僕には双子の兄がいる。兄の名前は桃。
すごく天才肌で、大抵のことは何もしなくてもこなしてしまう。
僕とは正反対なんだ。
僕は頑張っても報われないし、特別な才能もない。
だから、正直兄は羨ましい。
努力している姿を一切見せず、簡単に何でもこなしてしまうのだから。
また僕は兄と比べながら生きる。
俺には双子の弟がいる。弟の名前は青。
とにかく人に好かれる。
名前が可愛くて親しみやすいというのもあるのだろうが、一番は俺にはない、愛嬌を持っているからだろう。
正直、弟は羨ましい。努力しなくても、可愛がられるのだから。
また俺は弟と比べながら生きる。
今日も僕/俺たちはナイモノネダリをする。
日常今回のテストも散々だった。
もちろん成績も。呼び出しは慣れっこだ。
そして、呼び出しのたびに担任に言われるんだ。
桃はちゃんとやってるぞ、って。
僕は桃じゃない。
双子だからと言って、学力が一緒とは限らない。というより、絶対違う。
この高校だって、僕はギリギリで合格、桃くんは余裕で合格だ。
その時点で、この高校生活の運命は決まっていた。
わかってはいたんだ。きっと良い点数なんて取れないし、良い成績もとれないって。
それでも、ここに入ると決めたのは僕だ。
桃くんは昔から頭が良くて、スポーツが出来て、とにかく何でも出来た。
だから、勉強もスポーツも出来ない、何もない僕には誰にも見てもらえなかった。
百点とってすごい、とか、リレーの選手に選ばれてすごい、とかって言われている桃くんが羨ましくて仕方なかった。
だから、僕は誰かに見てもらえるように、振り向いてもらえるように、いつも笑顔でいることを心がけた。
笑顔な人には自然と人が集まると思っていた。
だけど、それは違った。結局、結果が全てで、人生の成績が良い桃くんにしか目は向けられなかった。
笑顔でいても、誰も振り向いてなんかくれないってことに気づいた。
最初は誰かに見てもらうための笑顔だったはずなのに、今は感情を隠すための笑顔になっている。
お兄ちゃんと比べられるのには慣れたし、自分は桃くんより劣っているという事実を、何年もかけて認めたはずなのに。
結局、比べられるのも慣れてなんかないし、劣っていることも自分で認められない。
そんな弱い人間なんだ。
正直、辛い。双子でなければよかったのに。
なんて、相談できる相手は、僕にはいない。
俺の一日は下駄箱に入れられている画鋲を片付けるところから始まる。
今どきそんなことがあるか、と最初は驚いたが、これは現実である。
いわゆる“いじめ”を受けている俺とは違い、弟の青はびっくりするほど楽しそうな学校生活を送っている。
一体俺と何が違うんだ。
俺はなんでいじめられているんだ。
考えれば考えるほど、俺の周りから人は離れていく。
青は人付き合いが昔から上手くて、色んな人にすぐ好かれて、可愛がられた。
だから、愛嬌のない俺は誰にも見てもらえなかった。
見てもらえたとしても、青の兄弟くらいにしか思われない。
誰かに見てもらえる生活は俺にはすごくまぶしかった。輝いていた。
だから、俺は見てもらえるように、勉強もスポーツも、努力でどうにかなることは全て出来るようにした。
勉強で百点をとれば、きっと褒めてもらえる。スポーツができれば、女の子からモテるだろう、だなんて安易な考えで。
でも、実際はそんなことなかった。
勉強が出来ても、スポーツが出来ても、人付き合いが出来なければ、全て無駄になる。
見てくれる人もいないのに、ただただ俺は頑張っていたんだって気づいた。
青は何にも努力してないのに、俺より楽しく生きているんだな、なんて、また青と比べてしまう自分に呆れる。
自分は、努力して出来るようになったという事実に縋って、それしかモチベーションにすることができない、弱い人間なんだ。
正直、辛い。
いじめられていることも、悩んでいることも、相談できる相手は、俺にいるわけが無い。
いつも通り家に帰ると、まだ桃くんは帰ってきていなかった。
「まだ帰ってきてないか…。」
と、誰もいない部屋に向かって一人、話しかける。
誰もいないことなんて慣れているはずなのに、少し寂しく感じてしまう。
両親は僕たちが三歳の時、事故で死んだ。
あの日は公園で遊んでいた。
両親は、共働きではあったけど、家族の時間を大切にするタイプだったから、必ず毎週日曜日は、家族でどこかへ出かけていた。
いつもと変わらない日常。この日も、明日が当たり前に来ると思っていた。
あのとき、僕たちは二人はボール遊びをしていて、遊んでいるうちに、僕がボールを道路に出してしまった。
まだ三歳だった僕は、ボールを取るために何も考えず道路に飛び出した。
車が来ていることにも気づかずに。
ボールを取った瞬間、何かが物に当たる音がして、僕は後ろに振り返った。
そこには、僕たちの両親が血だらけで倒れている姿があった。
すぐにボールを置いて、
「ママ!パパ!」
と叫んだが、何も返事は返って来ない。
僕は桃くんのところへ走った。
「桃くん!ママとパパが!」
そう伝えたが、桃くんは放心状態で何も答えてはくれなかった。
