
手を繋ぎたいと思った。
もっと近づきたいと思った。
でも。
まだできない。
怖かった。
この関係を壊すのが。
だから俺たちは。
あと少しの距離を残したまま、隣を歩き続ける。
まるで。
友達と恋人の間みたいに。
(続く)
放課後、君の名前を呼ぶ 6巻
第一章 壊れそうな距離
好きだ。
たぶん、もう認めるしかなかった。
橘湊のことが好きだ。
友達としてじゃない。
もっと特別な意味で。
でも。
認めた瞬間から、全部が怖くなった。
◇
「朝比奈ー!」
昼休み。
廊下から女子が手を振ってくる。
「今日部活ないよね? 一緒に帰らない?」
「え?」
突然の誘い。
周りがざわつく。
「おー」
「モテ男」
「青春してんな」
苦笑しながら頭をかく。
「ごめん、今日予定ある」
「えー!」
断る。
自然だった。
最近は放課後=橘といる時間になっている。
それが当たり前だった。
でも。
教室へ戻った瞬間。
窓際の席に座る橘と目が合った。
なぜか、少しだけ顔色が悪い。
「橘?」
「……別に」
そっけない。
でもどこか変だった。
◇
放課後。
図書室。
いつもなら向かいに座る橘が、今日は妙に静かだった。
「なんかあった?」
「ない」
「絶対あるじゃん」
「……」
ページをめくる音だけが響く。
耐えきれなくなって、俺は身を乗り出した。
「なあ」
「近い」
「無視すんなよ」
「……」
橘はしばらく黙っていた。
それから、小さく言った。
「朝比奈ってさ」
「うん」
「女子にモテるよね」
「は?」
急な話題転換。
「まあ普通じゃね?」
「普通じゃない」
「なんだよそれ」
「今日だって誘われてたし」
その声は妙に低かった。
「……もしかして嫉妬?」
冗談半分で言った。
すると。
橘の手が止まる。
「……っ」
「え」
図星?
「違う」
「いや絶対今――」
「違うって言ってる」
ぴしゃり。
空気が冷える。
俺も少しムッとした。
「なんだよその言い方」
「……」
「聞いただけじゃん」
「朝比奈は軽いから」
その瞬間。
胸の奥がカッとなる。
「は?」
「誰にでも優しいし」
「それ悪いこと?」
「期待する」
「……え?」
橘が顔を伏せる。
「……なんでもない」
でも。
その声は少し震えていた。
◇
帰り道。
最悪だった。
会話が続かない。
沈黙が苦しい。
いつもなら自然に笑えるのに。
「じゃあ」
駅前。
橘が小さく言う。
「今日もう帰る」
「……うん」
そのまま背を向ける。
呼び止められなかった。
◇
夜。
ベッド。
スマホ画面。
橘とのトーク。
既読がつかない。
「……」
胸が重い。
なんであんな言い方されたのか。
でも。
たぶん橘も苦しかった。
わかる。
だって俺も同じだから。
他のやつと話してる橘を見るだけで、胸がざわつく。
誰かに取られるみたいで嫌になる。
それってつまり――。
「……好きすぎるんだよ」
小さく呟く。
こんなの、もう友達じゃない。
◇
翌日。
教室。
橘はまだ来ていなかった。
その時。
「朝比奈くん」
知らない女子が声をかけてくる。
「これ、橘くんに渡してほしくて」
「……え?」
小さな封筒。
可愛いシール付き。
完全にラブレターだった。
「本人に渡せば?」
「ちょっと勇気なくて……」
女子は照れながら笑う。
「お願いします!」
去っていく背中。
手元に残る封筒。
胸がぐちゃぐちゃになる。
嫌だ。
渡したくない。
そんな自分に驚いた。
「……最低」
独占したい。
俺だけを見てほしい。
そんな感情がどんどん膨らんでいく。
◇
「おはよう」
教室へ入ってきた橘。
いつも通りの声。
でも。
俺は普通に返せなかった。
「……これ」
封筒を差し出す。
橘が目を丸くする。
「何」
「他クラスの女子から」
「……」
空気が止まる。
橘は静かに封筒を見る。
その横顔を見ているだけで、胸が苦しかった。
「返事しなよ」
思ってもない言葉が出る。
「朝比奈?」
「モテるんだからさ」
「……何怒ってるの」
「怒ってねえし」
「嘘」
その瞬間。
橘が小さく眉を寄せた。
「……俺、そういうの困る」
「え」
「期待させるの嫌だから」
封筒を見つめながら呟く。
「ちゃんと好きな人いるし」
心臓が止まった。
「……は?」
思わず声が出る。
好きな人。
誰。
頭が真っ白になる。
「……」
橘はそれ以上何も言わなかった。
でも。
俺はもう、平静じゃいられなかった。
(続く)
放課後、君の名前を呼ぶ 7巻
第一章 好きな人
――ちゃんと好きな人いるし。
その言葉が、頭から離れなかった。
◇
教室。
朝。
いつも通り騒がしいはずなのに、今日は全部遠く感じる。
「朝比奈?」
翔が不思議そうに顔を覗き込む。
「顔死んでるけど」
「……寝不足」
「絶対違うだろ」
適当に笑って誤魔化す。
でも無理だった。
頭の中が橘のことでいっぱいだ。
好きな人。
誰。
いつから。
俺の知らないやつ?
