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近い内に、王都へ帰って来なさい――。
ショコラのもとに、父からの手紙が届いた。その事を、しばらく世話になった伯父一家にも伝えなければならない。
ならば早い方がいいだろうと、彼女はその日の晩餐の席で報告をした。
「あら……寂しくなるわねえ。うちなら、いつまでいてくれても大歓迎なのに。」
「そうだよ!もっといたらいいよ、ショコラ姉様!」
伯母のクラフティも従弟のベニエも、名残惜しそうである。
「まあ、仕方ないさ。公爵様が帰って来るようおっしゃっているんだから。」
伯父のカヌレがそう言うと、晩餐の席は少しだけしんみりとしてしまった。
「――…そうか。長いようで短かったね。どうだったかい、ショコラ?ちゃんと慣らしは出来たのかな?」
しみじみと思い返すように呟いてから、彼はそう尋ねて少々寂しそうに微笑んだ。
「はい!ここでは、とても有意義に過ごす事が出来ましたわ。」
ショコラは輝くような笑顔で、迷いなく答える。
即答したのは、社交辞令だからではない。ましてや、家に帰れる事が嬉しいからでもない。ただ純粋に、良い経験が出来たと本音で思っていたからである。
……もっと言えば、もう少しここで過ごしたかったと思うくらいには、このシャルトルーズを気に入っていた。
「またいつか、必ず遊びに来ますね。そうだ、ベニエ。もうすぐ王都の寄宿学校へ入るのでしょう?それならその前に、今度は貴方が公爵家へ遊びに来たらいいわ!まだしばらくはお姉様もお屋敷にいらっしゃるし、きっと喜ばれるはずよ。」
良い事を思い付いたとばかりにパチンと手を叩き、ショコラが提案する。するとベニエはこくりと頷いた。
「うん、そうするよ。――って言っても……フィナンシェ姉様の前に立つと、何か緊張しちゃうんだけど。」
そう言って、彼はぺろりと舌を出す。まだまだ子供のように見えて、絶世の美女を前にすれば一丁前に照れるような歳になったらしい。
「ふふっ大丈夫よ、ベニエ。それは普通の反応だわ!」
しんみりとしていたその場が、最後には笑いに包まれていた。
さて。
ショコラ一行は、王都へ帰る事になったわけだが――…。侍女のミエルには一つ、この地に来てから気掛かりな事があったのだ。
帰る前に、彼女はその事を執事のファリヌへ報告しておこうと考えた。
「――“妙な視線”⁉それはいつの事です!!」
思っていた以上のファリヌの剣幕に、ミエルはおずおずとしながら答える。
「……最初に感じたのは、外歩きの初日です……」
彼はその返事に呆れて顔を覆い、その後はなかなか言葉が出て来なかった。……当然と言えば、当然の事だが……
「――…っなぜ、そんな重大な事を貴女は……今まで黙っていたんですか!」
「それは……私の気のせいかもしれない、と思って……。少し過敏になっていて、こちらの方向を見る視線を勘違いしたのかと……。だって、周りにはあんなに沢山の人がいたんですから。……それに、周囲をきちんと確認もしていましたが、近くにおかしな人物は見当たりませんでしたよ⁉」
はじめはオドオドと話していたミエルだったが、思い返して行く内に、危険は無かったのだと徐々に自信を取り戻す。そして声は段々と大きくなった。
それを聞いていたファリヌの方は眉間に皺を寄せ、深い溜息を吐く。
「……これは、我々だけの問題ではありません。ここはシャルトルーズですから、まずはカヌレ様にご報告しなければ……。貴女も来てください!」
二人はそのまま、領主であるカヌレの元へと急いだ。
彼女の感じた視線が、ショコラを狙ったものであるという確証はない。もし不特定を狙っていたとするのなら、それはこの地の治安問題にも関わる話である――。
カヌレの執事に事情を話すと、取り急ぎ面会をさせてくれた。
「う――ん?不審者の情報は、私のところには上がって来ていないなあ……。しかし、このご時世だからね。とりあえず、警備隊に指示は出しておこう。報告、感謝するよ。」
終わり。
ファリヌとミエルは、あっさりとカヌレの部屋から出された。その扉の前で、二人は暫し呆けてしまう……。
手短にした報告だけで、面会はごく短い時間の内に終了してしまった。……詳しい説明は?状況の確認は⁇――特に何も要求されなかった。嘘だろう?そんな事があるだろうか??
勇んで来たのに、何だこの、手応えの無さは……。ここの領主は、あまりにも呑気過ぎやしないだろうか?
