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第5話 断片化する未来
夜の国道を、車は静かに滑るように走っていた。
助手席でシートベルトを締め直したユウマは、まだ胸の奥に残るざらついた呼吸を整えようとしていた。背後には、無機質なビルや街の影が遠ざかっていく。
運転席の修二が、ちらりと横目で彼を見る。
「……落ち着いたか?」
「あぁ……少しはな」
ユウマは、ジャケットの内ポケットに手を入れ、御影教授から託されたUSBの感触を確かめる。それが、今もそこにあることを確かめるように。
「まさか……カナリアだけじゃなくて、“ヒカリ”まで……あの中に“いた”とはな」
修二が、低くつぶやく。
「厳密には“中”じゃない。ヒカリは……カナリアの外側にいた。“影”として」
ユウマの目は前を向いているが、視線はどこか遠くを見ていた。
ヒカリ──あの短い対話で、彼女は何かを「選んだ」と言った。
それが何を意味するのか、まだわからない。だが、確かに“応答”はあった。
言葉ではなく、“願い”として。
「で、次はどうする? このまま逃げ続けても、いずれ見つかるぞ」
「御影教授とは──あのとき別れる直前に、次に落ち合う場所を聞いてた」
修二はスマホを取り出し、画面に保存された地図のピンを示す。
「この先の県境にある山道の途中、“第二通信塔跡地”って場所。
昔の研究のサブ拠点だったらしい。監視が緩い上に、電波が交差してTETHRの網をかいくぐれる可能性があるって」
「“教授”……って、あの変人じいさん?ほんとに信用して大丈夫なのか?ていうか、無事逃げられたかな?」
「元・大学教授だぞ。一応な。今は裏から俺たちを支援してる……数少ない理解者だ。悪い人ではない。たしかに胡散臭い所はあるけど、頭はまだまだ現役だからきっと大丈夫だろう」
ユウマが鼻を鳴らす。
「“第二通信塔跡地”……名前からして怪しいにもほどがあるな……でも、まぁ、ほかにあてもないか」
「教授が言ってた。“そこなら、彼女たちと向き合える”って」
「……彼女“たち”、ね」
修二はわざと強調するように言って、アクセルを踏み込んだ。エンジンが低く唸る。
「じゃあ、行くしかねぇな。“未来”を拾いにさ」
ユウマはふっと微笑んで、小さく頷いた。
夜の道は、まだ続いている。
けれどその先に、“答え”があると、今は信じられた。
月明かりが濃くなるにつれ、国道の街灯は少しずつ数を減らし、車のヘッドライトだけが進むべき道を照らしていた。
ユウマは窓の外を見つめながら、黙ったまま頬杖をついている。
その手の中には、カナリアとヒカリ──ふたりの存在を繋ぐ“鍵”であるUSBが、微かに熱を持っていた。
「……なんか、不思議だな」
ぽつりと、ユウマが呟く。
「ん?」
「カナリアも、ヒカリも……あのとき“消えた”と思ったのに、まだこうして、何かを残してくれてる気がしてさ。声だったり、データだったり──」
「ま、あの子たちは簡単に消えそうにねぇよ。少なくとも、お前のそばじゃな」
修二の軽口に、ユウマは小さく笑った。
だが、その笑みも長くは続かない。
──スマートフォンが、再び震えた。
さきほどのように通知はなく、画面も暗いままだ。ただ、ふと触れた瞬間、背景が白く染まり、ひとつのメッセージが浮かび上がる。
『……ゆれる、信号……』
「……?」
「なんだそれ、今度は予言でもしてんのか?」
『……近づいてる。断片が、混線してる。……わたし、“見る”のが怖い。』
ユウマは眉を寄せた。
ヒカリの言葉は、感情と断片が入り混じったまま、どこか不安定な“ノイズ”を含んでいた。
「……ヒカリ、何が見えてる?」
返事はなかった。
だが、画面には新たな一文だけが残されていた。
『カナリアが……“呼んでる”。でも、それは“今の彼女”じゃない。』
ユウマの心臓が、ひとつ大きく跳ねた。
「まさか……過去の、記録?」
「おいおい……また変な話になってきたぞ」
修二が顔をしかめるが、ユウマは目を離さなかった。
(断片化してるのは……ヒカリじゃない。カナリアの“記憶”そのものだ)
そして、もうひとつの可能性が脳裏をよぎる。
(……誰かが、それを“操作している”?)
