「『仙境の桃』って知らない?」
果たして、俺の問いかけにモンスターが大きく眉を顰ひそめる。
そして先ほどまでの軽快な口調ではなく、まるで言葉を選ぶようにして口を開いた。
『……坊っちゃんのことを賢いたぁ思っちゃいたんですが、それも知ってるんですかい。閂カンヌキのところに来たのも、それが目的ですか?』
「ううん。目的は刀打ちだよ。桃の話はあとから知ったんだ」
『坊っちゃんも不老不死になりたいんですけ? とてもそうは見えねぇが……』
「死にたくないとは思ってるけど、食べるのは僕じゃないよ。さっきの金髪の女の子……ニーナちゃんに、元気になって欲しいんだ」
1つ目のモンスターはそのまま両手を組むと、目を瞑って考え込んだ。
『あの嬢ちゃんか……。法術を使えないところを見るに怖気おじけでしょうや。“魔”に悲惨な目に合わされ、法術を使うのに怯えてしまってるってところだとは思うんですが』
「……分かるものなの?」
『法師見習いの子どもにゃあ珍しい話じゃありやせん。なるほど、確かに「桃」がありゃあ怖気おじけは治るでしょう。ただね、坊っちゃん。人はみな、大なり小なり地獄を乗り越えてるもんですぜ』
「…………」
その言葉に反論はしない。
モンスターの言っていることは正論だ。反論の余地もないと言って良い。
だが、ニーナちゃんは巻き込まれただけだ。
彼女は何も悪いことをしていない。モンスターに狙われ、眼の前で父親を喪うしない、そうして心にトラウマを植え付けられた。そして、今とても苦しんでいる。
彼女は何も悪くないのに、だ。
そんな状況で、彼女にそれを乗り越えろと要求することは酷ではないのか。ひどいことではないのか。もし、桃を食べて治るのであれば……それでも、良いんじゃないのか。
俺はそう思ってしまうのだ。
『とはいえね、あっしは仙境を救ってくれた坊っちゃんに何かを返さなきゃいけねぇ。そうじゃねぇと、あっしの気持ちの釣・り・合・い・が取れねぇもんですからね。だから、どうしても坊っちゃんが仙境の桃を欲しいというのなら、あっしは出来る限りのことを……』
1つ目のモンスターが目を開き、そこまで言った瞬間だった。
シュウ……と、現実世界と繋がっていた穴が消えたのは。
「ち、ちょっと!」
『どうしやした?』
モンスターがまだ喋りかけの中、俺は会話を打ち切った。
「穴、消えちゃったけど……」
『……あ、あれ? まだまだ閉じねぇはずですが』
俺がそう言うと、モンスターが困ったように頬をかく。
困った様子の彼は両手を広げ再び『導糸シルベイト』を編み始めた。
『桃の話はあとにしましょ。もっかい向こうに繋げやす』
「うん。お願い」
そう言うなり『導糸シルベイト』を円形に回し、さっき通り道を作ったようにモンスターが『形質変化』を使った。
しかし、少しばかり光が散っただけで穴は生まれない。
それに対しモンスターは首を傾げながら、再び『導糸シルベイト』を展開。
そうやって三度、穴を作ろうとしたのだが同じように火花のような光が散って穴は開かなかった。
「……大丈夫そう?」
『開けられなくなっちまった……』
顔面蒼白、という言葉がぴったりの表情でモンスターは続ける。
『開けられなくなっちまった! 開けられなくなっちまった!! これはやばいですぜ。やばいんですよ。あっしも外に出られねぇ! あー! どうしよ。こんなの初めてだ!!』
そう言うなりモンスターは明らかにおろおろしながら、再び『導糸シルベイト』を掲げ穴を開けようとする。するのだが、何も変わらない。
「や、やり方教えてよ。もしかして、僕なら開けられるかもしれないし……」
『いんや。これを開けられるのはお館様から鍵・を預かってるモンじゃねぇと駄目なんですわ』
そうして、そこまで言うなり言ってからぱっとモンスターが顔をあげた。
