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第1節 葛城雪絵・千崎雄二『覚悟の選択』―5―
「……今日、会社の方へ了道おじちゃんから、電話がありました」
沈黙に耐えきれず、雪絵はそう告げた。
「ええ。……私にも」
短い返事。
感情は、読めない。
「……」
それ以上、言葉が続かない。
この八年間。
同じ屋根の下で暮らしてきた。
世話をされて、守られて、距離を保たれて。
でも――。
こうして一緒の空間にいても、今みたいに何を話せばいいのか分からない時がある。
車は、見慣れた道を抜けていく。
葛西了道の家へ続く道。
雪絵は、膝の上で手を重ねた。
その指先が、いつも以上に冷えていた。
(今日で……何かが、決まる)
逃げられない。
待ち続けるという選択も、もう許されない。
シート越しに雄二の後ろ姿を見つめながら、雪絵は静かに息を吸った。
この沈黙が、この距離が、この時間が――。
きっと、――最後に与えられた猶予なのだ。
***
車は、ゆるやかに減速しながら、見慣れた門近くに用意された駐車スペースへ停まった。
葛西了道の家。
雪絵が長い年月を過ごした場所であり、同時に逃げ場のない場所でもある。
エンジンが切られる。
それだけで、胸の奥が小さく軋んだ。
家の周辺をぐるりと囲む塀のあちらこちらに監視カメラが設置されていることは、雪絵も知っている。
すでに中の人間には、自分たちの来訪が伝わっているだろう。
雄二はちらりと後部シートの雪絵をミラー越しに見遣ると、「少し待っていてください」と告げて先に降り、門扉のインターホンに手を伸ばした。
こんな時、三井なら雪絵とともに車を降りただろう。
雄二のこの線引きは、雪絵を外気にさらさせる時間を極力少なくするための配慮とも取れたし、雪絵と並ぶ時間をできるだけ抑えたいと言っているようにも思えた。
雪絵は後部座席でシートベルトを外しながら、ぼんやりとその背中を見つめる。
――必要最低限のことしか告げてくれない広い背中。
たかだか一メートルもない距離が、やけに遠く感じられて胸の奥がきゅっと痛む。
インターホン越しに短いやり取りをした気配があったあと、門が静かに開いて中からスーツ姿の男が顔を出した。
「……どうぞ」
そこでようやく車の方へ戻ってきた雄二が、後部座席のドアを開けて雪絵を降ろしてくれる。
その声は、相変わらず淡々としていた。
「……ありがとうございます」
雪絵は小さく頭を下げて車を降りた。
三井ならば手を差し出すようにして雪絵を労わってくれるが、雄二はただ見守るだけ。
転びそうになったりすれば即座に手が差し伸べられるけれど、そんなことでもない限り、雄二は雪絵の身体に触れることはなかった。
足元の砂利が、寂しげに乾いた音を立てる。
黄昏時の空気は冴え冴えと冷えていて、頬に触れる風がひどく現実的だった。
ここまで来てしまった……という感覚だけが、じわじわと押し寄せてくる。
玄関へ向かう途中、ふいに、雄二が歩調を緩めた。
それに合わせて、雪絵も自然と足を止める。
「……緊張、してますか」
ぽつりと落とされた言葉。
独り言に近い、問いかけ。
雪絵は、一瞬だけ迷ってから、小さく頷いた。
「……少しだけ」
嘘ではない。
でも、本当は――少しどころじゃない。
雪絵は雄二を苦しめる原因になってしまっている。そうして多分、自分はそのことを知りながら、さらに彼を追い詰める決断をしてしまう。
雄二は、そんな雪絵の心の機微を知ってか知らずか、雪絵が〝何に〟緊張しているのか……問いかけてはこなかった。
代わりに、ほんのわずかに息を吐く。
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#極道
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「……私もです」
その一言が、雪絵の胸を打った。
雄二が緊張している。
きっと――あるいは、雪絵の心がそう思わせてしまうだけなのかもしれないが、彼のそれは、自分とのことをどう断ろうかと考えてのことだろう。
煌々と照らされた門灯を見上げたと同時、扉が内側から開いて、中から了道の妻・佳代が姿を現した。
「……寒かったでしょう。早く中へお入りなさい」
柔らかな声音。
だが、視線はしっかりと二人を捉えている。
「お帰り、雪絵。――千崎さんも」
「……ただいま、佳代おばちゃん」
雪絵がそう返すと、佳代は一瞬だけ、雪絵の顔をじっと見つめた。
何かを測るような、確かめるような目。
「ちょっと見ない間に随分綺麗になったわね」
それから、にこりと微笑む。
「さ、上がって。うちの人は奥にいるわ」
(覚悟を……決めなくちゃ)
雪絵は、心の中で小さく呟いた。
最初から、話の場は整えられている。
靴を脱ぎ、廊下を進む。
畳の匂い、障子越しの明かり。
どれも、覚えているものばかりなのに、今日はひどく遠い。
今までならば、『雪絵お姉ちゃん!』と飛びついて場を和ませてくれる琴音はもうこの家にいない。
座敷の前で、佳代が立ち止まった。
「……二人とも」
振り返った佳代は、先ほどより少しだけ真剣な表情をしていた。
「難しい話になると思うわ。でも――逃げずに、聞いてあげてね。あと……変に遠慮はしないこと」
その言葉が、佳代なりの優しさなのだと、雪絵には、よく分かってしまった。
佳代は了道の話を聞いたうえで、ちゃんと自分の意見を言いなさい、と背中を押してくれている。
「はい……」
雪絵が小さく答えると、佳代は一度だけ頷き障子に手を掛けた。
静かに、開かれる。
「二人がいらっしゃいましたよ」
佳代の声と同時に、座敷の奥で、低い声が響いた。
「……入れ」
葛西了道。
その声を聞いた瞬間、雪絵の背筋が自然と伸びた。
幼い頃から染みついた反応。
雄二の背後に付き従うようにして、座敷へ足を踏み入れる。
畳に座る了道は、いつもと変わらない姿だった。
だが、その目だけが――逃がさないと告げている。
雪絵は、静かに正座した。
膝の上で手を揃えながら、胸の奥で深く息を吸う。
(……来てしまった)
もう、引き返せない。
コメント
2件
雄二さんも緊張してるとかっ( ̄▽ ̄;)
読了したよ!今回のエピ、車内の沈黙とか門の前での立ち振る舞いとか、空気の重さがめっちゃ伝わってきた…「雄二も緊張してます」って呟き、あれは雪絵視点だと胸にくるな。家に帰ってきたはずなのに「逃げ場のない場所」って地の文が刺さる。二人の距離感が切ないけど、覚悟を決める雪絵の強さが静かに光ってる話だった🔥