「太子……」
呆れた顔で、妹子は太子を見た。
太子は暗い竹林の中で、真剣な顔をして地面を見つめている。
「待て妹子。地面が私に話しかけている」
「してません」
「いや、確かに『お前が踏んでるのは昨日の影だ』って言ったな」
「太子、寝不足ですか?」
太子は顎に手を当て、うんうんと頷いた。
「つまり、私たちはいつも昨日を踏んで生きてるっていうことだな」
「詩的に言ってもおかしいものはおかしいですよ」
軽やかな風が、かすかな笛の音をたてて、その竹林を吹き抜けた。
それに合わせて、太子は、ふふ、と笑いをこぼした。
「……太子?」
「いや、なんでもない」
顔を上げ、妹子の手をとって、太子は走り出した。
「ちょっ……、と!?」
あまりにもおかしい太子の行動。それでも、触れている手のひらは、確かな温もりがあった。
竹林を抜けかけたとき、パッと手を離され、太子は、踊るようにして、二、三歩前に出た。
「見ろ、妹子!」
辺りは透き通った満月の光で照らされている。それを背景にして、得意げに彼はこう言うのだ。
「月が綺麗だ!」
一瞬、時間が止まったように見えた。目の前で、パチパチと煌めきが飛び散っていく。
(太子……)
太子は本当に──?
人間なのだろうか。
「……ああ……、そうですね」
非現実的なこの場所から目を細めて、妹子は不敵に笑った。
「恐れる必要はないよ」
太子は、ただ静かに笑っていた。
そして、二つの影は長く伸び、銀色に光る月に吸い込まれるように、幻想の中に滑り込んでいった。