「じゃあ、今日はここまで。解散」担任の一言で、クラス中が一斉にざわつき始める。教室中に様々な声が飛び交う。金曜日のこの時間はいつも以上に賑やかだ。聞くつもりが無くても、溢れる会話が耳に飛び込んでくる。
「ねぇ、今日どこ行く?」
「ごめん、私今日部活だから一緒に帰れない」「やっば、課題出し忘れてた!職員室行くからちょっと待ってて」
目的地は人それぞれで、各々が鞄を手に教室を出る。私も帰ろうと鞄を持ち上げると、鈍い腕の痛みを感じて思わず鞄を下ろした。そうだ、今日も体育の時間で腕をぶつけてしまったのだ。運動神経が昔から悪い私は、他の人より高い頻度で怪我をする。怪我と言っても大したことないようなものばかりだが、重なると痛みが増してしまう。それに最近は、怪我そのものよりも、怪我をしたときの周りの目線の方が痛い。今日だって、体育の授業が終わる時に同じチームだった子が「ほんとうまくいかないんだけど」と話しているのを聞いた。やっぱり、私のせいで。目線は色も形も無いはずなのに、確かに心に突き刺さる。小さな一言は、心に影が差す。あの子の言葉に悪意はないと、わかっているのに。腕の痛みがさらに重くなった。楽しげな声が雪崩れる教室から逃げ出したくて、普段とは逆の肩に鞄をかけてロッカーに向かう。反対にかけた鞄のせいか、しばらく違和感が腕から拭えなかった。
靴に履き替えて外に出ると、冬の風が吹き込んできて、私は目を細めながらマフラーを巻く。ありとあらゆるものに追いやられてしまうこんな日は、映画を見に行こう。昔から映画鑑賞が好きで、飽き性の私にとって映画は興味を引き付ける唯一の趣味と言っていい。私はよく行く映画館へと足を運んだ。平日ということもあって、映画館にはあまり人はいない。何を見るかは決めていなかったので、とりあえず上映スケジュールを確認する。話題作などが並ぶリストを下へスクロールすると、公開からしばらく経ったタイトルを発見した。上映も一日に二回しかないし、きっと人も少ないだろう。座席の選択画面は、やはり空席だらけだった。上の方の真ん中あたりの席を選び、チケットを買った。上映時間まで少し時間があるので、近くの雑貨屋でみかん色のハンドタオルを買ったりして過ごした。時間が近づき、映画館でドリンクのメニューを見るが、いつも通り氷抜きのオレンジジュースを頼み、案内されたスクリーンに入った。席についてしばらくすると、様々な広告や新作映画の映像が流れる。最後の映画の注意喚起の映像が終わると、周りのライトが落ちて、スクリーンの光に包まれる。現実から遠ざかるこの一瞬がたまらない。映画好きと言っても、私は劇場が好きなのだと思う。映画の内容は関係ない。暗闇の中、スクリーンの光だけが煌々と存在するこの空間が、私の心を落ち着かせてくれる。ここに居れば、周りの目なんて気にしなくていい。クラスメートと私の間にある微妙な隙間を忘れて、ぼんやりとスクリーンを眺める。映画が、始まった。
内容をよく考えず選んだが、この作品は、AIが主人公のようだ。AIを育成する施設にいる主人公は、周りのAIと同じように、毎日与えられた課題をこなしている。が、主人公はなぜか他のものよりスコアが低い。低いといっても、僅かな差。気に留めるものなどいなかったが、主人公は、すこしずつ「差」に違和感を覚えていく。そして、定期的に行われる試験で、合格点にあと少しのところで及ばず、不合格になってしまう。日々感じていた違和感は、ついに劣等感に形を変え、重くのしかかる。人間の感情を手にしたことに気が付かないまま、他のAIに尋ねてみるが、感情を知らない彼らには伝わるはずもない。主人公は悔しさ、劣等感、苦しさといった様々な感情を知っていく。
見れば見るほど、主人公と私自身を重ねずにはいられなかった。今日の体育の授業の出来事が頭によぎる。私も、周りと違うんだ。人と違うことは、どうしてこんなにも苦しいのだろう。みんなと同じになれたらいいのに。
考えを巡らせていると、シーンは続いていく。悩む主人公にとあるAIが声をかけた。
「君、まるで人間のようだね。我々に感情は不要だ」と言い放つ。そこで主人公は人間に近い様々な感情が、自分の中にあることに気づいた。いつの間にか、周りと大きな差ができていたという事実に、また新たな感情が芽生える。私は、出来損ないなんだ。暗闇に閉じこもりそうになったその時、一人の施設の研究員が主人公を発見する。その研究員は、主人公の話を聞きだした。苦しさを零す主人公に、研究員はこう話した。
「周りと違うことって、そんなにいけないことなのかな。人間にだって得意不得意があって、それを誰かと補い合って生きているの。人間にだってそれぞれの個性があるのだから、AIにだって個性があっておかしくない。違いは個性の始まりで、深めて伸ばせば魅力になる。必ず」
言葉に力をもらった主人公はスコアに向き合えるようになっていく。スコアが劇的に変わるわけではなかったが、少しずつ成長していく。しかし、他の研究員が主人公の人間のような感情に気が付くと、削除するべきだとの意見が出た。「AIに感情はいらない。スコアの結果のみがAIの価値だ」そんな冷たい言葉に、今まで命令に従ってきた主人公は、ついに声を上げた。
「私に感情があったっていいじゃない、私が私であることに、何が悪いっていうの」
映画の内容なんて関係ないと思っていたけれど、案外そうでもないかもしれない。まさに魂の叫びとも言える言葉が、私に深々と刺さっているからだ。私は今、確実にこの作品に影響を受けている。でも、初めてのこの感覚を心地よく、楽しく思っている。モノクロに見えていた日常がスクリーンを通して彩られていく。体育の授業の度、周りとの差に、劣等感に押しつぶされそうになる。けれど、きっと私は私で、まだ見ぬ私の個性が始まっていくんだ。たとえ、「魅力」という宝にはまだほど遠くて、海の底にあるとしても。この小さな、楽しいという色があれば、ウミウシにだって見つけられる気がした。映画は、主人公に力をくれた研究員と施設を抜け出し、主人公の持つ感情を生かせるものを共に探していくというシーンで幕を閉じた。
映画が終わり、ライトが再び灯る。現実に帰ってきてしまったけど、いつものような寂しさを感じなかった。
私は隣の席に置いていた鞄を肩にかける。
この映画のパンフレットを、買って帰ろうかな。
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