考えれば考えるほど苦しくなる。
◇
ガラッ。
教室の扉が開く。
橘が入ってきた。
目が合う。
その瞬間、胸がぎゅっと痛くなる。
「……おはよ」
橘が小さく言う。
「……おう」
ぎこちない。
自分でもわかるくらい。
橘は少し不安そうな顔をした。
「朝比奈」
「何」
「昨日のことだけど」
「別にいい」
遮ってしまった。
本当はよくない。
全然よくない。
でも。
これ以上聞きたくなかった。
「……」
橘は何か言いたそうだった。
でも結局、静かに席へ座る。
その背中を見るだけで苦しかった。
◇
昼休み。
図書室。
いつもの席。
なのに今日は空気が重い。
「……」
「……」
沈黙。
ページをめくる音だけ。
耐えられなくなって、俺は立ち上がった。
「俺、先戻る」
「え」
橘が顔を上げる。
「朝比奈」
「……」
「避けてる?」
その言葉に胸が痛む。
避けたいわけじゃない。
でも。
近くにいるほど苦しい。
「……少しだけ、一人にして」
言ってしまった瞬間、橘の表情が固まる。
「……そっか」
小さな声。
その顔を見ていられなくて、俺は図書室を出た。
◇
放課後。
屋上。
風が強い。
誰もいない場所で、一人座り込む。
「……何やってんだろ」
好きになっただけなのに。
なんでこんな苦しいんだ。
友達のままでいればよかった。
知らなければ楽だった。
でも。
もう無理だ。
橘が笑うたび嬉しくて。
他の誰かを見るだけで嫌になる。
独り占めしたくなる。
そんなの。
完全に恋だった。
「見つけた」
聞き慣れた声。
振り向く。
橘が立っていた。
「……なんでここ」
「教室戻ったらいなかったから」
ゆっくり近づいてくる。
逃げ場がなくなる。
「朝比奈」
「……」
「ちゃんと話して」
真っ直ぐな目。
いつもそうだ。
橘は、逃げさせてくれない。
「……お前さ」
「うん」
「好きな人いるんだろ」
橘の目が少し揺れる。
「それが何」
「……誰」
聞きたくなかった。
でも聞かずにいられなかった。
橘はしばらく黙っていた。
風の音だけが響く。
そして。
小さく息を吐いて。
「朝比奈はさ」
「……え」
「鈍すぎる」
意味がわからなかった。
「は?」
「なんでわかんないの」
橘が少し困ったように笑う。
でも。
その目は泣きそうだった。
「毎日一緒にいて」
「朝比奈ばっか見て」
「他の人と話してるだけで嫌になって」
「……」
胸が大きく跳ねる。
まさか。
「俺」
橘の声が震える。
「朝比奈のこと好きだよ」
世界が止まった。
◇
「……え」
それしか言えなかった。
頭が真っ白だった。
橘が俺を見ている。
逃げないように。
でも壊れそうな顔で。
「ごめん」
小さく笑う。
「気持ち悪いよね」
「違っ……!」
反射で声が出た。
その言葉だけは否定したかった。
「違う」
「……」
「俺、そんなこと思わない」
本気だった。
気持ち悪いなんて、一度も思ったことない。
むしろ。
嬉しかった。
信じられないくらい。
「……朝比奈?」
「俺も」
喉が震える。
怖い。
でも、もう誤魔化したくなかった。
「俺も、お前のこと好き」
言った瞬間。
涙が出そうになった。
橘の目が大きく開く。
「……ほんとに?」
「うん」
次の瞬間。
橘が顔を伏せた。
肩が少し震えている。
「おい、大丈夫?」
「……っ」
近づく。
すると。
橘が小さく笑った。
「……やばい」
「何が」
「嬉しすぎて死にそう」
その言葉で、俺も泣きそうになる。
もう無理だった。
好きだ。
本当に。
どうしようもないくらい。
◇
夕暮れの屋上。
二人並んで座る。
さっきまでの苦しさが嘘みたいだった。
「……ねえ」
「ん?」
「これから、どうする?」
橘が少し不安そうに聞く。
たぶん。
俺と同じだ。
嬉しいのに怖い。
関係が変わることが。
でも。
俺はゆっくり笑った。
「まずは」
「?」
「ちゃんと名前で呼んで」
橘が目を丸くする。
「……悠真」
その呼び方だけで胸がいっぱいになる。
「湊」
夕陽の中。
橘――湊が、少し照れながら笑った。
その瞬間。
俺は初めて思った。
