この作品はいかがでしたか?
330
この作品はいかがでしたか?
330
次はー終点、志田、志田です。
機械的な運転手の声が
イヤフォン越しに響いて、
私はすぐそこまで張り付いていた
睡魔を振り払った。
…志田、私の降りる場所だ。
志田は海の見える綺麗な町だ。
電車の窓からでも真っ青な海が映って、
駅のそばには真っ白な砂浜がある。
青と白の爽やかな対比と
周辺で遊ぶ人々の様子が好きで、
数年前の私はよく一眼レフのカメラを
手に海へと駆け出していた。
しかし、ここで過ごして
年を取り、子供もできないまま
老けていくと
昔のように
海を珍しがって見ることはなくなった。
代わりに、年寄りらしく
よく昔のことを思い出すようになった。
私が高校生で一人暮らしを始め、
部活で海の清掃ボランティアをしていた時。
私はある男の子…八島くんと
一緒にここに来たことがあるのだ。
「写真好きなん?」
関西からやってきたのか、
八島くんは初めて会った時、
関西弁で私にそう尋ねてきた。
そして、当時の八島くんは、
日傘をさして帽子をかぶっていた
私とは対照的に、
小麦色の肌を太陽に晒し、
半袖に半ズボンと活発な格好をしていた。
その焼けた肌の色が、
よくおばあちゃんが出してくれる
煎餅みたいだなと思いながら。
私は八島くんの問いかけに答えた。
『うん。』
「好きなんや?何撮っとるん、見せてよ。」
そう聞かれた私は撮った
海や空の写真を彼に見せた。
なんのアプローチもしていない
普通の写真だったが、
八島くんは珍しい蝶を見つけた小さい子供
のように目をキラキラとさせ、
じっくりと私の写真を見ていた。
「海が好きなん?」
『うん』
「そうなんや、
白石さん内陸の雪国出身やもんな。
初めて海を見た時びっくりしたやろ?」
『うん、びっくりした。
ここの海はとっても綺麗…』
「どんぐらい綺麗?」
『どんぐらい…?難しいなぁ。」
「僕、海見たことないんや教えてや。」
『はぁ?』
…海、目の前にありますけど?
その時の私は豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしたいたと思う。すると、それに気づいたのか八島くんは付け足してこう言った。
「僕、生まれつき目が見えへんのや。」
『!…』
「だから真っ暗なんや、なんも見えん。」
瞬間、私と彼に少しだけ間が空いた。
『……あー、そうなんだ。』
「やっぱり、びっくりするやんな。」
『ううん、びっくりしてないよ。』
そう言ったあと、八島くんは困り眉をコチラに見せて笑った。
「僕、なんにも見えんのや、誰の顔も、どの風景も…白石さんの顔も、自分の顔も全く見えなへん、」
『そう…なんだ。』
「ほんまに嫌やわ、明日にでも見えるようになったりせーへんかな。」
彼はまっすぐ海を見ながらそう言った。
内容は暗いのに声は爽やかで、口から紡がれるたびに潮の匂いとぶつかって消えていく。
そんな彼の声をまるで風に吹かれる砂粒みたいだな。と思っていると、ふと頭の中で疑問が浮かんだ。
『え?じゃあなんで私の写真を見たの?』
目が見えないのに、何も見えないのに。
凹凸も何もないカメラの画面をどうして、
あんなにじっと見ていたのだろうか。
「…。」
八島くんは、しばらく黙り込んだ。
「僕な、白石さんの声で
海を考えてみようと思ったんや。」
『?』
「海が好きなん?って聞いた時、うんって楽しそうに答えとったやん、白石さんの明るい声ができるくらい海っていうのは綺麗なものなんかなーって思って。」
『私の声で…?』
「うん、僕はなんにも見えへんけど、
想像することはできるから
…だから、今、僕すっごい綺麗な海が見えるんや。真っ青でサファイアみたいに綺麗で………実際に見えんのがちょっと残念やけど
八島くんの目は、またキラキラと黒曜石のように輝きはじめた。真っ黒な黒目に青い海が映って、まるで宝石が嵌め込まれたかのようにまたたいている。
『…どちらかといえば、アクアマリンかな。』
「え?そうなん?アクアマリンって何?」
『アクアマリンはね…青っぽい緑っていうのかな。』
…それが、今から50年前のお話。
あれから私は、不思議と写真を撮るときに
必ず言葉を集めるようになった。
露草色、アクアマリン、サファイア、紺碧色。
世界には青以外の青を表す言葉が沢山ある。
それを私はひとつひとつ手に取り分かりやすく噛み砕いて、八島くんに伝えた。
あそこの小鳥、
灰色がかった濃い緑色の羽してる。
綺麗。
そのアイスクリーム、
透明な薄い氷を着てる、周りがひんやりとしてるみたい、まだ溶けてないよ。
そう伝えると八島くんは、
