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Episode 55「トラウマ」
夜。
村はすっかり静まり返っていた。
風が木々を揺らす音だけが響いている。
リサはベッドの中で目を開けた。
……何かが聞こえた気がした。
外から。
かすかな音。
村の外れの方からだった。
リサは静かに起き上がる。
気になった。
ただ、それだけだった。
扉をそっと開け、外へ出る。
夜の空気は冷たい。
……やっぱり聞こえる。
誰かの声みたいだった。
リサはそのまま、静かな夜道を歩いていく。
村の灯りが少しずつ遠くなる。
「……?」
その時だった。
「リサ!」
後ろから慌てた声が聞こえた。
振り返る。
アデルだった。
部屋着のまま外へ飛び出して来たらしく、少し息を切らしている。
「こんな夜遅くに外へ出ちゃ駄目です」
「でも、何か聞こえて……」
「それでも危ないです」
アデルが苦笑しながら近付いてくる。
「何かあったらどうするんですか」
「ごめんなさい……」
リサが少ししゅんとする。
アデルが困ったように笑った。
「ほら、戻りますよ。」
アデルがそう言った、その時だった。
リサが、ふと足を止める。
何かおかしい、と感じた。
「……誰か、いる」
小さな声だった。
アデルが一瞬遅れて反応する。
その瞬間。
暗闇の中の影の一つが、ぴくりと動きを止めた。
「……まずいな」
低い声だった。
「気づかれてる」
空気が一気に張り詰める。
リサが息を呑む。
アデルが素早くリサの前へ出る。
「……誰ですか」
暗闇の中から、男達が姿を現した。
武器を持っている。
装備も、村人とは明らかに違った。
敵国の兵士。
「……偵察はもう無理だな。どうする?このまま撤退するか」
ガラの悪そうな男が言う。
「……いや」
別の男が、リサの方を見たまま目を細める。
「……せっかくだし、お土産でも持っていくか」
空気がわずかに変わる。
敵兵全員の視線がリサへ向く。
「女を渡せ」
「……断ります」
アデルの声は静かだった。
だが。
男達は最初から話す気など無かった。
一気に距離を詰めて来る。
「っ……!」
アデルが押さえつけられる。
「おにい!!」
リサが叫んだ。
「リサ、逃げて!」
アデルが叫ぶ。
だが、もう一人の男がリサの腕を掴んでいた。
「離して!」
リサが暴れる。
だが、子供の力では敵わない。
男達はアデルを地面に押さえつけながら笑っていた。
拳が飛ぶ。
腹へ。
顔へ。
鈍い音が響く。
「っ……!」
アデルが苦しそうに呻く。
それでも。
リサの名前を呼ぼうとした。
「リ……サ」
「まだガキじゃねぇか」
一人が呆れたように笑う。
だが。
別の男が下卑た声で返した。
「だから良いんだろ」
「最近皆、溜まってんだよ」
「どうせ遊び道具になるなら、若い方が楽しい」
男達が笑う。
「っ……!!」
アデルが初めて本気で暴れた。
「やめろ!!」
「リサに触るな!!」
だが。
また拳が飛ぶ。
アデルの体が地面へ沈む。
それでも叫び続けた。
「リサを……返せ!!」
リサは泣いていた。
「おにい……!」
その頃。
黒瀬は目を開けていた。
夜。
静かな部屋。
サイドエフェクトが反応していた。
複数の人間。
村の外れ。
嫌な予感がした。
黒瀬は静かに起き上がる。
「……三上さん」
「水瀬さん」
少し間があった。
「……起きてますか」
三上が低く返した。
「起きてる」
「何かあったか」
「村の外れに複数います」
水瀬も静かに起き上がっていた。
「敵襲ですか〜?」
「分かりません。ですが、可能性があります」
黒瀬が静かに頷く。
三人が夜の村を走る。
外れへ近付くにつれ。
声が聞こえてきた。
笑い声。
呻き声。
そして。
リサの泣き声。
黒瀬達が角を曲がる。
その瞬間。
黒瀬の動きが止まった。
アデルが地面に倒れていた。
顔が腫れている。
口元には血。
その横で。
リサが男に腕を掴まれて泣いていた。
三上の目が細くなる。
水瀬は既にライトニングを構えていた。
スコープ越しに男達を見ていた。
十字の中心。
頭。
首。
心臓。
どこでも撃てる。
引き金を引けば終わる。
だが。
水瀬の指は動かなかった。
ランク戦じゃない。
訓練でもない。
トリオン体でもない。
あれは生身の人間だった。
今ここで撃てば。
あの人間は死ぬ。
頭が砕ける。
血が飛ぶ。
命が終わる。
水瀬の呼吸が浅くなる。
指先が微かに震えた。
黒瀬も同じだった。
ハンドガンを構えている。
射程圏内。
撃てる。
なのに。
体が動かなかった。
頭の中に、その言葉だけが張り付いていた。
人を殺す。
引き金を引けば。
自分達はもう、元には戻れない。
黒瀬の手が止まる。
その時だった。
「……お前等」
低い声。
三上だった。
「何もするな」
「俺がやる」
黒瀬が振り返る。
三上の目は、もう男達だけを見ていた。
冷たかった。
「三上さん」
「俺がやると言った」
それだけだった。
三上が前へ出る。
男達がようやく気付く。
「誰だ」
三上は答えなかった。
孤月を起動する。
次の瞬間だった。
「閃空孤月」
一閃。
男の首が落ちた。
すぐには体が倒れない。
遅れて血が飛び、地面に散った。
残った二人は動けなかった。
三上は止まらず、次の一人へ踏み込んだ。
