私の居住地ではずっと天候が悪いので、ストレス解消に書きました
♥️さんの片想いのお話
今日はなんとなく、車に乗りたくなかった。
マネージャーに「送迎いらないから」と、ややぶっきらぼうに告げてダンススタジオのドアを押し開ける。理由なんて特にない。ただ、じめっと重い夜の空気を、自分の足で一歩ずつ踏みしめて歩きたい気分だっただけだ。
湿った風が頬に張り付いて、空気が重い。少しだけ頭を冷やしたかったのかもしれない。雨が来そうだな、折り畳み傘持っておいて良かった。なんて思いながらエントランスの階段を降りようとした、その時
「あ、元貴」
スタジオのエントランスの脇、街灯の少し奥まった場所に、ダンスレッスン後のTシャツとジャージ姿のままのりょうちゃんが立っていた。手にはいつも通りビニール袋を提げて。
ランニングでもするつもりなのか、軽く足首を回している。 俺に気づいて、いつもの柔らかい視線がまっすぐに飛んできた。
「……走って帰るの?」
そう訊ねる声が、自分でも驚くほど低く、抑揚のない響きになった。感情を悟られたくなくて、わざと視線を地面に落とす。
りょうちゃんは動きを止め、「うん。今日は気分転換に、家まで走って帰ろうと思ってたんだ」と笑った。そして、首を少し傾けて俺を見た。
「てか、珍しいじゃん、元貴が送迎断るなんて。疲れてるんじゃないの?」
その一言で、心臓が大きく跳ねた。いつもはさっさと車に乗り込む俺の、今日のささやかな変化に、りょうちゃんはすぐに気づいた。いつもそうだ。自分のことは鈍感なくせに、人の変化にはすぐに気が付く。
「……何となく外の空気吸いながら帰りたくなっただけ」
俺は喉の奥で、小さくそう吐き出した。無関心を装って、手に持ったカバンの持ち手を強く握り直す。
「ふーん。じゃあ、元貴は歩いて帰るんだ? 駅まで」
りょうちゃんは小走りで俺に近づいてきた。その顔は、いつでも飾り気がなくて眩しい。りょうちゃんの顔を見ただけで、さっきまで確かにあった一人で歩きたいという思いなんて、どうでもよくなる。俺にとってりょうちゃんはあの日、初めて声をかけた時からずっと、特別な人だった。りょうちゃんはいつも無防備に誰にでも優しく笑うけど、その笑顔も、その存在も、本当は誰にも触れさせたくないほどに俺の心を捉えて離さない。
「まあ、ね」
「そっか。走ろうと思ってたんだけどさ、元貴と二人で歩くなんて滅多にないし、楽しそうだから僕も一緒に歩いて行ってもいい?」
りょうちゃんは屈託なく笑って、俺に提案した。
いいに決まってるだろ。何ならお前が走ったとしてもついて行くわ。心の中で毒づくほどの喜びを、顔に出すなんて絶対に嫌だった。俺は顔を上げず、少しだけ顎を引いて見せる。
「……別に、いいけど」
小さく、素っ気なく答える。
りょうちゃんは俺のツンとした態度を気にも留めず、「断られなくてよかったぁ」と小さく微笑んで俺の左隣に並んだ。
「この格好で駅まで歩くの、ちょっと恥ずかしいけどね」
そう言って、俺の肩にりょうちゃんのTシャツの腕が触れるか触れないかの距離まで寄る。俺と歩くのが「楽しそう」そのたった五文字だけで、胸の奥がじんわり熱くなる。
他愛もない話をしながら歩いていると、ぽつ、ぽつ、と少し太めの雨粒が落ちてきてアスファルトに黒いシミを作る。
備えあれば憂いなしだな。俺はバッグの底から折りたたみ傘を取り出す。傘を開き、りょうちゃんに向かって差し出した。
「ほら、入りなよ」
「ありがとう。さすが元貴、準備いいね。でも、それ、どう見ても一人用じゃない?」
りょうちゃんは、俺が差し出した傘を見て笑う。少しだけ遠慮しているのが、その声のトーンで分かった。
「……いいから。濡れて風邪でもひかれたら困るし。明日も朝早いんだから」
俺が少し強めにそう言って傘を広げて差し出すと、りょうちゃんは「はいはい」と、少し照れたように肩を寄せた。
どくん、と心臓が跳ねる。近い、近すぎる。スキンシップが多い俺たちにとって、こんな近い距離なんて当たり前なのに。
俺の肩に、りょうちゃんのTシャツの腕が触れている。湿った空気の中、そこだけ温度が高いような錯覚に陥った。たったこれだけの接触なのに・・・相合傘という特殊な環境だからだろうか。俺は静かに深く息を吸い込んだ。この時間を誰にも邪魔されたくない。今、この小さな傘の下にいるのは、俺と、りょうちゃんだけだ。
しばらく歩いたところで、りょうちゃんがふいに俺の手元をちらっと見た。