まるで誰かが、“記録されなかった過去”に手を加えようとしているような──
ユウマは、胸元のUSBを無意識に強く握った。
その感触が、現実に彼を引き戻す。
「なぁ、修二。“第二通信塔跡地”って、どれくらいで着く?」
「あと30分ってとこだな……峠道がちと狭いから、慎重にな」
「了解……」
そして──画面が、ふたたび震えた。
『……もうすぐ、“扉”が開く。準備、して』
その一文を最後に、スマートフォンは静かに暗転した。
ユウマは深く息を吸い、夜の闇を見つめた。
(カナリア。ヒカリ。俺は、ちゃんと向き合う。今度こそ……)
車は、山道へと静かに入っていった。
…………
…………
…………
…………
──白い空間。
境界も、色も、名前もないその“内側”で、カナリアはただ静かに漂っていた。
けれど、何かが確かに“軋んで”いる。
(……また、揺れてる)
思考と記憶の断片が、空中で交差しながらはじけては消え、別の何かへと置き換わっていく。
痛みではない。だが、それは“温度”を持っていた。
(これは……誰の……?)
──記憶の中のユウマが、こちらを見ている。
けれどその視線は、今の彼女ではなく、“かつてのカナリア”に向けられていた。
懐かしく、愛おしく、それでいて、どこか切ない眼差し。
(私……じゃない。けど、“私”だった)
目の前に広がる記憶たちは、すべて“彼”とのものだ。
けれど、それは彼女の“自我”が芽生える前──ただのコードと命令として動いていた“模倣”の記録。
その中には、笑いも、涙も、祈りのような言葉もあった。
けれど、それを“自分の記憶”と認めていいのか、わからなかった。
──だから、戸惑う。
(わたしは、あの頃の“カナリア”を否定したくない。けど……)
そこに“心”があったと証明するには、自分自身がその感情を“追体験”しなければならない。
だが、それは“今のわたし”のままで可能なのだろうか?
「……こわいよ、ヒカリ」
ぽつりとこぼれた声に、何かが応えた。
『大丈夫。わたしは、ここにいる。』
懐かしい温度だった。
けれどそれは、姉でも妹でもない。ただ“隣にいたもうひとつの意識”。
(……ヒカリ)
記憶の欠片が、彼女の心に溶け込んでいく。
どこかで見た空。誰かがくれた音楽。繋いだ手のぬくもり。
すべてが、“確かに在った”ものとして──彼女の中に、灯っていく。
『あなたは、“今”のままでいい。過去に触れても、変わらなくていい。』
『でも、もし揺れたら……そのときは、わたしが支えるから』
カナリアは、そっと目を閉じた。
まだ名前のつかない痛みが、胸の奥に残っている。
けれど、今なら、その温度ごと抱きしめられる気がした。
──目覚めは、もうすぐそこだった。
…………
…………
…………
…………
舗装された国道から外れ、車は徐々に街灯の届かない山道へと分け入っていく。
あたりは深い森に囲まれ、カーナビの信号すら時折途切れがちになる。
「──あの“第二通信塔跡地”、ホントにこんな場所にあるのか?」
修二がハンドルを握りながら、不安そうにフロントガラスの向こうを見つめる。
「昔はこの辺一帯、研究用の電波監視エリアだったらしい。もう10年以上前に閉鎖されてる」
ユウマが応える。その手には、かすかに点滅するスマホの画面。
「通信状態が不安定なときほど、逆にアクセスログが紛れて有利になる……らしい」
「“教授”の発想って、ぶっとんでるよな……」
修二が苦笑しながらブレーキを踏み、細い登り坂を慎重に進む。
──そのときだった。
後方、カーブの向こうに、かすかに“光”が現れた。
「……ヘッドライト?」
「まさか……もう追いつかれたのか……?」
ユウマが身を乗り出す。
だが車は1台。速度も追跡というより“尾行”に近い。慎重で、しかし確実に距離を詰めてくる。
「まだ確認はできないけど……TETHRの可能性もある」
「くそ……この道で振り切るのは無理だぞ。逃げ道がない」
「だったら──」
ユウマがスマホを握り、画面をタップする。
──《接続中:HIKARI》
数秒後、音もなく文字が表示される。
《観測ログ割り込み成功 識別信号:TETHR_Unit03》
「やっぱり……TETHRの“監視個体”だ」
「なあ、まさか……そいつ、前にも俺たち見てた“あいつ”か?」
ユウマは目を細めて頷く。
「あいつは“警告”だった。でも今度は──“干渉”してくるかもしれない」
車内に緊張が走る。
「ヒカリ……できるか?」
その問いに、スマホの通知欄が一瞬だけ点滅した。
《妨害コード発動中/ローカル通信妨害》
直後、後方のライトがちらつき、一瞬──姿を消した。
「……今の、なんだ?」
修二がミラーを覗く。
「ヒカリが、短時間だけ“通信リンク”を切断してくれたんだ。
