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7月20日、亡き王妃タカコ生誕記念日の朝。
国会議員リーアンの携帯端末にメッセージが届いた。
第一秘書のメリルからの直接メッセージだった。
「タクヤ様が目覚められました。9時中央公園の噴水前にお願いします」
場所は、スーサリア国会議事堂。
本日は本会議開催はなかったが、環境予算をめぐる小委員会が予定されていた。
リーアンはそこに向かう途中でメッセージを受けとった。
一瞬、身体が震え、手にかかえたブリーフケースを落としそうになった。
ついに、その日が来たのだ。
リーアンは、同じ政党の年長国会議員であるガリエルの姿をさがした。ひときわ大柄な叔父はすぐわかった。手招きして、人のいない喫煙コーナーにいざなった。
「リーアン、おまえはタバコを吸わないだろ?」
「しばし立ち話、そんなことが必要なときもあります」
「ふむ、では葉巻でも点けるか」
ガリエルはスーツのポケットから葉巻ケースを取り出して一本引き抜き、ライターで火を点けた。
静かに煙を吐き出す。
「リーアン、おまえ、ずいぶん顔色が悪いようだが?」
「しかたがありません。ただ、そのことでご相談が」
「病気か?」
「いえ……今、盗聴器のチェックは済ませていますね?」
「もちろんだ。なんだ、物騒な話か?」
叔父の興味深そうな視線を受けて、リーアンは、ふと、根源的なことを質問したくなった。
「ガリエル叔父は、スーサリアをどう思っていらっしゃいますか?」
「なんだ、いきなり」
「いえ、ふと大切なこと、と気がついて」
「スーサリアは、美しい国だ。つねに平和を遵守し、芸術を尊び、貿易による経済発展を遂げてきた。間違いなく、これこそが幸福というものだ。まあ、もちろん現実には、雇用や、環境など、問題がないわけではない。しかし、リーアン、私は、この国を、一人の政治家として、心から誇りに思う」
「おっしゃるとおり。しかし、問題は『これから』です、人々の欲は深い」
老獪(ろうかい)な叔父に比べると、明らかに若く見えるリーアンは、両腕を胸で組み、白い顔で苦笑した。
二人はソファーに座ることはせず、立ったまま会話を続けた。
「私はな、リーアン、おまえが思っている以上に、環境大臣という立場から、公害問題については詳しいのだぞ。患者の一人一人に会いに行ったこともある。当然、環境への配慮は、必要なことだ。しかし、国として重要なのは、経済だ。よき根幹なくしては、近代国家は立ちゆかない。森を守るのにだって、金がいる。そうだろ?」
「さあ、それはどうでしょうか、ガリエル叔父。揚げ足をとるわけではありませんが、森は、森として、そこにありますよ。原始からずっと」
「そんなのは屁理屈だ。物というものは、一本の木にも『価値』がつく。利害が発生する。利害は争いに結びつく。だれかが適切に調整しなかったら、いつだって戦いだ」
「そうですね。よき支配者がいてこそ、平和が守られる。よき支配者は、金を必要とする」
「それを戒めるために、我々には、スーサ教の教えと平和経典があるのだ」
「そう、国内では大切な教えです。しかし、国際社会ではどうですか」
「何が言いたい、リーアン? おまえが言いたいのは、王室のことか?」
「関係はあります。しかし、ベルベス利権については、すでに王の支配もおよばない」
「きさま、その達観したような冷たい言いぐさ……いったい何をたくらんでおる? 解散請求か? 性急な手だては、わしは断じて賛成せんぞ」
ガリエルの老獪な眼差しを、リーアンは冷たく受け流した。
「残念ながら、ここで全てを告げるわけにはいきません。そもそも、私が知っていることなど、実際に動いている現実の表層にしかすぎない。ただ、確実なのは、すでに……いえ、ずいぶん前から『非平和的な何か』が、動き始めているということです」
「ワシも、おまえの妻のことは、同情する。しかし」
「しかし、などと議論している時間は、残念ながらもうありません」
「時間がない? どういうことだ」
「すみません。要点だけを。ガリエル叔父、今日は『高いところ』に行かれませんように」
「高いところ? 予算会議とは関係ないのか?」
「これは『始まり』です。この国の未来を信じるがゆえに」
ガリエルは話の方向を悟り、葉巻の先を灰皿に押しつけて、声をひそめて質問した。
「龍人族か? おまえが医者時代につきあったネットワーク。そうなんだな?」
「私の口からは、これ以上は、なんとも」
「くそ」
苦渋の表情を浮かべるガリエルは、うっすら涙を浮かべて、明るい朝の光が広がる窓の外に目を向けた。
「おまえたちは、若すぎるのだ。すべて間違っているとは言わない。しかし暴力の悲惨さというものを理解していない。暴力は、暴力の連鎖を生む。それでは何も解決しない。歴史が示す事実だ」
「かといって、じっとしていても、何も変わりません」
「急いては、変わるものも変わらない」
「ガリエル叔父、いずれにしろ、先ほどタクヤ王子が目覚められました。すでに選択の余地はないことなのです。そもそも、エレリア出身のタカコ様が王妃になられたときから、この流れはある程度決まっていた」
「なぜだ?」
ガリエルは拳を握りしめて巨体を振るわせた。
「なぜ急ぐ。おまえにしてもこの美しい国を愛する政治家の一人だろうが。世界のどの国が愚かな戦争をしようと、この国だけは中立を保ってきた。崇高な平和の教えは、世界の規範として誇るべきものではないのか? 他国を憎むことしか知らない偏狭な武装論者たちに、かるがるしく実権を握らせないこと、その中心にいることこそが、我々の最大の責務ではないのか」
「お言葉ですが、ガリエル叔父、美しさとは、いくばくかの毒を持ってこそ」
「ばかな」
リーアンは、政治家としてキャリアの長い叔父が、単なる理想主義者でないことは知っていた。
しかし今では、世界平和の大義こそが、悲惨な『富の偏在』を加速させている。
「では、私はこれで。今日の会議はいずれにしても成立しないでしょう」
「『おまえ』は、何をする気だ」
一言『おまえ』を強調する叔父の問い。
立ち去ろうとしたリーアンが、ふと足を止めて、ふり返った。
「私は……今日は、妻の思い出にひたってみるかもしれません。では、ごきげんよう」