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いつの間にか私たちを薄氷のドームが覆っていた。
ロザリア・グレイヴの術式、氷の結界が完成したらしい。
「ロザリアの術式は君と相性がいい。手足が凍傷で腐り落ちても、君なら即座に再生するだろうけど……失われた熱は戻せない。いずれ凍え死ぬ」
氷に覆われていく私に、グレイヴ卿は微笑みかけた。
「最後通告だ。フィオを返せよ、坊や」
「断る」
「なぜ庇う? 僕にとって彼女は王子様だが……君にとっては違うだろ? 彼女は君を戦地に立たせ、自身は城に籠っている。騎士に寵愛され、庇護されるだけの受け身のヒロイン。君は確か、そうした女が嫌いだろう」
「ああ、他人に頼るだけの女は嫌いだ」
「だったら」
「私はフィオが大好きだよ」
赤い紐が私の袖口から伸び、私自身にまとわりつく。
グレイヴ卿が首を傾げた。
「……拘束の魔道具? 何故、自分に?」
紐に巻きつけた火打石が、火花を散らす。
ガソリンを染み込ませた紐が燃え上がり、紅蓮の炎が私の全身を呑み込んだ。
皮膚が焼け、肉が炙られる。
再生の魔術で、焼け落ちた先から編み直す。
氷は溶けた。
私は火達磨になったまま、グレイヴ卿へと駆け出した。
「……無茶をするね」
ロザリア・グレイヴの術式は知ってる。
彼女の結界にいる者は、均等に冷気に襲われるわけではない。結界の中心から遠ざかる者――逃げようとする者が優先的に凍っていく。
相手を閉じ込め、逃さない設計だ。すなわち――。
「タネを知る君は結界の中心、僕を狙うよね」
地面が盛り上がる。
石畳を突き破って、無数の黒い槍が地中から噴き上がった。
「僕は千の魔術を使える。カウンター系の罠なら山ほどあるよ」
槍は肉を裂き、私の身体を空中に縫い止める
私は力づくで槍を引き抜き、前進する。
続いて、地面から伸びたワイヤーが、私の四肢に絡みつく。
「恐ろしく細いだろ? 刃と変わらぬ鋭さだ。無理に動けば肉が裂けるぞ」
「今さら」
ワイヤーを引きちぎる。
予告通りに肉が裂け、ところどころ骨が露出する――壊れた先から治していく。
グレイヴ卿が用意した、千差万別の魔術の地雷。
それらをすべて踏み抜きながらも、一直線に走り抜ける。
そして、私の左手は、グレイヴ卿に届いた。
「よくできました、ノクス坊や」
グレイヴ卿は静かに笑った。
私の左手は、確かに、グレイヴ卿の胸に届いた。
ただ勢いは殺され、力なく、そっと触れただけだ。
いつの間にか、私を覆う炎は消えていた。
私の両脚は黒い鎖に巻き取られ、動かせない。腹や胸は鉄の棘に貫かれ、地面に縫い付けられている。
竜の術式ならこれらの拘束も砕けようが、右手は消失したままだ。竜の因子が混ざった右手は他の部位と勝手が違い、再生に時間がかかる。
全身くまなく、使い物にならない。
「火達磨になってハグなんて、野蛮だよ……通じるわけないだろ?」
グレイヴ卿は私を観察する。
血だらけの私の身体は、再び氷に覆われていく。
「再生の魔術を間近で見れるのはラッキーだな。君のお父様やお兄様は秘密主義者だったから、全然解析できなかったんだ」
「……舐め過ぎだ、私の手はまだ、貴殿の胸に触れている」
グレイヴ卿が鼻で笑う。
「だから何だい? さっきみたいな魔道具のストックはなさそうだ。竜の術式を失った今の君に、何が……でき、る……?」
グレイヴ卿の目元から、血の涙が流れた。
「は?」
グレイヴ卿が血の塊を口から吐き出した。
その場で片膝をつく。
「……何、だ……僕に、何をした?」
「内臓を分解した、フィオの魔術だ」
「……フィオの、魔術?」
私は術式で手袋を分解し、剥き出しの左手を見せる。
グレイヴ卿が茫然とする。
「どうなってる? それは……それはッ、フィオの左手じゃないか!」
「……彼女の手の特徴を覚えているのか……気持ち悪いな」
華奢な少女の左手は、私の手首と歪に接続されている。
「……身体の一部が少女……奇遇にも貴殿とオソロイだ。死にたくなるよ」
グレイヴ卿は焦点の合わない目でブツブツと呟いた。
「……フィオが後天の魔術師に? 千分の一の確率を引き当て、分解の魔術に目覚めた? ……いや、違う! 賢者の石か!」
「察しが良いな」
「……違和感はあった。竜の術式を安易に見せたと……右手を落とされたのは」
「その方が、貴殿が油断すると思った」
グレイヴ卿はまた血を吐くと、不気味に笑った。
「イカれてる! 正気じゃない! 不意打ち一発のため、竜の右腕を捨て駒にした君も! 左手を斬って捧げたフィオも! こんな作戦が上手くいくと信じたのか!?」
「上手くいってる」
「結果論だ!」
「結果が全てだ」
グレイヴ卿が笑みを深くする。
「いいさ、認めるよ。フィオを受け身のヒロインと呼んだことは取り消そう。だが、運命の運ぶところは変わらない……僕はもう、再生の魔術を描き終えた」
グレイヴ卿がゆっくりと立ち上がる。
まだフラフラだが、少しずつ、着実に、その身体は回復している。
「内臓破壊じゃ甘いよ。狙うべきは頭だったね……お互い死に体だが、氷漬けの君より僕のほうが早く治……」
グレイヴ卿の目に、不自然な影がとまった。
空を見上げ、硬直する。
「……フィオ?」
蝙蝠型のゴーレム数体にぶら下がったフィオが、空に浮かんでいた。
ゴーレムをつかむ手を放し、絶対零度の世界に飛び込んだ。
白凍の魔術師による結界――薄氷のドームは、閉じ込めた対象を外に逃がさないことに特化している。
反面、外からの侵入を阻むようにはデザインされていない。
空を覆いつくす氷は、いとも容易く踏み抜かれた。
銀世界が崩れていく。
陽光にきらめく氷の破片を散らし、フィオが降り立つ。
「おはよう、先生。さっきの台詞、もう一度言ってくれる?」
フィオがグレイヴ卿に顔を向け、優雅に笑う。
グレイヴ卿は動けない。まだ回復が終わっていないらしい。
「……さっきの台詞? ……ああ、『受け身のヒロインと言ったことは取り消そう』か? 君はこうして、出向いたわけだし」
フィオが失望を顔ににじませる。
何かを察したか、グレイヴ卿がハッとした顔をする。
「ああ、すまない、フィオ……僕としたことが、どうかしていた。この程度を外すなんて。少し考えればわかるじゃないか。君の望む台詞は、決まってるのに……」
グレイヴ卿はまっすぐにフィオを見据え、優し気な微笑みを返した。
「『狙うべきは、頭』」
「よくできました」
フィオの右手がグレイヴ卿の脳天をつかむ。
グレイヴ卿の脳がグチャグチャに分解されていく。
彼はそれを、笑顔のまま受け入れた。
「……また今度」
グレイヴ卿の身体がドロリと溶ける。それは真っ黒な影になり、やがて光る輪郭線へと化けた。死んで絵に戻った自画像が、霧と消えた。
#溺愛
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