この先もずっと、隣にいたいって。
(続く)
=====================================================================+========
放課後、君の名前を呼ぶ 8巻
第一章 恋人になった日
「好き」が通じ合った瞬間。
本当なら、全部うまくいくと思っていた。
でも現実は、そんなに簡単じゃなかった。
◇
翌朝。
教室の扉の前で立ち止まる。
「……やば」
緊張していた。
昨日。
俺と湊は、お互いの気持ちを伝え合った。
つまり。
今の俺たちは――。
「……恋人?」
小さく呟いた瞬間、顔が熱くなる。
実感がない。
でも。
嬉しい。
信じられないくらい。
ガラッ。
教室へ入る。
窓際。
いつもの席。
湊がいた。
目が合う。
「……」
「……」
数秒固まる。
次の瞬間。
同時に目を逸らした。
「っ……」
耳が熱い。
昨日まで普通に話してたのに。
なんでこんな意識するんだよ。
◇
「朝比奈?」
翔が不思議そうに近づいてくる。
「お前今日変じゃね?」
「そ、そう?」
「顔赤いし」
「暑いから!」
「まだ春だぞ」
鋭い。
でも絶対バレたくない。
チラッと湊を見る。
湊も本読んでるフリして全然読めてない。
ページ止まってる。
なんかちょっと可愛い。
◇
昼休み。
図書室。
いつもの席。
なのに空気が違う。
「……」
「……」
沈黙。
気まずいわけじゃない。
ただ、お互い意識しすぎてる。
「……悠真」
「っ」
名前呼ばれただけで心臓が跳ねる。
「な、なに」
「……近い」
気づけば、かなり距離が近かった。
「ご、ごめん」
慌てて離れる。
湊が小さく笑った。
「昨日までは平気だったのに」
「昨日までと今日じゃ違うだろ!」
「何が」
「全部!」
湊が肩を震わせる。
笑ってる。
「……楽しそうだな」
「ちょっと」
「ひど」
でも。
こんな時間が幸せだった。
◇
放課後。
文化祭準備。
「はいこれ貼って」
「了解」
クラスメイトと話しながら作業する。
でも。
視線は無意識に湊を追ってしまう。
笑ってる。
誰かと話してる。
それだけで嬉しい。
その時。
「橘くんって彼女いるの?」
女子の声。
ぴたり。
手が止まる。
「えー気になる!」
「絶対モテるよね」
胸がざわつく。
湊は少し困った顔をしていた。
「……いない」
「好きな人は?」
空気が騒ぐ。
俺の心臓もうるさい。
湊は少しだけ視線を上げた。
そして。
一瞬だけ俺を見る。
「……いる」
その瞬間。
顔が熱くなった。
「えーー!!」
「誰!?」
「同じ学年!?」
クラス中が盛り上がる。
でも。
俺はもうまともに湊を見れなかった。
◇
帰り道。
夕方。
「……あれ反則」
「何が」
湊が首を傾げる。
「“好きな人いる”とか」
「本当のことだし」
「そうだけど……!」
湊が少し笑う。
最近よく笑うようになった。
その理由が自分だと思うと、胸がいっぱいになる。
「悠真」
「ん?」
「手」
「え」
見る。
歩きながら、湊がそっとこちらへ手を伸ばしていた。
「……っ」
心臓が跳ねる。
「人いるけど」
「嫌ならいい」
「嫌じゃない!」
反射で言ってしまう。
湊が少し目を丸くした。
それから。
小さく笑う。
「じゃあ、繋ぐ」
指先が触れる。
ゆっくり。
確かめるみたいに。
手を繋ぐ。
「……」
「……」
たったそれだけなのに。
胸が苦しくなるくらい幸せだった。
◇
その夜。
ベッド。
スマホ画面。
【湊】
『今日はありがとう』
【悠真】
『こっちこそ』
【湊】
『……まだ信じられない』
【悠真】
『何が?』
少し間が空く。
【湊】
『悠真が恋人ってこと』
その一文だけで、心臓が爆発しそうになる。
俺は枕へ顔を埋めた。
「無理……好き……」
恋人になってしまった。
もう、ただの友達には戻れない。
でも。
後悔なんて少しもなかった。
(続く)
放課後、君の名前を呼ぶ 9巻
第一章 幸せのその先
恋人になった。
それだけで世界が変わると思っていた。
でも実際は、学校も、教室も、毎日も何も変わらない。