私の言葉を聞いてうんうん、と理解して。
ありがとうと目を細めて笑った。
その時の笑顔が眩しくて…綺麗で、
自然と私の胸を高鳴らせた。
と、同時にその笑顔が何回も見たくて
私は日常生活に溢れるほどある色を
彼に伝えた。
夕日の色、海の色、砂の色、ジュースの色。
彼に伝えるたび自分の世界も
美しく色づいていく。
とっても綺麗で、
なんにも変わっていないのに
自分のいる世界が
輝きはじめたような気がして。
私は彼といるのがとても楽しくなった。
『…。』
けれど、
「白石さん、僕転校するんや。」
数ヶ月後、お別れの日が突然やってきた。
久々にきた海で、始まったばかりの夏休みに浮かれていたタイミングで、まっさらだった私の心がじゅくじゅくと黒ずんでいく。
「なんか、両親の仕事で、シアトルっていう海外の地域に引っ越すんや。」
『そっか…そんなところだと、
もう会えないかもね。』
「うん…」
その時、彼が私の手をゆっくりと掴んだ。
「あのな、僕、白石さんとおって
分かったことがあるんや。」
『分かったこと?』
『うん、なんかポエマーみたいで笑っちゃうかもしれへんけど
…僕が生きとる世界ってとっても綺麗なんやって、
白石さんとおって、僕、分かったんや。』
「!…」
その時の彼の目は幸せ色をしていた。
ふにゃりと顔が歪んで、心の奥まで彼があたたかい気持ちで満たされていることが伝わってくる。
『確かに、ポエマーみたいだね。ふふふ…』
嬉しい気持ちと悲しい気持ちが混じって、私はそれが声となって伝わらないように
彼の前でぷっ、と吹き出した演技をした。
「っ、ちょ!笑わんでもええやん!」
すると彼は唇を尖らせ、
顔を赤らめながら怒った。
しかし、もう私と会う日が、少ないからなのか彼はすぐにまっすぐな目をして私を見た。
そして、それを見た私も笑うのをやめて
彼の目を見つめた。
『…あのね、
私もポエマーみたいなこと言っていい?』
「えっ?なんかあるん?」
『うん、あのね、矢島くんのおかげで、私、夢ができたんだよ。』
「えっ。」
『私、写真家になろうと思ってるの。』
私がそう言った途端、海の波が引っ込んだ。
『私も八島くんと出会って、
見ている世界がもっと綺麗に
見えるようになった、
そしてそれがとても楽しかった
八島くんと見つけたその世界を、
私は写真で伝えたい。』
不思議と私は緊張していた。
太陽に熱された砂がスニーカー越しに
私の皮膚を熱し、
額の汗がまつ毛のところにまで
迫ってきている。
「…僕のおかげで、
そんな素敵な夢を持ってくれたん?」
八島くんの頬は
リンゴのように真っ赤になっていた。
そして、それを見た私も
なんだか恥ずかしくなって目を逸らした。
『うん…八島くんと出会えたおかげだよ、
ありがとう。』
「うん、こちらこそありがとう、
きっと叶うよ白石さんの夢……
…あのねっ、僕白石さんのこと」
『ん?』
「あ、いや……なんでもない。」
あの後、
私と八島くんが会話することはなかった。
最後に彼が私に何と言おうとしていたのかは
最後まで分からなかった。
…好きだったのかな。なんて、そんなわけないよね。
青い海をじっと見つめながら
私は内心でそうつぶやいた。
八島君は今、どうしているのだろうか、
彼の想像した世界は、
今でも私の伝えた綺麗な色で
いっぱいなのだろうか。
彼のことを思い出すたび、
私の胸の中に胸の中に
たくさんの疑問がでてくる。
でも、その疑問に合う答えは見つからない。
当時の私と八島くんは
お互いスマホを持っていなかった。
そのため彼への疑問はずっと
下書き保存されたままだ。
…けど、それでもいいや。
私は内心でそう自分に言い聞かせた。
彼が私を忘れても、
彼の世界が変わってしまっても。
私の中ではずっとこの終点に見える駅と海が
かけがえのない
青春の記憶として今でも残っているのだから。
私はゆっくりとカメラを構えた。
空の青とは違う、深みの入った青緑が特徴的な、美しい海が光のビーズを纏って
カメラ越しの私の目に映る。
…これが、最後の一枚。
終点の駅で出会った。
ほんのすこしだけあった私の青春。
写真家になった私は、この写真を最後に
写真家を辞めることにした。
……やはり、私はこの海の色が一番好きだ。
おわり
コメント
6件
執筆お疲れ様です😭😭 八島くんが前を向いているのと、夏の描写も相まって、儚いけれど爽やかな夏の出来事なんだろうな、と思いながら読んでいました。 海の前の塀に肘を着く八島くん(金髪)や弾けるような笑顔が容易に妄想できる位、情景描写が綺麗で的確でした✨ 今回も素晴らしいお話ありがとうございました…🙇♂️