『あ、いや……。そうか。もしかして、あっしが目覚めたのは……そ(・)っ・ち・か』
「ど、どうしたの?」
モンスターはそう言うと俺に向き直って、がし、と肩を掴んできた。
『良いですかい、坊っちゃん。あっしが目を覚ます条件は1つ。仙境の異常でさぁ』
「……うん。なんか、そんな気はしてたけど」
それは、これまでの言葉の節々から想像がつく話だ。
なので、俺はゆっくりと同意する。
『今回の異常を、あっしは鬼腫キシュの出現だと思ってたんでさぁ。閂カンヌキも高齢だ。祓えなくてもおかしくねぇと……。だが今回の鬼腫キシュはまだ生まれたて。老いたとはいえ祓えねぇ敵でもねぇ』
「……あのおじいさんが仕事するのも、しんどいくらい病気が重かったとか?」
そもそもあの鍛冶師に持病があるのか知らないのだけれど。
『それもそれであるでしょう。でもね、坊っちゃん。こうも考えられねぇか。鬼腫キシュは1体じ・ゃ・な・か・っ・た・』
「……他にも、いる?」
『へい。あっしは考えないようにしてたんですけどね、ずっとその可能性はあった。仙境に生まれる異常固体鬼腫は釣り合いの崩れから発生する……ただ、それが仙境の中の“魔”だけとは限らねぇ』
「ごめん。さっきから、何の話をしてるの……?」
いまいち話の要領がつかめず、俺がそう聞くと彼はすばやく返した。
『良いですかい、坊っちゃん。仙境こっちと現実あっちを繋ぐ道を通せるようにできるのはお館様だけだ。そうなれば、その逆。通・せ・な・く・す・る・の・も・お・館・様・だ・け・なんでさぁ』
「ちょ、ちょっとストップ! そのお館様って誰なの?」
『分かってるでしょう、坊っちゃん。あんたほど賢い人なら!』
ズン……と、重く響く音が聞こえた。
思わず反射的に音の聞こえてきた方向を見ると、岩山が何かの激突によって砕け散るのが見えた。そして、無数の岩塊の中から飛び出すようにして何かがこっちに飛んでくる1つの人影。
『お館様が鬼腫キシュになっちまったんだ。それをあっしはさっきの鈴で呼び出しちまった! 最悪だ!!』
俺はとっさに雷公童子の遺宝に『導糸シルベイト』を共鳴させて、『身体強化』。
そのまま距離を置こうとしたのだが、それより先に人影が俺たちのところに着地。
ヒュドッ! と、いう弾丸じみた音とともに谷底の地面がえぐられ、そこから1本の『導糸シルベイト』が隣にいるモンスターに向かって伸ばされる。糸が届くより先にモンスターの身体を掴むと、地面を蹴って真横に飛ぶ。
空を切った『導糸シルベイト』が、ふわりと空を漂った。
着地の際に生まれた粉塵が払われ、やってきた人影の姿が見える。
真白の狩衣かりぎぬ。俺たちが七五三の時に着せられた祓魔服にもやや似ているが、それよりも全体的にデザインが古めかしい。それは化野あだしの晴永はるながが着ていた服にも、どこか似ていた。
そんな糸を飛ばしてきた人物を、1つ目のモンスターが注視しながら叫んだ。
『あの人が仙境のヌシ。この世界を生・み・出・し・、あっしを調伏し、永くを生きる稀代の法師!』
世界の創造。
それが出来るのは『第六階位』か、あるいは――。
「……ちなみに、その『お館様』の階位って聞いても良い」
『問答無用の甲種でさぁ』
俺は教えてもらった。
晴永はるながと戦った後、アカネさんからかつての日本では階位ごとの名称が違っていたことを。
西洋でチェスのコマになぞらえていたように、日本では上から順に甲、乙、丙……とつけていたことを。
丙種が第五階位であり、乙種が第六階位であるのだと。
つまり甲種は、
「……第七階位」
否応にも、心臓が跳ねるのが分かった。
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