※四話目 続き
「やっぱり……ロシア、なのか?」
長身。コートを着ている上からでも分かる細身の身体。トレードマークである北欧伝統の編み上げ帽を被った彼の肌は、雪のように白い。顔にはお決まりの、青い十字架が刻まれている。
「……フィンランド……‼︎ 」
ロシアは思わず彼の名を呼んだ。呼ばれたフィンランドは、安堵したかのように口許を緩ませた。
ロシアは一歩、彼に近づこうとした。が、その時、フィンランドが、真っ黒な細い筒のようなものを、さりげなく自身の背後に隠したのが分かった。不審に思ったロシアだったが、その時初めて、フィンランドの白いロングコートのすそが赤茶色に汚れていることに気づいた。
まるで、血でも吸ったかのような汚れだった。
「あの……フィンランド、それ……」
ロシアは震える指でそれを指した。フィンランドが顔を若干、歪めた。
「あんま見るんじゃねぇよ……俺はただ単純に、森ん中に射撃の練習に行っただけなのによ……朝じゃ無いと、マタギとか木こりが森ん中入るから……」
ということは、フィンランドが背負っている筒の中には、銃の類が入っているということだ。血の気が引く思いで、ロシアは聞いた。
「ひと、を……殺した…の…?」
ロシアが声を震わせながらそう聞くと、フィンランドは「…チッ」と舌打ちをした。
「……こんな話朝からしたくねぇんだけど……まぁ話しかけちまった俺も悪いしな……」
フィンランドはロシアの顔をじっと見つめて言った。
「……残党狩りだよ。飛び道具に関わらず武器持ってるやつは狙われるんだ。………枢軸の奴らか、連合の奴らかは、分からなかったが……あいつら、木の上から撃ってきやがった。だから……その……」
応戦するしか無かったろ、とフィンランドは言った。
「あいつらが地面に降りてきた時、至近距離からの撃ち合いになって。逃げられちまったから、弾は掠ったが殺すには至らなかった。だからこれは返り血だよ」
「じゃあそれは、フィンランドの血じゃないんだね!?」
ロシアが泣きそうな顔で言った。
「あぁ、まぁな」
「良かったぁ……‼︎ 」
ふにゃ、と泣き笑いのような表情をされ、フィンランドは一抹の後悔を覚えた。コートを脱いでおけば、きな臭い話を朝っぱらからこんな幼い子供にしなくても良かったのではないか……いや、コートを脱ぐのはこの気温の中だと自殺行為だ、では話しかけなければ良かったのではないか……
でも、とフィンランドは思う。澄んだ空気の中を一人歩くロシアからは、見ている前で消えてしまいそうな弱々しさを感じた。思わず話しかけずにはいられなかった。
「……それ、あそこの店の牛乳か?」
フィンランドはロシアに問うた。そうだよ、と返したロシアは、重たそうに瓶を揺すり上げ、目を伏せた。そんなロシアの顔を見てフィンランドはいささか驚き、声をあげそうになった。
(さっきまで影になってて気づかなかったけど……ひでぇ隈……ちゃんと寝て無いのか……?いや……)
父親が死んでは、当たり前か。
「……持ってやるよ、それ」
堪らなくなって手を差し伸べた。ロシアは少し驚いたような顔をしたが、すぐに力無く首を振った。
「……いい。だいじょぶ。持てるよ……」
しかし、そう言っているそばからロシアはよろけ、たたらを踏んだ。
「あ!ほら、危ないだろ……!」
フィンランドはヒョイとロシアの手から瓶を奪い取った。左腕でガンケースを背負っていたので、空いていた右手で瓶を抱える。ロシアは彼の左側にいた。
「……ありがと」
ロシアは申し訳なさそうに、そう、小さな声で呟くように言った。
「……あんま気にすんなよ。ていうか、なんかあったら俺に言えよ。俺に出来ることならするから……」
言いながら、我ながら自分らしく無いと思った。
元敵国・ソビエトの息子、ロシア。ソ連とは最後は戦火を交えることこそなかったが、彼のことを憎んでいたのは確かだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い…とまでは行かないが、正直、ロシアに対してどう接したら良いか分からなかった。たまたまソ連繋がりでお互いの存在を軽く知っているにすぎない。加えてフィンランドはあまり深い関係を築くのを好まない性格だ。それなのに、さっきの自分の、あの言葉。本当に、らしく無いとはこのことだ。
「フィンランド」
ロシアに名前を呼ばれ、暫し物思いに耽っていた彼は顔を上げて隣を見た。
「なに?」
「あのさ……」
小さな沈黙が降りた。ロシアは目線を数秒だけ彷徨わせた。今から言おうとしていることを言おうか言わまいか、迷っているようだった。もどかしくなってフィンランドは聞いた。
「……何だよ?」
「えと……その……、こんなこと、聞いたらわら笑われちゃうかもだけどさ、あの……」
しかし、このあとロシアが発した言葉は、フィンランドを一瞬にして逆上させるに十分すぎる言葉だった。無論、ロシアには悪気など微塵も無かったのだが、フィンランドの今までの感傷的な気持ちは、簡単にどこかに吹き飛ばされてしまった。
「あの……平和って、なにかな」
「は………?」
「父さんが、みんなで平和を作ってくれって、言っててね?その…………」
途端に怒りで目の前が真っ赤に染まった。
平和。まさかこのガキの口から、そんな単語が出てくるなんて。
ロシアを殴りつけそうになって、寸でのところで踏みとどまれたのは、ただ単に、フィンランドの理性がほんのちょっとだけ、昂った感情に打ち勝ったからである。
噛み締めた奥歯がひどく軋んだ音を立てた。
平和。その言葉をお前が口にして良いと思っているのか、ソビエト。平和を騙ったお前が、一体何を犠牲にして誰を痛めつけて苦しめたか覚えていないのか?お前が、お前のせいで、俺は───‼︎
忘れたなんて言わせない。忘れさせてやるものか。カルヤやナチ、枢軸の仲間達。あいつらを───俺の大事なものを、全部、全部奪っていきやがったくせに……‼︎
あんなにも憎んでいたソ連がいなくなった今、行き場のない憎悪の矛先は、ロシアに向かおうとしていた。
(ソビエトの息子……まるきり憎くないと言ったら嘘になる。それに、いつソビエトのような超大国に……脅威に、なるかも分からない……)
また、こいつに……ソビエトの血筋に、俺の大事なものを奪われるのか?
だったら。
(どうせなら、このガキ……)
いっそのこと、ここで殺してしまおうか?
身体が燃え上がったような錯覚を覚えた。それがいわゆる“殺気”であることは程なくして気づいた。フィンランドの激しい“気”に中てられたのか、不意に、少し前を歩くロシアの小さな肩がピクンと震えた。ロシアが立ち止まったのと、フィンランドの長い指がガンケースのジッパーに掛かったのは、ほぼ同時だった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!