こうして茶の湯という文化へのキリスト教カトリックの貢献に感動を覚えた勝成は主君、同胞達と共に茶の湯の稽古に邁進していった。
このキリスト紀元1580年、天正8年という年は勝成が風流韻事に励む年になった。
無論武芸の稽古を怠ることはない。鉄砲、槍、馬術の腕をより上げる為血がにじむ程鍛錬を積み、蒲生家鉄砲隊の訓練を任されて足軽兵達を鍛えながらも主君と共に千宗易に師事する。
こうして戦から離れた平穏かつ充実した日々を送る勝成であったが、一方ノブナガは天下布武の実現に向けてさらに大きく飛躍しようとしていた。
この年の三月、初代北条早雲より関東に覇を唱えていた大大名、後北条家が従属を申し出て来たのである。
これは後北条家と長年熾烈な戦いを繰り広げていた日の本無双と知られる武田家を長篠の戦でいともたやすく壊滅的な打撃を与えた織田家の圧倒的な武力を知って北条家当主氏政が戦慄し、戦うことの無謀を思い知らされたからであろう。
さらに同年七月、本願寺がインペラートル正親町天皇の勅命による和睦を受諾した。
「本願寺の生臭坊主共め、遂に抵抗を諦めたか。散々手こずらせおって……」
そう言い捨てる横内喜内の声には忌々しさと同時に安堵の思いが込められていた。
無理も無いと言えるだろう。何せ織田家及びその臣従大名は十年もの長き月日に渡って彼らと熾烈極まる戦いを強いられていたのだから。
本願寺は正式には浄土真宗本願寺派と呼ばれるホトケの教えを奉じる勢力である。
宗祖である親鸞より第11世宗主である本願寺顕如は戦国大名をも凌駕する軍事力、経済力を誇って石山本願寺に盤踞し、多くの信徒から絶対的な帰依を受けていた
イエズス会士ガスパル・ヴィレラはその手紙に
日本の富の大部分は、この坊主の所有である。毎年、はなはだ盛んな祭り を行い、参集する者ははなはだ多く、寺に入ろうとして門の前で待つ者が、開くと同時にきそって入ろうとするので、常に多くの死者を出す。夜になって坊主が彼らに対して説教をすれば、庶民の多くは涙を流す。朝になって鐘を鳴らして朝のお勤めの合図があると、皆、御堂に入る
と記した程であった。
この本願寺顕如の絶大な力、信徒からの声望には武力でもって領土を切り取ることを生業とするはずの戦国大名も恐れ、
「本願寺だけには手を出すまい。あ奴らの武力、銭、信徒を意のままに操る力を敵にしては身の破滅だ」
と首を垂れるしかなかった。
そのようなジャッポーネの半ばを制すると言って良い強大な本願寺勢力に唯一、敢然と立ち向かったのがノブナガであった。
その理由をルイス・フロイスは
「ノブナガ殿は神および仏の一切の礼拝、尊崇、並びにあらゆる異教的占卜や迷信的慣習の軽蔑者であった。形だけは当初法華宗に属しているような態度を示したが、顕位に就いて後は尊大に全ての偶像を見下げ、若干の点、禅宗の見解に従い、霊魂の不滅、来世の賞罰などはないと見なした」
からだと記したが、ノブナガがこれを知れば心外であると大いに憤慨したかも知れない。
ノブナガは世情言われているような神仏嫌いでは決してなかった。
彼は戦に赴く際にはカミを祀る社に必勝を祈願しているし、宗派を問わず、寺社に所領を寄進もしている。
だが先に焼き討ちした比叡山延暦寺、そして本願寺は仏教の本分を忘れ、腐敗の極みに達していたと言って良い。
僧侶たちは仏道修行ではなくに武芸の習得に励み、あまつさえ酒を喰らって肉欲に耽溺する有様であった。
その増長ぶりは留まるところを知らず莫大な銭にものを言わせて最新鋭の武装をし、遂にはノブナガの敵対勢力に与したのであった。
当然、天下布武の理念を掲げるノブナガが彼らの所業を許すはずもなかった。
不退転の覚悟をもってジャッポーネ最強の武装宗教集団本願寺と戦う意思を定めた。
そして十年もの長き月日をかけ、莫大な戦費と多くの犠牲を払いながら戦い続けた結果、遂にノブナガは勝利したのである。
ノブナガの庇護を受けているイエズス会士達は当然、本願寺の宗派である浄土真宗を徹底的に弾圧し、禁教とすることを期待しただろう。
また実際に彼らと十年もの間血みどろの戦いを繰り広げた織田家の将兵は宗主である顕如及びその周辺の大量処刑を望んでいた。
当然そうなるはずである。本願寺の頑強極まる抵抗によってノブナガの貴重な将兵、さらには親戚縁者までもが討たれていたのだから。
その報復は目を覆いたくなるほど凄惨なものになるだろうと天下の誰もが予想し、期待していた。
しかしノブナガは顕如やその側近を処刑することもなく彼らの本拠である大阪本願寺から退去するだけで許し、その宗派、信仰を弾圧することも無かった。
驚く程寛大な処置であった。かつて宗教勢力に戦にて勝利した君主でこれほど寛容な例が洋の東西を問わず存在しただろうか。
「何故だ。ノブナガはホトケの教えを奉ずる者共を憎み、彼らを殲滅することを望んでいたのではなかったのか?」
勝成はイエズス会の宣教師達と同様に困惑した。
ノブナガに直接その理由を問えば、彼はこう答えていただろう。
「馬鹿を申せ。余は神仏を否定する気もその教えを禁ずるつもりも一切ない。ただ奴らが身の程を弁えずに甲冑をまとい太刀槍を振るい鉄砲を撃ちながら政に介入することが許せなかっただけだ。奴らが武具を捨て仏道修行に専念するのならそれでよい。いや、道を違えた奴らを神仏に代わって余が本の道に戻してやったのだ。奴らも遠からず己を迷妄から覚ましてくれたことを感謝するであろうよ。戦を行い領民を統治するのは我ら武士にのみ許されることである。坊主は修行修学に専念し、商人、工人、農民もそれぞれの生業にひたむきに努力する。それこそが余の望む天下布武よ」
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