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-外が、騒がしい。
目覚めて一番最初に思った。窓硝子を通し外を見る。目に映ったのは、鮮やかな朱。大地に花を咲かせるが如く地に大きく広がっている。その中心にいる人物。其れは、よく見知ったモノだった。気の所為だと思いたかった。静かに冷や汗をかく。余りにも、大嫌いな彼奴に似ていたから。沢山の黒服の人間達が、妙に小さく見えて、蟻のように彼奴の周りに群がり始める。その時、部屋の扉がこんこん、と鳴り、扉の後ろから聞いたことのある丁稚の声がした。
「…中原幹部。ご報告が御座います。」
その声は全てを理解した者の、落ち着いた声だった。それからは善く覚えていない。耳に聞こえるのは獣の様な咆哮。躯中に感じるのは痛みと苦しみ。心臓にちくりと痛みがしだして、世界が暗転した。
「はッ……」
目覚めると、其処は寝室だった。柔らかな枕の上、薄めの生地の布団の下に居た。汗が躰中に纏わり付き、気持ち悪い。肺が酸素を求め、動く。息が苦しい。
現実の様な景色。森鴎外ではなく、太宰治が首領で、俺が最高幹部。中島敦が、探偵社ではなくポートマフィアで、芥川龍之介が探偵社。此方の世界と、反転したような世界。だが今中也自身はポートマフィアの五大幹部の1人であり、忠誠を首領である森鴎外に誓っている。そうなれば考えられる可能性は、夢であるということ。其方の方が現実味が強い。一般人なら夢見が悪かった、程度で済むだろう。だが、中也は違った。夢を、今迄一度も見たことがない。その事実は中也が人間であることを疑問に思う証拠のひとつであった。眠りは、泥に沈むような、意識が消えるような、只の行為であった。若し、本当に夢を見たというのならば、中也が自分自身を人間であると疑う証拠がひとつ薄くなる。人間だと肯定を出来るのではないかということに中也自身は、悦びとも、悲しみとも取れなかった。
「どうしたの、君らしくない。」
中也の隣に居た元相棒は、そう云った。中也は思った。多分、先程からの此奴に対する態度のことなのだろう、と。判ってしまうくらい、彼には自覚があった。口を開き、元相棒は云う。
「何時もより、態度が余所々々しいし、直ぐに怒る癖に今日は妙に冷静なの。それに対して君、自覚あるでしょう。」
ねえ、中也。そう冷めた声で告げる太宰治は静かな圧を中也にかける。ひやりとした冷たい圧に背筋が凍ってしまう。口から出た言葉は、嘘であった。
「…別に、何でもねェよ。」
告げ終えた直後、中也の視界がぐらりと傾いた。両手首に重みを感じ、目の前に太宰の顔が広がる。
「嘘は要らないよ。そんな犬に育てた覚えは無い。」
その言葉にいつも通りの中原中也という模様を装って、反抗しようと口を開こうとした。だが、出来なかった。
彼の目は、何も映していない、黒をしていた。呑み込まれてしまいそうで、彼に押し倒された儘、抵抗もせず黙ってしまった。無駄だと、思ってしまった。
「本当のことを云え。何を知った?」彼の其の黒い瞳に吸い込まれ、その迫力に圧倒され、小さくぽつりと呟いた。
「…夢を、見たんだ。」
小さく小さく、なんとか言葉を紡いで現実の様な夢を太宰に伝える。彼は知っていた。中也自身が夢を見たことがないことを。そして其れが彼自身の人格が模様と肯定される真実のひとつとなっていることも。其れが、覆された。それは彼を人間とするひとつの証拠であって。それは太宰自身にとって悦ばしいことであった。だが、中也の口から紡がれる夢の内容は、悦ぶことが出来なかった。その内容を、太宰治は知っていた。彼は、其れが現実で、違うどこかの軸で起こっていると知っている。中也は知ってしまったのだ。可能性世界を。親友を護る為に、彼が命を捧げた世界を、見てしまったのだ。中也は云った。
「…太宰が、死んでたんだ。あれは、生きてる人間の撒き散らす血じゃない。生きてる人間の色じゃない。太宰は、俺が殺すって決めてるのに、なのに夢だと勝手に死んじまって。今迄自殺を繰り返してきても死ななかったから安心したんだ。此奴は、大丈夫だって。」
彼は俯いて告げる。涙も、表情も無かった。
「でも、簡単に俺の見てないところで、俺の知らないところで太宰が死んでる夢を見て思い出したんだ。手前は人間だったってことに。」
中也は泣きそうな顔になった。どうすればいいか判らぬ、迷い子のように。
「俺は、人間じゃないから。でも、太宰は人間で。」
彼の口から出た言葉に、苛立ちが募った。彼はこうも自分を人間だと認めたがらない。それに酷く苛立ち、彼の首に手を添えた。中也は困惑した顔をした。眉を垂れ下がらせ、視線をこっちに向け、怯えるような視線を向けた。それを見た太宰は、ゆっくりと体重をかけ、首を絞めた。これの口から漏れるのは躰に残っている空気が出ていく音。彼は、中也は抵抗しなかった。只、太宰を見つめていた。太宰は苛立ちが加速した。まるで、私は人間ではありません、と中也が宣言しているように見えて、とても気に入らなかった。力を入れ、強める。だが、太宰は見てしまった。中也の瞳から零れた涙を。中也の躰は恐怖を感じている。死に近づくことに対して。それを見た太宰は手を緩めた。
「…なんで、なの?どうして、抵抗しないの?」
今度は太宰が困惑した。意識は死に向いていたのに、躰は恐怖に蝕まれつつあって。中也は云った。
「…太宰なら、善い。」
確かに、そう云った。太宰は目を見開かせた。
「なんで、どうして?君は…。そうしたら、私を殺してくれるのは、誰になるのさ。」
昔、彼が見せた迷い犬の様な表情に、言葉に、中也は思わず心を奪われた。中也は告げる。
「…夢の中の手前は、きっと何かを独りで守りきったんだ。何故だか、そう感じる。」
中也は躰を起こして、太宰を抱き締めた。
「…俺の躰は手前にやる。数年だけだが、ずっとそばに居たんだ。手前のことを判ってるし、理解してやりたい。マフィアに入って、双黒と呼ばれ始めた時から、決めていた。だから、太宰に殺されても善い。」
そう云って中也は太宰の背中に腕を回す。
「だが、手前の躰も俺のモノだ。手前を殺すのは、絶対俺でなきゃいけねェ。」
告白、というよりもプロポーズに近い言葉を、太宰は黙々と聞いていた。そして只静かに、中也を力強く抱き締めた。
ある日、中也は云った。
「…また、変な夢を見たんだ。」
太宰は中也からその内容を聞いて確信した。それは、前とは違う可能性世界の話であるということに。
全ての可能性世界を、何らかの方法で知ってしまっている太宰は、中也に聞こえぬ様に小さく呟く。
「嗚呼、そうなのだね。中也、君も。」
全てを知ってしまうのだね。