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崩壊した家屋の中
燃え盛る炎の音が鳴り響いていた。
瓦礫が崩れ落ち
木材が燻り
赤黒い炎が狂気のように揺れている。
その中央に
アリアは静かに立っていた。
炎の中でも
彼女だけは
その身を焦がされる事なく
冷たく荘厳な佇まいを見せている。
その目前には
青年が一人⋯⋯居た。
顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになり
錯乱からか
歪な笑みを浮かべている。
震える両手を祈るように組み
地面にひれ伏していた。
「⋯⋯あ、あぁ⋯⋯なんて⋯美しい
⋯⋯天使様⋯⋯」
戦慄に震えながらも
彼の瞳には
まるで神聖なものを見たかのような
狂気が宿っている。
焦げた木の破片が
足元に転がる音に反応し
青年は顔を上げた。
そこには
黄金の髪を靡かせ
深紅の瞳で冷たく見下ろすアリアが
立っている。
アリアは一歩ずつ
ゆっくりと青年に向かって歩み寄る。
その足元は
歩を進める度に床が灼熱に焼かれ
木材が炭化し
黒い焦げ跡を残していく。
溶解した床には
じゅうじゅうと音を立てて炎が上がり
煤が舞い上がる。
青年の顔は
絶望と崇拝が入り混じったような
異様な表情だった。
恐怖と畏怖が織り交ぜられ
震える体を無理やり起こしながら
口元が引き攣るように笑う。
アリアは
その狂気を孕んだ男を冷たく見下ろし
溜め息のように言葉を漏らした。
「我が夫の魂を穢し⋯⋯
その安寧を⋯⋯踏み躙った者」
アリアの声は
冷酷そのものでありながら
どこか哀しみを秘めている。
青年はその声を聞きながら
なおも震え続けるが
瞳からはアリアを見逃せない。
アリアは青年の首を無造作に掴み
そのまま強引に立たせた。
青年の喉元に当たったアリアの手から
異様な熱が伝わる。
「うっ⋯⋯あ⋯ああぁぁぁぁぁっ!!」
首に焼けつくような激痛が走り
肉が焦げる音が耳を劈く。
喉から煙が立ち上り
火傷の臭いが漂う。
青年は悶え苦しみながらも
その深紅の瞳から目を離せない。
「貴様だけは⋯⋯今は、逃がしてやろう」
青年の耳元で囁くように言うと
アリアは顔を近付けた。
冷たく、憎悪を孕んだ瞳が
真っ直ぐに青年の心を貫いている。
「街の者に伝えよ。
金輪際、何人たりとも
あの丘に立ち入る事を禁ずる」
青年は息も絶え絶えに
なんとか頷こうとするが
首を締め付けられて上手く動かせない。
「桜を目に映す事も許さん。
破れば⋯⋯この街を塵にする。
何処に逃げようと、鏖だ⋯⋯と」
アリアが手を離すと
青年の首には
赤黒い手形が焼き付けられていた。
それは
火傷の痕であり
呪いの烙印でもあった。
アリアが一歩退くと
その場から
まるで陽炎のように
炎となって姿を消した。
残された青年は
手形の痛みに耐えながらも
半狂乱になりながら
街中へと駆け出した。
「天使が⋯天使に殺される⋯⋯っ
助けてくれ⋯⋯天使が来るっ!!」
街中で叫び続ける青年に
周囲の人々は訝しげに視線を送る。
だが
吹き飛ばされた街の一部や
青年の首に刻まれた火傷の手形が
その異様な出来事を証明していた。
その後
街の者達は丘が見えないように
高い壁を建て
二度と桜を見ぬようにした。
青年は〝天使に殺される〟と
繰り返すだけで
廃人のように譫言を続けていた。
やがて、ある日──
青年は部屋の中で
無惨な姿で発見される。
壁際に凭れた炭化した遺体──
頭部が弾け飛び
壁には大きな両翼を広げた形の
焼跡が残っている。
その焼跡の中央に
血で書かれた言葉があった。
『死の翼に触れよ』
人々はその異様な光景に怯え
決して丘に近付かないようにと
誓い合った。
いつしかその丘は
〝呪いの丘〟と呼ばれ
桜の木々も忌むべき存在とされていった。
絶対に禁に触れてはならない──
天使に殺される──
そうして
人々は永久に丘への立ち入りを禁じた。
その夜も
丘の上では桜が風に揺れていた。
誰も知らない。
その桜が
どれだけ愛された存在であったかを──
そして
その愛が失われた絶望が
どれだけ深いかを。
⸻
夜風が冷たく吹き抜け
桜の花弁がひらひらと宙を舞っていた。
時也が眠る桜
その根元で
アリアは膝をつき
崩れるように地面に伏していた。