治安には元々自信があるのか、カヌレはこの件をさほど深刻には考えていないようであった。領主がそれでいいと言うのなら、余所者に言える事はもう何も無い。
だが――。
ミエルに対してのお説教は、これからが本番である。それとこれとは、別の話。
歩き出しながら、ファリヌは口を開いた。
「お屋敷に戻ったら、今度は旦那様へご報告しなければなりません。その時にも同席して貰いますよ!」
「はい……。」
「もしかしたら、この先の旅は中止になるかもしれませんね……!」
廊下を進む彼の歩調はかなり早い。もしかして、怒っているせいだろうか……。ミエルは小走りでそれを追い掛けた。
「……もし相手が手練れだったら、どうするつもりだったんです?姿が見えないのは、上手く隠れていただけだったとしたら!」
「その時は、私が身を挺してでもショコラ様をお守りするつもりでいました‼」
「向こうが一人だとは限らないんですよ?貴女だけで、本当に守り切れますか⁇」
「それは…………すみません……。」
一連のやり取りの後、彼女はかなりしゅんとしてしまったようだった。言った事は正論だが、今のはさすがに調子が強過ぎたかもしれない。
ファリヌは一旦立ち止まると、ミエルの方を振り返った。
「――…貴女は、“身を挺してでも”と言いましたが、そんな事をショコラ様が望まれますか?あの方がご無事で、自分も無事でいられる方法を考えなさい。とにかく。これからは何かあれば、すぐに報告をする事。いいですね?」
「……はい……。」
それまでは棘だらけだったのに……。その言葉は、ほんの少しだけ丸くなったように、ミエルには感じられていた。
――しかし。
その事が、逆に彼女へ罪悪感を与えていたのだった。
「……ル、ミエル、ミエル!」
何度目かの呼び掛けの後、ミエルはようやくハッと我に返った。
「あっ!……すみません。何でしょう、ショコラ様??」
「どうかしたの?さっきから、何度も溜息を吐いているけれど……。」
「も、申し訳ございません!大変失礼な事を……」
寝支度の最中、手伝ってくれていた彼女の元気が無いようだったので、ショコラは声を掛けてみたのだが……。やはりどこか上の空だったらしい。
「――…また、ファリヌと何かあったのね?」
ショコラはずばりと尋ねる。専属侍女となってから、ミエルが落ち込む要素と言えば……それしかないわけで。
「……わたくし、お屋敷に戻ったら、専属侍女を解任されてしまうかもしれません……。」
「ええっなぜ??」
「最近、ファリヌさんに怒られるような事ばかりしてしまって……いえ、最近だけではありません。失敗ばかりですわ。もう相当呆れて、嫌われているでしょうから……。」
そう話す彼女の空気は重かった。これは、思っていたよりも深刻な悩みだったようである。
「そんな!ミエルはよくやってくれているじゃない‼それなのに解任だなんて……。失敗は、誰でもするものよ。取り返したらいいの!……けれどもそれを許さないと言うのなら、私がそれを許さないわ!!」
「ショコラ様……」
「私、専属侍女はミエルでなければ嫌よ。それにファリヌだって、好き嫌いで判断したりしないと思うの。信用出来ない相手に、主人を任せて外出させたりはしないでしょう??」
ショコラは必死に、捲し立てるようにして彼女を諭す。確かに、その通りかもしれない。そこでミエルは、深呼吸をしてから考えてみた。
「――…。」
さっき、職を解くとまでは言われていない。きっとまだ取り返せる。一人で考えているとどうにも凹んで心が弱ってしまい、悲観的になってしまうようだ。
ふと気付くとそこには不安そうなショコラがいて、心配しながら自分の事を覗き込んでいた。……そんな顔をさせてしまっていたとは……。
「――申し訳ありませんでした。主人に愚痴をこぼすだなんて、それこそ侍女失格になってしまいますわね。わたくし、引き剥がされるまでは誠心誠意、ショコラ様にお仕えいたしますわ!!」
そう言ったミエルの表情が、やっと緩んだ。それを見たショコラは、ようやくホッとする。
「……たまには、貴女も愚痴を言ったっていいのよ。私のものだって、聞いて欲しいもの。これはファリヌには内緒!よ⁇」
ショコラが口元で人差し指を立て「しぃっ」という仕草をすると、二人は笑い合った。
次の日、王都へ帰るための荷造りをした。――と言っても、主に作業をしたのはファリヌとミエルだったが……。
その合間を縫って、惜しむように屋敷の近くを散歩する。ショコラとしては、もう一度街へも行ってみたかったのだが、時間的にそんな余裕は無かった。
『次に来る時は、たぶんもう街へは行けないわね……。ちょっと残念だわ。』
日が傾き、伯爵家の屋敷から見る夕方の景色も見納めだ。真っ赤に染まる空と、段々と暗くなって行く山々。青かった湖は黒色に変わり、少し恐ろしささえも感じる。だが、それすらも美しかった。
――そして、その日の朝はあっという間にやって来た。
「それではカヌレ伯父様、クラフティ伯母様、ベニエ。それに使用人の皆さん、大変お世話になりました。」
馬車の前で、ショコラは見送りに出て来た者たちへ挨拶をする。
「ああ、公爵様やマドレーヌによろしく。気を付けてお帰り。」
「公爵様になるためのお勉強、頑張りなさいね。その報告を楽しみにしているわ。」
「ショコラ姉様!今度は僕がそっちに行くから待っててね‼」
来た時と同じように、今度は去って行く馬車に向かってベニエは手を振っている。離れても見えるように、腕全体を使って大きく――。
玄関から少し離れた場所まで追い掛けて行き、馬車の姿が完全に見えなくなるまで、彼はその手を振り続けていた。
「……行ってしまったなぁ。本当に、寂しくなるね。」
「そうねえ。うちももう一人、子供がいればよかったわ!」
「ははは。」
ガタン、ゴトンと馬車に揺られ、ショコラは帰路に就いた。
市街地を抜けると、そっと窓のカーテンを開ける。これで本当に、毎日眺めていた湖や山脈ともお別れだ。次はいつ来る事が出来るのか、分からない。だから、この目によく焼き付けておこう。――そう、思った。
来た道を戻って行くのは、全てが巻き戻って行く感覚にも似ているような気がする。
しかし、自分がここで得たものは、決して巻き戻る事は無い。ショコラは静かに、そう感じていたのだった。