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目に滲みる様な眩さに
重い瞼を開ける。
カーテンの隙間から漏れる陽光に
刺激された脳が
枯渇した魔力で悲鳴を上げる様な
躯の気怠さを思い出させた。
ー彼奴は⋯どうなった?ー
今生の別れを想わせる様な
男の優しく向けられた笑顔が想起される。
躯を無理矢理に起き上がらせると
手に当たる硬い物と
寝間着の裾を引かれる感覚に気付く。
黒曜石の様な鱗の匣と
「⋯セイ⋯リュウ?」
私の横で蹲くまって眠るセイリュウの姿は
まるで夢霞の様に所々が透けている。
無理矢理に夢から
現世に渡ったというのか?
「セイリュウ!」
呼び掛け抱き起こしてみても
セイリュウはぐったりとするのみで
重みすら無くなっている様に思える。
ゴーン!ゴーン!ゴーン!
その時
腹の底にまで響く
朝を報せる救いの鐘の音が
音色と共に魔力を運び私の躯に染み入る。
「⋯⋯⋯かは⋯っ!」
魔力が満たされたからか
セイリュウの透けていた躯に
重みが戻ってくる。
山吹色の瞳が漸く開いた。
「セイリュウ!
大事はないか⋯?」
セイリュウはにこりと微笑み返すと
そのまま再び瞳を伏せて
寝息をたて始める。
先の鐘の音だけでは
まだ魔力量が足りていないのだろう。
穏やかに繰り返されるその呼吸音に
私は安堵の溜息を深く吐き切った。
セイリュウの躯にシーツを掛け直し
天蓋を閉め
私は寝間着からカソックに着替えると
匣を机上に置き席に着く。
匣を開け傾けるとコロリと音を立てて
小指の爪程のものが3粒転がり出た。
2粒を匣に戻すと
1粒をつまみ上げ光に翳してみる。
それはまるで
玻璃に炎を封じ込めた様に
揺らめき煌めいていた。
ーこれが⋯〝紅蓮の花〟の種子ー
歴史の太古に猛威を振るうも
絶滅した幻の魔法植物。
それが今
私の手の中で生命を吹き返したのだ。
こんなにも胸が興奮で高鳴るのは
いつ以来であろう?
「んふふ⋯
これが私の〝正義〟への第一歩だ!」
1粒をシャーレに入れると
机上の書類が目に映る。
ーやれやれ。
休日の内にこれも片付けねばなー
高揚していた気分が
一気に熱を奪われていく様だった。
渋々と羽根ペンをスタンドから外し
インクに浸すと
私は机上の忌々しい書類へと向き合った。
催しの企画提案書が
何枚も何枚もとインクを消費していく中
こちらの都合など露とも知らず
無情にも時は流れ
私はどの位の間
書類と奮闘していたのだろうか?
「⋯うわぁぁん!
あるじー!ろろぉーーー!!」
耳を貫く様なセイリュウの泣き声に
私の肩が跳ね
羽根ペンが滑る先を違える。
私は急ぎペンをスタンドに戻すと
ベッドに駆け寄り天蓋を開いた。
「目覚めたかセイリュウ!
気分はどうかね?」
私の姿を見て安堵したのか
ピタリと泣き止み私に縋り付く。
ー意識は戻ったものの
完全に幼子になっているなー
セイリュウを抱き上げると
背中を摩ってやる。
「何か欲しいものはあるかね? 」
「⋯おなか⋯すいた」
セイリュウはドラゴンなのだから
私と同じ内容で良いものか?
そう考えあぐねいていると
鐘の音が昼を報せ始め
腹の底に響く様な音に
セイリュウの肩が跳ね私に縋り付く。
バチン!
何かが弾ける音が
鐘の音に混じって聴こえた気がした。
その時は建材が温度差で軋んだ音だと
気にも止めなかった事を
後ほど私は後悔するだろう⋯。
「ふむ。
先の鐘の魔力で
腕の傷は癒えた様だな?」
血で固まった包帯を外してやると
セイリュウを再び抱きかかえて
私達は自室を後にした。
中洲の桟橋を渡り街に足を踏み入れると
幼子となっているセイリュウの
好奇心に火が着いた様で
私の腕の中で頻りに辺りを見回す。
「ろろ!ろろ!
あれはなぁに!?」
腕から身を乗り出して指差す先には
理髪店のサインポールがあった。
「んっふふ!
あれはだな⋯」
「あれ!ロロ会長じゃないですか!
こんな所で奇遇ですね」
後方からした聞き覚えのある声に
私は多少の憂鬱を覚えてしまう。
振り向くと
思った通りの人物が駆け寄って来る。
副会長であった。
「あ!
もしかしてお電話の
邪魔をしてしまったでしょうか? 」
「電話?」
此奴は何を言っている?
「 僕が急に話し掛けたから
もしかして通話を中断しちゃいました?
すみません⋯
楽しそうにお話されてたのに。
では、僕は友人と待ち合わせがあるので
失礼しますね!
