コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
不動産屋の木村が運転する8人乗りの3列目に紫雨と林が座り、2列目に牧村が座った。
「なんだー、お二人は知り合いだったんですねー」
木村が言うと、牧村がニコニコとバックミラー越しに木村と目を合わせた。
「ええ。紫雨さんとはキスした仲でして」
不動産屋の車だというのに、紫雨が革靴のまま牧村の席を思い切り蹴る。
「―――なんで俺たちまでお前の内覧行かなきゃいけねえんだよっ」
尚もシートを蹴り続ける。
「一度に終わらせた方が効率良いでしょー。俺がだめならあんたが内覧なんだから。その場で決めちゃった方がいいでしょうが」
牧村が笑う。
「もしお前が決めたらどうなんだよ!俺たち、時間の無駄じゃねえか!」
「あははー。それはあり得るー」
ヘラヘラしている牧村に紫雨がシートベルトを伸ばしながら噛みつこうとする。
「そもそもお前、どうして一人暮らしなのに、2LDKもいるんだよ!ワンルームにしろ、ワンルームに!」
「……えっ」
牧村が驚いて二人を振り返る。
「君たち同棲すんの?」
「悪いかバカ!」
その言葉に運転している木村がバックミラーで紫雨を二度見した。
(――ああ。恥ずかしい。もうこの不動産屋使えないな。レスポンス早くて好きだったのに)
林はシートに体を沈み込ませた。
(ゲイの人たちってどうしてこう羞恥心と節操がないんだろう…)
「やめとけやめとけ、同棲なんか」
牧村が振り返って紫雨と林を交互に見つめる。
「男の同棲なんて別れたとき、地獄っすよ。出てく方も、残された方も。見たでしょ、新谷の顛末を」
紫雨が今度は手を伸ばして、短いながらもきちんとセットされている牧村の頭をはたいた。
「お前のせいだろうが!全部!」
「えええー?そうかなー」
叩かれてつぶれた頭頂部の髪の毛を起こしながら、それでも牧村は笑っている。
「でも俺、真面目な話、居室と寝室は別がいいんですよ」
「じゃ2DKでいいだろうが」
「あー、ダメっす。仕事場も欲しいんで」
「はあ?」
紫雨が眉間に皺を寄せる。
「老舗のセゾンさんにはそんな風習ないかもしれませんがね、時代の最先端を行くミシェルではこの春から8時消灯が義務付けられることになりまして。まあ、よき人材を確保するためにはまずESからでしょ。今時ハウスメーカーといえど、夜中まで仕事するなんてナンセンスですよ」
ペラペラスラスラとつっかえずに言葉が出てくるのは、さすが営業マンだなと林は妙に感心した。
(でも、それって……)
「終わらない仕事を持ち帰る方が、よっぽどナンセンスだと思いますけどね」
「…………」
思わず口をついて出た言葉に、紫雨がこちらを見つめる。
「…………」
牧村も驚いて振り返る。
(あ。ヤバい)
林は自分の口を塞いだ。
(心の声が出てた……)
「え、なにこの人、怖い」
牧村が笑う。
「ずっと黙ってるから陰キャかと思いきや、急に毒吐いたんだけど」
「――気をつけろよ、牧村」
紫雨が牧村に顔を寄せる。
「こいつ、実はこのシリーズ史上一番のキレキャラだから」
「マジすか?」
「リモコンで人の頭、思いっきり殴ってくるから」
「こーわっ!」
(……なんであんた、そっち側についてんの…)
林は紫雨を睨んだ。
しかし――。
数秒前までは噛みつきあっていたのに、今や身を寄せ合っている。
紫雨とうまくやれるのは、篠崎のようなオールマイティーなコミュニケーション能力を持つ超人か、新谷のように世界中誰とでも友達になれるような広い心の持ち主に限られると思っていたのに――。
(こういうタイプも意外に相性いいんだな)
まだそろって聞こえるような陰口をたたいている二人から視線を外し、家々が通り過ぎていく窓の外を見た。
(――俺と紫雨さんは、相性いいんだろうか…)
言いたいことも言えない。
考えていることもわからない。
こんなの―――。
上司と部下としても不便だし、恋人としても――。
(最悪な気がする……)
わざとらしく噂話をする主婦のように顔を寄せ合い、お互い口元に手を当て、こちらを見つめている二人を睨む。
牧村の背中が目に入る。
暑かったのか、上着を脱いだ背中は、ワイシャツから肩甲骨が浮き上がって見えた。
無駄な肉がついていないのに、二の腕や肩には、盛り上がるほどの筋肉がついている。
(――なんでこの人、こんなに体鍛えてるんだろう)
自分は男の筋肉など見ても何も思わない。
でも――。
新谷はどう思ったんだろう。
林の何でもない私服を見て「眼福」だと呟いたくらいだ。きっと雄々しい体を見て反応したに違いない。
そして―――。
紫雨はどう思っているのだろう。
(やめよう。馬鹿馬鹿しい)
林は軽く息を吐くと、力なく目を閉じた。
目を閉じてしまった林を見て、牧村が軽く紫雨に手を振った。
“もうからかうのは止めよう”ということらしい。
紫雨も林の隣に体を戻した。
林は目を開けない。
眉間にうっすら皺を寄せながらまた一つ大きく息を吐いている。
ちらりと牧村の方を見ると、いい加減大人しくしようと思ったのか、態勢を戻して窓の外を眺めている。
正直言うと牧村の登場には驚いたし、タクシーで強引に激しいキスをされた手前、気まずくもあった。
でも普段、感情の起伏がわかりにくく、こちらを好きなのか、それともしょうがなく付き合ってるだけなのかわからない林が、少しでも妬いてくれれば面白いと、期待しないわけでもなかったのだが―――。
――牧村がキスした仲だとふざけて言ってもこの男は眉一つ動かさなかった。
紫雨は林にぶつかるようにわざと大きく足を組んだ。
しかしぶつかられた林は弱く揺れただけで、目を開けることはなかった。
◆◆◆◆◆
結局、部屋は牧村が契約し、紫雨と林は後日、塩原の物件を内覧する約束をして、不動産屋を出た。
「あーあ。無駄な時間を過ごさせやがって」
紫雨が牧村を睨む。
「いやあ、正直マジで決める気はなかったんだけど、意外に条件に合ってたから」
牧村はヘラヘラと笑いながら、煙草を取り出すと、春の日差しにまぶしそうに顔をしかめた。
「そんで?実際に異動してくんのはいつから?」
紫雨がキャデラックのキーを取り出しながら聞く。
「4月1日から」
いつの間にか敬語のとれた牧村が咥えた煙草にライターで火をつける。
「エイプリルフールネタでありますように……」
「はは。だといいね」
紫雨が合掌すると、牧村は白い煙を吐き出しながら笑った。
「じゃあ俺、八尾首に戻って、篠崎さんに子猫に咬まれたって報告してくるわー」
その名前に、
「――お前、篠崎さんにまでちょっかい出すなよ」
紫雨が睨むと牧村はケラケラと笑った。
「確かにいい男だけどあれは落とすの無理でしょー。バリッバリのノンケだもん。新谷がイレギュラー」
「――――」
まるで十年来の友人のように自然に会話をする二人を見ながら、林は俯いた。
どうしてこんなに自然に話すことができるのだろう。
なぜ自分たちは、自然に話すことさえままならないのだろう。
紫雨と自分を繋ぐもの。
それは、
―――セックスだけだ。