『廻術カイジュツ』と違い、『絲術シジュツ』は全然上手く行かなかった。
身体の外に魔力を出すだけなのに。それが出来ないのだ。
だから俺は1ヶ月もの間、寝ても覚めても手のひらに力を入れながら生活していたら母親から怒られてしまった。
「こら、イツキ。魔法の修行をするのもいいけど、ちゃんと前見て歩かないと危ないでしょ」
「……ごめんなさい」
「分かったら、道場に行ってらっしゃい。気をつけるのよ」
「うん! 分かった」
今日は父親はいない。
祓魔師としての仕事だ。
いかに俺が第七階位としてモンスターに狙われる存在だとしても、いつまで一緒にいるわけには行かない。
一家の大黒柱として働かないと稼げないのだ。
その父親の代わりとして、今日は霜月しもつき家の当主が来てくれた。
彼を一言で表すとしたら、長身優男のイケメンといったところだろう。
身長が185cmある父親よりも更に背が高く、乱雑な黒髪と若作りの顔は大学生と言っても通用しそうなほど若い。
……顔に切り傷が入ってなければ、だが。
そう、彼は顔に縦一筋の切り傷が入っているのだ。
祓魔師だから仕方ないとはいえ、普通に怖い。詳しくない人が見ればその筋の人と勘違いされてもおかしくない見た目だ。
そんな霜月家のご当主の名前はレンジさんと言うらしい。
どういう漢字を書くんだろう?
「宗一郎そういちろうから聞いたよ。イツキくんはもう『絲術シジュツ』の練習をしてるんだって?」
「は、はい! でも、ぜんぜんできなくて……」
「そりゃあ、『絲術シジュツ』は5歳から学ぶ技術だし、3歳ができないのも当然だよ」
そういって目を細めて微笑むレンジさんだが、切り傷と相まって尋常じゃないくらい怖い。うちの父親で怖い顔に慣れてないと泣いてしまうところだった。
「アヤもイツキくんを見習って、魔術の練習しよっか」
「……ん」
今日、我が家に起こしなのはレンジさんだけではない。
霜月家のお嬢様であるアヤちゃんも一緒だ。
彼女は人見知りなのか、ずっとレンジさんの後ろに隠れて出てこないが。
「じゃあ、2人とも。そこに座って」
「はい」
「……ん」
俺がレンジさんの前に座ると、その横にアヤちゃんが座った。
ちらりと横顔を見ると、全力で反対方向を向かれた。
……むむむ。嫌われてる?
「さぁ、まずは『廻術カイジュツ』からだ。魔力を全身にまわして」
俺は言われるがままに魔力を動かす。
これはいわゆる準備運動だ。魔力操作をするときに、急激に慣れないことをするとミスするので、身体をならすのである。
「……本当に使えるんだね」
「は、はい!」
その様子を見ていたレンジさんが、やや驚いた様子で呟いた。
俺はそれに勢いよく頷くと、彼は俺の隣に座っているアヤちゃんを見た。
「アヤは?」
「……むり」
アヤちゃんは、少しだけ力んだ顔をしているが……その表情から上手く行っている様子は見えない。
「アヤはいつものように、まずは魔力を感じること。イツキくんは『絲術シジュツ』の練習に移ろう」
レンジさんはそう言って、俺の前にずいと出てくる。
ふむ。レンジさんの言い方的にアヤちゃんは、まだ魔力を感じることが出来ていないのか。それが3歳児に普通なのか?
「今の時点でどれくらい出来るのか見たいから『絲術シジュツ』を使ってみて」
言われるがままに、俺は手のひらを上に向けて、魔力を集めた。
レンジさんは俺の手を触って、熱がこもっているのを感じ取ると渋い顔をした。
「魔力操作は3歳とは思えないね。でも、外には出せないのか……」
「……うん。どうやってもできないの」
いや、これは嘘である。
実は1ヶ月の間に1度だけ成功しているのだ。
しかし、それは手から出たわけではない。
俺の初めての魔力の糸が出たのはお尻からである。
『絲術シジュツ』というのは、魔力を外に出してから操作する技術ということは分かっていたので、とにかく魔力を外にだそうということで例の排泄トレーニングで魔力を外に出したのだ。
で、それを細く捻ってみれば、あら不思議。
生まれて初めての『絲術シジュツ』が成功だ。
だが、こんなこと両親に言えるか?