「どうして何も言わないの!ママとパパが血だらけなんだよ!」
小さいながら、桃くんに一生懸命伝えた。
でも、桃くんも小さかった。
桃くんも何もできなかった。
だから、僕たちは何もすることができないまま、両親の存在は一瞬のうちに消え、当たり前にあると思っていた明日は、あっという間になくなってしまった。
この日から、幸せだと思っていた日常は、少しずつ狂っていった。
祖父母の家で暮らすことにはなったものの、あまり良い扱いではなかった。
言ってしまえば僕のせいで、祖父母の子供は死んでしまった、ということになる。
だから、祖父母は僕たちを恨んでいたんだと思う。
ご飯や、お風呂などはちゃんと用意してくれる。必要最低限の暮らしはさせてもらえていた。
だけど、圧倒的に愛が足りなかった。
まだ小さかった僕たちには、もっと愛が必要だったと思う。
だけど、自分たちの子供が殺された原因を作った僕たちに、愛なんてくれるわけが無い。
愛情を注がれず育った僕たちは、少し捻くれた考え方になっていった。
両親がいないから、習い事もできないし、遠出もできない。
自分たちのせいだって認めたくなくて、祖父母のせいにして。
これ以上迷惑はかけられないと思い、中学生になったときに、僕たちは高校生になったら祖父母の家を出て、二人で暮らすことを決めた。
二人で暮らすとなれば、家賃や生活費が必要になる。
それは、お母さんのお兄ちゃん、叔父に相談して、家賃と生活費は払ってもらえることになった。
高校も、僕は少し危なかったけど、何とか合格できて、二人とも同じ高校に通えることになり、二年目になる。
今日も、楽しかった日々に戻ることはできない。
暮らすには十分だが、質素な部屋を静かに見つめる。
質素で、静かな部屋は僕を余計に寂しくさせた。
「放課後、体育館裏な」
今日も地獄の時間が始まる。
はい、と小さな声で返事をするが、返答などない。
毎日毎日、体育館裏に呼び出されてはあちこち殴られ、暴言を吐かれる。
もし親がいれば、こんな人生にはならなかったかもしれない、と時々考えてしまう自分がいる。
そんなこと考えたって、過去は変わらない。
それでも、考えてしまう。
なんで俺ばっかり。
なんで努力している方が報われないんだって。
あの時俺が上手くボールを渡せてたら、とか、車が来なかったら、とか。
考えて、考えて、考えて。
でも、答えなんてなくて、明日は当然のようにやってきて、何もできないまま今日が終わって。
何が生き甲斐なのかもわからないまま、今日もひたすらに殴られ、蹴られ、暴言を吐かれている。
青は俺がいじめられていることなど知らない。
もし親がいれば、相談相手になってくれたのかと考えると、少しだけ寂しくなる。
あの日、確かに死んだんだ。
親が目の前で。
誰のせいでもない、事故だった。
それはわかってる。
だけど、やっぱり考えてしまうんだ。
青が飛び出してボールを拾いに行かなければ。
ちゃんと車を確認していれば。
俺がボールを道路に出さなければ、親が死ぬことなんてなかったんじゃないかって。
悔やんでも、戻ってきてと願っても。
親が戻ってくることなんてなかった。
ようやく受け入れられたのは小学校に入学してからだった。
それまでは、またあの日と同じように四人で公園に行ったり、お出かけをしたりする日が来るって信じてた。
だけど、入学式の日に、周りの子はみんな親が来ていて、俺たちだけ、祖父母が来ていることに気づいて、周りの普通にも気づいて。
それで確信したんだ。
もうあの日常は戻って来ないんだって。
青もそんな様子だった。すごく寂しそうな顔をしてた。きっと俺も同じ顔をしてたと思う。
入学式の日までは、親の話もたまに青としていたけど、それ以降あまりしなくなってしまった。
お互い現実を知ってしまった。
過去は変わらないということ。
明日は当たり前に来ないこと。
今日は二度とないこと。
そして、親はもう戻って来ないということ。
全て気づいてしまった。
だから、現実から目を背けるために、俺たちは親のことを話さなくなっていった。
でも、現実とはついてくるもので、親がいないという事実は変わらなかった。
親がいないことで、何度も過去にもいじめの標的になった。
そこで俺は考えた。
俺が完璧になれば、誰もいじめることなんてないんじゃないか。
人気者になれるんじゃないかって。
勉強も、スポーツも、音楽も。
努力して、努力して、努力し続けた。
いじめの標的にならないように。
そして、親がいない寂しさを埋めるように。
もちろん、力はついた。
だけど、俺が思ったようにその力は働かなかった。むしろ、余計だった。
いじめの標的にならないどころか、それが逆にいじめの対象となった。
「完璧すぎてウザい」
「調子乗んな」
完璧なやつなんていないだろ。
調子に乗ってる姿を俺がいつ見せた。
勝手なやつらのせいで、俺の人生はめちゃくちゃだ。
親がいないというだけでいじめられ、いじめられないように努力をすれば、完璧すぎてウザいといじめられる。
いじめられていることは相談できない。
親がいないから?友達がいないから?
