「分からん。ノブナガという男が全く分からん」
勝成はぽつりとつぶやき、一気に酒をあおった。
「何が分かりませんの?」
優雅な手つきで勝成の手にしている杯に酒を満たしながら、女が訊ねた。
そのか細いながら艶やかで凛とした音楽的な響きの声で、物思いにふけっていた勝成は我に帰った。
ここは千宗易から茶の湯の稽古を受けた帰りに立ち寄った安土城下の遊所である。
「その国を本当に知る為には、その国の女を良く知らねばな」
勝成は禁欲的であるべきカトリック教徒でありながら遊所に通う己を正当化する為にそう言ったが、実際その通りだろう。
ジャッポーネの遊女は体を売るだけの単なる売春婦とは訳が違う。
歌や踊りと言った諸芸に加え、和歌に文芸のような幅広い教養まで持っていた。
「ああ、すまん。戦や政の話を持ち込むのは野暮というものだったな」
勝成は苦笑し、女の肩を引き寄せた。
衣服に香を焚きしめているのだろう、馥郁たる香りが勝成の鼻孔を心地良く刺激する。
改めて抱き寄せると、女が驚く程華奢な体つきであることが伝わった。乱暴にすれば折れてしまうのではないかと心配になる程である。
豊満な体つきの女が好みである勝成にすれば、この女は趣味に外れているのかも知れない。
だが透き通る程色が白く、その濡れた瞳といい形の良い小鼻といい、これまで会った遊女の中で最も優れた美貌の持ち主であることは疑いなかった。
「そんなことはおまへん」
女は勝成の緑の瞳をまるで己が苦心して手に入れた宝石を愛でるように凝視しながら言った。
「南蛮から来られたお武家はんが百年続く日の本の大乱をどのように見て、どのように戦ってはるか、知りたいどすえ」
女がこう言ったのは、客に対する愛想だけではないだろう。
女の表情は真剣そのものであり、己の知見を広めたいという純粋な願望があるように思われた。
(この女は相当教養があるし、立ち振る舞いに気品がある。これは遊女として訓練して身に着けれるものではない。おそらく相当裕福な家で高度な躾を受けて育ったのではないか。戦乱で落ちぶれた貴族や武士の娘が遊女に身を堕とした例が多くあると聞いたが、おそらくはこの女もそうなのだろう)
勝成はそう推測した。無論、本人に確認するつもりはない。
遊女、売春婦の身の上話を聞くことは禁忌であるのは洋の東西を問わないだろう。
「ノブナガ様のことをどう思う」
勝成は思い切って聞いてみた。
「古今比類ない英雄どすな」
女は即答した。勝成が織田家側の武士であるから取り繕って言っている訳ではなさそうである。
女の表情と声から己が戴く名君をこの上なく誇らしく思っていることが伝わった。
「戦をすれば常勝不敗。武田家が誇る無双を謳われた名将たちを長篠でことごとく討ち、北条家と本願寺をも屈服させはりました。これ程の武威を振るわれた名将は過去にもおまへんやろ。頼朝公や尊氏公ですらこうも鮮やかな戦は出来やしまへんえ」
頼朝、尊氏とは過去に百戦を経て武士を束ね己の政権を築きあげた日の本の歴史に不滅の名を残す英雄であり、王であると勝成は聞いたことがあった。
それらの存在すらノブナガは凌駕すると女は言うのである。
「真に信長様の偉い所は戦が強いだけではない所やと思います。善い政を敷いて領民をとても大事にしてくれてはりますな」
「……」
勝成は殺意の標的が手放しに賞賛されている不快な思いを面に表さないよう心を配りながら、また杯に口を着けた。
「百姓には重い年貢を取り立てないようにしてはりますし、領土を切り取るたびにそこにある関所を撤廃してはります。そうすることで牛馬や積み荷が通るたびに払わさられていた駄の口が無くなりました。これで交流も盛んになり生活も安定して多くの人が恩恵を受けておます」
関所の撤廃はノブナガのみならず、他の諸侯も試みたことだろう。
何故なら駄の口、津料という通行税は諸侯ではなくその地の豪族、有力者がせしめる物であり、戦国大名という諸侯には一文も入ってこないからである。
当然関所などすぐにでも廃止したかったが、有力者の抵抗を受ける為断念せざるを得なかった。
だがノブナガは既得権益を得ている層の抵抗などは歯牙にもかけず、断固として完全に撤廃したのである。
またノブナガは座と呼ばれる同業者組合による商売の独占を禁じ、自由な商売を精励している。
楽市楽座と呼ばれる政策で、ノブナガの独創ではなく他の諸侯が始めたことであるが、やはり中途半端であったものをノブナガは徹底的に行っている。
この政策は実は本願寺、比叡山というノブナガの敵である武装宗教勢力を弱体化させる効果をも狙ったことらしい。
何故なら座が徴収した税は比叡山、本願寺を筆頭する宗教勢力が集金していたからである。
ノブナガは関所を撤廃し、楽市楽座政策を徹底させることで己の領国を富ませて兵力を増強させると同時に武装宗教勢力を弱体化させ、遂には屈服させたのである。
ノブナガという君主、武将の真の強さはこの卓越した経済政策にあるのかも知れない。
(やはりノブナガという男は何事も徹底的にやらねば気が済まぬという訳か。善き政で多くの者に恩恵をもたらすことにも中途半端は許さないと。そして同時に武道に背く者を罰するにも中途半端は許さず、罪の無い女子供まで見せしめに惨たらしく処刑した訳だ)
心を鎮めようとは思うものの、どうしてもノブナガという男の話を聞くたびに七つ松での惨劇を思い出し、腸が焼き切れるような怒りが沸々とたぎってくる。
(ならば何故、本願寺の者共にはあれ程寛容な処置を下したのだ。わずか一年程しか抵抗しなかった荒木家にはあれほど残忍な処置を下しておきながら、十年もの長きにわたり戦い続けた腐れ坊主には特に処罰を下さずに信仰まで許すとは、まるで道理が合わないではないか)
勝成は蒲生家の武士として過ごすことでカミやホトケの教えに対する嫌悪は大分薄くはなっているが、それでもやはりこのジャッポーネがキリスト教の王国になるべきだという思いは揺るがない。そしてその為には諸侯に匹敵する力を持つホトケの勢力は滅びるべきだし、武装した坊主などは一人残らず殲滅すべきだと強く思っている。
(ノブナガの前に、ケンニョとかいう本願寺の首領を我が手で暗殺してくれようか)
と真剣に考える程であった。
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