また明日学校で!」
嵐の様に言葉を捲し立て過ぎ去る副会長に
呆気にとられていると
足許に何かが擦り寄る感覚がした。
この街で大切にされている
神聖な生き物だが
私にとっては
不衛生極まりなく感じてしまう彼奴だ。
「わぁ!
ヤギだぁー!」
セイリュウは腕から飛び降りると
好奇心を抑える事もせず
私の足許に擦り寄っていた
子ヤギに触れようと手を伸ばした。
⋯だが
「メェェェッ!」
子ヤギは驚いた様に嘶き飛び下がると
頭を下げ蹄を鳴らし
あろう事かセイリュウに突進する。
「⋯⋯!?
こら!止めないか!!」
寸での所でセイリュウを抱え上げ
事なきを得たが
珍しい事もあったものだ。
この街で保護されている地域ヤギ達は
どの個体も人懐こく
その知能の高さ故か
人間の子供を揶揄う様な素振りは
幾度か目にした事はあったが
威嚇し攻撃する姿は初めて見る。
所詮は動物
腹を減らして
気が立ってたのかもしれない。
初めは気にも止めなかったが
行き違う野良猫や
散歩中の飼い犬等にも
やたらと威嚇される。
ードラゴンだから⋯か?ー
おかげで道中は
動物達の喧騒の中を歩く羽目になったが
致し方あるまい。
「いつものを2セットお願い致します」
喧騒の中辿り着いたいつものカフェで
いつも通りの注文を
いや此度は2つ頼むと
私達は一室の端の席で待つ。
「珍しいわねフランム君!
しっかりお食べなさいね。
貴方は細過ぎるから今日は安心だわ!
カフェオレの2杯目は食後かしら?」
バケットに一纏めにされた注文が
私の目前に差し出され
女性オーナーが朗らかに笑った。
「もう一杯も今で構いません。
⋯すみませんが、小皿を一枚頂いても?」
セイリュウが席の奥に座っている為
私で隠れて見えなかったのだろうか?
それとも
カフェオレはいつも食後にしていたから
一杯目は幼子のセイリュウにあわせてか。
直ぐに差し出された小皿に
クロワッサンを一つ取り分け
セイリュウの目前へと置くと
芳醇なバターの香りに顔を輝かせた。
「食べる前に祈ろう」
祈りの手を組んだ私を見て
一瞬戸惑った顔をしていたが
察したのかぱんと軽く音を立てて
両掌を合わせる。
「いただきますっ!」
彼の世界の祈りの手なのだろうか?
「そう⋯お利口だ」
生命に対する祈りがあるのは
どの世界も共通なのだなと
私も祈りを終え
いただきますと真似して会釈する。
一口大に千切り口に運ぶと
バターの香りが鼻腔を駆け
小麦の深い甘さが焼きたての食感と
温かさと共に咥内を満たしていく。
「おいしい!」
弾ける様に声を漏らしたセイリュウに
顔を向けると
「まだ食べていないではないか?」
クロワッサンの形は
差し出した時の形そのままであった。
しかし
セイリュウの口許は
確かに咀嚼の動きをしている。
「?
食べてるよ?
ほら!」
バスケットに入った葡萄に
手を伸ばし掴むと
一瞬、葡萄が二重に見え
セイリュウの指と共に片割れが離れる。
摘まれた葡萄の粒は
確かにまだ房にあり
半透明な粒が手に取られていた。
それを小さな口に頬張ると
頬を両掌で抱え
瞳を落ちそうな程に輝かせる。
「ボクは〝夢〟だもの!
だから、魂にしか触れないの」
まだ小皿に取り分けられていない
クロワッサンをもう一つ掴むと
バスケットから出されたのは
半透明の方であった。
それもまた口いっぱいに頬張ると
ぽろぽろと落ちた半透明なパン屑は
夢幻の如く霧散していく。
試しに先程セイリュウが
〝魂〟だけを取り出した葡萄を
摘み取って口に運ぶ。
ー何の味も⋯しないー
瑞々しさも甘味も香りすら無く
食感も失ってしまった葡萄だった物に
思わずハンカチで口許を覆い
雑に咀嚼して流し込んだ。
味がしないとは言え
店側の不手際では無いのだから
不快な顔を見せる訳にはいかない。
それはきっと
もう一つのクロワッサンとカフェオレも
同じなのだろう。
味わいも何も無くなってしまった
カフェオレを流し込み
私の分を食べ終えると
まろやかなカフェオレで心を満たす。
セイリュウが魂のみを食べて
物体と化したクロワッサンと葡萄は
そっとハンカチに包んだ。
申し訳ないが部屋に戻ったら
こっそりと棄ててしまえば良い。
「さあ、寮へ戻ろうか」
満足気なセイリュウを抱き上げると
私達は店を後にした。
また動物達の喧騒の中
進んで行く。
我が学び舎ノーブルベルカレッジへ。
「んふふ⋯
早くあの忌々しい問題を片付けて
私達の務めを果たそう」