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マザーズバックから除菌のオシボリウェッティ取り出し、肩からバスタオルを掛けて、将嗣に背中を向けた。
意を決した私は胸を拭いて、美優におっぱいをあげ始める。
何をどうしてこんな事になった?
私ってば、また、やらかしている!
この前、乳幼児健診で断乳の話が出ていた時に実行に移していれば良かった。
いまは、後悔しかない。
絶対、断乳する!!
私は、心に誓った。
固い決心をしている私に将嗣が声を掛けて来る。
「なあ、美優ちゃんって、生後何か月?」
「今、10ヶ月だよ」
「なあ、その子のパパって?」
将嗣からの不意打ちともいえる質問に心臓がドクンと跳ねる。
「もしかして、俺?」
いきなり核心を突かれ、言葉に詰まる。
「あ、あの……」
そんな私の背中に将嗣は言葉を続けた。
「現在、美優ちゃんは生後10か月。妊娠期間は10か月で、1年8か月前に夏希のお腹に美優ちゃん種が宿った事になる。それで、俺たちが別れたのは、1年半前、夏希の倫理観からしてその頃付き合っていたのは俺だけ、という事は、美優ちゃんの父親は俺ってことだと思うけど」
ここまで言われたら言い逃れなんて出来ない。
将嗣は、美優が自分の子供だって言う事をすでに確信しているんだ。
私は、スッと大きく息を吸い込み気持ちを落ち着かせた。そして、腕の中で眠った美優を抱いたまま衣類を整える。
さあ、覚悟を決めろ!
私は、将嗣へと振り返った。
「今まで黙っていてごめん。将嗣が言っている通り、美優は将嗣の子供だよ。別れてから赤ちゃんが出来たのが分かったの。でも、既婚者の将嗣に言っても堕胎する事になりそうで、怖くて言えなかった。だから、黙って産んだの……」
想いを吐き出すと、言えた事の安心とこれからの不安、美優を妊娠してから出産、子育ての大変さ。いろいろな感情が一気に押し寄せ、涙が溢れ出す。いまは腕の中でスヤスヤと眠る美優の重さや体温の温かさが愛おしい。
「夏希、俺の子供を産んでくれてありがとう。夏希が俺に言えなかったのは無理もない。全部、俺が悪かったんだ」
将嗣の腕が私と美優を包み込むようにそっと抱きしめてきた。
「ううん、私もごめん」
「この前、区役所で夏希が子供を抱いているのを始めて見た時、凄くショックだったんだ。夏希が抱いているのが他の男の子供かと思うと胸が焼けそうな思いに駆られた。でも、あの後、区役所の案内版に乳幼児健診9、10か月って書いてあるのを見て、もしかしてって思ったんだ。実は、ココに引っ越してきたのだって、偶然、夏希に会えるかもって思ったからなんだ。俺、ヤバいだろう」
これって もしかして、告白されている?
私は、将嗣に美優の事を黙っているのは良くないと思っていたし、『美優は将嗣の子供だよ』って、伝えるだけで良かった。
1年半の月日の中、やっと確立された状況と気持ちの変化のバランスがグラグラと崩れていく。
どうしたらいいんだろう。
抱きしめられたまま、やっとの思いで言葉を吐き出した。
「……美優のことを受け入れてくれてありがとう。この先のことは、少し考えさせて。私たちは、別れているんだし気持ちの整理がつかないの。放してくれる?」
将嗣の腕は、私たちを包んだまま解かれない。
そして、私の首元にポタリと将嗣の涙が落ちた。
「ちょっと、どうしたの?」
「今更、後悔しても遅いのに夏希と別れた事で、失ってしまった夏希と美優との時間が悔やまれる。できることなら、美優が産まれる時も一緒に感動を分かち合いたかった。夏希も一人で不安だっただろう」
将嗣の言葉を聞いて、美優が生まれた時の出来事を思いだした。
陣痛で苦しい時に支えてくれた、私のヒーロー。
偶然が重なり、朝倉先生に付き添ってもらい出産、それに大きな仕事をもらって、ステップアップした。私は、不思議な縁と運に恵まれている。朝倉先生の事を思い浮かべると心が温かくなって、不安が消えていく。
「不安がなかったと言ったら嘘になるけど、私は大丈夫」
「夏希、ごめんな。これからは、俺も協力する。美優ちゃんの父親になれるように頑張るから、俺たちもう一度やり直せないか?」
泣いている元カレに何を言えばいいんだろう。
将嗣への思いは、別れた時にリセットされている。
だって、独身だと騙されていたのだ。
いまさら、もう一度やり直したいって言われても、やっとリセットしたのに、そんな気持ちになんてなれない。
それに、結婚していた時に独身と偽って不倫をしていた人が、私と結婚したからと言って、目移りしないなんて思えない。
貞操観念というか、結婚に関してのズレがある人を信用するのは難しい。
たとえば、帰りの遅い日や休日にひとりで出かける事もあるだろう。そのたびに「もしかして不倫?」と疑いの目で見てしまうのかも知れない。
疑うのもイヤだし、疑われるのイヤだろう。
お互いが疑心暗鬼なって、夫婦としてやって行くのは難しくなるはず。 結局は、一度失った信用を取り戻すのは、容易ではないということだ。
「もう一度、やり直すのは、いまは考えられないかな。でもね、将嗣は、すでに美優の父親だよ。遺伝的にはね。美優にとって良いパパになれるかはこれからなんじゃない? 私とは別れたんだし、別れた時は、もう会いたくないって思った。けれど、将嗣の事情も分かった。まあ、自業自得な所もあるけれどね。だから友達からでいい?」
私を抱きしめていた腕が解かれ、将嗣は顔をあげた。
「わかった、友だちからでもいい。俺、頑張るよ。夏希、チャンスをくれてありがとう」
「美優の良きパパとして、私の友人として、これからもよろしくね」
◇ ◇
将嗣の部屋から出た私は車に乗り込み自分の家に戻った。
美優をベッドの上に寝かせ、車から生鮮食料品を下ろし冷蔵庫に仕舞い終えると、ふぅっと、ため息が出る。
将嗣との再会、離婚の理由、美優の事、そして告白。
はぁ~。もう、キャパオーバーで無理!!
まあ、美優の事を気持ち良く受け入れてくれた事は、素直に嬉しかった。
よく、ドラマとかコミックでは「俺は知らない、お前が勝手に産んだろう」などという展開の可能性だってあったのだから心配だった。
少なくとも、美優が大きくなってパパの事を訊ねても、ウソをつかなくてもいい。
でも、将嗣と関係をやり直す事には抵抗があった。
自分の心が誰を向いているのかやっと自覚したばかりで、こんなのは、恋とも呼べないのかもしれない。
いい年して、片思いなんてバカみたいだし、相手は、ザ・パーフェクトな人だし、私なんてタダの仕事相手だろう。散々ダメなところばかり見せているからアウトオブ眼中だと思う。
ただ、他の人に心が向いているのに将嗣と復縁するのも将嗣に対して不誠実な気がした。
まあ、世の中、みんな秤にかけて上手い事やっているのに、自分は、要領が悪いというか、不器用というか……。
それでも私は、心に嘘をついて行動することは出来ないタイプなのだ。
そして、なにより私には、やらねばならない事がある!
それは、美優の断乳なのだ!