変わったのは――。
俺たちの距離だけだった。
◇
「おはよ、悠真」
朝。
教室。
湊が小さく笑う。
たったそれだけ。
なのに胸が熱くなる。
「……おはよ」
最近、まともに顔が見れない。
恋人になってから余計に意識するようになった。
湊の声とか。
表情とか。
近づいた時の距離とか。
全部。
「朝比奈、最近静かじゃね?」
翔が怪訝そうに眉を寄せる。
「熱でもある?」
「失礼だな」
「いや前より落ち着いてる」
図星だった。
というより。
今までみたいに気軽に騒げなくなった。
だって。
少しでも湊を見ると、すぐ顔に出そうになるから。
◇
昼休み。
図書室。
いつもの窓際。
「……」
「……」
静か。
でも嫌じゃない。
むしろ落ち着く。
「悠真」
「ん?」
「こっち見て」
顔を上げる。
その瞬間。
湊の指が俺の頬に触れた。
「っ!?」
「消しゴムついてた」
「び、びっくりさせんな!」
「そんな驚く?」
湊が少し笑う。
ずるい。
最近の湊、距離が近い。
前より自然に触れてくる。
たぶん本人は無自覚だ。
だから余計に心臓に悪い。
「……湊ってさ」
「何」
「絶対わかってやってるだろ」
「何を」
「そういうの」
「別に」
絶対嘘。
◇
放課後。
文化祭準備も大詰めだった。
「ペンキ持ってきてー!」
「こっち足りない!」
教室中が騒がしい。
その中で。
俺は少し離れた場所にいる湊を見る。
クラスメイトと話してる。
笑ってる。
楽しそう。
その姿を見るだけで嬉しい。
でも同時に。
少しだけ寂しくなる。
「……重症だな俺」
独占したい。
自分だけ見てほしい。
恋人になったのに、欲張りになっていく。
◇
「橘くんってほんと優しいよねー」
女子の声。
「彼女できたら絶対大事にしそう」
「わかる!」
胸がざわつく。
わかってる。
湊は俺の恋人だ。
でも。
誰にも言えない。
だからこういう会話を聞くたび、妙に苦しくなる。
「……悠真?」
気づけば湊が近くに来ていた。
「どうしたの」
「え」
「顔怖い」
そんなに出てた?
「……なんでもない」
「嘘」
湊は少し困った顔をする。
それから。
誰にも見えない位置で、そっと袖を掴んだ。
「……っ」
「後で屋上来て」
小さな声。
その一言だけで、胸が高鳴る。
◇
夕方。
屋上。
風が強い。
「で?」
湊がフェンスにもたれながら聞く。
「何が不機嫌だったの」
「……別に」
「またそれ」
呆れた顔。
でも目は優しい。
「悠真って、意外と独占欲強いよね」
「っ」
図星すぎて言葉が詰まる。
「……悪いかよ」
「悪くない」
即答だった。
湊が少し笑う。
「むしろ嬉しい」
「……は?」
「ちゃんと好きなんだってわかるから」
その言葉に胸が熱くなる。
湊は真っ直ぐ俺を見る。
「俺も同じだよ」
「え」
「悠真が他の人と話してると、ちょっと嫌」
心臓が跳ねる。
「……湊でもそうなるんだ」
「なる」
即答。
なんか嬉しい。
「だから安心して」
湊が小さく笑う。
「俺、悠真しか見てないから」
その瞬間。
もう無理だった。
「……好き」
気づけば口にしていた。
湊が少し目を丸くする。
「急に?」
「だって今の反則」
「何それ」
笑う湊。
その笑顔を見ていると、胸がいっぱいになる。
好きだ。
本当に。
どうしようもないくらい。
◇
帰り道。
夜風が少し冷たい。
並んで歩く。
手を繋ぐ。
自然に。
当たり前みたいに。
「……幸せだな」
小さく呟く。
すると。
湊が少しだけ寂しそうに笑った。
「……うん」
「?」
一瞬だけ。
その表情が引っかかった。
でも。
その時の俺は、まだ知らなかった。
この幸せな時間に。
少しずつ終わりが近づいていたことを。
(続く)
放課後、君の名前を呼ぶ 10巻
最終章 放課後、君の名前を呼ぶ
冬の空気は、少し痛い。
吐いた息が白く染まるたび、「もう終わるんだな」と思った。
高校二年の冬。
卒業まで、あと少し。
◇
「進路希望、そろそろ本格的に決めろよー」
ホームルーム。
先生の声が響く。
クラスメイトたちが騒ぎ始める。