刃が入る。
男は武器を上げかけたまま、膝から崩れた。
血が足元へ落ちる。
もう一人がようやく後ろへ下がる。
だが遅い。
三上はそのまま距離を詰め、横薙ぎに払った。
男の体が大きく揺れ、そのまま地面へ倒れた。
そこに残ったのは、倒れた死体だけだった。
静かだった。
ほんの数秒前まで響いていた声が、全部消えていた。
残っているのは、風の音だけだった。
「……おにい!」
リサが我に返ったように駆け出す。
地面へ倒れているアデルの元へ飛び付いた。
「おにい!!」
しゃがみ込む。
アデルの顔は腫れていた。
血も出ている。
「痛い……?」
「……大丈夫です」
アデルは無理やり笑った。
だが、その声は掠れていた。
リサは泣きそうな顔のまま、アデルへしがみつく。
「ごめんなさい……」
「私が外に出たから……」
「ごめんなさい……」
アデルが目を見開く。
「違います」
すぐに否定した。
「リサは悪くありません」
「でも……」
「悪くありません」
アデルはそう繰り返しながら、リサの頭を抱き寄せた。
リサはしばらく泣いていた。
やがて。
小さく顔を上げる。
視線の先。
そこには、まだ三上が立っていた。
リサは少しだけ迷う。
だが。
震える足で、三上の方へ歩いて行った。
三上が視線を向ける。
リサは涙を拭きながら、頭を下げた。
「助けてくれて……ありがとう」
「あと……ごめんなさい」
「私のせいで……」
少しだけ間があった。
「リサちゃんのせいじゃねぇよ」
三上は静かに言った。
「悪いのは、あいつ等だ」
「だから気にするな」
リサが少しだけ目を潤ませたまま頷く。
三上はそのまま、リサの頭を撫でようと手を伸ばした。
その瞬間だった。
視界に、自分の手が入る。
血が付いていた。
まだ乾いていない。
さっき殺した男達の血だった。
三上の動きが止まる。
ほんの一瞬だけ。
それから。
三上は静かに手を引っ込めた。
「帰るか…」
少し掠れた声だった。
リサは何も気付いていなかった。
「……うん」
小さく頷く。
少し離れた場所に居た黒瀬と水瀬は、その動きを見ていた。
何も言わなかった。
言えなかった。
水瀬はまだライトニングを構えたままだった。
もうスコープを覗く必要なんて無い。
なのに、下ろせない。
指先が冷えていた。
もし。
もし三上が来ていなかったら。
自分は撃てていたのか。
分からなかった。
黒瀬も同じだった。
ハンドガンを下ろせない。
視線だけが、倒れた男達へ向いている。
つい数秒前まで、生きていた。
喋っていた。
それが今は、ただ動かない。
三上だけが静かだった。
孤月を消す。
血の付いた手を見下ろす。
何も言わない。
「……三上さん」
黒瀬が小さく呼ぶ。
三上は振り返らなかった。
「水瀬と黒瀬は二人を護衛して家まで連れて行ってくれ」
「まだ周辺に敵が居るかもしれねぇ」
「俺は近くを見てくる」
いつもの声。
だけど少しだけ震えていた。
「……分かりました」
黒瀬が答える。
水瀬がようやくリサへ近付いた。
「リサちゃんもう、大丈夫ですよ〜」
リサが水瀬を見る。
その目は、まだ怯えている。
水瀬の胸が少し痛んだ。
アデルが立ち上がろうとする。
だが、足に力が入らない。
黒瀬が手を貸した。
「肩、貸します」
「……ありがとうございます」
アデルは小さく頭を下げた。
黒瀬はふと視線を上げた。
その先にいるのは三上だった。
三上は何も言わず、森の方へ歩いていく。
その背中が、どこか危うく見えた。
帰り道。
誰もほとんど喋らなかった。
リサだけが時折、小さく震えていた。
村へ戻る。
灯りが見える。
いつもと同じ景色。
なのに。
さっきまでとは、何かが変わってしまった気がした。
その頃。
三上は一人、森の中へ入っていた。
誰も居ない場所。
木々の奥。
そこでようやく足を止める。
静かだった。
虫の声だけが聞こえる。
三上はゆっくり座り込んだ。
自分の手を見る。
まだ感触が残っていた。
トリオン体とは違う。
肉を断つ時の嫌な感触。
骨へ触れた瞬間の硬さ。
そして目に焼きつく、死ぬ寸前の顔。
「……っ」
呼吸が乱れる。
肩が震える。
次の瞬間。
「ォェ……ッ」
三上はその場で吐いた。
胃の中の物を全部吐き出すみたいに、何度も。
「……っ、は……」
息が上手く吸えない。
また吐く。
喉が焼ける。
視界が滲む。
孤月を振った感触だけが、まだ手に残っていた。
血の匂いも。
感触も。
全部。
消えない。
「……ッ」
三上は口元を押さえる。
だが、吐き気は止まらなかった。
肩が大きく震える。
夜風だけが静かに吹いていた。
コメント
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わあ……第71話、読み終わりました。もう、胸がぎゅっとなりました。 リサが外に出た理由も、アデルが必死に守ろうとした気持ちも分かるだけに、敵兵の言葉の汚さと暴力が本当に辛かったです。そして三上さん……「閃空孤月」で一閃する場面の静かな凄みと、そのあと一人で森の中で吐いてしまうラストが重すぎます。人を斬った感触が消えない描写、手を引っ込めたところ、全部が心に刺さりました。黒瀬と水瀬が撃てなかったのもリアルで……続きが気になります。お疲れ様です、黒星さん🌷