雨の日の図書館や夕暮れ時の喫茶店などは記憶に焼きつく妙な魅力を持っている。まるで歴史の1ページに今まさに立ち会っているのだというような実感を与えながらも、実は私が主観的に感動しているだけの、あくまで内面的な感動の瞬間なのである。これは例えばその喫茶店で、わたしがコーヒーを飲み、他の客と共に雰囲気作りに没頭して、コーヒーが終われば余韻を味わい、そして何事かを成し遂げたわけでもないのに満足をして出ていくということからも明らかな話だろう。当然、本人は気づいている。なんという意味のない行動だったのかという事は。それでも私にとりこの感動は、日々のなんの変哲もない暮らしの中では得難いちょうど良い刺激であり、ちょうど良い人生のごまかしなのだ。もし本当に感動的な文学小説のような出会いと別れがあるのなら、わたしはこんなことの一つ一つにどれほど全力で取り組んでいただろうか。
今日もまた1人この窓際の席に座り、モカ、ミルクなし、砂糖多めのこのお子ちゃまコーヒーを、さもブラックのキリマンジャロを啜るかの如く盛大に飲み方を工夫する。ああ、なんと素晴らしいロールプレイであるか。
ふと気づくと目の前こテーブル席に美しい彼女。やぁ、軽く会釈をする。向こうは少しギョッとしたようでなんだか落ち着かなくしている。ふっ、私のような立派な男は珍しいものなのだろう。少しすると彼女の向かいに彼氏と思しき爽やかそうな男がお待たせと言って席に着く。やれやれだぜ。
横に座っていたギャルっぽい女がクスクスと笑いながら私をみている。いや、みているというのは確認していない。ただ私があまりに滑稽だったのできっとそうなのだろうと思っている。あーあ、見ないでくれ。わたしは平静を装いながらまたコーヒーを口に運ぶ。その手は震えていた、あまりに情けない今の現状に強烈な動揺を示していた。わたしはこの左手をこらこらと静止して両手で震えを抑えながらクイッと一口飲むと、横の彼女が話しかけてきた。
「おじさん、いまめちゃくちゃ恥ずかしいことしてたでしょw」
やれやれ最近の若いのはどうにも品が足りないな。わたしはそう言ってやろうと思って彼女の方にかおを向ける。おじさんではないのだ。
「見逃してもらっていいかな?」
ダメだった。何がとかいうのがもうすでに恥ずかしい。なんだこれは。彼女の銀髪のその笑いとともに揺れる様は穏やかな小川のうねりのようになって流れるように形を変える。水面の反射はまるで鏡のように私の顔に夕日の眩しさを覚えさせた。
そんな感動も少し見透かしたような彼女は、一緒に行かないか?と言ってわたしはエスコートされるのだった。
人生でお持ち帰りなどしたことないがお持ち帰りされたことならあるんだぞと友達に自慢できるだろう。
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