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「”プロイセンについて教えて欲しい”?」
ドイツから受け取ったモーゼルワインの瓶を見た目だけは子供の腕で抱きながら、プファルツは訝しげに首を傾げた。
「成程、これは駄賃ってことですか」
「ああ。是非ともお前の体験談を聞きたいと思ってな」
「ブランデンブルクに聞けばいいじゃないですか」
「生憎、彼は国外に行っててな」
依頼主ドイツからそう返されると、プファルツはふーん、と手元のワインを一瞥し、少し経ってから
「まぁ、良いでしょう。とはいえ、僕はあいつとあまり接点は無いです。ブランデンブルクが帰ってきたらそいつに話を聞くと良いですよ。」
と返した。
そもそも、こういう話ならザクセンやバイエルン辺りが詳しいでしょう。
…あー、もう聞いたんですか。バイエルンは荒れていましたか?
でしょうね…
僕はバイエルンと比べてプロイセンと接点は無いです。ただ、その”武功”は良く聞いていましたよ。
ずいぶんとまぁ…勇ましい奴でしたね。
アイツは僕と違って北の辺境、ろくな産業も無い奴でした。強いて言うなら兵が主力産業…ですかね。ヘッセンとかスイスとかみたいですけど。
僕はライン河沿い、商業の中心地に居を構えていましたから、最初は「プロイセン」なんて言葉は噂程度に知っているぐらいでした。
よく話を聞くようになったのは1700年代です。まさか、オーストリア相手に挑んで勝つなんて驚きましたよ。
あの時からプロイセンは国全体が軍隊みたいな奴でした。
それ以降は僕自身バイエルンの野郎の下で暮らしていたので朧気にしか。
え?もう少し話はないのかって?無いですよそんなもの。だって接点殆ど無いんですもん。プロイセンの歴史は貴方も知っているでしょうし、他の話もザクセンとバイエルンから伺っているでしょう?
あっ、分かりました!!分かりましたから!!ワインは取らないでください!!
ナポレオン戦争の時、あいつはライン河に大きく進出しました。
その時の印象は「なんて気の合わない奴なんだ」でしたね。
僕等ライン河沿いはフランスとの国境地帯。気に食わないですけど、フランスの気風が幾らか感染っています。
対するプロイセンはガチガチの軍人気質。冗談の通じないような堅物ですよ。ナポレオン戦争で救われた身とは言え、苦手でしたね。
ただ、あの時はフランスとドイツ全体の対立が最も激しかった時期なので、プロイセンを追い出すわけには行きませんでした。
プロイセンとは気が合いませんでしたが、まぁ感謝するべき点はあります。
アイツのお陰でライン河流域は工業化を果たしました。今でも貴方のよく知る通り、ルール地方、ザール地方を筆頭としたラインラントはプロイセンの改革の中で発展した地域です。
そこに関しては感謝ですね。
ただ、宗教とかそういうのに関しては本当に気が合わないです。
これはトリーアとマインツの話なんですが、プロイセンの息のかかった大司教が就任した時は肩身が狭かったと言っています。
アイツの信仰心の薄さにはうんざりしましたよ。
ドイツ帝国成立期のプロイセンは見ていて面白かったですね。
なんせ、あのバイエルンを説得して傘下に加えたのですから!
僕は殆ど意識のない時期ですけど、その話を聞いたときは久々に笑いましたね。
しかし、同時に不安でもありました。先にも述べた通り、独仏は対立中。
ドイツ帝国は、その宿敵フランスの面子を潰す形で成しましたから。
僕は3度、フランスに吸収されかけたことがあります。
1つ目はプファルツ継承戦争、2つ目はナポレオン戦争、そして3つ目は、第一次世界大戦後です。
第一次世界大戦後、プロイセンはすっかり落ちぶれました。配線の咎をバイエルンから責め立てられていましたね。
僕はあの時、マインツと一緒にフランスの占領地下に入っていました。
憎きフランスの下とはいえ、バイエルンの野郎から離れられたあの時は気も楽でしたね。
「プファルツ自治国」が成立するまでは。
プロイセンという「保護者」が居なくなったライン河は脆弱でした。フランスに簡単に付け入られたのですから。
その時僕は、いや、ドイツの全てが求めてしまったんです。
「強き指導者」を。プロイセンの様な「強さ」を。
…あとは話しません。貴方はよくご存知でしょうし、僕自身思い出したくもないですから。
彼の強さは神話化され、崇められ、そして後に「犯罪」として断罪されました。
…どうです?「傍観者」の語るプロイセンは。
僕は都合よくプロイセンを頼り、都合よく嫌っていました。