もうわからない。俺が生きていても、誰も喜ばないのに。
なぜ、生きている意味のない俺に当たり前のように明日はやってきて、生きているべきの人は簡単に明日がなくなってしまうのだろうか。
何もわからないまま、今日も俺は体育館裏に向かう。
冬の始まりを告げる冷たい風が、俺を余計に寂しくさせた。
桃くんはずるい。
勉強もスポーツも音楽も全部完璧なのに。
僕は何も良いところがない。
双子は同じ日に生まれただけで、人は違う。
だから、比べる必要がないことくらいわかっている。
でも、比べてしまう。
比べてしまうのも、人から比べられるのも、双子の宿命なのだろうか。
苦労せずとも、なんでも出来て、将来有望。
完璧なのに、飾らない。
そんなの、好かれるに決まってる。
僕もそうだったら良かったんだけど、そう上手くはいかない。
苦労しても、結果は結びつかず、将来有望なわけがなく、完璧でもないのに少し出来ただけで自慢しまくる。
改めて最低すぎる。
完璧で最高な桃くんは今日も楽しく過ごしている。
そう思うだけで、自分が生きていることに嫌気がさす。
青はずるい。
勉強もスポーツも音楽も、全部俺の方が出来ているはずなのに、いじめられたりしないし、苦労しているように見えない。
何にもしなくても友だちがいて、楽しく過ごせていることが気に食わない。
俺は、こんなことで気に食わないとか思ってしまうし、いまだに親を殺したのは青だと思ってしまう。
改めて、心が狭すぎる自分に驚く。
心が狭いから、嫌われて、いじめられて、孤立していくし、誰のせいでもない事故を青のせいにしようとしたりするのだろう。
友だちがたくさんいる青は、今日も楽しく過ごしている。
そう思うだけで、改めてなぜ生きているのかわからなくなる。
玄関のドアが開く音で僕は目覚めた。
いつの間にか寝てしまっていたみたいだ。
おかえり、と一言声をかけ、桃くんの様子を伺う。
桃くんはただいま、と小さな声で返事をして、手を洗いに行ってしまった。
仕方なくテレビをつけ、ニュースを見てみる。
明日の天気は晴れか。このアナウンサー可愛いな、などとどうでも良いことを考えていると、次のニュースへ移った。
通り魔について。
今まで、そんなにニュースを真面目に見る方では無かったが、そのニュースだけは、なぜか興味を持った。通り魔は家の近くにいるらしい。
「青。気をつけろよ。」
後ろを振り返ると、とっくに手を洗い終わった桃くんが立っていた。
わかった、と小さな声で返事をして、慌ててご飯の準備をする。
準備をしながら、桃くんの言った言葉が再生された。
「青。気をつけろよ。」
そんなこと、言われなくたって僕でもできる。
バカにされていることを再確認した僕は、少しイライラしながらご飯をよそい、ドン、と音を立てて茶碗をテーブルに置く。
ありがとな、と言ってくれたが、イライラは治らなかった。
心を落ち着かせるためにお茶を持ってきて椅子に座る。
ご飯の時間だけは、二人が向き合える。いただきます、とふてくされた声で言うと、桃くんもいただきます、と小さな声で言い、食べ始めた。
しばらく無言で食べていたけど、なんとなく気まずくなり、ねえ、と一言だけ発してみた。
桃くんは驚いたように顔を上げ、
「どうした?」
と返してきた。
特に何も考えていなかったので、
「学校はどう?」
と小さな声で言った。
双子で、同じ学校に行っているやつの聞くことでもないが、とりあえず聞いた。
桃くんは少し考えたような、苦しいような表情をして、別に、と一言だけ発した。
「そっか」
これしか言えなかった。
何か悩んでいるように見えたから。
何か悩んでいるのか聞こうか迷ったが、桃くんはすぐに食器を片付けてお風呂を洗いに行ってしまったので、聞くことができなかった。
仕方なく、食器でも洗うか、と独り言を呟き、椅子から立ち上がった。
風呂を洗いにきたが、学校のことを聞かれたのが頭から離れない。
あのとき、少しでも
「辛い」「いじめられてる」
と言えば、青は助けてくれたのだろうか。
俺の辛さなんて青にはわからないか。
あの瞬間、そう思ってしまった。
やっぱりダメな人間だな、と呟き、風呂を洗い終えた俺は風呂場の外に出る。
そこには、心配そうな顔をした青が立っていた。
「やっぱりダメな人間だな、ってどういうこと?」
食器を洗い終え、洗濯をしに脱衣所へ来ただけだった。
風呂場から、
「やっぱりダメな人間だな」
と聞こえてきた。
本当にそう思っているのかどうか知りたくて、思わず口に出してしまった。
「やっぱりダメな人間だな、ってどういうこと?」
桃くんは驚いた表情のまま固まっている。
僕だって驚いている。
そんなことを言うタイプじゃないと思ってたから。
なかなか答えが返ってこないので、桃くんもそう思うことあるんだね、と軽く言ってみた。
俺は驚きすぎてその場に立ち尽くしてしまった。
聞かれてしまった。
青にだけは、聞かれたくなかったのに。
どうしよう。なんて誤魔化そう。何を話したら良いんだろう。
そんなことを考えている間に、青も気まずくなったのか、桃くんもそう思うことあるんだね、と一言付け足された。
俺は、その一言にとても苛立ちを覚えた。
桃くんも?ふざけんなよ。
青に俺の気持ちなんてわかるはずがない。
俺の何がわかるんだ。この辛さも、しんどさも、誰もわからないくせに。
「俺の何がわかるんだよ!」
「俺の何がわかるんだよ!」
桃くんは、そう叫んだ。
まさかそんな答えが返ってくるとは思っていなかったし、わかったような口をきいた覚えはなかった。
だけど、桃くんは止まらなかった。
「俺の辛さも、苦しさも、しんどさも!
どうせ誰もわかってくれないのに!
桃くんもそう思うことあるんだね?
ふざけんなよ!俺と同じにするんじゃねえ!
母さんと父さんだって、お前が殺したんだろ、、!