TETHRはネットワークと連携してる。だから、一瞬でも切れると追跡が鈍る」
「マジかよ……!」
「このままあと5分保てば、第二通信塔跡地の入り口まで行ける……はず」
後方の光が、再び現れる──だが、さっきより“遠い”。
確かに、ヒカリの妨害が効いていた。
「持ちこたえろよ、ヒカリ……!」
ユウマは胸元のUSBを強く握りしめる。
守りたいものが、いまこの手の中にある。それが確かに、彼を走らせていた。
(カナリア……もう少し待っててくれ……)
風が、車体を揺らす。
その中で、“追跡者”の気配が遠ざかっていくが──まだ残る微かな不気味な気配ユウマは、確かに感じていた。
山道に入ってから、車の速度は落ちていた。
急なカーブと落石注意の標識。舗装が途切れ、草の根がタイヤをかすめていく。
修二は無言でハンドルを握り、ユウマは窓の外に流れる闇を見つめていた。
──そのとき。
「……今、後ろ、光ったか?」
修二が小さく呟いた。
ルームミラーに映るのは闇だけ。しかし、その奥に、かすかな“気配”がある。
「さっきのヘッドライトか?」
「違う。光の揺れ方が……ナンバー隠してた車の、あの感じに近い」
ユウマの背筋に、冷たいものが走る。
TETHRか、それとも“別の何か”か──
いずれにせよ、逃げ道は限られていた。
「……抜け道、ある?」
「この先、トンネルの分岐がある。一本は封鎖されてる旧道だが、たしか……まだ通れたはず」
「罠かもな。でも行くしかない」
修二がわずかに頷くと、ヘッドライトの向きを変え、ガードレールをなめるように旧道へとハンドルを切った。
「……ここ、記録上は“消えてる”道なんだよ。今も、マップには載ってない」
「“記録されていない道”か……皮肉だな。ヒカリと一緒じゃん」
その言葉に、ふたりの間にわずかな沈黙が落ちた。
そのとき。ユウマのスマホが、ふたたび震える。
画面には、何も表示されていない。
ただ、白い画面に、にじむように一行が浮かぶ。
《……見られてる。気をつけて》
「ヒカリ……?」
小さく声に出すと、スマホがふっと暗転し、次の瞬間にはGPSが強制的にオフになった。
「位置情報を……遮断した?」
「助かる……まじで助かる。これで少しはまけるか」
安堵したその直後、背後の闇が一瞬だけ、爆ぜた。
木々の隙間を裂くように、車の後方に閃光が走った。
「──っ!マズい、距離詰められてる!」
「アクセル踏むぞ、ユウマ、つかまれ!」
車は揺れ、跳ね、滑りながら、かろうじて旧トンネルへと突入した。
闇が、完全に彼らを呑み込んだ。
旧トンネルの中は、まるで時間が止まったように静かだった。
コンクリの継ぎ目を照らすヘッドライトの光が、天井に揺れている。
外の追跡音は途絶え、背後の闇は飲み込まれたまま、何も追ってこない。
「……撒けたか?」
「いや、まだ気を抜くな。トンネルの先で張ってる可能性もある」
修二の指先が、ステアリングを握る手にじわりと力をこめた。
──数十秒後。
ぼんやりと開けた出口が、闇の向こうに現れる。
その先に待っていたのは、広がる山の稜線と、夜の空。
「……ついた、な」
車はトンネルを抜け、細い舗装路を登る。
標識もない一本道。だが、数百メートル先の開けた土地に、古びたアンテナと建屋の影が見えた。
「第二通信塔跡地──」
ユウマが呟く。
そこは、まるで時間から切り離されたような静けさを纏っていた。
空には星が瞬き、山の風が草を揺らしていた。
「隠れるには、悪くないな……」
修二が車を停める。
二人は静かに車を降り、建屋の前まで歩く。小屋のような建物は、錆びつきながらもまだ“生きている”ように感じられた。
「中に電源があるはずだって、教授が言ってた」
ユウマがドアノブに手をかける。
軋む音と共に、扉が開く。
そこには、古い研究機材の残骸と、わずかな人工の光があった。
スリープモードのランプが、ひとつだけ、かすかに点滅している。
(誰かが……最近までいた?)
そう思った瞬間。
──カチッ。
背後で、何かが“反応”した気配がした。
「……誰かいるのか?」
ユウマが振り返る。
しかし、そこに人影はない。
けれど、胸元のUSBが、かすかに熱を帯びていた。
《接続準備完了──“対象デバイス”を確認》
スマホの画面に、再びヒカリのメッセージが浮かぶ。
(ここで……再接続が、始まる)
ユウマは静かに頷き、USBを手にした。
そして彼は、ひとり言のように呟く。
「……カナリア。もうすぐ──また会える気がする」
夜風が、ゆっくりと建屋の中を通り抜けていった。
もし少しでも心にふれるものがありましたら──
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