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展示室のホールをはさんだ向かい側が、教室の工房になっており、机と椅子、窯にガスバーナーなどが並べられている。
外の噴水に反射した春の日差しが、工房の中をキラキラと照らしていた。
三時を回り、ガラス教室には二十人弱の生徒たちが、それぞれ目元をハンカチで抑え、悲痛の声を上げていた。
教室の端の机に座っている壱道がマスクを引っ張ったり離したりもてあそびながら、生徒たちの顔を見ている。
そこに木製のトレイにガラス作品を乗せた青年が入ってきた。
「今日は急遽お集まりいただき、ありがとうございます」
パンフレットの左端に写っていた青年だ。
名前は青山純。
写真より大柄で筋肉質で、芸術家というよりは、スポーツ選手のようだ。
「純ちゃん!!」彼が現れた途端、生徒たちが彼を取り囲む。
「先生、自殺って聞いたけど、どういうことなの?」
「突然のこと過ぎて信じられないんだけど」
青年の顔がみるみる歪み、少年のように幼く見える。
「俺も。俺だってわからないですよ。どうして・・・」
うっとくぐもった声が漏れ、青山が目を両手で押さえた瞬間、いつの間に近づいてきたのか、壱道が彼の肩を両脇から叩いた。
「感傷にふける前に聞きたいことがある」
突然割り込まれて、一同が憮然とする。
「なんなんですか、あんた、突然」
女性たちが噛みついてくる。
「櫻井さんの事件を担当している、捜査一課の成瀬です」
「警察の方?なら教えてよ。咲楽先生はどうして自殺したの?」
生徒たちが口々に言うのに対し、青山だけが如何わしげに壱道を振り向く。
「青山さん、こちらに来ていただけますか。お話を伺いたいので」
琴子が言うと、青山は素直に応じた。
隣接した咲楽の工房に入り、向い合せに腰を下ろす。途端に青山のほうから口を開いた。
「なんで捜査一課の人が来るんですか」
「捜査してるからだ」
端的かつ無表情に壱道が答える。
「そうじゃなくて。なんで一課の人が来るのかと。殺人なんかを担当する課じゃないんですか。咲楽先生、自殺じゃないんですか」
青山を無視して、壱道が始める。
「咲楽の本名を知っているか」
「いいえ、知りません。俺らの中で先生を呼ぶ時もみんな、咲楽先生でしたし」
「親しかった人物は?」
「さあ、同業者で特別親しい人も知らないし、プライベートのことは俺たちは何も教えられていないので」
「恋人などは」
「いたのかも知れませんが、俺たちは知りません」
「体の関係があった人物は」
あからさまに表情が引きつる。
「だから俺たちは何も」
「先ほどから言っている俺たち、というのは?」
「は?」
「俺たちというのは誰を差す。臨時教室も合わせた広義の意味での生徒達なのか、ここにいるガラス教室の生徒を指すのかそれとも」
壱道がマスクを下にずらす。
「お前と滝沢隼斗、二人のことか」
青山の眉間に皺がより、不快感が露わになる。
「質問を変える」こちらは無表情のまま瞬きもせずに続ける。
「咲楽がもし殺されたとして、犯人に心当たりは」
声が大きくなる。
「そんなのあるはずないでしょう!」
「では咲楽に何かひどいことをされた人物を知らないか。たとえば、イタズラされたとか」
「は?」
「レイプとか」
明らかに顔色が変わった青山が立ち上がる。
「誰がそんなこと言ったんだよ!」
「心当たりが?」
「んなわけねーだろ!」
「被害者は生徒の誰からしいが」
「知るかよ!俺たちじゃねーって!」
壱道が急に黙り、青山の叫び声だけが部屋に反響する。
沈黙の意味がわからず青山が二人の刑事を交互に見比べる。
ふうと息を吐きながら壱道がマスクを上げる。
「もう一度聞く。“俺たち”もお前と滝沢隼斗の二人を指すのか」
青山の顔がみるみる色を失う。
「お前は、少なくても櫻井がゲイだと知ってたんだな」
「いや、そうなのかなと、勝手に俺が思ってただけで、確証があったわけでは」
「途端に“俺たち”から“俺”になったな」壱道が笑う。
「戻っていい。もうわかった」
何か言いたそうな青山は苦虫を噛み潰したような顔で出ていった。
「いいんですか?詳しく聞かなくて」
壱道は無言で窓を開け、ひょい枠に上がり外に出た。慌てて後を追うと中庭を抜けホール近く窓の下に屈む。
「さっきの会話の流れ、私よくわからなかったんですけど」
小声で話しかけると、こちらを見ることなく説明を始めた。
「あいつの反応を見るに、俺たちが現れるまでは本当に櫻井は自殺だったと思っていた。だが、捜査一課の刑事を目の当たりにし、もしかしたら櫻井は殺されたのかもしれないと思った。さらに“イタズラ”や“レイプ”という言葉で顔色が変わった。つまりあいつはその被害者に心当たりがある」