お前のせいで俺の人生はめちゃくちゃだよ!」
ここまで一息で言い放った俺は、多少息切れをしながら我に返った。
やってしまった。何も悪くない青に、あたってしまった。
でも、なんとなく謝ることができなくて、その場を離れてしまった。
ここで親の話を出されるのは悲しかった。
それは僕も否めないところではあるし、ずっと悔やんできたことでもあった。
ただ、それは今関係のないことだし、わかったような口をきいたつもりもなかったし、少し心配になって声をかけただけでここまで言われてしまったので、僕も少しムキになって言い返そうとした。
でも、その瞬間桃くんは自分の部屋へ向かってしまった。
桃くんの寂しげな背中に、僕は言い返すこともなく、ただ、こう呟いた。
「ごめんね。」
「ごめんね。」
囁くような声が後ろから聞こえて、俺は後悔した。
謝るべきなのは俺なのに。何やってんだ。
こんなんだから、人に嫌われるんだな。
大きなため息をつき、ベッドに顔を沈めた。
桃くんの洗ってくれたお風呂に浸かりながらさっきのことを考える。
あのとき独り言として扱っておけばよかったかな、もっと言い方を気にしていればよかったな、と、考えれば考えるほど僕にも非があって、悪いことをしてしまったなあ、と反省する。
気づくと、湯船の中に一時間以上浸かっていた。おかげでのぼせてしまい、慌てて風呂場から出る。
脱衣所の時計の長針は、十二を回ろうとしていた。
眠れない。
ベッドに横になってから軽く二時間は超えているだろう。
ずっと青の言葉が再生される。
「やっぱりダメな人間ってどういうこと?」
「桃くんもそう思うことあるんだね」
「ごめんね。」
何度再生しても、この言葉たちには何の悪意もなく、ただ俺を心配するだけだった。
なんであんなに強く当たってしまったんだろう。
なんで親の話を出してしまったんだろう。
考えれば考えるほど、自分を苦しめるだけだった。
アラームが鳴り、僕は目覚めた。
時刻は午前六時。
まだ桃くんは起きていないようだった。
顔を合わせるのも何だか気まずいので、いつもより早めに出て、散歩しながら学校へ向かうことにした。
まずは朝食を二人分作り、一つにはラップをかける。
少しだけブカブカなブレザーを羽織り、玄関のドアを開けた。
玄関のドアが開いた音がして、俺は飛び起きた。
部屋を出てリビングに行くと、いつもいるはずの青はもういなかった。
朝ごはんは作ってくれたらしく、丁寧にラップに包まれてダイニングに置いてあった。
謝れなかった。
青の作ってくれた朝食を食べながら考える。
また俺、嫌われちゃったかな。
ついに、一番大切な人に嫌われちゃったんだって思ったら何だか泣けてきて、せっかく作ってくれたご飯が台無しになってしまった。
ここにいると色々考えてしまう、と思った俺は、気持ちを切り替えるべく、少し早めに家を出ることにした。
外は、とても心地よい風が吹いていた。
夏の終わりを告げるような、秋の始まりを告げるような、そんな風。
こんなに天気は良い日にも、俺は毎日同じように殴られるし、蹴られるし、暴言だって吐かれる。
可哀想な人生だなと我ながら思う。
そんなことを考えているうちに、気づけば校門の前まで来ていた。
はあ、と大きなため息をつき、校門をくぐる。
俺のついたため息は、風と共にどこかへ消えていった。
誰もいない教室は、とても静かだった。
あまりにも早く家を出てきたので、できるだけ長く公園にいたのだけれど、七時過ぎには教室に着いてしまった。
教室に一人、なんて漫画みたいなシチュエーションだな、と一人で考えながら自分の席に向かう。
とりあえず国語の教科書を出してみたけど、一人では何もわからないのですぐに諦めてしまった。
数学やるか、と呟き、仕方なく得意教科のワークを取り出し、解き進める。
数学だけはなぜか出来て、この前のテストでも数学だけ80点を超えていた。
呼び出しをされたときに先生が必ず言う言葉。
「数学みたいに全部頑張れよ」。
僕だって頑張れるなら頑張りたいよ。
出来るようになるならなりたいよ。
はあ、と大きなため息をつくと、青!と大きな声で呼ばれてはっと顔を上げる。
「もう!ずっと呼んでたんだから」
と、クラスメイトにキレ気味に言われ、もうそんな時間か、と思いつつ、ごめんごめん、と返す。
「青がこんな早く来るのめずらしくね?どした?」
などと言ってくるので、誰が珍しいだよ、と笑いながら返した。
でも、内心笑ってなんかいなかった。
昨日のことが頭から離れないし、今日だって、桃くんと話してくればよかったって思ってしまう。
今から桃くんの教室に行って話してくるか?
いや、学校にまで家の話を持ち込みたくないか?
などと考えているうちに、無常にも授業開始のチャイムが鳴った。
疲れた。
靴箱に入っていた画鋲を十分ほどかけて片付けた俺はようやく教室まで辿り着いた。
しかし、俺に休む暇などなく、いつ書いたのかわからない机の上の落書き、、という名の悪口を雑巾で消し、机の中に入っている大量のゴミを掻き出し、黒板に書いてある俺への悪口を消す。
ここまでが朝来てからの流れ。
全部やり終えるまでは大体二十分少しはかかる。
早く着いたとはいえ、この労働のせいで相当な時間を無駄にしている。
まあ、今日はこれのおかげで何も考えずに済んだか、などと考えていると、続々とクラスメイトが教室に入ってきた。
もうそんな時間か、と思いながら自分の気配を消す。
教室では俺の存在を無にし、空気と化す。正確には空気にされている、だけど。
「またあいつ来てんのかよ」
「懲りないね」
「いじめられたいんかな」
などという陰口は、聞きたくなくても聞こえてくる。
聞こえないようにしようとしても結局無駄なので、本を読むことにした。
本を読み始めて二分。
誰かが俺を呼んでいる気がして目線を上げる。
「おい!いつまで本読んでんだよ!」
「本なんか読んじゃって頭いい気取りでもしてるわけ?」
「絶対今日も放課後来いよ」
「あ、ちなみに今日は屋上な」
屋上、か。
いつもは体育館裏なのに、なぜわざわざ場所を変えるのだろうか。そろそろ殺されるとか?
