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オークションで売られた男の子と買った男の話
創作
start
薄暗い競売場の空気は、湿っていた。
「50万……55万……60万……。他にいらっしゃいませんか? ……では、60万で落札。西条 透様」
男の名が呼ばれた瞬間、朔斗(さくと)は身を固くした。目隠し越しに、自分がどこへ連れて行かれるのかも、なぜ“買われた”のかもわからない。
ただ一つわかるのは、ここから先、何かが変わるのだということ。
連れてこられたのは、閑静な高台にある洋館のような家だった。中は静かで、本の匂いがする。あたたかい照明、広い書斎、そして——大量の原稿用紙。
「ここが、君のこれからの場所だ。名前は?」
しばらく沈黙したあと、朔斗は小さな声で答えた。
「……さくと」
「朔斗か。いい名だな」
目の前の男——西条 透(さいじょう とおる)は、有名な小説家だった。世間に名前こそ出していないが、書店の棚を席巻する大ベストセラー作家。だが彼の素顔を知る者は、少ない。
「どうして……僕なんかを買ったんですか」
勇気を振り絞って、朔斗は聞いた。
透は少しだけ微笑んだ。そして、一冊の分厚い原稿を差し出した。
「これを読めばわかる」
タイトルは朧の檻。
ページをめくるたび、朔斗は言葉を失った。
そこには、誰よりも自分に似た少年が描かれていた。姿や、生き方全てが自分そっくり、いや、自分だった。
「……これ、まさか……」
「君を知らないまま、書いたんだ。……でも、ずっと探してた。“この少年”の面影を持つ人間を」
透の眼差しはまっすぐだった。冷たさも、下心もなかった。ただ、真剣に「創作者」としての執着があった。
「次の物語には、本物の“君”が必要だ。……ただのモデルじゃない。君の呼吸、沈黙、傷跡、、すべてが、俺の物語になる」
最初は、受け入れられなかった。
自分という存在が、物語のための“材料”に過ぎないのだとしたら。
それはまた、商品として扱われることと変わらないのではないかと。
でも、日が経つにつれ、透の言葉が変わっていった。
「君が泣いた夜の音を、俺は書きたい」
「君が初めて笑った朝の光を、残したい」
「君の存在が、俺を救った。……だから今度は、俺が君を救いたいんだ」
一緒に暮らすうちに、朔斗の中の何かが変わっていった。
朝、コーヒーを淹れる透の背中。
夜、執筆の合間にふと自分にかけられる言葉。
静かな愛情のようなものが、紙の上にも、現実にも、少しずつ滲んでくる。
ある夜、透が言った。
「新作のタイトルは、“君という物語”にするつもりだ」
「……僕?」
「そう。君がいてくれたから、書ける物語だ。……もしよかったら、もう二度とどこにも売られない、誰のものにもならない“自由な君”を、この家で書き続けさせてほしい」
朔斗はそっと頷いた。
まだ不安はある。でも、初めてだった。誰かに、何かに、「物語として残されたい」と思ったのは。
それは、初夏の夜だった。
蝉の声が遠く、窓の向こうから流れてくる。原稿に集中していた透がふと顔を上げると、隣でうたた寝をしている朔斗の姿が目に入った。
淡い月明かりが、彼の頬を照らしている。
紙のように白く、儚げで、なのに、芯のある強さを湛えていた。
透は、静かに原稿用紙を閉じた。
それからしばらく、朔斗は毎日のように透の原稿のそばにいた。
物語に意見を出したり、キャラクターの台詞を一緒に考えたり。
朔斗はもう“素材”ではなかった。
彼自身が、透にとって唯一の“相棒”になっていた。
ある晩、透がふと口を開いた。
「……朔斗。君は、ここにいて幸せか?」
「え?」
「……君が、もし自由を求めているなら。今からでも、解放する。どこへでも行けるようにする。だけど……」
言葉に詰まる透を、朔斗がじっと見つめた。
「僕は……行かないよ。どこへも」
透の目が揺れた。
「ここが、僕の場所なんだって、最近ようやく思えるようになった。……透さんが、そう思わせてくれた」
その夜、ふたりは初めて正面から想いを交わした。
静かなリビング。紅茶の香り。
「透さん。ひとつだけ、ずっと聞きたかったことがあるんです」
「なんだ?」
「……僕じゃなくても、物語は書けたんじゃないですか? どうして、“僕”じゃないとダメだったの?」
しばらく沈黙が流れた。
やがて透は、椅子から立ち上がり、朔斗のそばに膝をついた。
「君じゃなきゃ、物語は始まりもしなかった」
その目に、嘘はなかった。
「君の涙も、怒りも、笑顔も、俺にとっては全部、“奇跡”なんだ。誰にも触れさせたくない。……俺だけが、君の続きを知っていたい」
その言葉に、朔斗の頬から涙がひとしずく、落ちた。
「じゃあ……続きを、一緒に書いてもいい?」
「もちろんだ。……できれば、生涯をかけて」
そしてその夜。
初めて透のベッドで眠った朔斗は、誰にも支配されず、誰のものでもないまま、ただひとりの人に抱かれるということの、温かさを知った。
触れ合う手も、重なる唇も、過去の痛みをすべて上書きしていくようだった。
透は囁いた。
「君がいてくれるだけで、書きたい物語が増えていく」
「僕も……透さんといるだけで、生きていける気がするよ」
恋人としての生活は、劇的な変化はなかった。
けれど、透の手から生まれる物語は、よりやわらかく、あたたかくなっていった。
そして朔斗は、いつしか「透の小説の中の少年」ではなく、「透と一緒に未来を描いていく青年」になっていた。
2人の物語は、まだ序章にすぎない。
だけど、それは確かに。
“誰にも壊されない、本物の恋”の始まりだった。
… 𝗍𝗁𝖾 𝖾𝗇𝖽
コメント
3件
いやエモ
え?良すぎるんですが? 今まで見てきた創作の次元超えてきて読んでる時間時止まってる笑笑 まじでえぐすぎる幸せ…
え?は?え?eh?最高なんですけど。は?え?ありがとうございます