長い金髪が土に塗れ
震える肩が痛々しい程に揺れている。
周囲には
無惨に掘り返された土塊 が広がっていた。
桜の根元に作られた時也の塚が
無残にも暴かれ
土が撒き散らされている。
アリアは震える手で
丁寧に塚を直していく。
掘り起こされた跡に土を掻き集め
崩れた場所を手で覆いながら
絶望の色を瞳に宿している。
「⋯⋯すまない、時也⋯すまない⋯⋯」
掠れた声が
夜の静寂に溶けて消えた。
手の中に掬い上げた土が
冷たく、どこか虚しい。
嗅ぎ慣れた香り──
青年達からは確かに
この土の香りがした。
だが、肝心なものは無かった。
愛しい夫の遺骨が⋯⋯何処にも無い。
アリアの胸が締め付けられる。
夫を、時也を奪われたという現実が
心を何度も抉るようだった。
(⋯⋯これで⋯全てを失った⋯⋯)
その実感が
じわじわと体を蝕み
捩じ切れるように痛む。
時也を亡くし
双子とは共に在る事もできず
そして、今⋯⋯
時也の遺骨すら、失った。
アリアの頭の中で
不死鳥の嗤う声が絶え間なく響き渡る。
狂おしいほどの嘲笑が
アリアの心を何度も踏み躙っていく。
「全て奪い尽くしたお前に⋯⋯
私の絶望まで⋯⋯くれてやるものか」
拳を強く握り
声を震わすアリアの瞳が
強い光を宿すものの
深紅の血涙が溢れ出した。
ぽたり──
紅い雫が地面に落ちると
瞬く間に硬質な輝きを帯び
紅い宝石となって転がった。
「⋯⋯ふ、ふふ⋯⋯
ははははははははっ!!」
突然
アリアは顔を上げ
高らかに笑い始めた。
その笑いは狂気を孕み
夜の空気に不協和音のように響き
憎悪と絶望が混ざり合った哄笑だった。
不死鳥の嗤い声が一瞬止まり
警戒するようにざわめく。
アリアは
虚空を見上げながら笑い続けた。
「そうだ!
お前には、もう何一つくれてやらん!
初めから、こうすれば良かったのだ!!」
声を張り上げ
狂ったように笑いながら
アリアの瞳から次々に血涙が溢れ出し
絶え間なく頬を濡らす。
その涙が次々と地面に落ち
ボタボタと音を立てて
その一粒一粒が宝石に変わり続ける。
不死鳥の嗤い声が途絶え
泣きながら笑うアリアの姿に
苛立ちと焦りが滲み出していた。
アリアは瞳を細め
不死鳥の存在を感じ取りながら
狂気を帯びた笑みを浮かべた。
「永遠に貴様は私から出られん⋯⋯
私と共に虚無に封じてやる!!」
その宣告に
不死鳥が焦燥の色を見せた。
今まで
一度も感じた事のない焦り──
不死鳥の声が動揺に満ち
心の奥底で悲鳴を上げている。
アリアは両手を合わせ
祈りを捧げるように指を絡ませた。
瞳から溢れ続ける血涙が
足元で次第に結晶となり広がり
やがて
彼女の身体そのものが紅い光を帯び
まるで宝石そのものと
なっていくようだった。
「さぁ⋯⋯永遠の虚無の中で
今度は貴様が絶望するがいい」
祈るように両手を重ねたまま
アリアの唇が微かに動く。
不死鳥が醜く叫ぶが
アリアはその声に耳を貸すことは無い。
もう、不死鳥の嗤いは届かない。
アリアの周囲に生まれた紅い宝石が
花々のように
一つ一つ咲き誇りながら
彼女の身体を覆い尽くしていく。
その中で
ただ一つだけ
願いが零れ落ちた。
「⋯⋯時也⋯⋯
お前の来世に逢う事は⋯⋯できん」
アリアの声が微かに震え
涙が一層溢れた。
「約束を破ってばかりだな⋯⋯私は。
娘達を⋯どうか、見守ってくれ⋯⋯」
最後に残った心の声が
時也への愛を刻みながら
紅い宝石の結界に封じ込められていった。
不死鳥は抵抗しようと暴れるが
アリアの意思がそれを抑え込む。
その紅い宝石は
まるで深紅の牢獄──
不死鳥はその中で
初めて恐怖を覚えた。
紅い結晶が完全にその身体を覆い
丘の上は再び静寂に包まれた。
桜の根元に鎮座した
巨大な紅い結晶の中
アリアは不死鳥に
唯一敗北を与えたと
少しだけ穏やかな表情で
永遠の眠りにつくように瞳を伏せている。
それはまるで
愛と絶望を封じ込めた檻であり
涙の形そのものだった。
そして
時也の桜が揺れ
花弁が一枚
アリアの傍に降り注ぐ。
その花弁は
まるで涙を流すように
アリアの頬の上を滑り落ちていった。
紅蓮の如きその輝きが
月光を浴びて淡く揺れ
静かに永遠の夢を見る。
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