「死んで欲しいなら死んでやるっつーの。」
いつのまにか声に出てしまったらしい。
幸い誰にも気づかれることなく、授業開始のチャイムが鳴った。
朝早く出てきたせいか、今日はいつもよりも疲れてしまった僕は、一刻も早く帰りたくて、六時間目の授業終了のチャイムと同時に教室を飛び出し、外に出た。
外は、少し冷えた風が吹いていた。
朝はあんなに心地よい風だったのに。
もう冬が近づいているのかな、などと考えながら帰路に着く。
少し小腹が空いたので、コンビニに寄って、何か買おう。
そう考えていたときだった。
背中に鋭い痛みが走り、じんわりと僕の中から何かが滲むような感覚。
一瞬すぎて何が起こったかわからなかったが、瞬時に思い出した。
「青。気をつけろよ。」
ああ、通り魔だ。
僕はやっぱり気をつけることは出来なかったんだ。
桃くんには敵わないんだ。
もう無理かもしれない。
そう思った瞬間、僕は道路に倒れ込み、意識を手放した。
「え?」
静かな教室に声が響き渡る。
「青が、ですか、、?」
数分前、俺は屋上に行く時間まで教室で待機をしていた。
「…も!…あお…た!」
ボーッとしていたので、最初は全く先生の声に気づかなかった。
「桃!青が通り魔にあった!」
はっきりと言葉が聞こえ、俺はようやく理解した。
「え?」
やっとのことで俺は声を出した。
先生はああ、と言うと、とにかく危険な状態だということ、どこの病院にいるのかなどを俺に伝え、すぐに向かうように説明した。
返事もせず立ち上がり、俺は荷物を持って走り出した。
人生で一番速く、一番長く走ってついた病室。
そこには、腹部を包帯で巻かれ、点滴を打たれながら静かに眠っている青がいた。
ゆっくりと近づき、手を握る。
手を握り返してくることもなく、ただただ温かいその手は、生きているようで、生きていなかった。
ずっと手を握っていたが、目を覚ますことはなく、いつのまにか外は暗くなり、今日が終わろうとしていた。
面会時間の終了を伝えられ、俺は仕方なく家に帰ることにした。
病院と家の距離はそれほど遠くないはずなのに、家に帰るまでが異常に長く感じた。
やっと着いた家に入り、ただいま、と呟く。
いつもなら
「おかえり」
と青が来てくれるのに、などと考えてしまう自分が醜くて仕方ない。
あんなに酷いことをしておいて、青が心配だなんて、あまりにも身勝手すぎる。
だからといって、心配しないのもおかしい。
考えても答えなんてない。
はあ、とため息をつく。
全力で走ったのが身体に響いたのか、俺はそのままベッドに倒れ込んだ。
俺はどうしたらいい?
母さん。父さん。
このまま一人になっちゃうのかな。
ごめんねもありがとうも言えずに、一人になっちゃうの?
そんなの嫌だよ。
なんでいつもこうなっちゃうの?
俺って悪い子なのかな。
悪い子だからこうなるの?
教えてよ。母さん。父さん。
自分以外にも目を向けなさい。
アルモノを探しなさい。
きっと、あなたにとって本当に大切なモノが見えてくるはずよ_
まだ行かないで!待って!
ねえ!母さん!一人にしないで…!
なんか言ってよ!ねえってば…!
目を覚ますと、昨日と何も変わっていない光景が広がっていた。
ベッドから立ち上がり、洗面所に顔を洗いに行く。
俺にとって本当に大切なモノ。か。
なんだろう、と考えながら青の見舞いに行く支度をする。
一人にしては広すぎる家に寂しさを覚え、すぐに家を出ることにした。
外には、苛立つくらいに、雲ひとつない美しい空が広がっていた。
いっそ、この空に吸い込まれてしまいたい。
俺がいなくたって、誰も困らないのだから。
でも、青はどうなる?
大変になってしまわないだろうか。
でも、あんなに酷いことをしてしまったのだから、もう必要ないか。
などと考えているうちに、病院に着いてしまった。
呼吸を整え、俺は中へ入っていった。
子供の声がする。
見覚えのある景色。
ああ、あの公園だ。
僕たちが最後に四人でいた場所。
目線を右に移すと、僕たちらしき人がいる。
なぜあそこに僕たちがいるのだろうか。
僕は今どのような状態なのだろうか。
様々な疑問が浮かんでくるものの、体は動かず、その情景だけが僕の頭の中に広げられる。
青。
おかあ、さん?
青。聞こえてる?
聞こえ、てるよ?
自分を一番に考えなさい。
アルモノを探しなさい。
きっと、あなたにとって本当に大切なモノが見えてくるはずよ_
僕にとって、本当に大切なモノって、何?
ねえ!お母さん!答えてよ!
お父さんもいるでしょ!行かないで…!
また僕を、桃くんを、置いていくの…?
もう僕わからないよ…。
自分がどうしたいのか、何もわからない。
僕は、生きてて良いのかな…。
きっと、ね。
行かないで、、!轢かれちゃうよ、、!
生きるのよ_
ドン、という鈍い音と共に、両親はまた、僕の目の前でいなくなってしまった。
早くこの夢から覚めたい。
早く僕の大切なモノを知りたい。早く、早く、、!