言えるわけがない。
いかに俺のことを天才とおだててくれている父親と母親だとしても、流石に初めての『絲術シジュツ』が尻から出たなんてどんな顔をして言えというのだ。
だから、俺は未だに『絲術シジュツ』が成功していないことになっているし、そもそも俺もあれを成功なんて言いたくない。
なので、俺は「できない」ということで通している。
「うーん。外に出た魔力を制御できないってのはよく聞くんだけど、そもそも外に出ないってのは聞いたことがないなぁ」
「え?」
「うん? 宗一郎から聞いてないのかい? 普通の子は、魔力を外には出せるけどそれを上手く『導糸シルベイト』にできないんだ。だから、イツキくんの場合は……どう教えようかな」
……え? ちょっと待ってくれ。
「レンジさん! まりょくって、手から外にでるの?」
「出るよ。むしろ出ないとどうやっても『導糸シルベイト』は作れないでしょ?」
そういって、レンジさんは手から魔力を出してみせた。
「ほら、分かるかな? 出てるでしょ?」
「……本当だ」
……え? なんで?
なんで穴も無いのに身体の中から魔力が出てんの?
どうやってんの???
「あれ。もしかして、イツキくんって魔力が身体の中にあるから外に出ないと思ってる?」
「う、うん」
いや、お尻から出るのは知ってるんだけど。
「魔力ってすごく小さいから体の中から出てくるよ。ほら、汗も身体の中から水が出てきてるでしょ?」
「……うん?」
分かったような、分からないような。
そんな半端なことを思いながら、俺はゆっくりと手のひらに集めた魔力が霧のように手から溢れるイメージを持った。
なんとその瞬間、1ヶ月もの間動かなかった俺の魔力がついに外に出た!
やれば出るやんけ!!
「やった!! 出たっ!!!」
「何ッ!?」
あとはその魔力を糸にするだけだ。
そして、それはもう既に尻から出したやつで経験済みである。
「レンジさん! 出来たよ! ほら!」
俺の魔力は素早く『糸』の形を取った。
どうだ! これで『絲術シジュツ』も使えるようになったぞッ!!
俺がそういうと、レンジさんは『導糸シルベイト』を伸ばすと自分の目を覆った。
そして、俺の糸を見て息を呑む。
「……本当だ。本当に、『導糸シルベイト』を」
「やった! 出来た!!」
「……おいおい。こりゃ、どうすれば良いんだ」
レンジさんは驚いたまま、腰を下ろした。
そして困惑したまま、唖然とした様子で口を空けていると、俺の隣にいたアヤちゃんが正座を解いて地面に横になった。
「やー!!」
「アヤ。どうしたの?」
「やだ!! れんしゅうしたくない!」
そういってジタバタ暴れるアヤちゃん。
人見知りだと思ってたけど、意外と大胆でいらっしゃる。
「なにも分かんない! たのしくない! えほん読みたい!」
「こら、アヤ。魔法を覚えないと、お姫様みたいになれないよ?」
暴れるアヤちゃんを、たしなめるレンジさん。
いや、そうだよな。3歳児って普通こうだよな……。
「アヤちゃん!」
「……む」
俺が名前を呼ぶと、暴れるのをやめてこっちを見た。
レンジさんには『絲術シジュツ』を成功に導いてもらった恩がある。
恩を返すなら今だ!
俺はある仮説のもと、アヤちゃんに話しかけた。
「おてて、貸して」
「……ん」
伸ばされた手に俺は自分の手を合わせると、そこに魔力を集める。
「え、あつい!」
「熱くなくなるよ」
俺はそういって、熱を引っ込めた。
「え!? イツキ、すごい!」
「凄いでしょ」
「もう一回やって!」
そういって喜ぶアヤちゃんを見ながら、俺は『やっぱり』と自分の中で納得した。
「ね、アヤちゃん。お腹の下のところに同じ熱いのない?」
「え? うーん……。わっ! ある!」
多分だが、祓魔師たちは魔力が当然あるものだと思ってる。
思っているから子供に教えるときに、魔力の感覚を直接的に教えることをしない。
それは、普通の親が子供に歩き方や立ち方を教えないのと同じなんだと思う。
祓魔師にとって魔力は自然と分かるもの……そういう認識をしているんじゃないのだろうか。
俺は父親やレンジさんを見ているとそう思ってしまう。
確かに魔力は自転車や逆上がりと同じで、一度気がつけば絶対に忘れない。
だが最初に気がつくためには、何かしらの手助けがいるのだ。
だから、それを触って教えてあげればいい。
そう考えたのだが、俺の仮説はどうやら当たっていたらしく……アヤちゃんは魔力を知覚した。
「ほら、それがまりょくだよ!」
「お父さん、見て! 魔力あるよ!」
さっきと打って変わって笑顔になったアヤちゃんを見ながら、レンジさんは『その手があったか』みたいな顔をしていた。
俺は自分のやり方が大成功したのでちょっと鼻が高い。
「イツキくん。君には教える才能もあるんだね。とんでもないよ、君は」
両親以外の人に褒められて、俺は思わず照れてたところ、
「イツキ! さっきのもう一回やって!」
アヤちゃんにそう言って、押し倒された。
君は人見知りと違うんか。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!