テラーノベル
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病室には、なつの泣き声と、
弱く息をするいるまだけが残った。
扉が閉まる。
残されたのはいるまと、
今にも崩れそうななつだけ。
「……みこと……帰ったんだ?」
いるまが困ったように声をかける。
「……いや…俺が追い出した」
なつの声は掠れていて、
まるで何日も眠っていない人
みたいだった。
いるまは気まずそうに笑う。
「えっと……なつ、さん……だよね?」
「……うん。なつ。ひまなつ。」
「ごめん。
どうしても……思い出せないんだ。」
なつは笑おうとするけど、
唇がひきつって笑顔にならない。
「……謝らないでよ。
俺が……勝手に来ただけだから。」
いるまの視線が、なつの手にある茶色の
封筒に向く。
「それ……何?」
「……手紙。」
「誰に?」
答えられない。
目の前の人に書いたなんて、
言えるわけがない。
沈黙に耐えられず、いるまが優しく
問いかける。
「ねえ、なつさん。どうして……
そんな泣きそうな顔で来たの?」
なつの喉が震える。
「……最後に……会いたかったから。」
「最後って……どういう意味?」
「俺……もう……
本当に、限界なんだ……」
いるまは息を呑む。
「……死ぬつもり、なの……?」
なつは、頷けば壊れるのが分かってて、
それでも頷くしかなかった。
「……うん…でも……最後に……どうしても、
どうしても……いるまに会いたくて。」
胸が潰れそうな静寂。
少しの間をあけて、
いるまは怖そうに聞いた。
「なつさん……
俺のこと……好きだったの?」
なつは、涙をこらえて笑おうとする。
「……昔のいるまが……好きだった。」
その言葉が決定的だった。
いるまの顔色がゆっくり落ちてゆく。
「……昔の俺、か。」
「違うの、違う……言いたいことは
そうじゃなくて……」
なつは胸を押さえながら、
言葉を搾り出した。
「俺、どうしてもいるまのこと……
忘れなんない……」
涙がぽたぽたとシーツに落ちていく。
「ごめん……ごめんなさい……
本当に……ごめん……」
声が崩れて、しゃくりあげるように泣く。
いるまは胸を痛めながらも、
真実だけを言った。
「……俺……正直に言うね。」
なつは涙でぐちゃぐちゃの顔を上げる。
「……うん……なに……?」
「俺……今の俺では、
あなたを“好きだった昔の俺”に戻れない。
どう接していいかもわからない。」
なつの指が震える。
「……そっか……」
「ごめん。。」
「わかってる……わかってるよ……
でも……俺……どうしたらいいの……?」
声が壊れていた。
茶色の封筒をいるまに渡して
なつは立ち上がって、
ふらつく足で出口へ向かう。
振り返る力も、もう残っていなかった。
「……迷惑かけて、ごめん……
もう二度と……来ないから。」
ドアが静かに閉まった。
なつは自分の足がどう動いてるのかも
わからないまま、
ただぼんやりと廊下を歩いていた。
胸の奥は真っ黒で、
何かが欠けて空っぽになったみたいだった。
ふと、ぽつりと声が漏れる。
「最後に……キスしたかったな……
抱きしめて欲しかったな……」
涙はもう枯れたはずなのに、
頬を伝う温度だけはまだ残っていた。
「……最後に……
俺……なにしてほしかったんだっけ……?」
自分で自分がわからない。
思考が霧みたいにぼやけていく。
歩きながら、ふと気づいた。
「あ……そういえば……
お揃いの……指輪……外れてた……」
病室を出る前、
自分の薬指に何もなかったのを思い出す。
「どこにあるんだろ……
捨てられちゃった……かな……」
その言葉を言った瞬間、
胸の奥で何かがぐしゃりと潰れた。
でも泣けなかった。
泣く力も、もうなくなっていた。
気づけば足は自然とひとつの方向へ
向いていた。
最初に二人で飛び降りた、あのビル。
夕陽が赤く滲んでビルの影が伸びていく。
なつの身体はぼろぼろで、足も痛むのに――
止まってくれなかった。
まるでそこに
「答え」が落ちているみたいに
惹かれてしまう。
階段を一段ずつのぼるたびに
息が苦しくなる。
だけど止まらない。
屋上への扉の前に立った時――
なつはぽつりと呟いた。
「……いるま……俺……本当に……
忘れられないよ……」
扉に手をかけた。
‐‐‐‐
なつが出ていった病室は、さっきまでの
温度が嘘みたいに冷え込んでいた。
扉が閉まる音がやけに重く響いて、
その余韻だけが部屋に残る。
膝の上には、なつが置いていった
茶色の封筒。
なんとなく…いや、予想していた最悪を、
指先が拒んで震える。
それでも、ゆっくり開く。
中には三つ。
・折りたたまれた便箋
・一枚の写真
・そして、銀行のカード
写真は、なつは写っていない5人の写真、
いるま自身、いつの間にかなくしたと
思っていた一枚。
そして便箋を広げる。
文字は不安定で、震えていて、
でも必死で整えたようで──
いるまは一行目を読んだ瞬間、息が止まる。
『これが俺の最後のお願いです』
喉の奥がひきつる。
ページをめくる手が自分じゃないみたいに
冷えて、目が勝手に読み進めていく。
その文字を見た瞬間、胸に刺さっていた
何かが深く折れた。
「……なんで、そんな……」
いるまは記憶をなくした。
なつのことも、当時の関係も、全部。
なのに──
なのに、この手紙の苦しさだけは、
理解できてしまった。
返せない想いを押しつけられたんじゃない。
なつは、最後まで自分の中だけで
全部抱え込んで、
それを「迷惑かけないように」って形に
して渡してきた。
そしてカード。
裏には小さく、震えた字でメモがあった。
『お金は全部、いるまに使ってほしい』
『あいつらにも少し渡してほしい』
指先がそこで止まる。
胸が急に苦しくなる。
「……は?」
思わず声が漏れた。
他人だろうが記憶がなくなろうが関係ない。
そんなこと言われて、
平気でいられる人間はいない。
息が荒くなる。
視界が滲む。
手紙を握る手に力が入りすぎて、
紙がくしゃりと音を立てる。
「……どこ行くつもりなんだよ、なつ……」
中身を見終わった瞬間、
寒気が骨まで貫いた。
これは、別れの手紙じゃない。
最期の手紙だ。
いても立ってもいられず、痛む身体を引きずりながらベッドから降りる。
点滴のスタンドが引っ張られてガタンと
音を立てるが、気にしていられない。
胸の奥で警鐘が鳴り続けている。
──なつは、これを置いて
どこかへ向かった。
それがどこか、薄々わかってしまうのが最悪だった。
立つにしろ足が全然動かない。
ガタンという音を聞いてみことがすぐに
駆けつける。
そこからの記憶はない
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
後日
らんからなつが死んだことを伝えられた。
コメント
1件
完結待ってました!記憶喪失ってとこがよりえぐられますねぇ、最高です!