男子トイレの窓のようだ。なぜか五センチほど開いている。
しばらくすると誰かが入ってきた。
深い溜息をつきながら、ガサガサ音をたてている。
「もしもし。俺だけど」
青山の声が聞こえてくる。
「なんでここに来るとわかったんですか」一層声を潜めて壱道に尋ねる。
「わかるわけないだろ」
事も無げに答える。
「この建物は中庭に全ての部屋が面しているから、全部開けておいただけだ」
こちらの気配に気づいていない青山の声がまた聞こえてくる。
「咲楽先生のことで今、刑事が来てる。ーーー知らねーよ。こっちが聞きたいっての」
壱道が至極当然のように、隙間から指をいれ窓を開く。と同時にまたひょいと音も立てずに乗り越え、中に入る。
「なぁ、お前、今どこいんの?あっ!」
後ろから携帯電話を奪われ、唖然とする青山を尻目に壱道が耳に当てる。
「すぐそこのファミリーマート?ああ、美術館の横の?」
青山の声が入らないように手のひらで受話器を覆いながら、壱道が歩き出す。
「替わってくれてありがとうな、青山君。もしもし、松が岬署の成瀬です。どーも初めまして。あ、大丈夫だよ来なくても。このまま電話でいいから答えてほしい簡単な質問があって」
言いながらトイレを後にする。
琴子も会釈して続こうとすると、青山が行く手を拒んだ。
「警察って何をしてもいいんですか」
琴子は青山に向き直った。
「私たちは、他意はなく、咲楽さんの死の真相を確かめたいと、それだけの信条で動いています」
何も言わずにこちらをにらみ続ける。
「青山さんは、今、誰に対して怒っているんですか」
あんなに熱を帯びていた視線がふと外れる。琴子はもう一度会釈をして、その場をあとにした。
昨日の雨が、4月には珍しい高温で蒸され、じりじりとむせ変えるような湿気を帯びている。 その中を携帯電話を片手に持ちながら心持ち屈んで歩いている壱道に続く。
「咲楽さんの簡単な週間スケジュールを教えてもらいたい。わかる範囲でいいから」
電話でいいなどと油断させつつ、何でもない話をしながら、もう一人の青年、滝沢がいるところまで行くらしい。
外に出て噴水の脇を通り、県立公園沿いを歩いていく。
「そうか。かれこれもう四年間も咲楽先生の生徒というわけか。じゃあ今回のことはさぞびっくりしただろうな」
無表情で談笑している姿には嘘ら寒ささえ覚える。
ツツジの蕾が並ぶ植え込みの角を曲がるとコンビニが見えてきた。
と急に壱道が振り向き、琴子の二の腕をぐいとつかんで自分の前に引っ張っり身を隠しながら背中を押し出した。
近づくにつれ、人々の背格好が認識できるようになると、携帯電話を耳に話している青年が見えた。
青山と同い年というが、ずっと幼く見える。
色白でひょろ長くて、少し線が女性っぽい。プリントTシャツにジーパンで、肩にはトートバッグを下げている。
携帯電話で話している顔は青ざめているが、白目は真っ赤に充血して、殴られたかのごとく隈もすごい。
その距離五メートル。壱道が携帯電話を離し、直接声をかけようとしたそのときーーー。
後方から突然足音がした瞬間、壱道がひょいと避け、琴子の背後に何かが突っ込んできた。
その衝撃で前方に倒れ、派手に顎をアスファルトに強打し、悶絶する。
「あっ」
壱道をねらっただろう相手はとまどいながらも琴子に覆い被さり押さえつけた。
「逃げろ!隼斗!」
驚いてこちらを振り返った滝沢に、青山が叫ぶ。と同時に携帯電話を投げ捨てた壱道が走り出す。
慌てた滝沢は、後ろに2、3歩足を絡ませながらトートバックを落としながら走り始める。
湿っぽい地面に押さえつけられたまま熱い顎を手の甲で拭った。血がべっとりと付着する。
覆い被さる青山に見せるように掲げる。
「警察相手になら、何をやってもいいんですか」
「卑怯なのはそっちだろ!」口では強気なことをいいつつ、鮮血に驚いたのだろう青山の重心が、ほんの少し傾く。
目の前が赤く曇る。鐘の音が聞こえる。
ぐっと顎を引き、両の手で思いっきり地面を突き放して、頭頂部を青山の顔面にぶつける。
衝撃で仰け反った隙間から体を翻しながら、彼の右腕を掴み、角度を着けながら後ろ手に捻る。
鈍い音がして、頭を垂れて青山がぐったりする。
押さえつけながら顔を上げると、コンビニから数十メートルの橋のたもとから、細い体をを滑り込ませ、川沿いの坂道を逃げる滝沢が見えた。と数メートル後ろを走っていた壱道は橋の欄干にひょいと飛び乗る。
生ぬるい風が吹き、黒い髪の毛がふわりと揺れた。やけにゆっくりとした動作でマスクをずり下げる。
「嘘だろ・・・」
身動きが取れないまま青山が呟く。
遥か下を逃げていく滝沢に狙いをつけて、壱道は飛び降りた。