病室に入ると、青は随分と苦しそうな顔で寝ていた。
「大丈夫、、?」
と声をかけてみたものの、やはり返事はない。
青から返事がないというのが、俺にとってこんなに苦しいものなのか。
青がいない生活が、こんなにも寂しいものなのか。
ああ、そうか。そうなんだ。
俺にとって大切なモノ。
見つけたよ。母さん。父さん。
ちゃんと大事にするから。今目の前にある身体に、もう二度と傷がつかないくらいに。
目を覚ますと、白い天井が僕を見つめていた。
思うように体が動かず、声を出そうとしても、全く出ない。
何やら視線を感じ、左を向く。
そこには、なぜか苦しそうな表情をした桃くんがいた。
すぐにでも手を握ってあげたくて、やっとのことで左手を動かし、桃くんの手の上にそっとのせてみた。
「青、、?」
ついにおかしくなったかと思い、そう聞いてみると、青はそっと、もう一度手を握り返してくれた。
生きててよかった…。心からそう思えた。
そうだ。謝らなくちゃ、、。
「ごめん、、。ごめんな、、。」
「ごめん、、。ごめんな、、。」
そう言いながら涙を流す桃くん。
何だか可愛らしく思えてきて、自然と笑みがこぼれた。
大丈夫、と言うように桃くんの手をさする。
僕より大きくてしっかりしていると思っていた手は、とても小さく、そして少し頼りなく思えた。
優しく温かい手に包まれ、改めて青が生きていることを実感した。
「よかった、、。」
安堵の気持ちからか、俺は青の手を握ったまま、膝から崩れ落ちた。
「大丈夫!?」
手をさすっているうちに、急に桃くんが膝から崩れ落ちた。
先程まで声が出なかったが、驚きすぎて思わず「大丈夫!?」と声が出た。
「大丈夫!?」に返事はなく、桃くんは
「そういえば」
と呟いてナースコールを押した。
いや急すぎだろ、というツッコミは抑えてお医者さんが来るのを待つことにした。
お医者さんからの説明によると、僕は背中を刺され大量出血したが、心臓は刺されていなかったため、なんとか一命を取り留めた、ということだった。
手術をしたばかりなので、完全に回復するまではリハビリなどもするため入院するように、とのことだった。
ありがとうございます、と言い、桃くんと共に頭を下げる。
ちなみに、お医者さんからの説明の間、僕はずっと笑いを堪えていた。
だって僕が患者本人なのに、桃くんの方が真剣にお医者さんの話を聞いてるんだもん!
面白くて仕方なかった。
お医者さんが部屋から出て行った後もずっと僕の心配をしてくる桃くん。
「痛いとこない?」
「きついかな」
「大丈夫?」
など、もうほぼ独り言に近い。
多少うるさいものの、心配をしてくれているのが伝わってくるだけで嬉しかった。
ずっと僕の手を握って心配してくれていた桃くんは、僕よりも早く寝てしまった。
なんで桃くんの方が早く寝るの、と笑いながら問いかける。
もちろん返答などなかったが、桃くんの頭を撫でながら「ありがとね。」と一言言い、僕も寝る準備をすることにした。
目を覚ますと、起きていたはずの青は眠っていた。
何時だろう、とスマホを取り出し時間を確認する。
俺は目を疑った。“午前”六時。
“午後”の間違いではないかと何度も確認したが、明らかに“午前”だった。
今日から学校に行かないといけないので、慌てて帰る支度をする。とりあえず家に帰ろう。
俺は自分の荷物だけ持ち、足早に病室を出た。
看護師さんの声で僕は目覚めると、寝たときまでは隣にいたはずの桃くんはもういなかった。
そういえば今日から学校か、などと思いつつ、ベッドに座り直す。
背中と腹部に痛みを感じ、思わず「痛て」と声に出てしまった。
実はまだ傷口が痛むことが結構あるのだが、桃くんには言えていない。
桃くんは起きたときに「ごめん」と言っていた。
自分を責めてるのではないかと思うし、それよりも、今は自分のことでいっぱいなのではないかと思うから。
「俺の何がわかるんだよ!」
あのとき、桃くんはそう言った。きっと、誰にも相談できず、溜め込んでいる何かがあったんだと思う。
自分の気持ちも抑えられないほどの何かが。
ねえ、お母さん。もしかして、僕の大切なモノって“_”なのかな。
「青さん」
と看護師に呼ばれ、僕はリハビリへと向かった。
ギリギリ間に合った。
学校に着いたのはいつもより10分遅い八時十分。
急いで靴箱を開けて画鋲を拾い集め、階段を駆け上がり、教室のドアを開ける。
いつものように黒板に書かれている悪口を綺麗に消す。
しかし、ここまでで15分かかってしまったので、残り5分で机の上の落書きを消すのは難しいと考え、仕方なく席につき、本を読む。
本を読んでいると、
「今日こそ屋上な」
と言われ、俺は絶望した。
思い出してしまった。あの日、行かなかった。いや、行けなかったことを。
ああ、きっと、今日死ぬんだ。
“死ぬ”というより、“殺される”と言った方がいいのかもしれない。
その日の授業は、青のことばかり考えていた。小さい頃のこと。
母さんと父さんがいなくなったときのこと。
二人で頑張ってきたこと。
喧嘩したこと。
まだ死ぬと決まったわけではないのに、思い出が次々と出てくる。
今ならわかるよ、母さん。青が俺にとって本当に大切なモノであることが。
「…も!…も!」
名前を呼ばれた気がして、黒板の方に視線を移すと、数学の教科担任が俺の方を見て激怒していた。
「桃!聞いているのか!ったく、ずっと当てているのに答えないとはどういうことだ!集中しなさい!」