傘を持つ手、そして反対の肩には着替えなどの荷物が入った、パンパンに重いカバン。
「ねぇ、元貴。僕が持つよ、傘」
「は? いいって。俺の傘だし、何でりょうちゃんが持つの」
俺は意地を張った。この小さな傘の下で、自分が守る側でいたかった。この距離を保っていたかった。
「でも荷物重そうだし。大きな荷物持ったまま僕にまで差しかけるの大変でしょ」
そう言うなり、りょうちゃんは俺の返事を待たず、俺の手から傘をひょいっと奪い取った。その動きがあまりにも自然で、反論の余地がない。
「おい!」と、反射的に声を上げたけど、もう遅い。
「ほら。僕の方が背高いし、持つならこっちの方が自然でしょ?」
いたずらっぽくそう言って、りょうちゃんは何でもないみたいに俺に傘をさしかける。傘の角度が、俺の頭上できっちりと調整されていた。
……ずるい。
本当は俺が、りょうちゃんを守りたかったのに。雨から、世界から、そして誰からも。守られてるみたいで悔しいのに、こんな風に二人きりでゆっくりと歩けることに、喜びも感じている自分が情けない。
「……チビ扱いすんなよ」
精一杯の抵抗だった。
「扱ってないって。ただ、ほぼ手ぶらの僕が持った方が元貴が楽になるし、ほら肩結構濡れてるよ。それこそ風邪ひいて声出なくなったらどうするの」 軽く笑うその顔が、どこまでも優しくて、大らかで。
悔しさなんて、あっという間に消えてしまった。
駅までの道は、ざあざあと降る雨音と、二人の足音、そして俺の鼓動だけが混ざって、不思議と心地よかった。
本降りになった雨。片方の肩が少しくらい濡れても構わない。この傘の下にいる時間がずっと続けばいいのにと、俺はりょうちゃんから見えないようにぎゅっと唇を噛み締めた。
駅の階段が、ざあざあという雨音の向こうに見えてきた。この心地よい時間が終わるサインだ。俺の心臓が、早くも痛みを訴える。
「あ、着いたね。サンキュー、元貴」 りょうちゃんはそう言って、不器用な手つきで傘を畳んだ。濡れた傘のしずくが、タイルの床に小さな水たまりを作る。
「駅からどうすんの、濡れるじゃん」
方向は違うけど、できればりょうちゃんの家まで一緒に歩きたい。もう少しだけ二人だけの静かな時間を過ごしたかった。
「駅からうちまで近いの知ってるでしょ?ちょっと走れば着くからさ。全力で走ってけばそんな濡れないと思う」
「いや、でも、結構降ってるし」
思わず心配の言葉が出た。全速力で走ったところで、この雨じゃ全身ずぶ濡れになるのは目に見えている。本当に風邪でもひいたらどうするんだよ。明日、会えなかったら。
りょうちゃんは俺の表情を見て、くしゃっと顔を綻ばせた。
「大丈夫、大丈夫。久しぶりの雨の中のランニング、むしろ楽しそうじゃん? ちゃんと温まって寝るから、心配しないで。それより元貴こそ、肩濡れてるから早く帰って温まったほうがいいよ」
その明るさに、俺の心配なんて一蹴されてしまう。
そして、りょうちゃんが心配してくれてるというだけで、俺の胸はまた満たされる。
「……勝手にしなよ」
再び視線を逸らしてそう吐き捨てるのが、精一杯だった。
俺が無言のまま早足で改札をくぐると、りょうちゃんは小走りで後をついてくる。
それぞれのホームへと向かう分かれ道で、りょうちゃんは「じゃあ、また明日」と屈託なく笑って俺に手を振った。
俺はそれにも素っ気なく、微かに顎を引いただけだ。
向かいのホームで到着した電車にりょうちゃんが乗り込むのが見えた。ドアが閉まる直前、りょうちゃんは窓越し俺を見つけて、さっきの俺の態度なんて忘れたみたいに、子供みたいに満面の笑みで大きく手を振った。 彼の姿が見えなくなるまで、俺は微動だにせず、ただ立ち尽くしていた。ざあざあという雨音と、電車の走行音が、耳の中で混ざり合う。
遠ざかる窓に張り付いた彼の笑顔が、あまりにも無邪気で。
くそ。何で俺はあんなにそっけなく「勝手にしなよ」なんて言ったんだ。何で手を振り返さなかったんだ。
最後くらい普通に「気をつけて帰りなよ」って言えばよかった。これじゃただのガキだろ。
りょうちゃんはあんなに無邪気に笑って手を振ってくれたのに、俺ときたら最後まで冷たい態度をとって。 自分の子供じみた態度が、腹立たしい。りょうちゃんからの優しさを、受け取るのも、返すのも、こんなに下手くそな自分が情けない。
電車の姿が完全に消えてから、俺はゆっくりと息を吐き出した。傘を閉じても、俺の肩はまだ、りょうちゃんのぬくもりを憶えているようだった。