「うわー現実」
「まだ決めてねえ」
「県外行くやついる?」
そんな中。
俺は無意識に湊を見た。
窓際。
静かな横顔。
でも。
最近、どこか遠く感じる。
◇
放課後。
図書室。
いつもの席。
なのに今日は空気が重かった。
「……湊」
「ん」
「進路、決まった?」
ページをめくる音が止まる。
少しだけ沈黙。
「……東京の大学受ける」
胸が止まった。
「東京?」
「うん」
「……遠くね」
「電車で二時間くらい」
二時間。
会えない距離じゃない。
でも。
毎日隣にいた時間は、もうなくなる。
「そっか」
それしか言えなかった。
湊は少し困った顔をする。
「悠真は?」
「まだ迷ってる」
本当は。
少しだけ考えていた。
湊と同じ場所へ行きたいって。
でも。
それを言う勇気がなかった。
◇
帰り道。
夕暮れ。
手を繋ぐ。
前より自然に。
でも。
最近は繋いでいるほど、不安になる。
「……悠真」
「ん?」
「もし、離れても」
湊が小さく言う。
「ちゃんと会いに来て」
胸が痛くなる。
「当たり前だろ」
「……うん」
笑ってる。
でも泣きそうな顔だった。
◇
卒業式前日。
文化祭の時みたいに、二人だけ残った教室。
「懐かしいな」
俺が笑う。
「最初ここで全然喋んなかったよな」
「朝比奈がうるさかったから」
「まだ言う?」
湊が小さく笑う。
その顔を見るだけで、胸がいっぱいになる。
「……なあ湊」
「ん」
「俺、怖かった」
静かな教室。
夕陽が差し込む。
「好きになった時」
「……」
「嫌われたらどうしようとか」
「関係壊れたらどうしようとか」
「ずっと考えてた」
湊は黙って聞いてくれる。
「でも」
笑う。
「お前好きになれてよかった」
喉が熱い。
「お前じゃなかったら、こんな気持ち知らなかった」
湊の目が揺れる。
「……ずるい」
「何が」
「そういうこと普通に言う」
少し泣きそうな声。
次の瞬間。
湊が俺の制服を掴んだ。
「俺も」
震える声。
「悠真に会えてよかった」
もう駄目だった。
俺はそのまま湊を抱きしめる。
「……っ」
細い肩。
震える呼吸。
抱きしめた瞬間、初めて実感した。
この先も失いたくない。
ずっと隣にいたい。
「湊」
「……ん」
「好き」
「……うん」
「大好き」
湊が小さく笑う。
それから。
泣きそうな顔で言った。
「俺も」
◇
卒業式当日。
春。
桜。
校門。
騒がしい声。
「写真撮ろー!」
「第二ボタンくれ!」
そんな中。
俺は少し離れた場所で湊を探す。
見つけた。
桜の下。
風で黒髪が揺れる。
目が合う。
自然に笑ってしまう。
「悠真」
名前を呼ばれる。
初めて図書室で会った日とは違う。
今はもう。
その声だけで安心できる。
「帰る?」
「うん」
並んで歩く。
春風が吹く。
桜が舞う。
その時。
湊が小さく笑った。
「ねえ」
「ん?」
「これからも、ちゃんと名前呼んで」
俺は少し笑う。
「当たり前だろ」
そして。
誰より大切な人の名前を呼ぶ。
「湊」
振り向いた湊が笑う。
あの日。
雨の図書室で始まった物語は。
まだ終わらない。
きっとこの先も。
何度でも。
放課後、君の名前を呼ぶ。
【完】
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**みぅ🤍🥀:** 10話全部読み終えたよ…静かで、でもすごく温かいお話だったな。最初は「話しかけるなオーラ」の湊くんが、悠真くんのしつこいくらいの優しさで少しずつ心を開いていくの、本当に丁寧で。 特に「焼きそばパン」の会話とか、図書室でおすすめの本を貸すシーンとか、そういう小さな積み重ねの一つ一つが、胸にじんわり染みたよ。最後の「ちゃんと名前呼んで」っていう湊くんの言葉に、最初から今まで全部の距離が詰まった感じがして、すごく切なくて、でもあったかかった。 完結おめでとう。素敵な物語をありがとう🌙🥀
放課後、君の名を呼ぶ
#クロクラ
芽吹(めぶく)
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