すみません、と小さく答えたものの、今日一日何も授業を聞いていないので、もはや罪悪感も反省も何もなかった。
怒られたところで鐘が鳴り、みんながぞろぞろと帰っていく。
ついに、終わりの時間が来てしまったみたいだ。
恐る恐る屋上までの階段を上がり、扉を開ける。
屋上には、誰もいなかった。
勘違いしていたのかと思い、登ってきた階段を降りようとしたその時だった。
後ろから背中を押され、俺は一番下まで転げ落ちた。
痛い。動けない。怖い。
同時に様々な感情が出てきて、俺は恐怖で何も考えることができなくなった。
どうせなら殺してほしかった。屋上から突き落としてくれればよかった。
考えているうちに、目の前がだんだん白くなり、そこで俺の意識は途切れた。
立ち上がったり座ったりするだけで痛みが生じるのに、歩けだなんて無茶振りがあるだろうか。
別に歩く練習なんかしなくたって、僕は背中を刺されただけなんだから大丈夫なはず、などと思いつつ、リハビリに取り組んでいる。
一歩足を進めただけで体に衝撃が加わり、痛みを感じる。
はあ、と思わずため息をつくと、看護師さんが
「少し休みますか」
と気を遣ってくれた。
すみません、と言い、用意された椅子へと向かう。
椅子に座って数分経った頃、廊下から慌ただしい声が聞こえてきた。なんだろう、と思い視線を移す。
見覚えのある顔。体。その周りには大量の人。
ストレッチャーで運ばれていく彼に意識はないようだった。
なぜ運ばれているのかはわからないけど、運ばれるくらい、危険な状態なことはわかる。
本当は今すぐにでも駆けつけたかった。でも、歩くのもやっとだった僕に、そんなことはできなかった。
また、目の前で家族を失ってしまうのではないか。そんな恐怖が僕を襲った。
嫌だ。そんなの嫌だ。もう二度と、失いたくない。
「大丈夫ですか」
と看護師さんに声をかけられ、ふと我に帰る。
気がつくと、僕の目からは勝手に涙が出ていた。
涙を拭い、
「さっき運ばれてたの、、たぶん、兄なんです」
と震えた声で伝えると、
「今確認してきますね」
と僕を安心させるように言い、確認に行ってくれた。
静かになった部屋に一人、ずっと下を向いて待つ。
「お兄さんのお名前、桃さんで間違いないですか」
静かな部屋に突然その言葉が響き、僕は慌てて顔を上げる。
はい、と答えると、
「お兄さんのお部屋に行きますか」
と聞かれたので、小さく頷いた。
座っていた椅子から五秒ほどかけてゆっくりと立ち上がり、用意してくれた車椅子に座る。
僕を乗せた車椅子は、桃くんの部屋に向かって進み出した。
扉を開けると、傷だらけで眠る桃くんがいた。
その体からは、一切の生気も感じなかった。
「あの、、事故にでもあったんですか?」
原因を恐る恐る聞いてみる。
「階段から転落して頭を強く打ったと、、医師からは聞いております」
階段から転落?運動神経抜群の桃くんにそんなことがあるだろうか。不思議に思った僕は、
「本当ですか?」
と思わず聞くと、
「先生に聞いた方が早いでしょう」
と言い、車椅子を180度回転させ、足早に部屋を出た。
「頭を強く打っているため、完全に回復するかどうかは断言できません」
部屋に沈黙が流れる。
「いつ目を覚ますかも、わかりません」
それから、と医師は続ける。
「それから、桃さんはおそらく、誰かに突き落とされたと思われます」
え?と思わず聞き返す。
全て聞いた。
桃くんがおそらくいじめにあっていたこと。
毎日毎日、暴力を振るわれていたこと。
暴言を吐かれていたこと。
身体中にあざや自傷行為の痕があったと、医師は言った。
僕が知っていた桃くんは、僕の想像の桃くんだった。
本当は違ったんだ。
本当は完璧な人間なんかじゃなかった。僕は知らず知らず、桃くんを傷つけてしまっていたのだと気づいた。
その日は、ショックと罪悪感でなかなか眠ることができなかった。
嫌い。
消えろよ。
どうせ親いないんでしょ。
ブラコンすぎてきもい。
まだ生きてんの。
よく学校来れるね。
完璧すぎてウザい。
暗闇の中、永遠と俺に対する悪口が聞こえてくる。もううんざりだ。とっとと死んでしまった方が楽なのに。
“アルモノを探しなさい”
母さん。父さん。俺にアルモノなんてたぶんないんだと思う。
青を守るって決めたけど、結局俺に守れる力なんて無かった。
弱い人間だから。ダメな人間だから。
誰も俺に生きてほしいなんて思ってない。
なんか言ってよ。
俺は…!もう、生き甲斐なんてないんだって…。
桃くん。
もう四日も眠ってるよ。そろそろ起きてもいいんじゃないかな。
桃くんのいない生活って、こんなに寂しくて、こんなに辛いものなんだね。
お母さん。僕ね、わかったよ。
僕の本当に大切なモノは、“桃くん”だ。
桃くんは完璧で、いつも褒められて、僕より優れていて。正直、あまり好きではなかった。
でも、当たり前の生活が崩れて、初めて気づいたんだ。
“桃くんが大好きだったんだ”って。
もし、桃くんが目覚めたら、もう絶対傷つけないって誓う。
だから、どうか、どうか、桃くんと一緒に生きさせてください。
「…も…ん。…んね。」
微かな泣き声と共に聞こえる声。
なんと言っているのだろうか。
もう一度耳を澄ます。
「桃くん。ごめんね。」
あ…お…?なんで、俺なんかのところに…。
「桃くん。もう四日も眠っているよ。そろそろ起きてもいいんじゃないかな。」
俺が、四日間眠ってる、、?