帰宅してシャワーを浴びた後、俺は今日着ていたTシャツを脱衣所のカゴに放り込んだ。ふと、片方の肩だけが、まだ濡れているような気がして触れてみる。
もちろん、乾いているけれど。
ただ、あの小さな傘の下で、りょうちゃんの腕が時折触れた場所だけが、まだ微かに熱を帯びているような錯覚が消えない。
「楽しそうだから」
あの時りょうちゃんが言った、あまりにもまっすぐで、無垢な言葉を、無邪気な笑顔を思い出す。りょうちゃんは本当に、俺との時間を楽しんでくれていたんだろう。その事実だけで、俺の心は不思議なほど穏やかになった。
俺から傘を奪い取った、少し強引な手のひらの感触。
「僕の方が背高いし」と、冗談めかしながらもまるで当たり前のことのように俺を気遣う、あの優しさ。
俺が本当はりょうちゃんに抱いている、切なくて苦しいほどの愛おしさを、彼はまるで知らないまま、ただの友達としてメンバーとして優しさを差し出してくる。その鈍さごと愛しているのだから、どうしようもない。
濡れたTシャツを拾い上げ、顔に押し当ててみる。ほんの少し、雨と、隣にいた彼の匂いがした気がして、俺は目を閉じた。
翌朝、ダンススタジオの廊下を歩く俺の足取りは、いつになく重かった。
昨夜、脱いだTシャツに顔を埋めたことは、誰にも言えない俺だけの秘密だ。もちろん、左肩が未だにりょうちゃんの温もりを覚えている気がすることも。
先に到着していたりょうちゃんは、すでにダンサーのみんなと談笑していて、俺が足を踏み入れた瞬間に振り返った。
「おはよ、元貴」
彼はいつものように、屈託のない、明るい笑顔で俺に挨拶した。
「……おはよ」
俺は素っ気なく、それだけを返した。目を合わせた時間は0.5秒。すぐに逸らして、自分のロッカーへ向かう。背中に感じるりょうちゃんの視線が離れない。
「それにしても昨日の雨、本当にすごかったよね。元貴のおかげで助かったけど」
りょうちゃんが俺のすぐ後ろ、追いついてくるような距離で、楽しそうに話しかけてきた。くそ、今絶対顔が赤い。
りょうちゃんはロッカーの前まで来ると、俺の真横にぴたりと立った。いつもなら、もう少し距離を取るはずなのに。
「あ、これ」
彼はそう言って、何の躊躇もなく俺の腕に手を伸ばした。
反射的に体が固まる。俺の左肩、昨夜彼が傘をさしかけてくれた時に触れた、あの場所。
りょうちゃんは、俺のTシャツに付いていた小さな糸くずを、親指と人差し指でそっと摘まみ取っただけだった。その指先が、肌に一瞬触れる。
「なんか付いてた。衣装の切れ端かな」
「……あ、ああ」 俺は息を詰めたまま、蚊の鳴くような声で返事をした。指が離れた後も、左肩に残った微かな感触が、昨日の一連の出来事をフラッシュバックさせる。
「元貴、顔赤いよ? 昨日、風邪ひいちゃった?」
りょうちゃんは、心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
その瞳が、あまりにもまっすぐで。
俺がどれだけ素っ気なくしても、りょうちゃんは俺のことを心配し、優しさを向けてくれる。その無垢な優しさ自体が、俺の独占欲を激しく刺激する。
「……何でもない。ちょっと暑いだけ」
何とか声を絞り出して、ロッカーの扉を強く握りしめた。あの小さな傘の下で、俺の心を独り占めにしたのは、りょうちゃんの誰にも分け与えたくない、あの笑顔だった。
明日、スタジオで会っても、俺はまたいつものようにふるまうだろう。
りょうちゃんは俺の気持ちなんて知らずに、また会う人すべてを虜にするその笑顔で笑うだろう。
今はそれでもいい。焦る必要なんてない。りょうちゃんは俺が必要としている限り、ずっと離れずにいてくれるはずだ。
りょうちゃんが誰にでも優しく、無自覚なままでいられるのは、今だけだよ。りょうちゃんが俺から永遠に離れられなくなるまで、時間をかけてすべて俺のものにするから、覚悟しといてね。
多分こんな都合よく折りたたみ傘持ってないだろうし、普通にこの二人が相合傘してたら大騒ぎになるでしょうが、そこはフィクションなのでスルーしてください……
コメント
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更新、ありがとうございます✨ ♥️くんのめっちゃ不器用な片想い、刺さりました〜🥹 特に、💛ちゃんの優しさを受け止めのも、返すのも、こんなに下手くそな自分が情けないが、好きです🫶 好きだからこそ独占したいのに、でも素直になれなくてな不器用♥️くん、めっちゃ応援したくなります!