広いだけで何もないこの病室に俺はいつまでいればいいのだろうか。
きっと、死ぬまでだろう。
母が面会に来た。
でも、近くには来ない。正体不明の病気に自分もかかるのではないかと怯えているのだ。
そうするのであれば、面会に来なければいいのに。
母には、言わないでおこう。そう考えているうちに、母はいつの間にか病室からいなくなっていた。
もうここには、何の違和感も感じることは無い。
そして、温度管理が徹底されたこの病室では、何の不快感も感じない。
俺の体が、麻痺しているのかと思った。でも、違う。
次の日、ふとあいつのことを思い出した。
桜が満開でちょうどいい温度の日だった。
一度だけ、外に出られたあの日、
俺は病院内の中庭にある桜の木の下に立つ人影を見つけ、気になって見ていると、丁度目があった。
それから、一分ほど目が離せなくなっていた。すると次の瞬間、頭が割れるような痛みに襲われた。
俺が乗っている車いすを押していた看護師は、すぐに近くのナースステーションへ車いすを押した。
その後、俺は担当医に見てもらったが、何処にも異常は見られなかった。突然、俺は歩けなくなり、立てなくなった。
でも、体が麻痺しているわけではなかった。何か治療方法が見つかるわけでもなく、今日を迎えていた。
あいつを見たのは、その一度きり。名前すら知らない、あいつを見た日が刻一刻と迫ってきている。
俺は、あいつに会って話をしてみたい。そう、思っていることに自分で気づいたのだった。
今日は、「桜が満開で綺麗だから見たい。」と担当医に我儘を言って、二階のテラスではなく。
一階にある、中庭へと向かった。すると、あいつはそこにいた。桜の花のように消えてしまいそうな、あいつが。
なぜかその時、俺は車いすから降りて、自分で立とうとした。
でも、「立てるわけがないのに」と心の中では思っていたはずなのに。
そして、俺は立ち上がって、
すぐさま、あいつの元へと足を動かした。看護師は、びっくりして声も出ない様子だった。
あいつは、「久しぶり、君とは一年ぶりだね。海晴靑君」と言った。
俺は、驚いた。あいつは俺の名前を知っていたのだ。
「何故、俺の名前を知っている?」
「君は、ここでは有名人だよ。正体不明の病気を持つ子だって」
「お前は、誰なんだ。」
「僕は、槥瀛だよ。君を迎えに来たんだ。いや、迎えに来たではなくて、お迎えに上がりました靑様…」
その言葉を聞いた瞬間、俺の頭の奥にあった記憶が解き放たれた。それは前世の記憶だったのだ。
「もしかして、瀛なのか?」
「はい、靑様」
「瀛、俺から迎えに行かなくてすまない。前世で迎えに行くと約束したのに」
「いえ、大丈夫です。靑様は、ここにいらっしゃいましたから。僕…いや、私は死に際で聞いた貴方様の気持ちが何よりも、嬉しかったのです。」
前世に遡る。
戦場から帰ってきた靑を瀛が出迎える。
そして、靑が血を洗い流そうと服に手を伸ばすと、靑は拒絶した。
「俺に、触れるな。」
「靑様、どうしてですか?私が何かしましたか?」
なんて、瀛は聞く。瀛は何も悪くない。
「お前は、何も悪くない。俺の体には、殺した者たちの血がついている。そんな汚いものがお前に付くのは嫌なんだ。」
「ふふっ、私は大丈夫ですよ。もう汚れているのですから」
「そんなことを言うな、お前が私は大事なんだ」
「分かっています、いつかきっと靑様と結ばれることを願っております」
「あぁ、絶対に実現させてみせよう。」
「はい」
主人と使用人の思いはいつか実現するのだろうか…まだ、分からない。
その言葉を交わした次の日、瀛は…。
何でこんなことになるんだ。
俺のせいだ、俺があんな約束をしてしまったせいで…。
瀛はいつの間にか、屋敷に忍び込んでいた刺客に心臓の付近を刺された。
そんな状態であるにもかかわらず、瀛は話をやめることはしない。
「あお…さま。きっと、きっと。だいじょうぶです…。しんぞうは…、さされ…ていま…せんので…。」
段々、途切れ途切れになってきた言葉を、俺がむやみに止めることは出来ない。
止めてしまえば、もう二度とその愛らしい瀛の声を聴くことは出来なくなるからだ。
分かっている。心臓付近を刺されている以上、助からないことは一度目にしているからこそ、俺は止められない。
止めてしまって後悔したことを、覚えているから。二度目こそは、俺が止めてしまってはいけない。
だから、また約束をしてしまうのだった。
「分かっている。次は、俺がお前を迎えに行くからな、瀛。」
そう言った俺を、瞑りかけた目で瀛は見ている。俺の腕の中で、
「は…い。や…くそく、で…すよ」
と今できる限りの笑顔で言う瀛が靑にとっては、別れ際に見せる合図にしか、見えなかった。
「あぁ、やくそくだ」
靑がそう返事をすると、瀛は深い眠りについた。
瀛は死んだのだった。
刺客は、瀛によって殺されていた。
瀛は、自分を刺した剣を体から引き抜いて刺客を殺したのだ。
瀛は俺の言葉を、俺の本当の気持ちを待っている。
それはただ一つの、約束
「今度こそ、お前を愛して離さないぞ、瀛」
それに対して、瀛はとびっきりの笑顔でこう答えた。
「はい!靑様」
またしても、約束をしてしまった。
これにより、前世の約束は全て果たされて、また新たな約束が生まれたのであった。
主人と使用人の思い。いや、愛の約束の物語は幕を閉じて、新たな幕を開けたのだった。
…end
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