「僕、寂しいよ。桃くん。もう一度僕と一緒に生きてくれないかな、、。」
ダメ、だよね。
僕、桃くんにずっと酷いことしてたもんね。
いじめられてることにも、苦しんでることにも気づかず、桃くんは完璧で羨ましい、僕とは違うんだ、なんて決めつけて。
最低だよね。
「そんなことないよ」
少し掠れているけど、聞き覚えのある声。
ついに幻聴でも聞こえるようになったかと思い、頬をパチパチと叩いてみる。
でも、やっぱり僕の名前を呼んでいる気がする。
「青。青…?」
「も…も…くん…?」
そうだけど、と笑う君。
「現実、、?」
うん、と当たり前のように桃くんはうなづく。
「ごめん…!本当にごめん…!」
「ごめん…!本当にごめん…!その…いろいろ…勝手に嫉妬しちゃったりして…」
口籠る青。
「俺こそごめん」
素直に出た言葉だった。
「俺も、青に嫉妬しちゃってたんだ。
青は人に好かれるし、完璧を求められてないって言うか、愛される感じ?それがすごく羨ましくてさ。
学校に行ってもいじめられるし、もう俺に居場所なんてないって思ってた。
なんで俺ばっかりこうなるんだろう、とか、誰も俺のことなんか必要としてないって勝手に決めつけて…。
あの時も、青が悩んでいるようになんて俺には見えなくて、“俺の何がわかるんだ”って勢い余って言っちゃって…。
俺の方が最低だよ。本当にごめん。
青が通り魔にあったって聞いて、頭が真っ白になった。
死んじゃうんじゃないかって、怖かった。
俺、そこで初めて気づいたんだ。
俺の本当に大切なモノは、完璧であることより、認められることより、“青”だったんだって。
その時母さんと父さんに誓ったんだ。
“青の身体にもう二度と傷をつけない”
“青を守る”って。
だけど、結局俺に青は守れないんだって、今こうなって思った。
階段から突き落とされて意識を失うなんて、そんなバカみたいな話ないよな、、。
心配ばっかりかけて、ごめんな。
完璧だって言ってくれてたけど、青が思ってるよりも、俺は弱くて、ダメな人間なんだよ。」
そう少し照れくさそうに言う桃くんに、僕はだんだんと怒りが湧いてきた。
桃くんは、弱い人間でも、ダメな人間でもない。
悪いのは、周りの環境なのに…!
「桃くんは弱い人間でも、ダメな人間でもない!」
つい大きな声を出してしまった僕。
ごめん、と言いながら頭を掻く。
「僕、全然気づかなかった。毎日一緒にいたはずなのに、桃くんがいじめられていることにも、何も気づけなかった。
身体中にあざとか自傷の痕があるって…。
そんなことにも気づけない僕が大切だなんて、桃くんはどこまで優しいんだろうね。
人から愛される生活が当たり前だった。
愛されない人なんていないって、勘違いしてた。
どうして桃くんにはできて、僕にはできないんだろう、って、そんなことばっかり考えてた。
いつもいつも桃くんと比べられて、
“どうして桃は出来るのに、お前はできないんだ”ってそればっかり言われてた。
どれだけ努力しても報われることなんてなくて、桃くんに追いつけることはなかった。
桃くんがいなければいいのに、って思ったときもあった。
最低だよね。
僕が通り魔にあったあの瞬間思い出したんだ。
“青。気をつけろよ。”
っていう桃くんの言葉。
言われたときは、そんなことわかってるって思ってムキになって少し強くあたっちゃったりしたんだけど、桃くんの言う通りだった。
病院に運ばれて、目を覚ます頃、正直桃くんはいないだろうと思ってた。
でも、桃くんは一番に駆けつけてくれてた。一番心配してくれた。
僕より僕のことを心配してた。完璧な男も心配するんだ、とか思ってたけど、今思うとそういうところが人間らしいのかも。
僕、不思議な夢を見てさ。
あの日の夢だった。
家族で公演に行ったあの日。
お母さんとお父さんがいて、僕に言ったんだ。
“アルモノを探しなさい”って。
“そうすれば本当に大切なモノが見えてくる”って。
でも、すぐにはわからなかった。
桃くんが運ばれていくのを見て、心臓が止まりそうになった。
桃くんが何日も目を覚さなくて、僕は寂しいと思った。
そこで気づいたんだ。
僕の本当に大切なモノは、“桃くん”なんだって。
当たり前はすぐなくなる、ってわかってたのに、当たり前がなくなるまで気づかなかった。
僕の方こそ最低で、弱くて、ダメな人間だよ。」
俺は何も言わなかった。
いや、言えなかった。
青が悩んでいたことも知らず、羨ましがって、ナイモノネダリをしていた自分が恥ずかしくなった。
僕は改めて反省した。
悩んでいたのは僕だけじゃなかったのに、桃くんを羨ましがって、ナイモノネダリをしていた自分に気づいた。
僕たちはしばらく無言だった。先に口を開いたのは桃くんだった。
「結局、完璧な人間なんていないんだろうな。
みんな同じように弱くて、同じようにダメなところがあって、もちろん、良いところもあって。完璧じゃないからこそ、完璧を目指す。 すぐにナイモノネダリをする。
それが目立ったのが、たまたま俺たちだっただけだよ、きっと。」
その言葉は、僕の中でスッと腑に落ちた。
“ナイモノネダリが目立ったのがたまたま俺たちだっただけ”。
なんとなく、その言葉に救われたような気持ちになった。
青はしばらく黙っていたが、
「僕、まだ桃くんと一緒に生きたい。
僕が、桃くんのことを大切にする。
たとえ世界中を敵に回しても、僕は桃くんの味方をする。
だから、僕と一緒に生きてください。」
真っ直ぐな目で俺にこう伝えた。
この思いに、きっと嘘なんてない。そう思った。
「よろしく」と一言返し、微笑む桃くん。
お母さん。お父さん。
僕の本当に大切なモノは“桃くん”です。
この笑顔をずっと守ることを、そしてアルモノを見つけていくことを誓います。
母さん。父さん。
俺の本当に大切なモノは“青”です。
青の全てを守ることを、そしてアルモノを見つけていくことを誓います。
““大切なモノを教えてくれて、ありがとう””
「桃くん!遅刻するって!」
「今髪の毛セットしてんだって」
「そういうことするなら早く起きてよ!」
「俺は、完璧な男でありたいの」
「完璧なやつなんていないって言ったの誰だよ」
「うっせーなあ」
今、俺たちは幸せだ。
きっと、明日も明後日も明明後日も、あの時と同じように僕たちはナイモノネダリをする。
でも、あの時とは違う。
ナイモノネダリをするばかりではなく、僕/俺たちは二人で支え合い、そして認め合って生きていく。
自分たちの“アルモノサガシ”をしながら_